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4-04

 201号室のキッチンスペース。

 その調理台の前に夏弥と雛子は並ぶ。


 夏弥が二口(ふたくち)コンロの前に立ち、雛子は向かってその右隣の調理台とシンクの前に立っていた。


「あの……雛子おばさん。もしかしてこれって、今から料理してちょうだいってお話ですか?」


「あらあら~? 夏弥くんたら、ずいぶん察しがいいのね。お話が早くて助かるわ。フフッ」


「……いや、あの……料理ならもうとっくに作ったんですけど……そういう問題じゃないってことですか……」


 雛子は延々ニコニコしている。

 夏弥はその笑顔の圧力に負けて、


「う……。わ、わかりました。やればいいんですよね、やれば」


「そうよ? 夏弥くんがここで上手に料理を実演してくれたら、私ももう心配なんてしないのよ。それでこの話はおしまいってこと」


「はぁ」


「……まだ不満そうね? あっ、じゃあこうしましょうか?」


「?」


 不思議そうな顔をする夏弥の耳元に、雛子は顔を近付ける。

 それから手を添えて、ボソッと呟いた。


 リビングにいる美咲にはとても聞こえそうにないくらい、ヒソヒソとした声だった。


「私のこの心配をケアしてくれたら、夏弥くんのお願いを、私が()()()()()()()()()()()()()()っていうのはどうかしら?」


「……」


(なん……でも…………?)


 夏弥の中で、時が、宇宙が、止まった。


 なんでもとは、なんでもオッケー。つまりオールオッケーということである。


 NG無し。拒否権の放棄。

 モザイクも放送コードも、全部とっぱらっていい。

 提案前からすでに賛同の意をご表明されているというわけで。


 瞬間、夏弥の脳裏にそれはそれは男子高校生らしい「お願い」がモクモクと浮かびあがってくる。


 そこにはあられもない雛子の姿が――――


(いやいや、待て。絶対そんなのダメだ。……冷静になれ。藤堂夏弥十七歳。俺は美咲と付き合ってるんだ。こういうのは小さい芽から摘む必要がある。……ほんと、油断大敵。ぬかる事なくいこう)


「どうしたの? 夏弥くん?」


 雛子は平然と夏弥の顔を覗き込む。

 雛子からすれば、夏弥がこうしてあれこれ考えることなど、すでにお見通しなのである。


 きっと夏弥は遠慮がちに、いやむしろ勇んでこの提案を受けるものだろうと雛子は思っていて。


「……あ、いや。わかりました。じゃあとりあえず、一品作りますね」


「……!」


 ただ、少しだけ彼女にとって想定外だったのは、夏弥がその提案を大きな動揺も見せずに引き受けたことだった。


 自慢ではないけれど、雛子は自分が美人だという自覚があった。

 そりゃあ大いにあった。


 洋平と美咲が美男美女に生まれたのは、ほとんど彼女のDNAのおかげだといっても過言ではないくらいだ。その遺伝子を色濃く受け継いだ結果、洋平と美咲は周囲からワーキャーと騒がれているわけで。


 これで自信がないなどというのは、嫌味を通り越して世間知らずといったレベルである。


「この提案を受けるのね。……男らしいわよ、夏弥くん」


「まぁ、料理作るだけですけどね」


 あわわと慌てたりしない夏弥の姿が、雛子の目には男前に映っていた。


 数年会っていなかっただけで、ずいぶんこの子も成長したのね。なんて胸中でつぶやいて、どこかしみじみとした気持ちになったりして。


「で、何がいいですか? 料理」


「そうねぇ……。あ、じゃああのポタージュスープ、作ってもらえるかしら? 今日、私もここで食べていこうと思っていたし、もう一人分くらい食材あるわよね?」


「あります。……わかりました。ブロッコリーのポタージュスープですね」


 注文を受けた炎の料理人・藤堂夏弥は腕を振るうことにした。


 心のなかで「ウィ、ムッシュ」と言いながら新たな一皿に取りかかる。


 つい先ほど作ったということもあって、どんどん料理が進んでいく。


「な、なかなか手慣れてるじゃない……。あ、こっちの片付けは私がしておくわ」


「ありがとうございます……」


 コンロの前で鍋をいじる夏弥。

 その横で、雛子は洗い物を済ませていく。


 その雛子の手際は、惚れ惚れするくらいキレがあり、無駄がない。

 それは三ツ星のプロかと思わせる手際の良さで――


(雛子さん、洗い物早っ。あっという間に終わっていくから、料理しながら見入っちゃいそうだった。……ていうか、この料理の動画を上げてたYoutuberも、そういうか細い手でサクサク作業こなしてたなぁ)


「そろそろ盛り付けかしらねぇ」


「……そ、そうですね」

(ん? そういえば、雛子おばさんの()って)


「美味しそうな匂い……いい感じね。……じゃなくて! 本当に大事なのはここからよ? 夏弥くん」


「え? あ、はい」


(やっぱりそうだ。この人の声、あの『ふぁびゅらす』の動画投稿者と声がそっくりだ。……ていうか、本人じゃね?)


