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3-08

◇ ◇ ◇


 

 アパートを出るなり、夏弥はためらいなく電話をかけた。

 八月の午後にしては少し風が出ていたけれど、風自体が温風だったので涼しくはなく。


 玄関ドア手前の手すりへ寄り掛かり、相手が電話に出てくれるのを待った。

 

 眼下には見慣れた住宅街が見えている。


 平和な景色だな。と思うと同時に、自分はこれから電話の相手と戦わなければいけない。と夏弥は思った。


 無論、電話の相手は同級生の小森貞丸だった。



 貞丸は、美咲にストーキングを働いていた罪深き男子高校生だ。ただその実、問い詰めてみれば美少女への変身願望に血を(たぎ)らせている、その筋の男子である。


『――あ、もしもし? 小森?』


『藤堂? ん、どうしたんだよ。ラインで無視したと思ったら、今度は電話って』


『ああ、悪い。俺にも予定があってさ』


『そうなんだ? ていうか例の件、鈴川美咲に訊けたのかー?』


『その事なんだけどさ……』


 そこまで切り出して、一旦言葉につまる。

 正直なところ、夏弥の心にはまだ不安感がわだかまっていた。


(断ったらどうなるんだろう……。小森って、普通に女性ものの下着を履いたりして、俺とは価値観違うしな……)


 スマホを握る手がじっとりと汗ばんでいく。


 夏弥は、自分が知り得ない感覚の持ち主に、どういった言い回しが有効なのかわからないままでいた。


 当たり前かもしれない。


 誰でも、自分と同じ感覚を持っている相手に親しさを覚えるものだし、だからこそ会話のやり取りでは相手の反応をある程度予測できる。


 逆に言えば、自分とは違う感覚を持つ相手に対して、こうした予測はまるで役に立たない。単純に、相手の出方がわからないからだ。


 しかし勢いで電話をかけた以上、もう引っ込みがつかないのも確かで。


『……小森、美咲の件だけど』


 夏弥は覚悟を決め、自分なりに踏み込むしかないと腹を括ったのだった。


『ん? ちゃんと話してくれたんだ?』


『ああ。一応、約束してたしな。……それでさ、()()()()()()()()んだよ』


『え?』


『はっきり断られた。普段着姿でも嫌だって言われたんだ。……だから下着姿なんて夢のまた夢だよ』


 夏弥は嘘をついた。

 普段着姿の美咲なら、すでに何枚も撮れている。


(俺が今電話している理由は、美咲を守るため……?)


 貞丸としゃべっているあいだ、ふと自問自答する。

 撮った写真を確認していた時に後ろめたかったのは、きっとただの兄妹愛なんかじゃない。


 美咲を、他の誰かに取られたくなかったから。

 だから自分は、ここまで焦るように電話をしたのだと、夏弥は感じていた。


(ああ、これ違うじゃん。美咲を守るためじゃなくて、俺が自分の気持ちのためにやってることだ)


 貞丸から美咲を遠ざけたい。

 美咲を独り占めにしたい自分の気持ちが、身体を突き動かしていたのだと彼は気が付く。

 そしてそれは紛れもなく、夏弥が美咲を()()()()()()()なのかもしれないと思い始めるきっかけでもあった。



『えぇ~、マジでダメだったの~?』


 落胆する貞丸の声。

 しかし、夏弥はその声にまだ疑いの余地があると思っていた。


『本当にダメだから』


『えー、それじゃ困るよ~。俺は可愛い女子になってみたいんだって、あの時も話しただろ? そのために資料が必要なんだよ』


『悪いけど、俺は協力できない』


 あまり刺激しないよう気を遣いつつ、夏弥は重ねてやんわりと拒んでみた。

 だがしかし。


『ふぅ~~ん……まっ、最初からそんなに期待してなかったからいいよ♪』


『……』


 貞丸はまるでショックを受けていなかった。

 どこか余裕のある貞丸のその態度に、夏弥は当初のリスクを強く感じていく。


(やっぱり小森のやつ、適当な返事をしたな。そしてこの場をやり過ごして、裏でまたストーキングを続ける気だろこれ……。クソ。もう、こうなったら()()を決行するしかないのか……)


