4-05
◇ ◇ ◇
夏弥が雛子とキッチンでわちゃわちゃしている間。
美咲はリビングのソファに移動し、スマホでSNSを閲覧したりしていた。
「……」
特に誰かお目当ての芸能人がいるわけでもないし、最新のトレンドワードやバズったニュースを確認しておきたいわけでもない。
手持無沙汰なこの感じを拭い去るためだけ。
そのための逃げ道として、彼女はスマホをいじっていた。
画面上のタイムラインを滑らせていっても、頭のなかでは夏弥と母親のことを考えてしまう。
(夏弥さん……何話してるのかな……)
純粋に気になる。
どれだけ自分の注意を他へそらしてみたところで、二人のことが気になってくる。
リビングのソファに座っている状態というのは、中途半端にキッチンの物音が聞こえてくる状態でもあって、それが尚のこと美咲を誘惑するみたいで。
「――――で、――――だから」
「あ、じゃあ――は、――ですか?」
夏弥と雛子の二人が何かしら会話しているということはわかっていても、微妙に聴き取れない。
離れていた分の距離と、二人が手元で立てる物音のせいだ。
はっきりしないその会話に、美咲はじれったささえ覚えていった。
(気が散るんだけど。……ていうか、夏弥さんデレデレしすぎじゃない?)
雛子に対する夏弥の態度は、至って真面目なもの。若干気持ち悪い声などをあげたりもしているが、その辺をスルーすれば本当に真面目なものだ。
美咲がそこについジェラシーを感じてしまうのは、「男性は雛子にデレデレするもの」という先入観があったからである。
小さい頃から培われてきた、美咲なりの経験則だった。
スーパーやコンビニの店員も。
宅配サービスで家にやってきたドライバーも。
中学の三者面談で顔を突き合わせた男性教師も。
まあ彼らは軒並み雛子に鼻の下を伸ばしたものだし、全員判を押したように下心たっぷりだった。
だから、ひょっとして夏弥さんも……と思ってしまうのは、ある意味当たり前な心の動きである。
ただそうは思っても、今座っているこのソファから動いてしまうのは、なんだかあからさまに「嫉妬の奴隷」になっている気もして。
◇
「美咲ー? 遅くなってごめんなさいねぇ~。やっと夏弥くんの料理が終わったの~」
「美咲、待たせてごめんね」
夏弥が雛子の分のスープを手にリビングへ戻ってくる頃、すっかり美咲の気分は損なわれていた。
夏弥や雛子に何か言われたわけでもないのだけれど、目線は冷ややかさを帯びていて、その口元は少し力んでいるようだった。
「ちょっと……遅くない?」
ツンツンとしたオーラに溢れていることは、夏弥でも察することができる。
「ごめん。雛子さんに料理見てもらってただけなんだけど」と夏弥は冷静に返す。
「ふぅーん……。てかさ……いや、やっぱりいい」
美咲はその視線を夏弥から雛子へ一瞬だけ移した。
それからすぐ、リビングのテーブルに乗せられていた料理の方に目を向ける。
「……」
(機嫌悪そうだな……。俺のせい……だよな。たぶん)
夏弥の予想は当たっていた。
美咲は、夏弥が母親とイチャイチャしていることに実際かなり焼きもちを焼いていた。
元々夏弥と二人きりでご飯を食べるはずだったのに。
その平穏を乱されて、その上しばらく自分そっちのけでわちゃわちゃと――
「あらあら~、美咲? どこか具合でも悪いのかしらぁ~?」
「具合なんて悪くない……けど」
夏弥と美咲がギクシャクする一方で、雛子はまたしてもいやらしい笑みをそこに浮かべている。
まるで、美咲の気持ちも夏弥の気持ちも、あっさり読んでしまっているかのよう。
むしろどこか楽しんでいる節があるのかもしれない。
「さ、それじゃあ三人でご飯を食べましょ? 冷めちゃうわよね、そろそろ」