 夏弥は気付いてしまった。


 いや、これはまだまだ可能性の範囲を脱していない。

 他人の空似パターンだって無きにしもあらず山の和尚さん。


『ふぁびゅらす』の動画投稿者は、確かに雛子のようなしゃべり方をする。

 心が癒されるような声音と、シルクタッチなうふふ口調。


 きっと雛子がその気になれば、カンタンにあの動画投稿者のモノマネをできるに違いない。


 夏弥がそう思えてしまうくらい、隣でしゃべる雛子の声は『ふぁびゅらす』の声と瓜二つだった。


「できました」


「そうみたいねぇ……。ふぅーん? ……見た目はいい感じ、というか、及第点て感じじゃないかしらぁ?」


「あ、ありがとうございます」


 隣で顔色一つ変えず、雛子はちょっぴりいじわるな言い方をしていた。


 対する夏弥は、この腕前チェックよりも「雛子=ふぁびゅらす説」に頭がいっぱいで。


 夏弥がここ一年余り、ずっと視聴し続けてきた動画の投稿者。

 その本人が、まさかこんな身近にいたなんて。


 そんなリアルがあり得るのだろうか。

 けれど、その投稿者と雛子の印象は限りなく一致してしまっていた。


(雛子おばさんがあの動画の投稿者なら、はっきり言って弟子入りしたいレベルなんだよな……もっと色々、料理の工夫の仕方とか教えてくれると俺の料理の幅も広がるし。それがきっと、美咲の喜ぶ顔にも繋がるっていうか……。うわ、なんだ俺。いつから美咲中心に物事考えるようになってたんだ……? はずっ……)


 無論、「雛子=ふぁびゅらす説」の証拠があるわけじゃない。

 むしろこの場で、その証拠になるものを掴めれば――――引きずり出せれば。


 結果、夏弥は募っていたその思いを、雛子にぶつけてみることにしたのだった。


「あの、まったく関係ない話なんですけど」


「何かしら~? 夏弥くん」


「雛子おばさんて、Youtubeに動画を投稿してたりしませんか? 『ふぁびゅらすにクッキング!』っていう、料理メインで載せてるチャンネルの……」


「……っ」


 そのチャンネル名を夏弥が口にした瞬間、その場の空気が一瞬固まった。


 おや? と夏弥は思った。


「……え? Youtube? 何のことかしらねぇ~。ごめんなさい、私そういうの見たりすることはあっても、投稿とかはしたことないのよねぇ~」


「へぇ。……そ、そうなんですか……」


 雛子はまるで動揺していないようだった。

 先ほどの「間」で夏弥が感じたおかしな空気は、一体なんだったというのだろう。


 その正体はまだ深い謎に包まれている。


(……今のじゃちょっとわかりにくいな。……ていうか、本当に人違いの可能性もあるしな……どうしよう。なんとか確かめられないかな)


 夏弥は隣の雛子をチラっと横目で見てから、試してみるか、とばかりにこんな申し出を口にする。


「実はその動画投稿者の声が、雛子さんにそっくりなんですよ。ものすごく似てて。ちょっと()()()()みますね?」


「え。……マネ?」


「みなさ~ん。こんばんふぁびゅらす~☆(※気持ち悪い裏声)」


 夏弥の裏声「こんばんふぁびゅらす~☆」が雛子の耳に届く。

 次の瞬間。


「あぐっっ!」


 雛子はおかしな声をあげ、思いきり顔を伏せたのだった。


 それから、ぷるぷると肩を小刻みに震わせていた。

 どうしたというのだろう。


 さらにこの時、雛子は右手をシンクの淵に打ち付けてしまい、ガンッ!というずいぶん派手な物音を立ててしまって――


「二人とも大丈夫? なんか今すごい音したんだけど?」


 物音にびっくりした美咲が、心配してリビングから出てくる始末。


「だっ、大丈夫よ~? 美咲。うっ……あなたはそっちで待ってなさいね。もうすぐで終わるからぁ~」


「そう? それなら戻るけど……」


「……」


 雛子は打ち付けたその手を背中に隠し、美咲の質問に答えていた。

 その手は、残念ながら夏弥から丸見えだったのだけれど。



(……うわ、手ぇ痛そう)