『小森、一つ忠告しとくんだが――』


『ん? 忠告って?』


 大きく息を吸い込んで、夏弥は用意しておいた『言葉の釘』を思いっきりぶっ刺すことにしたのだった。


『もし、お前がまた美咲をストーキングしたら、今度は俺が()()()()()()()()()()()()()よ』


『え?』


 夏弥の落ち着いた声色に、貞丸は一瞬耳を疑う。


 なにやら夏弥の様子がおかしい。


 明らかに声のトーンが沈んでいて、そのセリフにはゾッとするような薄気味悪さが潜んでいた。


『朝のおはようから、夜のおやすみまで。引くぐらいお前をストーキングしてやる。下手すると毎晩お前の夢の中に俺が出てくるかもな。ふふ。……そして、夢から覚めてお前はホッとするんだ。ああ、夢でよかった、ってね。お前が起きたそのベッドの下で、俺が息を潜めてるとも知らずにさぁ』


『え。えぇ⁉ こっこわっ……なんだよ急に⁉』


『ふっふっふ……。けど仕方ないよな?


 俺は、お前の情報を「資料として」ほしがっているちょっと変わった男の子なんだ。お前と一緒なんだよ♡ 夏休みが明けたら、俺には楽しみがいっぱいだよ小森。


 お前がどんな二学期を送るのか。どんな風に家やバイト先で過ごしているのか。どんなオカズで抜いてんのか。


 一から十までぜ~~~んぶ、お前の情報をスマホのカメラに収めさせてもらうよ。なにしろ「資料として」必要なんだ。仕方ない仕方ない♡ ふふっ』


『う、うわぁぁ! き、キモいよ藤堂⁉ キモいキモいキモい! 何が「仕方ない♡」だよ⁉』


『どうしてそんなに驚いてるんだ? 盗撮はお前もいろんな女子にやってきたことだろうがっ♡ 自分がするのはよくて、どうして人からされるのはダメなんだよ? そんな話、通るわけがないよね♡』


 小森が今感じてるその気持ちこそ、ストーキングされる側の気持ちだ。と言わんばかりに、夏弥は貞丸を言葉で責めた。


 責めて責めて、よどみなく責めぬいた。


 その声はなよなよとしていて、大変気色が悪い。(※ちょっと裏声とか入ってる)


 洋平や美咲相手に、ふざけて気色悪い声を出すこともあった夏弥にとって、このくらいは全然容易いものだった。


 手加減や容赦は一切ない。

 夏弥の脳裏には、ずっと美咲の苦しんでいる顔が思い浮かんでいたからである。


『小森って、女性ものの下着持ってたよね。ていうか穿いてたよね』


『え?』


 夏弥のキモキモトークにさらなるターボがかかる。


『小森のランジェリー姿、いいじゃん。俺はお前が何色の下着を持ってるのか、すごく興味があるよ。あの明るい、かわいいミントグリーンのパンツ以外にもあるんだろ?


 それをノートにしたためるわ。このノートの作成を、俺の今年の抱負にしようと思う。それと、お前が穿いてる下着は毎日欠かさずチェックするよ。【何月何日、今日の小森はピンクのレースパンティを穿いてて最高だった……ふぅ】とかさ。手段はナイショだけど。


 あと、一人で着替えができると思うなよ? ずっとどこかから見ててあげるからね♡ これが俺のデイリー任務だわ。むふっ♡ よろしくな小森♪』


『ま、待って。気持ち悪すぎる。……お、おえぇ……』


 一体どこからそんな不快指数の高い考えが湧きだしてくるのか。

 否、これは夏弥から湧いているわけじゃない。


 むしろ貞丸自身がお手本にされているのかもしれない。


 気持ち悪いとはどういうものか。不快感とはどういうものか。


 それを加害者側に味わわせる。

 これが夏弥なりの『釘』だった。

 目には目を。ストーキングにはストーキングを。


 夏弥がその不快指数もりもりな主張を言い終えると、電話越しの貞丸はすっかりグロッキーな様子で……。


『っう……わ、わかったよ……。もう、いい……。もういいっす……。鈴川美咲には今後そういうことしないって。……だから許してくれ……おぇ』


『……はぁ。美咲に限らず、ストーカーとか盗撮は基本アウトなんだから他の女子にもやめてとけよ。俺だって、同級生が逮捕されるところなんて見たくないし』


『うっう……。そ、そうだな……わかった……。それもやめる。やめます。だからおはようからおやすみまで、とか気持ち悪いこと言わないで』


『わかってくれたらそれでいいよ。あと、ちょっと誤解しないでほしいんだけど――


『うん……?』


『俺は別に、()()()()()()を否定してるわけじゃないんだ』


『え?』


 尖っていた夏弥の語気が、急に丸みを帯びて柔らかくなった。

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