「そ、そうですよね」
「冷める原因作ったの、二人だけどね」と美咲。
「う……。まぁ、そう言うなって……。ブロッコリー味に興味あるって言ってたじゃん?」
「それは……。そうだけど」
それから三人は、晩ごはんに手を付け始めていったのだった。
スプーンや箸の物音だけが、カチャカチャとリビングに響く。
食べている最中、時々こんな風に会話が挟まれる。
「あ、やっぱりブロッコリーの味、強いですね」
「うふふっ。夏弥くんは初めて口にするのかしら?」
「はい。こんなにおいしいなら、もっと早く知りたかったですよ……」
「そうねぇ~。私はもう知ってたから、直接教える機会があればよかったんだけどぉ」
この、夏弥と雛子のやり取りに対して。
「二人っきりで会えばいいんじゃない?」
「っ……」
素っ気ない、一ミリのデレ成分もない塩対応。
和やかになりかけていた空気が、美咲の言葉で再び凍り付く。
「はは。美咲も結構わかりにくい冗談言うなぁ。……あははっ」
「冗談じゃないんだけど」
「……」
胃がキリキリしてしまいそうな空気。
ポタージュスープでほっとするどころか、もはや不安に襲われそうである。
そして、夏弥の作ったポタージュスープを飲み終えた雛子は、チラッと美咲に目を向けてからこう切り出す。
「――それじゃあ、私はそろそろこの辺でさよならするわね? もう二人が自炊して、ちゃんとしたものを食べてることはわかったし、いつまでもここにいるとお父さんの方が悲しんじゃうだろうから」
「そ、そうですか」
さすがの雛子も、ちょっとやりすぎたと思ったのかもしれない。
「……あ、雛子おばさん、今日電車で来ました?」
「車で来たから大丈夫よ。近くのコインパーキングに止めたから」
「じゃあ見送りは……余計ですか?」
「ふふっ。そこの玄関まで、で十分かしらね」
夏弥と雛子だけで会話が進む。
美咲は未だに黙り込んでいて、どこか機械的に晩ごはんへ箸を伸ばしているようだった。
「「……」」
夏弥と雛子の二人は、無言で美咲を一瞥したあと、201号室の玄関へと向かう。
リビングに美咲を残したまま移動し、二人はこっそり次のような会話をしていた。
「ねぇ、夏弥くん。美咲はすっかりあなたに胃袋を掴まれてるのかしらね」
「え?」
「つまり……まぁ言わなくてもわかるわよね? あの子があんなに嫉妬してるんだもの」
「……」
雛子は若干勘違いしているようだったけれど、それでもかなり察しの良い勘違いだった。
靴を履きながら、さらに雛子はこう続ける。
「中学高校と進んでから、あの子、あんまり感情を表に出さなくなっちゃったと思ってたけど……それも無駄な心配だったかしらね」
「……どうですかね」
「うふふっ。あ、そういえば、一つだけ夏弥くんのお願いを聞くって話だったわよね? ……あれはもう決めてある?」
「あ……。決めてありますよ。それじゃあ――」
そうして、夏弥は雛子とのライン交換を申し出ることにした。
色々考えた結果、このくらいのお願いでいいような気がした。
(雛子おばさんは、確かに読めない部分も多い人だけど……。それでも俺達よりずっと人生経験豊富だろうから。もし何かあった時、俺が助けを求めるのは案外洋平でも秋乃でも、まして美咲でもなくて、雛子おばさんなのかもしれない)
高校生の夏弥達からすれば、大人というだけでその存在には十分頼りがいがあるように見える。
実際、彼ら四人の小学校時代でいえば、雛子は何度も何度もお世話になった人だ。
なので夏弥の感覚は、あながち間違っていないのかもしれない。
「じゃあ、もう行くわ。……夏弥くん……あの子のこと、よろしくね?」
玄関ドアを開けて出ていく雛子のその後ろ姿に、夏弥は軽く会釈をしたのだった。




