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4ー02


「……」


 夏弥より三十分ほど遅れて、美咲が201号室に帰ってきた。

 玄関からあがり、キッチンスペースを通り、そのまま美咲がリビングまでやってくる。


「ただいま」


「……おかえり美咲」


 前髪を軽く切りそろえたいつもの茶髪ショートボブ。

 整った目鼻立ちと涼しそうな口元。

 それに、夏弥は美咲の制服姿を久しぶりに見た気がした。


 夏服。眩しい白のブラウスと、膝上辺りまであげられた短めのスカート。

 あと一か月もすれば、衣替えで見ることもなくなるだろう。


 その見た目の可憐さ、美しさは、やはり本物だ。


 本来なら朝の時点で見掛けてもおかしくなかったのだけれど、今朝は夏弥が先に家を出ていた。

 その頃、まだ美咲は制服を着ていなくて。


 だからこれは、夏弥がほとんど一学期以来に見る美咲の制服姿だった。


「久しぶりの学校、どうだった?」


 夏弥は何気なく、美咲に声をかけた。

 流れるように自分の部屋へ入ろうとしていた美咲は、夏弥の声に反応してピタッと立ち止まる。


「いつも通りだったけど……そういう夏弥さんは?」


「……俺もいつもと……変わらずって感じだったよ」


「ふぅん……そ、そう」


 ぽつぽつと言葉を交わす。

 他愛もない会話なのに、二人して歯切れが悪い。


 喧嘩をしているわけでも、嫌なしがらみがあるわけでもない。


 この、歯切れの悪い理由はたった一つだけ。


 お互い、()()()()()()()()という強烈な事情が、ここ数週間ずっと効き続けてしまっていたからだった。


「……」

「……」


 黙ったまま同じ空間に居続けると、二人とも「あの夜」のことを思い出してしまいそうになる。


 裸で抱き合ったり、一つになったりした、あの濃厚な夜のこと。

 痛いほど求め合った、あの夜のこと。


 気持ちがいつまた、あふれ出してしまうかわからない。

 身体を絡めとられそうになる。


 この沈黙は危ない。

 すぐにのぼせてしまって、おかしくなりそう。


 それは夏弥も美咲も感じていることだった。


 だからその熱を冷ます意味もこめて、今度は美咲の方から話を切り出していったのだった。


「……て、ていうかさ、今日の晩ごはんまだ作り始めてないんだね」


「まぁな。……あっ、そうそう、美咲に訊こうと思ってたんだ」


「?」


 夏弥のセリフからその表情に疑問を浮かべる美咲。

 それから彼女は鞄を床に置いて、夏弥の座るソファへと歩み寄った。


「今日さ、これ作ろうと思ってて」


 そう言いながら、夏弥は美咲にスマホを見せた。

 差し出された夏弥のスマホを、美咲は膝立ちの体勢で覗き込む。


 そして美咲の目に、動画のタイトル『ほっとする! ブロッコリー・ポタージュスープの作り方! 【調理レシピ解説】』の文字が入ってきたのだった。


「……ぽたーじゅ、すーぷ?」


「うん」


「え、しかもこれ、ブロッコリーで作るの? よく知らないけど、ポタージュってコンポタしかないのかと思ってた」


 美咲は綺麗な目をぱちくりとしばたたかせる。

 こんな料理聞いたことない、といった顔である。


「美咲ってブロッコリー、苦手だったっけ?」


「いや、そんなことないけど」


「よかった。それならこれ作ってもいい? 見てたら作ってみたくなったんだけど」


「うん、いいけどさ……ふふっ。夏弥さんて、割とすぐ行動に移せるタイプだよね。フットワーク軽いっていうか、足軽あしがるっていうか」


「え、足軽って意味違くない……? 料理は、まぁ……すぐ行動に移してるとかそういう感じじゃないんだけどな」


「そうなんだ。……でも作りたいならいいんじゃない? あたしも、ちょっとそれ興味あるし。味は大体予想つくけど。……たぶんブロッコリーあじでしょ?」


「大方そんな感じだろうなぁ。「ブロッコリー味」なんて呼び方で味覚の情報共有したことなかったけど」


「ぷふっ。確かにね。ウケるかも」


「よし、それじゃ作るわ」


 美咲の了承も得たとあって、夏弥は俄然やる気になった。


「じゃあ出来たら呼んで?」


「ああ。今夜はブロッコリー味だ(?)」


 夏弥はそう言って、腕まくりをしながらキッチンへ。

 美咲はそう言われて、自室へと向かう。


 このように、日常会話においてはこれまで通りの距離感が保たれている二人だった。


 むしろ二人にとっては、このくらいが適切なのかもしれない。


 一度身体を重ねたからといって、翌日から急にベタベタしだすような二人じゃない。


 もちろん、時がくればまたシテしまうのだろうけれど。


「さて……」


(まずはじゃあ下準備から入るかな)


 夏弥は『ふぁびゅらす』の動画を参考にしていった。

 彼は自分が知らない料理を作ることに喜びを感じている男子である。


 自分がまだ作ったことのない料理。

 出来映えは安定しないのだろうけれど、そこには少年心をくすぐる冒険にも似た未知が潜んでる気がする。


 これは、いつもは乗らない逆方向の電車に乗ってみたいだとか、一度でいいから月面歩行やスカイダイビングをしてみたいだとか、その類いの感情に近いのかもしれない。


(うわ……やっぱり手際エグいな、この投稿者……。どこの三ツ星シェフですか……)