 赤くなった雛子の手を見たあと、夏弥はひと呼吸ついてこちらに話を戻す。


「……それで、どうなんですか? 違いました?」


「ん~? い、一体なんの事かしら? おばさん、全っ然わからないわねぇ~……ふ、ふ」


 雛子は依然として笑みを浮かべている。

 浮かべてはいるが、表情とは不釣り合いな冷や汗を首元にかいている。


(まだ押しが足りない……? 絶対これ図星だよな。……それなら)


「今回の~〜お料理は~~~~? 五つ星ふぁびゅらすぅ~☆!(※もちろん気持ち悪い裏声)」


 夏弥は確信を得るため、追撃の呪文『五つ星ふぁびゅらすぅ~☆』を唱えた。


 右手と左手でそれぞれ指を立て、シュバッとクロスさせてみせる。

 右手が二本。左手が三本。足したら五本。五つ星だ(?)。


 これはあのチャンネル内で、もっともお味がよろしい時にくり出される高等詠唱魔法。唱えられた相手は死ぬ。


「むひゅんっ!」


「あれっ。雛子おばさん、どうしたんですか?」


 夏弥が雛子に顔を向けるも、彼女はとっさに自分の顔を手で覆い隠していた。


 美咲を追い払って早々夏弥のこの追撃。


 身をよじらせるほど雛子は悶えている。

 頑なに認めないから、こんなことになっているのだけれど。


「動画だとこの後『ぷわぁんぷわぁんぷわぁぁん、ポッハァァァ~↑↑』みたいな、神々しい謎の効果音がつくんですよね。光の粒っぽいエフェクトもモリモリで」


「~~っ……」


「そして動画の最後に、チャンネル登録と高評価を促す、癖の強いオリジナルソングが――」


「~~~っ!!」


 雛子はひとしきり、悶え死んだ。


 調理台をバンバン叩いてしまおうかとも思ったのだけれど、そいつは母親としての威厳が許さなかった。まだ威厳とか気にしてるらしい。


 悶え抜き、やっとのことで息を整える。

 そして雛子は、ようやくゆっくりとしゃべり始めたのだった。


「……。わかったわ。……いいわよ~、夏弥くん。あなたの恥知らずなモノマネに免じて、そのチャンネルのことは…………み、認めましょう……。だからお願いね。その世にも奇妙なモノマネは、もう金輪際披露しないでもらえるかしらぁ?」


 雛子は苦悶のなかでさえ笑顔を作ってみせた。


 ここへきて微笑みを忘れない姿勢。

 その姿勢はまさに『ふぁびゅらす』だった。

 大変すんばらしい。


「雛子おばさんがそう言うなら……このモノマネは封印しますけど。ぷふっ」


 夏弥はなるべく笑いを堪え、モノマネを自重することにした。


「ありがとう……そ、それで……友達のおばさんをこんなに困らせて、一体どういうつもりなのかしらぁ?」


「いや実は……」


 忘れかけていた本題に話を戻さないと。

 そう思いながら、夏弥は次のような発言をした。


「料理を教えてほしいというか……。おばさんて、まだまだ料理の引き出し持ってそうじゃないですか。動画見てればわかります。含蓄(がんちく)があるっていうか。……だから教えてもらえれば、俺の料理のレパートリーも増えるんじゃないかと思って……」


「ふぅん。……なるほど、そういうことね? 夏弥くんて、やっぱりとても真面目なのね。あのモノマネを除いて」


「真面目とか別にそんなんじゃ……。ちょっと飽きてくるかなって思っただけです」


「飽きてくるって、誰が飽きるのかしら?」


「それはもちろん美咲が……あっ、いや……俺です」


「ふふっ。……そうね。夏弥くんが飽きてくる、と。……そういうことにしておこうかしらね♡」


 雛子は夏弥の顔をじっと見つめながら、その真意をあっさり見破ってしまったようだった。


 雛子のセリフのせいで、夏弥のなかに恥ずかしさが生まれる。

 見透かされたことを、夏弥も察したのだろう。


 その恥じらいをごまかしたくて、夏弥はまた話の舵を切る。


「と、とにかく、アドバイスとか色々聞かせてください」


「いいわよ? あ、でもそれは後にしましょっか~。せっかく作った今日のお料理が……あれでしょ?」


「そうですね。……いい加減料理が冷めちゃいますね」


 そう言って、二人はキッチンでのやり取りにピリオドを打ったのだった。

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