1話目 〈前置き〉
あるマンションには使われていない階がある。
7階。
8階建てのごく普通のマンションは、古びているが目立つ事もなく──街は受け止めていた。
まず、エレベーターが7階に止まらないよう設定されている。7階は封鎖され誰も入らない。
管理人からマンションは心理的瑕疵物件ではあるが、実害はなく気にしなければ普通に生活できると知らされる。
住民たちは平穏な日々を送っており、誰も文句は言わない──
しかし世の中では噂が出回っていた。封鎖された階は何故か全部暗い赤色に塗られているだの。侵入したら帰ってこれないだの。
たまに7階の窓から悲鳴や雄叫びが聞こえる、という投稿がある、とか。
根も葉もない噂だと彼も思い、6階にある我が家に帰ろうとエレベーターに乗っていた。
早く帰って精神的苦痛から逃れたい。今日、見てしまった人身事故の残影が頭から離れない。
はあ、とため息をついて、フッと6階を通過しているのに気づいた。
「おい!」
6階のボタンを押すが、反応せず。無音で7階に止まってしまった。
「ひっ…」
薄暗い空間が窓の外から見える。確か、コンクリートか何かで塞がれたはずだった。
扉が開き、思わず足を踏み出してしまい、後悔した。深い赤色に塗りたくられた空間は他の階の構造と瓜二つである。部屋の数も同じだろう。
だが廊下には壊れた三輪車が放置されている。そしてなぜだか自動販売機だけ稼働しており、意味がわからない。
男性は噂が本当だったと知り、困り果てた。エレベーターは下の階へ降りていき、いなくなっている。
どこからかテレビの音がして、老婆だろうか──怒鳴り声が聞こえる。何か喧嘩していた。
(人が住んでる?なら、良かった)
「アンタがグズだからワタシが苦労すんだよ!早く動け!」
「ごめんなさい…!ごめんなさい…!」
やかましい部屋の近くまで行くと会話が聞こえ、嫌な気持ちになる。
他の部屋からもジャズだろうか、音楽が鳴っておりたまに引きずる様な不快な音がした。振り子が揺れて音楽を邪魔しているみたいな…。
水が溢れ出した部屋、皿や食器類が割れ、誰かが暴れている部屋。
(ここは、本当に──7階なんだよな?!)
あまりにも現実ばなれしている。男性は角部屋まで歩いて来てしまい、どうすべきか迷う。
エレベーターが来るのを待つか。それともこの近くにある非常階段を使うか。
「使えないよ。塞がれてるから、おじさんも知ってるはずでしょ」
どこからか少女の声がしてホッとして少し踏み出すと、ドサッと目の前に女子高生が倒れてきた。
「わあ!」
それは朝、人身事故で電車に跳ねられた女子高生とそっくりだった。髪型も顔も。バッグも。
辛うじて上半身は形を保っているが、下は肉塊になっている。
「どこにいる?!」
男性は知っていた。目の前に死んでいる少女とは、別人の声だったと。──だがそれ以降、気配も声もしなかった。
別人だった。ぶつかってきてイチャモンを付けられて、腹が立った男性は電車が来ると同時に、姑息に彼女を突き飛ばした。
「え?なんで──」
最後の言葉を忘れるわけない。耳にこびり付いてまだ忘れられない。
「くそ!くそ!」エレベーターへ一目散に向かい、ボタンを押した。だが反応はない。へたり混んで、笑うしかなかった。
次の日。6階に単身赴任していた男性が行方不明になってしまい、ちょっとした事件になった。
まるで丁寧な夜逃げのように、家具や身分証明書などの物品が消えてしまったのだ。
だがマンションの古参たちは仕方ないよ、とだけ会話を交わし、いつも通りに生活する。
「仕方ないよ、仕方ない」
管理人も警察へそういい、街の警察も仕方ないと納得した。防犯カメラにもしっかり映っている。
男性がこの世に存在していた事は。
ゆるくやっていきたいです。