29話 〈泥まみれ〉
夜勤の休憩をしていたユルカに、冷や汗ダラダラの管理人さんが話しかけてきた。
「階段に変な泥が付いてるんだけど、みた?住人からは言われてはなくてね」
「泥…?」
ユルカは雑巾片手に階段を確認する。『変な泥』はどろまみれの足跡に見えた。
「絨毯じゃなくて良かった…」
管理人さんは何を見てしまったのだろう?尋常じゃない様子で仮眠室へ逃げていった。
彼は霊感があるのではないか、と疑る時がある。ユルカには見えない裏の世界を目の当たりにして何かに怯えている。
夜勤勤務をしていると時々そう思っていた。
雑巾と水の入ったバケツを装備して、丁寧に泥を拭きとっていく。沼から出てきたかのような、そんな砂利が少ないもの。
ふいに脳裏に、この前の会話がよぎる。ここには池があって──
ベチャッ。
上から泥をまとった変な音がした。顔を上げると膝までの人が泥まみれになって佇んでいるではないか。
「え?!」
幽霊にしてはオーラもなく、単にそこに居るだけの膝までの脚。ユルカはポカンと足が階段を降りようとしたのを眺めていたが、ハッと我に返る。
「待てーっ!」
ドタバタ!バタバタ!
「ど、ドロボー!!」
咄嗟に口走った言葉に他の住民がやってきて、足はさらに驚きあっという間に外へ出ていってしまった。
「あ、あら…泥だらけじゃない」
「あ、広田さん」
3階に住む広田さんが足跡を眺めて首を傾げている。
「すいません。泥まみれの人がいたので、ドロボーって叫んじゃいました…」
「なあんだ、て、なんだじゃないわね!変質者じゃないっ。管理人は何してるの?!オンナ一人で夜中にこんな事させてっ」
怒りをあらわにした彼女にアワアワしていると、仮眠室へ向かっていった。
(大変だあ…)
「すいません。怖かったんで」
「怖かったからって若い女の子に任せちゃダメでしょ?!」
三人で階段とロビーを掃除し、ユルカは苦笑しながらも泥まみれの脚を思い出す。あれは何だったのだろう?
(幽霊にしては怖くなかったなあ…)




