3-25
夏弥は確かめたかった。
二つの意味に枝分かれしてしまう『寝る』が、果たしてどちらの意味だったのか。
美咲の部屋で寝てみたい、という提案は、いわばカマかけ。
美咲の部屋は、これまで積極的に入ることのできなかった場所だ。
彼女にとってのまさしく住処。最後の砦。そこへの一歩が許されるなら、夏弥は彼女の真意を読むことができると思っていた。
「……うん。むしろあたしも、あたしの部屋のほうがいいっていうか……」
「!」
美咲は手にしていたビニール袋を後ろ手に持ち替え、夏弥から目をそらしていた。
「そっか……」
「もう帰ろ?」
美咲はそう言って踵を返し、また夏弥の先を歩き始めていった。
「…………」
その彼女の背中に、夏弥は次のようなことを思うばかりで。
(そっか……。もう美咲は覚悟を決めてるのか。……でもちょっと、あれだよな。……まるで何かに急かされてるみたいな……。いや、俺の気にしすぎ……?)
夏弥は、この違和感の正体がよくわからなかった。
美咲の覚悟は理解できる。
好きな相手と一つになりたいとか、好きな相手とはセクシャルなこともしてみたいとか。
すぐにそんな考えが浮かぶのも、「お年頃」という理由の一つで片付けられるのかもしれない。
でもそれは、あくまで男子の話。
女子がそうとは言い切れない。
特に美咲のように、男子を人一倍毛嫌いしていた女の子が、手のひらを返したように濃厚な接触を求めるものなんだろうか。
夏弥の中でそんな疑問が湧いていたけれど、答えはずっと出ないままだった。
洋平みたいに経験豊富であれば、多少答えが見えるのかもしれない。
(俺は俺なりに精一杯、できることすればいいよな……うわ、なんだ。今になってやたら緊張してくる……)
自分勝手に早まる鼓動を抑えつつ、夏弥は美咲といつものアパートへ帰っていったのだった。
◇ ◇ ◇
「うわ。家の中あっつい……」
「……まぁ、夜でも夏は夏だからな……」
祭りから帰ると、家の中は蒸し風呂のように暑い空気でいっぱいだった。
夏弥は、すぐさまリビングのエアコンを点けにあがる。
ピッ、とエアコンから軽い受信音がしたところで、後ろから美咲が話し掛けてくる。
「夏弥さん、お風呂入れば? 今日、汗すごかったじゃん」
「はは……確かに。アレはすごい汗だくだった」
「あたしは後でいいから」
「悪いな。じゃあ先に入らせてもらう」
今日は、特に夕飯を作らなくてもいいちょっと変わった夜だ。
無論、それはお祭りの出店でいろいろな物を食べたからで、お風呂に入ってしまえば、あとはもう各々が自由に過ごせる時間だった。
夏弥がお風呂に入っているあいだ、美咲は改めて自分の部屋を整理していた。
整理しながら、さまざまなことを考えてしまう。
実は、ずっと夏弥に隠していたことがあった。
それを隠したままにしておくのか、しっかり夏弥に伝えておく方がいいのか。
その二択のあいだで彼女は揺れ動いていた。
(夏弥さんに言ったら、あたしの気持ちも少し楽になるのかもしれないけど……でも言わずにいたほうがいいこともあるよね……)
◇
夏弥がお風呂から上がる頃、リビングのソファに美咲は座っていた。
もうすでにお部屋の整理は終わっていて、持ち帰ってきたたこ焼きを一人で食べているところだった。
「あがったよ」
「うん。……それじゃ、あたしも入ってくるから」
入れ替わるように、美咲が脱衣室へと入っていく。
リビングのローテーブルには、たこ焼きが二つだけ残っていて、夏弥にはそれがただの余りもののようにも見えていた。
「そういえば、俺もたこ焼きなんてずっと食べてなかったな」
独り言のようにつぶやいてみる。
それから夏弥は、リビングのソファに腰掛けて、なんとなくスマホを触る。
友達の妹が入浴してるあいだ、自分がすべきことってなんだろう。とか、そんなことを考えだす。
スマホの画面が視界に映っていたけれど、夏弥は当たり前のように上の空だった。
これからのことを考えると、嫌でも卑猥なことばかり思い浮かんでしまう。
「……」
暇つぶしによく見ていた〇フコメニュースランキングも、実用的で使える料理系Youtuberの動画も。
こんなに実が入らない状態で視聴するのは初めてだった。
ただ画面上に流れていく。
情報というより、それらは文字の羅列にしか見えなくて。
(美咲って、そういえば小さい頃からモテてたよなぁ……。小学生の時も、二年生くらいですでに上級生からちょっと話し掛けられてたし……。
それでも俺のこと、慕ってくれてたんだよな。秋乃みたいに一緒にゲームもやったし、喧嘩もしたことある。
洋平ほどじゃなくても、かっこいいい男子なんてたくさん言い寄ってきたはずなのに。
……結局、俺達は洋平や秋乃がいてくれたおかげで、ずっと縁が切れないままだった)
やっぱり夏弥の頭のなかは、美咲のことでいっぱいだった。
その時、不意に脱衣室のドアが開けられる。
「……あがったよ」
「そ、そうか」
ぼんやり考え事をしていたせいか、気が付くともう美咲はお風呂から上がっていた。
「あ。そのたこ焼き、夏弥さんの分だから食べていいよ?」
「……わかった」
お風呂上りの美咲は、淡いピンクのTシャツと紺色のホットパンツを穿いていた。
相変わらずのラフさ加減。
いつもであれば、夏弥はあまりお風呂上りの美咲をジロジロ見たりしないのだけれど、その日だけは違くて。
ホットパンツから伸びる湯上りの脚。
Tシャツを下から押し上げている女の子らしい胸。
すっきりしてる首元のおかげで、鎖骨なんかもチラッと見えている。
そういう一つ一つが、夏弥の視線を奪って離さない。
もう美咲は子供じゃない。幼くない。
そう主張してくるみたいだった。
お風呂上りの美咲が、キッチンでミネラルウォーターを飲んでいる時、夏弥は直接彼女を見ないように努力した。
誰かを見ないように意識している時こそ、スマホはとても便利なのかもしれない。
目のやり場に困れば、こうして安全地帯のように目線を避難させておける。
ルーティンを終えた美咲は、キッチンからリビングへとやってくる。
そしてそのまま部屋へ入るのかと思いきや、一度立ち止まって。
「……じゃあ、夏弥さん」
「ん?」
「寝るときになったら…………声かけて」
「あ、ああ」
美咲は消え入りそうな声でそう言うと、自分の部屋へ入っていってしまった。
「……っはぁ……」
(今のだけで緊張した……。俺、大丈夫か……?」
美咲が部屋に入ったことで、リビングは夏弥一人きりの空間となった。
その安堵感からか、肩の力が一気に抜ける。
行き先のわからない夜が、この狭い1LDKの家を覆い隠してしまいそうだった。
お年頃な二人きりの夜。
誰の邪魔も入らないことは、もうすでに約束されている。
◇ ◇ ◇
午後十一時半。
モノクロウサギの壁掛け時計が、その時刻を示す時。
夏弥は美咲の部屋の前で、今まさに声をかけようとしていた。
これは元々、夏弥が自分の中で決めていた時間だった。
「美咲? そ、そろそろ寝るけど……」
「うん。……入ってきてもいいよ」
引き戸越しに美咲の声が聞こえてくる。
夏弥は、ゆっくりとその引き戸を引いて、中へと入っていった。




