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小さなショーケースの中には、数種類のケーキがほんの少しずつ残っていた。昨日の豪華レストランビュッフェで見たスイーツと比べれば、質素で地味だと感じてしまう。けれど、味はまったく負けていない。「おいしい!」とマコトが正直な感想を声に出すと、ケーキ屋の店主――茶摘ゴンタが、目を細めて笑ってくれた。
「ありがとうございます! いやあ、うれしいですね。タイシさんがお友達を四人も連れてきてくださるなんて。私はてっきり、一人もいないとばかり――」
「話がある、ゴンタ」
「あっ、急に嫌な予感がしてきました」
「お前が持っているスターレットの握手会の参加券を、なにも言わずに譲ってもらおう」
「強盗じゃないですかっ! えっ、なんでっ!? どうして!?」
小さなケーキ屋の小さなイートインコーナーに、作業着がはち切れんばかりに横に育った店主の弱々しい悲鳴が響き渡る。最もすぎる感想だと思いながら、マコトは正面に座っているタイシをちらりと見やった。こんな理不尽な状況でも得意げな笑みを浮かべているタイシの心臓の強さを、素直に羨ましいと思いながら。
レストランビュッフェで作戦会議を行った翌日。午前中はそれぞれの中学校で終業式に参加した五人は、午後になってから、とあるケーキ屋に集合した。その目的は、店の主人が持っていると思われる、スターレットの握手会の参加券。
「なぜ、そう頑なに拒む。いたいけな中学生のささやかな頼みを、大人のお前がよくそこまで無下にできるものだな」
「いたいけな中学生は、人がやっとの思いで手に入れた大事な大事な握手会の参加券を無条件でよこせだなんて言いませんよ! ……びっくりしちゃったなあ、もう」
「あの……」店主のゴンタはタイシのネット友達のようなので、交渉はタイシにすべて任せるつもりだった。けれど、この流れはあまりにもゴンタが不憫だ。たまりかねたマコトは、おずおずと口を開く。
「いきなりすみません、ゴンタさん。でもボクたち、どうしても握手会の参加券が必要で……あの、もしよろしければ、譲ってもら――」
「えるわけないと思うんですよね、普通はっ」
「ですよね!」
ゴンタの食い気味の返答には、ぐうの音も出ない。スターレットの大ファンで、きっとやっとの思いで入手しただろう握手会の参加券だ。それを見ず知らずの他人に無償でよこせと言われて、ほいほい渡せるはずもない。
万策尽きたマコトは、具体的な説明もせずに四人を強制的にここへ連れてきた張本人を横目で窺う。そのタイシはといえば、いつもの余裕な表情で眼鏡を上げた。
「いいのか? お前のアレを世間にばらされても」
「はうっ!?」
いくら知り合いとはいえ一回りも二回りも年上の相手に対して、タイシは相変わらずの尊大な口調なまま、不穏なことを言い出し始めた。首を絞められたニワトリのような声を上げたゴンタは、滝の汗を流しながらも頭を左右に大きく振る。「いいや、それでもっ! それでもあの参加券だけは譲れません! 絶対にっ!!」
並々ならぬ決意を宿したゴンタの強い瞳が、真正面からじっとタイシを見据えている。「ばらしたければ、いくらでもばらせばいいっ! 私は最後まで断固として戦います!」
まるで、とんでもない悪役になった気分だ。いたたまれなさと、もどかしさを感じながらも、マコトには二人の様子を見守ることしかできない。
「なら、望み通りにしてやろう。――聞いたな、バトラー」
「了解、マスター。茶摘ゴンタノアノトンデモナイ秘密ヲ今スグ世界中ニ発信シマス」
「はえっ!?」
「タイシくん、待って待って! そういう脅しはよくないよ!」
我が道を貫き通すタイシは、よりにもよって悪の道を爆走しようとする。慌てて立ち上がったマコトとゴンタが、二人がかりで阻止しようと暴れていると「ちょっと聞いてもいいですか、ゴンタさん?」と、横から第三者の冷静な声がかかった。
さっきから無言でマコトたちの様子を眺めていたミサキが、座ったまま挙手をしている。我慢をするのが苦手なミサキが今まで黙っていたのはなぜだろうと思ったが、どうやらエリヤとユウから分けてもらったケーキを食べることを優先していたらしい。空になった皿に対して、ごちそうさまでしたの合掌をしてから、ミサキは改めてゴンタに向き直る。
