悪役令嬢の大好きな人は明日結婚する
あなたは、わたくしが暗闇にいる時に手を差し伸べてくれた。そんなあなただから、わたくしはこんなにも好きになってしまった。
……でも、あなたは明日結婚してしまう。
ねえ、わたくし今上手に笑えてる?
◇◇◇
わたくしは、魔力を上手く放出することが出来ないから、『殻子』と陰で揶揄され続けた。"魔力が殻に閉じこもったように出てこない"という意味らしい。中々上手いことを言うモノだ、と鼻で笑ってしまった。
そんなわたくしは、膨大な魔力があり大きくなったら使えるようになるかもという理由と公爵家という高い身分から第二王子の婚約者に選ばれた。彼は魔法の使えない『殻子』であるわたくしを決して責めず優しくしてくれ、その温かさがとても心地よかった。
そんなある日、わたくしは一人の生徒に出会った。
出会った頃「悪役令嬢……!」などとボソリと呟いていたあなたは、そこから馴れ馴れしく話しかけて来るようになった。
「婚約者がいる」と突っぱねてもきょとんと目を瞬かせ「それがどうかしたんですか?」とヨイショと隣に腰を下ろしてくる。
最初は、そんなあなたが大嫌いだった。わたくしに取り入ってなにをしたいのだと、モヤモヤして眠れない夜もあった。
だけどあなたが、
「うわ、『殻子』様が特待生の隣にいるじゃん。嫌がらせでもするのかな?」
「ちょっと、聞こえるよ!」
という女子生徒の言葉を聞いて「撤回してください!」と声を荒げた時、わたくしの固く結ばれていた心は呆気なく解けてしまった。
「いいのよ、事実だから、いいの」
「そんな訳にはいきません」
怒るあなたを瞳に宿した瞬間、わたくしの目から涙があふれた。途端に女子生徒に説教するのをやめてわたくしの下に飛んでくるあなたを見て、「ふふふ」と笑ってしまう。
第二王子は、わたくしを責めたりはしなかった。だけど、こうやって声を荒げて守ってくれることはなかった。
だから、初めて触れる『優しさ』をくれたあなたを好きになった。世界で一番、好きな人になった。
だけど、そんなあなたが明日結婚する。
家に招かなければ良かったなぁ、と苦い気持ちを飲み込みながら、わたくしは婚約者の隣で幸せそうに笑っているあなたを見た。
好き。好き。大好き。じっとり苦い気持ちが広がる。あなたの一番になりたかった。特別でいたかった。
ああ、それならばいっそ……と思った所で名前を呼ばれた。
◇◇◇
「アンネリーゼ様、紅茶のおかわりはいかがですか?」
「……お願いするわ」
「なんだか元気がありませんが、大丈夫ですか?」
眉を下げこちらを心配そうに見る彼女にそっと笑みを返す。いけない、つい不機嫌そうな顔をしてしまった。
明日は結婚式。わたくしは第二王子と共にお茶会に来ていた。あなたとその婚約者、計四人だけの小さなお茶会。
真っ白なガーデンテーブルに乗っているティーカップを、そっと渡した。彼女は慣れた手つきで紅茶を淹れる。
「ありがとう」
「はい、お砂糖は二つ……でしたよね?」
「そこにたっぷりのミルクもね」
「そうでした!」と笑いながら彼女はそっとわたくしの紅茶にミルクをいれる。
そんな彼女を見ると、また憎悪が湧き上がった。ドロドロとした、自分ではどうしようも出来ない感情が蠢く。
……そうだ、連れ去ってしまえば良いのだろうか?
