3-06
◇ ◇ ◇
「あたし、今日は芽衣と出掛けるから」
小さい肩掛けバッグをぐいっと持ちあげ、美咲は玄関へ向かっていく。
「いってらっしゃい。俺も今日は出掛けるからね」
午後。昼食を済ませた二人は、それぞれ予定があった。
美咲は同級生の戸島芽衣と遊ぶ予定があったし、夏弥は夏弥で予定があった。
つい先ほど、洋平から次のような呼び出し要請を受けていたところで。
『よ、夏弥。今日こっちに来れる? 悪いんだけど勉強道具持ってきてほしいんだ』
『え、もしかして、もう宿題やんの?』
『こういうのは早いほうがいいんだって。てか、夏弥も自分の勉強道具、取りに来る必要あるだろ?』
『あー……あるね』
洋平の言う勉強道具とは、すなわち夏休みの宿題で使用する類いのものだ。
教科書や辞典、資料集などなど。
各自、元のアパートに置きっぱなしだったものが何点かあった。
(宿題なぁ。今年は早めにやっておこうか……)
洋平からのラインに目を通していると、ふと、夏弥の中でひとつ思い出されることがあった。
(洋平は、女子に対して『尽くす』とか『心掛ける』とかって言ってたよな)
夏休み前に洋平が教えてくれた、ひとつの考え方。
これらは言ってみれば『女子と仲良くなるためのヒント』であり、ひいては『女子にモテるためのヒント』だ。
(あの言葉に当てはめて考えてみると、俺が美咲にしてることって正しいのか?)
身支度を済ませ、玄関のかまちに腰を下ろす。
履き慣れたスニーカーに足を入れる。
美咲はもう先に出ていったので、残すは夏弥一人だけだった。
適当な鞄を片手に外へ出ると、夏弥は慣れた手つきで玄関に鍵をかけた。
自分が元々住んでいたアパートへ向かう途中、夏弥は洋平のあの言葉を思い出し、自分の言動を振り返ってみていた。
美咲の気持ちを優先するなら、そもそも貞丸のお願いをキッパリ断るべきじゃないのか。
写真の確認作業をしていた時、夏弥自身、拒否感があったのは事実だ。
そんなことを、夏空の炎天下でもやもやと考え込んでいた。
今年の三條市は例年に比べてずっと暑いらしく、ネットのウェザーニュースじゃ今週はずっと真夏日だという。
気温も一時は四十度に達しようということで、全国の最高気温ランキング上位に食い込む勢いだった。
街路に出てみれば、アスファルトの至る所からむわぁんと陽炎がたちのぼっている。
裸足で歩けば、あっという間にウェルダン級の焼き上がりをその足裏に見せてくれよう。
夏弥からしたたる汗の粒も、ジュジュッと鳴いて蒸発すること請け合いだ。
(猛暑だ、猛暑。一応ツバ付きの帽子被ってきたけど、それにしたって焼けるように暑いな……。こんな暑さで出掛けるとか、美咲達、大丈夫かよ……)
夏弥が心配するのも当然だった。
灼熱と化したこの三條市を歩く夏弥の視界には、元気に遊ぶ小学生の姿すらなかった。
『水分補給したほうがいいよ、こまめに』
だから、ポチッと美咲にそんなラインを送ったのは、ほとんど条件反射だった。
直後、美咲から返信が送られてくる。
『はい』
ほんの二文字だけだったけれど、夏弥がその返信で若干胸を撫でおろしたのも事実。
スマホをポケットにしまうと、安堵のせいか彼の足取りは軽くなっていった。
◇ ◇ ◇
「うわ、なつ兄だ! うわ、懐かしすぎ!」
「うわってなんだよ。……そんなに懐かしいか?」
アパートに到着後、玄関ドアを開けてまず第一声。
夏弥の妹、藤堂秋乃が、出どころのわからないテンションでそんな反応を示していた。
夏休み前と変わり映えのしない天然パーマの黒髪。大きめな黒縁メガネ。
年季の入った部屋着姿(※ほつれ気味の水色Tシャツと虫食いスウェットズボン)は、陰キャ女子特有の不摂生オーラをまとっていて、引きこもりテイストたっぷり配合だった。
「ただいまー……っん? なんだか家がキレイになったな?」
夏弥は帽子を脱ぎ取ってから、先を歩く秋乃の背中にそんな質問を投げる。