「握手会は、二十二日ですよね? ケーキ屋なら、その日はクリスマスケーキの準備で忙しくて、とても握手会に参加している余裕はないと思うんですけど?」
「うぐっ!」という、ゴンタの重い悲鳴。どうやら痛いところをついたらしい。
それはマコトも気になっていた。五人がこの店にやってきたときも、五人がひとつずつ選んだケーキをイートインコーナーで堪能しているときも、今、この瞬間も。ほかの客の姿を、一度も見かけていない。ということは――。
「暇なんですよね、とっても。本来ならケーキ屋として一年で一番忙しい時期に、お店を離れて握手会に参加できるくらいには」
「あうっ! ぐほ!」
ミサキの言葉が見えないジャブとなって、ゴンタの巨体に次々とヒットした。さすがに可哀想になるが、ミサキが考えなしに人を傷つけるようなことはしないとマコトは信じている。老舗和菓子屋の娘だということもあって、なにか思うところがあるのかもしれない。
「ゴンタさんは、スターレットの握手会に行くことと、ひとりでも多くの人に自分が作ったケーキを食べてもらうこと。――どっちが楽しいですか?」
ミサキの真剣な二択が、しんと静まり返った店内に響いた。疑問を突きつけられたゴンタはもちろん、真っ先に茶化しそうなタイシさえもが神妙な面持ちで沈黙する。
「それは、もちろん……」ややあって、クマが唸るようなゴンタの声。
ゴンタは、スターレットに会うためなら、自分のとんでもない秘密が世界中にばらまかれてもいいと思っている。優先順位など、いまさら確認するまでもないのかもしれない。それでも、マコトは期待する。想定とは違う答えが、ゴンタの口から出てくることを。
「――それはもちろん、自分が作ったケーキを食べてもらうこと、です!」
「ゴンタさん……っ」
真摯な表情で力強く断言したゴンタを見て、感激のあまりマコトが飛び上がる。それと同時に、ミサキがうれしそうに微笑んだ。ミサキは自分にも他人にも厳しいが、信念を持って努力する相手にはどこまでも優しい。ゴンタのことも、どうやらお気に召したようだった。
「それなら話は簡単だわ。アタシたちが、ゴンタさんを握手会に行けないくらい忙しくします。そうね、今からクリスマスケーキの予約が五十も入れば十分でしょ?」
「ご、ご、ご、ごじゅうっ!? この閑古鳥が鳴く知名度ゼロどころかマイナスのお店のケーキを!? む、無理に決まってるじゃないですか!」
「無理なんかじゃないですよ!」とても的確な自虐をしながら悲鳴を上げたゴンタに向かって、マコトがすかさず答える。「だっておいしいですから、このお店のケーキ!」
「素材にこだわりつつもシンプルにまとめて、それでいて味に深みとコクがあるところがすてきね。バランスがとてもいいと思うわ」無類のスイーツ好きであるミサキの言葉には、強い説得力がある。
「ま、いまどき店の外観をデコレージョンで飾ってないとかありえねぇけどな。大通りでひしめくライバル店の陰に完全に埋もれてやがる」と、眠そうなエリヤが一言。
「こら、エリヤ。――すみません、ゴンタさん。翻訳すると、お客さんにあまり認知されていない原因は、味じゃなくて店の立地とか宣伝の仕方に問題があるんじゃないか、と言いたいらしいです。甘いものが得意じゃない彼でも、このお店のケーキは食べやすかったみたいですから」
ユウが自然な流れでフォローをしつつ「ケーキの上の飾りもかわいかったです」と、はにかむ。率直かつ新鮮な意見を立て続けに受け取ったゴンタは、垂れ気味の目をぱしぱしと瞬いた。
「つまりだ」指先で眼鏡のブリッジを押し上げながら、しばらく黙っていたタイシが口を開く。「俺たちが予約をとれるのかという心配より、五十個ものクリスマスケーキの予約をひとりで裁ききれるのかを心配しろ」
「!」
冷静に考えれば、無茶な要求のオンパレードだ。やれ参加券をよこせ、やれケーキの予約を取ってきてやる。ゴンタにしてみれば、迷惑以外の何物でもないだろう。黙り込んでしまったゴンタを見つめながら、マコトは反省する。この提案を拒絶されたら、そのときは潔く諦めよう。そう思って、ゴンタの答えをじっと待った。
「……皆さん」震える声。震える拳。ああ、怒られる。とっさに身を固くしたマコトが見たものは、夏休みの森でカブトムシを見つけた少年のように輝く瞳。
「どうか、よろしくお願いしますっ!」
本日一番の大声を上げながら、ゴンタは自分の子どもでもおかしくないほど年の離れた中学生たちに向かって、重そうな体をきっかり九十度に折った。




