ターナー伯爵家《ウィル side》
「────婚約を破棄されたとは、一体どういうことだ!?」
ダンッと食堂のテーブルを叩き、鬼の形相で怒り狂うのは────ターナー伯爵家の現当主である、マーティン・イグニス・ターナーだった。
お嬢様のお父上である彼は、アクアマリンの瞳に憎悪を滲ませる。
作り物のように整った顔は真っ赤に染まっており、今にも沸騰しそうだった。
怒りで震える手を握りしめ、旦那様はギシッと奥歯を噛み締める。
「そろそろ、結婚式の準備を始めようかというタイミングで婚約破棄とは、何事だ!?ふざけているのか!?」
怒り心頭で声を荒らげる旦那様は、胸あたりまである銀髪を乱暴に掻き上げた。
シーンと静まり返る食堂内で、お嬢様は一人黙々と肉を切り分けていく。
空気を読めないのか、もしくは読む気がないのか……彼女は呑気に欠伸を零した。
両親との食事を楽しむ気もない彼女の態度に、私は呆れたように肩を竦める。
一応、二週間ぶりの家族団欒なんだけど……万年寝不足のお嬢様には、どうでもいいみたいだな。
早く部屋に戻って眠りたいって、顔をしているよ……。
気だるげに夕食を摂るお嬢様の姿に、私は小さく溜め息を零した。
『久々の家族団欒がこれか』と呆れ返る中、旦那様の怒りは更に増す。
「他所で女を作って、婚約破棄など……!そんなの……そんなの────うちのレイちゃんが可哀想すぎるだろう!!」
お嬢様のことを『レイちゃん』と愛称で呼ぶ旦那様は、世間一般で言う親バカだった。
『酷すぎる!』と喚き散らしながら、お嬢様に哀れみの籠った眼差しを向け、嘆息する。
当の本人は眠そうに欠伸をしているものの、親バカの旦那様には悲劇のヒロインのように映ったらしい。
『可哀想に……!』と同情する旦那様の横で────今度は緑髪の美女が涙ぐんだ。
「ええ、本当に酷いわね!うちのレイちゃんは、とっても病弱なのに……!」
そう言って、ハンカチで涙を拭ったのは────ターナー伯爵家の女主人である、レティシア・ルピナス・ターナーだった。
ペリドットの瞳から大粒の涙を流し、奥様は『また体調不良になったら、どうしましょう?』と心配する。
だが、当の本人はめちゃくちゃ元気のようで、脂たっぷりのお肉を口に含んでいた。
騙されないで、奥様!お嬢様は至って、健康体だから!
ただ、仮病を使って休むことが多いだけで……!病弱なんて、まるっきり嘘!
親バカ丸出しの奥様に、私は『信じちゃダメです!』と念を送る。
真実を語るべきかと本気で悩む中、彼女はついに泣き叫んだ。
「レイちゃんはただ素敵な男性と結婚して、幸せな家庭を築き上げたかっただけだったのに……!こんなのあんまりだわ!」
いや、幸せな家庭を築きたいというより、お嬢様はただ怠惰な生活を送りたいだけですよ。
面倒な領地経営や屋敷の管理を結婚相手に押し付け、思う存分昼寝したいだけです。
幸せな新婚生活など、全く興味がありません。
────とは言えず……私は喉元まで出かかった言葉を必死に呑み込んだ。
大号泣する奥様を他所に、私は沈黙し続けるお嬢様に目を向ける。
意気揚々とデザートに手をつける彼女は、実にマイペースだった。
「とにかく!他の女にうつつを抜かす男など、こっちから願い下げだ!レイちゃんには、もっと相応しい相手を探してあげよう!パパとママに任せておきなさい!」
頼りになるパパだと思われたいのか、旦那様は堂々と胸を張る。
自信満々の態度を見せる彼に、お嬢様はキラキラと目を輝かせた。
「ありがとうございます、お父様!」
ここに来て、ようやく口を開いたお嬢様はニコニコと機嫌よく笑う。
婿探しを両親に丸投げできて、ラッキーだとでも思っているのだろう。
『しばらく、ゆっくり出来る』と浮かれる彼女を他所に、奥様はやっと泣き止んだ。
かと思えば、何かを思い出したようにポンッと手を叩く。
「あっ、そうだわ。レイちゃんに一つお願いしたいことがあるの」
『すっかり忘れていた』とボヤく奥様は、いそいそとハンカチをポケットに仕舞った。
改まった様子で話し掛けてくる彼女に、お嬢様はどこか警戒する素振りを見せる。
「お願い、ですか……?私に?」
「ええ、そうよ。実はね────大公家のパーティーに私達の代理として、参加して欲しいの」
『お使いに行ってきて』とでも言うように、奥様はパーティーの出席を頼んだ。
突然の無茶ぶりに目を剥くお嬢様は、動揺のあまり硬直する。
「た、大公家のパーティーですか……?」
「ええ。第二公子の誕生日パーティーに運良く招待されたの。でも、私達はどうしても都合がつかなくて……大公家の招待を断るのはさすがに気が引けるし、レイちゃんに代理を頼もうと思って」
困ったように苦笑いする奥様は、『伝えるのが遅くなって、ごめんなさいね』と謝罪する。
いきなり大役を任されたお嬢様は、責任の重大さを加味し、悩ましげに眉を顰めた。
「……申し訳ありません、お母様。今は婚約破棄のショックで、傷ついていまして……人前に出るのは難しいかもしれません」
右頬に手を添え、お嬢様はあからさまに傷ついたような演技をする。
目尻に涙を浮かべ、小刻みに震える姿はとても可哀想で……庇護欲を刺激した。
『休養を取るためにここまでするか……』と呆れ返る中、奥様は席から身を乗り出す。
「あら!それなら、尚更行くべきよ!一人で部屋に閉じこもっていても、気が滅入るでしょう!?気分転換がてら、行ってきなさい!」
お嬢様の願いを聞き入れるかと思いきや……奥様はより強くパーティーの参加を主張した。
興奮した様子で捲し立てる彼女に、旦那様も同調する。
「レティシアの言う通りだ!大公家のパーティーとなれば大勢の人が参加するだろうし、行っても損はないだろう!」
「これを機に、お友達でも作るといいわ!レイちゃんはいつも一人だから、心配なのよ!」
『友情は素晴らしいものよ!』と力説する奥様は、グッと拳を握り締める。
とてもじゃないが、さっきまで大号泣していた人とは思えない……。
すっかり機嫌が直った奥様は、旦那様と一緒にパーティーの話題で盛り上がった。
楽しそうに談笑する彼らを尻目に、お嬢様は一人項垂れる。
お嬢様の迫真の演技は無駄になるどころか、逆効果になってしまったようだ……。
これはもはや、『残念でしたね』としか言いようがない……。
断り切れない状況に追い込まれたお嬢様を前に、私は一人苦笑する。
今更、『行きたくありません』なんて言えないお嬢様は渋々といった様子で頷いた。
「分かりました……大公家のパーティーに参加します」
結局両親に押し切られてしまい、お嬢様はガクリと肩を落とす。
『どうして、こんなことに……』と落ち込む彼女に、私は静かにエールを送った。