「あ。それなら洋平が掃除してたからかなー? ほら、洋平はなつ兄と違って女の子連れ込むから。自分で掃除とかしてたみたい」
「……秋乃、それ自分の兄に言ってて悲しくなんない……? って、あれ? そもそも洋平は?」
玄関から進み、リビングに足を踏み入れてみても洋平は居ないようだった。
「うーん? 洋平なら今日は出掛けてるけど?」
「え?」
「今日は夕方まで帰らないそうです!」
「はぁ⁉」
夏弥は驚きのあまり、手にしていた鞄を床に落とした。
「そう怒らんとこ? いいじゃんいいじゃん♪ たまには兄妹水入らずで仲良くすれば」
「そもそも俺は洋平に呼ばれてここへ来たんだけどな⁉」
そんな夏弥に、秋乃は「まぁまぁ~」などと余裕を見せつつ、会話のキャッチボールを続けた。
「あ、でも用件は聞いてるよ? 「持ってきたものは全部部屋に置いてってくれればいいよ☆」って軽い口調で言ってた」
「くぅ……ハメられた。アオハル真っただ中野郎が……。いつか絶対俺もハメてやるからな……」
「え。なつ兄、ハメてヤる♡だなんて……。いくら洋平がイケメンだからって……そんなそんなっ! ストレートすぎるって……」
「ぜってぇ違うこと考えてる」
「もっと段階踏まないとダメだよ? 私は二人のこと、広い慈愛の心で見てあげられるけど! 「急展開もまた良し」ってね。でも普通は段階を踏んでいかないとダメだよ⁉」
秋乃はご自慢の妄想力を遺憾なく発揮していた。
ああ、たくましい無限の妄想力。
頬に両手を当てながら、なぜかテンション高めにやんややんや言っている。
秋乃が身体を揺らすせいで、天然パーマも時間差でモフッと揺れる。
夏弥は指で自分の眉間を抑えながら、深々とため息をついた。
自分の妹が、本当に美咲と同い年である現実をただただ残酷だと感じて。
「あっ、ていうかなつ兄って今日ヒマ?」
「ああ、特に予定はないな。……秋乃はどうせ、今年の夏もゲーム三昧なんだろ?」
「うーん。それがさぁ……」
「ん?」
珍しく、秋乃の返事が煮え切っていない。
大体こういった『ゲーマーらしい答え』を求められた時、秋乃は一切ためらわずに「うん!」と応えるのだが……。どうやらいつもと様子が少し違う。
「どうした? あ、さてはお前も宿題か!」
「いやー、単純に食傷気味っていうか……飽きちゃったのよなぁ~」
「飽きた?」
「そっそ。なーんか退屈ぅ、みたいな? ……モンエナ飲んでもやる気出ません、みたいな?」
「へぇ。秋乃にしちゃ大事件だな?」
「暑さのせいかなぁ、とか思ったんだけどさー。それにしたって、今月まだ数回しか外に出てない私が、暑さでバテるとか考えにくいよね? エアコンは『ガンガンいこうぜ』に設定してたし」
「いつからウチのエアコンにそんなドラク〇みたいな設定が……」
秋乃は平然と自らの出不精を語っていた。
流れるように語るもんだから、夏弥は一瞬その流れで「わかるわ~」と相槌を打ってしまいそうになった。
「はぁ。秋乃、もっと外に出て太陽浴びろよ。お前には太陽が必要だ」
「えぇー……私はいい! 遠慮しておきますっ!」
「遠慮すんなって」
「……なつ兄、あんたの妹は光合成をやめたんですよ。ラフレシアになったんです、ラフレシアに。……あ、そうだ。たまには一緒にポケ〇ンやらない? そうしよう! 今日はポケ〇ンをやろう!」
秋乃は夏弥に拳を見せ、やる気アピール。
その上、瞳をキラキラさせている。
なんて純粋な瞳なのだろう。
光合成をやめたはずなのに光り輝いているではないか。
「えぇ……お前とゲーム? あ、ラフレシアとゲーム? 絶対クサいだろ……世界一クサいじゃん……」
「ちょ、女子に向かって世界一クサいとかひどいな⁉」
「クサいは言い過ぎたな」と鼻をつまみつつ夏弥は切り返した。
「指! 鼻に指! 行動と言葉が一致してないじゃん! 大体なつ兄は昔から――――
などと、かしましく言い合うものの。
つまるところ、今日の秋乃はどうやら夏弥と一緒に遊びたいらしかった。
八月初旬、午後一時半過ぎのことだった。