 調理台の脇にスマホを置いて、動画を見つつのクッキング。


 そうして投稿者の手際の良さに目を奪われつつ、こちらの手元も動かしつつ……と料理を進めていく。


 順調も順調。

 夏弥はどんどん手順通りこなしていく。


 今日は午前放課だったこともあって、晩ごはんまでかなり時間に余裕がある。

 だから手順の一つ一つを、じっくりと丁寧にこなしていくことができた。


 途中、ミキサーを使う場面もあったが、これは夏弥が夏休みのあいだ自分の家から持ち込んできていたものを使った。(※鈴川家のアパートにミキサーが用意してあるはずもなく)


 ポタージュの他、今晩食べる料理も並行して作っていく。

 一通りキッチンでの下準備を終えると、夏弥はベッドの上で横になりながら暇を潰した。うたた寝なんかを少し挟むと、いつの間にか時刻は夕方六時に差し掛かろうとしていて。


 ゆっくり起きて、夏弥はもう一度キッチンに立つ。


 すでに下準備が出来ていた料理達を改めてチェックし。

 よし最後まで仕上げていくことにしよう。

 そう思って仕上げに取りかかり、十分もしないうちのこと。


「――――夏弥さん」


「ん? どうしたんだ?」


 振り返ると、夏弥の後ろには美咲が立っていた。

 いつの間にかラフな部屋着に着替えていたらしい。


「先にお風呂入っていい?」


「うん。いいよ」


「……」


 美咲は、夏弥が相変わらず美味しそうな匂いを漂わせて料理していることに、言いようのない充足感を覚える。


 その光景は、以前と大して変わり映えのしないものだ。

 幼馴染のお兄ちゃんが、自分のために料理を作ってくれている。


 ただそれだけのはずだった。


 でも今は――――


「ねぇ、夏弥さん」


「ん?」


 一度は脱衣室へ向かおうとしていた足を、美咲はじっと留めていた。


「やっぱり先にご飯食べるから、……あたしも何か手伝おっか?」


「いや、料理自体はもうほとんど終わりかな。ていうか、いいのか? ご飯が先でも」


「うん。……いい」


「?」


 急に気分でも変わったのかな、と夏弥の中で疑問が湧いてきたけれど、彼はそれをわざわざ口にはしなかった。


 なんとなく、そのまま待っていれば、美咲が続きを話しだすような気がしていたのかもしれない。


 そしてその予想は偶然にも当たり、美咲はそのまま話を続けたのだった。


「夏弥さんの料理。出来たてで一緒に食べたいなって…………そう思って」


「そ、そっか。でも、冷めたら冷めたでレンチンすればよくない?」


「そうだけど……。い、いいじゃん別に。作り立てのほうが、()()()()()()()()()そのまま受け取ってる気がするっていうか。……あっ」


「〜っ!」


(俺の気持ちをそのままって……は、恥ずかし……。顔があっついんですけど)


 美咲のその言葉に、夏弥はとてもきゅんきゅんしてしまう。


 そこまで美咲に求められていること自体、とても嬉しくて仕方ない。


 だからかもしれない。

 夏弥は、自分の頬がかああっと熱くなっていくのを感じる。


「そ、そんなに食べたがってもらえるなら、俺も嬉しいっていうか……その、ありがとう」


「やっ……あの……今のはなんていうか……。あたしだって、作ってもらえて嬉しいわけだし……はっ、早く食べたいじゃん。そ、それだけだし……。深い意味とかない……つもりだけど……」


 気付けば美咲も顔を赤くしていて、またしても予期せぬ沈黙が二人のあいだに漂いだす。


 さっきまで合わせていた目も、もう合わせられない。

 頬が熱くって、火傷してしまいそうで。

 二人はこんなことを想うばかりだ。


 ――今回の料理も、美咲が喜んでくれるといいな。声や顔に出さなくてもいいから、心の中だけでもいいから喜んでほしい。


 ――夏弥さんて、あたしに求められると嬉しいんだ……。じゃあもっと…………求めてもいいの……?



 静けさのなかに、その底のほうに、ずっと相手を見ていたい二人の気持ちが溜まり続ける。


 好き同士でも、こんなに胸の底から込み上げてくるものがあるなら、目なんて合わせられなくて当たり前かもしれない。


 些細な会話くらいでいちいちドキドキしていたら、きっと心臓は過労死するんだ。


 二人ともそれはわかっているのだけれど。


 夏弥も美咲もどうしようもなく恥ずかしいのだから、しょうがないのかもしれない。


 この前求め合ったばかりだというのに、大変困った二人である。




「で、できました美咲さん」と夏弥は言う。


「うん……。じゃ、運ぶ……」


 夏弥が料理を皿に盛って、美咲がそれをリビングへと運ぶ。


 この分担がナチュラルにできていたのは、これまで共に暮らしてきた経験の賜物なのかもしれない。


 こうして、夏弥と美咲が晩ごはんの支度をしていた夕方。

 平和な日常の一コマ。


 そこへ突然、201号室のインターホンが響いてきたのだった。


「?」


「え、平日のこんな時間に誰だろ……? 美咲、誰か呼んだ?」


 夏弥の問いに、美咲は首を横に振るばかり。

 もちろん夏弥だって身に覚えがない。


(なんだ……? サプライズ訪問的な、あれか?)


 洋平にしろ秋乃にしろ、こうした突然のお宅訪問をしそうな知り合いに二名ほど心当たりがあった夏弥は、すっかり油断していた。


 その来訪者が、まさかまったく想定していない人物だったなんて、思うわけもなかった。

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