第二公子
出来ることなら、他人のフリしてそそくさと退散したいけど……最悪なことに指を差されているのよね。
しかも、ヘクター様が大声を出してしまったから周囲もすっかり静まり返ってしまって……こっそり抜け出すことだって、出来ない。
まさに八方塞がりの状況なのよ。
『困ったなぁ……』と内心溜め息を零していると、ヘクター様がこちらへズカズカと歩み寄ってくる。
周囲から突き刺さる視線など、気にせずに。
一瞬『逃げようかな?』と考えたものの、こちらはやましい事など一つもないので堂々と構えた。
ここで下手に逃亡を選ぶと、周囲に誤解されてしまう危険性があるため。
『面倒だけど、適当にあしらうか』と決意する中、ヘクター様は私の真ん前で足を止める。
「おい!まさかとは思うが、俺がここに来ることを知って来たのか!?」
引きこもりの私が珍しく外出したため、ヘクター様は変な勘違いを引き起こした。
『未練がましく付き纏ってくるなんて!』と非難しつつ、少し得意げな表情を浮かべる。
「悪いが、今更『婚約破棄を撤回してくれ』と懇願されても無理だぞ!俺には、もうティナという心に決めた女性が居るからな!」
『逃がした魚は大きかったってことだ!』と言い放ち、桃髪赤眼の美女────もといティナさんを抱き寄せた。
『付け入る隙はないんだぞ』とでも言うように親密な様子を見せる彼は、誇らしげに胸を張る。
モテているという絶対的自信を持っているからこその対応に、私は少しばかりゲンナリした。
『思い込みが激しいところは相変わらずだな』と溜め息を零し、おもむろに口を開く。
「あの、盛り上がっているところ申し訳ありませんが、私は両親の代理としてパーティーに出席しただけです。他意はありません。それでは」
『全部貴方の勘違い』という事実を突きつけ、私はクルリと身を翻した。
これ以上見世物になる気はないので、ウィルの手を引いてこの場から離れようとする。
────が、突然誰かに腕を掴まれた。
ビックリして後ろを振り返ると、そこにはティナさんの姿が……。
「あ、あの……!ヘクター様の元婚約者のレイチェル様ですよね!?私はメイラー男爵家の長女である、アルティナ・ローズ・メイラーと申します!この度は、その……申し訳ありませんでした!」
両手でギュッと私の腕を掴んだまま、彼女は申し訳なさそうに眉尻を下げる。
ただ────頭は絶対に下げなかった。
『ティナは愛称だったのか』とぼんやり考える私を前に、彼女は僅かに目を潤ませる。
「ヘクター様を取るつもりは、なかったんです!でも、彼に熱烈なアプローチを受けてどんどん好きになってしまって……!それで、私……!」
聞いてもないのにペラペラと事情を語り、アルティナ嬢はポロポロと涙を零した。
『婚約者を奪った女』というレッテルは避けたいのか、必死になって悲劇のヒロインを演じる。
『真実の愛を貫き、結ばれた二人』と印象づけたいのが、丸分かりだった。
だからと言って、こんな力技を使わなくてもいいのに。
『方法は色々あったでしょう』と半ば呆れる中、ヘクター様がアルティナ嬢をそっと抱き締める。
「ティナ……!別にいいんだ!もう終わったことなんだから!」
『お前の気にすることじゃない!』と言い募り、ヘクター様はアルティナ嬢の頭を撫でた。
愛の強さを表すように、力いっぱい。
そのせいで、彼女の髪型は見る見るうちに崩れていった。
ある意味悲惨な状況を前に、私は一つ息を吐く。
そういう茶番は、他所でやって欲しいのだけど……。
私を、二人の恋路を邪魔した悪者みたいに扱うのもやめてほしい。
非常に迷惑だわ。
などと思っていると────不意に強風が吹き、アルティナ嬢のドレスを捲り上げる。
でも、直ぐにスカート部分を押さえたため、痴態を晒さずに済んだ。
『バルコニーの扉でも開いていたのかしら?』と述べる彼女の隣には、ボサボサ頭のヘクター様が……。
どうやら、巻き添えを食らったらしい。
「くそっ……!せっかく、一時間も掛けてセットしたのに!」
『最悪だ!』とボヤくヘクター様は、手で髪を梳いて整えようとする。
────が、髪質の問題かそれとも単に不器用なのか……更に悪化してしまった。
『鳥の巣みたいだな』と冷静に分析する中、本日の主役が姿を現す。
その途端、会場内は一気に静まり返った。
誰もが一様に口を閉ざし、ステージ上に居る男性を見つめている。
「皆さん、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。オセアン大公家の次男ルイス・レオード・オセアンです」
柔らかな声色で挨拶するルイス公子は、同年代と思えないほど落ち着いた雰囲気を放っていた。
また、面倒臭がり屋の私とは違い、真面目そうでシャツのボタンを一番上まで留めている。
短めの緑髪もきっちり整えられており、女性のように綺麗なお顔を引き立てていた。
そして、何より目を引くのが────大公家の直系の証である黄金の瞳。
『光っている』と錯覚を覚えるほど美しいソレは、どこか神秘的だった。
まるで、天使や妖精のようね。
仕草や言葉遣いにも品があって、非常に好感を持てるわ。
ちょっと安直だけど、メガネを掛けていることから知的に見えるし。
などと考えつつ、私はルイス公子のスピーチを聞き流す。
『さすがにちょっと長いなぁ……』と欠伸を噛み殺していると、ルイス公子が侍女からワイングラスを受け取った。
「それでは、心行くまでパーティーをお楽しみください────乾杯」
ようやくパーティーの開始を宣言し、ルイス公子は軽くワイングラスを持ち上げる。
それに見倣うように、招待客もグラスを掲げた。
────と、ここで待機していたオーケストラが祝い事に相応しい陽気な音楽を演奏し始める。
その途端、場の雰囲気は一気に明るくなった────ものの……こちらを見る目は冷たい。
さっきの騒ぎが尾を引いているようね。
「さっさと公子に挨拶して帰りましょう、ウィル」
「そうですね……」
普段のウィルなら小言を零すところだが、周囲の視線に耐えきれなかったようで同意を示した。
『さすがに居心地が悪い』と苦笑を浮かべ、ステージへ続く長蛇の列に目を向ける。
我先にと挨拶へ馳せ参じる招待客の姿に、彼は小さく肩を落とした。
どんなに急いでも、三十分以上は時間が掛かりそうでゲンナリしているのだろう。
まあ、かく言う私も全く同じ気持ちだが……。
ルイス公子の場合、まだ婚約者が居ないこともあって縁談を目論む者が多いのよね。
だから、余計にみんな気合いが入っているというか……少しでも長く会話を続けて、印象に残ろうとしているの。
だから、普段の倍は時間が掛かると思うわ。
自分の娘や姉妹を紹介する各家の当主を前に、私は嘆息する。
『これは早く並ばないと、不味いな』と思案しつつ、ウィルを連れて列の最後尾へ向かおうとした。
その瞬間────
「お待ちください!まだ話は終わっていません!」
────と、引き止められた。
『まだあの茶番を続けるつもりか』と飽き飽きしながら振り向けば、アルティナ嬢と目が合う。
真剣な表情を浮かべる彼女は、凛とした目でこちらを見据えた。
かと思えば、ドレスと同じピンク色のロンググローブを脱ぐ。
「私────アルティナ・ローズ・メイラーは、レイチェル・アイレ・ターナー伯爵令嬢に決闘を申し込みます!」