わたくしは、あなたがつきっきりで教えてくれた甲斐があって魔法が使えるようになった。あなたが、わたくしの殻を破ってくれた。
初めて魔法が使えた時、殻が割れたように薄暗かったわたくしの世界の天井から光が差した。その光は段々と量を増やして、わたくしを照らし続けている。
その光の向こう――殻の外にいるあなたに、手を伸ばしたい。その手を取ってもらいたい。
そうと決まればと、わたくしは愛しいあなたの名を呼んだ。
「――ねえ、フィローネ。少しだけお話しない?」
わたくしの兄と明日結婚する大切なあなたは、今からわたくしは酷いことをするというのに「はい! 喜んで!」と良い返事をした。
◇◇◇
そこでなにかを察したような第二王子が、兄に話しかける。
「未来の義兄様、少々お尋ねしたいことが」
「……?」
「ちょっと内密で伝えたいことなので、少し二人きりで……」
「分かった。フィローネ、これは決して浮気ではないからな⁉ 僕は君一筋だ!」
叫ぶ兄にフィローネは慣れたように「分かってますよ」と返し、二人の姿が見えなくなるとわたくしに向き合った。
「それで、お話したいこととはなんですかアンネリーゼ様」
ソワソワと、まるで子犬のようにわたくしを見上げるフィローネに、チクリと心臓を刺された気がした。
ポシュゥと、フィローネを家に招いた時に彼女に恋に落ちた兄への憎悪の感情が音を立て小さくなる。
だからわたくしは、さっきフィローネが淹れてくれた紅茶が入ったティーカップを両手で包み込むように握りしめながら口を開いた。
「ねえ、わたくしのことどれくらい好き?」
ぶわわ、と周囲に花を撒き散らす幻影が見えるくらいわたくしの質問の嬉しそうな顔をしたフィローネは「たっくさん好きです!」と言った。
「……でも、わたくしのお兄様の方が、好きなのでしょう?」
元より丸い目をさらにまん丸くさせてフィローネはわたくしを見つめ返した。
恥ずかしさから顔が赤くなる。
「いいえ、二人とも同じくらい好きですよ」
フィローネが人差し指と中指を立てた。これは彼女がよくするポーズで、"ピース"と言うらしい。
「だって、二人は唯一の『婚約者』と『大親友』ですからね」
「だ、大親友?」
初めて聞く言葉に瞠目していると「とっても仲の良い、友達なんて言葉では言い表せない大切な人のことです。マブダチとも言います!」と解説を入れてくれた。
「そう、特別……」
「はい。アンネリーゼ様のことが、私はだーいすきです。ですから、大切な二人を比べることなんて出来ません」
両手でピースをしながら笑うフィローネは今日も眩しい。
「ねえ、どうしてフィローネはわたくしを大親友だと思ってるの」
「気になっちゃいます?」
「ええ、とても」
照れくさそうに、フィローネは笑った。
「最初、私はアンネリーゼ様に取り入りたくて近づきました!」
「まあ正直」
「はい、庶民は打算と食欲に溢れているものなので。……そんな風に打算で近づいたアンネリーゼ様と、ちゃんと仲良くなりたいと思ったのは、あなたが一度も私を『これだから庶民は……』と一度も言ったことがないと気付いた時です」
「あなたは私を疎ましく思っていても、とても高潔でした。その美しさを、私は尊敬しています」そう締めくくったフィローネは、恥ずかしそうに視線をウロウロさせている。
その姿に、ゆるゆるとわたくしの口元が緩んだ。
フィローネがわたくしを救ってくれたように、わたくしもフィローネを救えたというのが、とてつもなく嬉しい。
ああ、わたくしはやっぱりフィローネが大好き。……そしてそれと同じくらい、あなたが愛する世界も大好き。
わたくしの恋情がゆっくり昇華していく。
わたくしは、確かにあなたと『恋』はできなかった。だけど、「私、アンネリーゼ様のお兄様が好きになっちゃったみたい……」とフィローネが一番最初にわたくしに兄への気持ちを教えてくれたように、『恋』を分かち合うことは出来る。あなたがなんでも相談出来る『大親友』になら、なれる。
「――あのね、フィローネ。わたくし好きな人がいるの。その人の隣に、いつまでもわたくしだけがいたかった」
フィローネの手を取って、目を合わせて、今なら口ごもることなく言える、祝福の言葉を。
「でも、その人がわたくしではない人と結婚して幸せになれるというなら、わたくしはそれでも良いと思えた。だって、その人がわたくしを大切にしてくれているのは、変わらないから。
それに気づかせてくれて、ありがとう」
あなたが時間をかけて教えてくれた、大切なこと。
「結婚おめでとう、フィローネ」
「ありがとうございます、アンネリーゼ様」
昔からの変わらない笑顔に、わたくしは涙が出るくらい心がジンと熱くなった。
◇◇◇
「フィローネ嬢、綺麗だね」
「ええ、本当に」
真白のヴェールを被り、純白のウエディングドレスを身にまとったフィローネを、わたくしは凪いだ心で見つめる。
そんなわたくしに、第二王子は心配そうな視線を寄越してきた。
「大丈夫? ……辛くはない?」
「はい。これは、決して強がりではありません」
わたくしは、第二王子に向かってピースをした。
「だってわたくし、フィローネの大親友ですもの」
「……そっか、それなら良かった」
優しく笑う彼の手に、私は自らの手を重ねた。十歳の頃婚約者になった彼の手は、いつの間にか大きくなっていた。
「わたくしの傍に、ずっといてくれてありがとう」
「……っ、ううん、僕はなにもできなかったよ」
いいえ、殻に閉じこもっていたわたくしは気づくことができなかったけど、今のわたくしならわかる。
わたくしが魔法を使えるようになった時に、泣きながら「良かったね、良かったね」と言ってくれたあなたの優しさが、嬉しかった。
わたくしの恋心に唯一気づいてくれて、あなたはちゃんとわたくしを見てくれていたのだと、嬉しかった。
フィローネにはフィローネの、あなたにはあなたの『優しさ』があって、それは比べることの出来ない大切なモノ。
殻がパリパリと割れ、いくつもの光が差し込み、その光が大きな束となった時、わたくしは立ち上がった。青い空が、わたくしの視界を埋め尽くす。
きっとわたくし、ポール様のことをフィローネと同じくらい好きになる。