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3-02

◇ ◇ ◇


「話は聞いてたんだろ?」


 リビングのエアコンを稼働させて、すぐの事だった。


 鈴川家のアパート。

 1LDKのリビングで早速二人の話し合いが始まっていた。


 内容は小森貞丸から申し込まれていた「協力」の一件。

 美咲はモスグリーンのソファに深々と腰かけ、そのキレイな足を組んでいる。


「聞いてたけど、まあ聞いてなかったことにしたいよね」と美咲。


「あのですね」


 一方の夏弥は、斜め前の大きいベッドに腰をかけて。


「あたしも夏弥さんも、あの人の話は聞いてなかった。それで終わりでいいじゃん」


「いやいやいや。それはさすがにな……」


「いやいやって……。()()姿()()()()()()()とか言ってなかった?」


「……言ってたね」


「てかあの人、女の子の下着穿いてたじゃん。なんか明るいグリーンの」


「…………穿いてましたね」


「無駄にかわいい感じの」


「無駄にかわっ……そうね」


 美咲はつんつんしている。

 少し口を尖らせ、ググっと眉を曇らせている。


(なんで俺が責められてるような空気なんだ。俺が穿いてたわけじゃないのに。まるで俺が穿いてたかのように見てくるじゃん?)


 美咲は足を組みかえてから、さらにそっと腕も組んでみせる。

 短パンから伸びているその足が妙に夏弥の視線を誘うのだけれど、今はそれどころじゃない。


 夏弥は気持ちを切り替える意味も込めて、一度咳払い。

 それからこの変な空気に一石を投じてみる。


「ミ、ミネラルウォーターでも飲む? 暑かったし喉乾いたろ? コップに入れてくるよ」


「……」


 夏弥はベッドから腰をあげて、そのままキッチンのほうまで歩いていった。


 美咲は夏弥のその行動が、自分のご機嫌取りのためだと察していた。

 あながち間違っちゃいない。


(下着姿はともかく、普段着の写真くらいならまぁ美咲の機嫌とか気持ち次第だよな。きっとタイミングによっては……いや、それも実際問題、難しいか……?)


 美咲がこんなお願いを聞き入れるとも思えないけれど、一応の勝算もなくはない。


「――はい。ミネラルウォーター」


「ありがと」


 夏弥はリビングのテーブルにコップを二つ置いた。


 中には注いだばかりのミネラルウォーターが入っていて、冷たさのために外側がうっすらと白くなっていた。


 美咲はコップの一つをすぐ手にとって、ゆっくりとひと口飲む。


 エアコンで十分涼しかったのだけれど、コップに注がれていたミネラルウォーターはそれよりもっと冷たくて。

 それは美咲の口や喉をサラリと通り抜けていった。


「――ねぇ夏弥さん。なんでこんな話引き受けたの? あたしがやるわけないって、それがわかってて引き受けてない……?」


「まあまあ。俺の意見をちょっと聞いてくれよ。これは小森を監視する意味もあって引き受けたんだ」


 夏弥はそんな前置きをして、自分の考えを吐露し始める。

 貞丸の話を突っぱねた場合のリスクについて。


「――っていう考え方をすれば、むしろ引き受けてしまったほうが安全なんじゃないかと。結構賢いだろ?」


「何ドヤ顔してんの……? それで、夏弥さんもワンチャン下着姿見れればラッキー的な?」


「え。いや、それは違うって。美咲は妹みたいな存在だし、妹の下着姿なんて何も感じないだろフツー。見れてラッキーも何もないよ」


「……」


 美咲の胡乱(うろん)な目が夏弥に突き刺さる。

 まるで猫が主以外の人物を家の中で目撃し、不審がっている時のような表情だった。


(そんな顔されましても……)


「写真を一枚撮るくらい、美咲も慣れたもんじゃない?」


「慣れたもんて? インスタとかSNSでってこと? それならあたし、自分の顔だけは載せないようにしてるんだけど」


「へぇ。そうだったんだ?」


 夏弥は意外だと思った。

 現役の女子高生は、TikTokやインスタなどである程度加工こそすれ、平然と自分の顔をネットにあげてしまう生き物だと思っていたからである。


「そうだよ? まぁ中にはそういう子もいるけどね。それより、事件に巻き込まれたとか散々ニュースで見たりしてるせいで、避ける気持ちの方が強いっていうか。あたしの場合だけかもしれないけど」


「ふぅん……。案外ネットリテラシーしっかりしてるんだな」


「……。とにかく、今日はもうお風呂入って寝るから」


「あっ。写真の件、考えておいてくれ?」


 夏弥のセリフに、美咲は一瞬黙り込む。

 その場で「写真の件」について感じたことがあったのかもしれないけれど、それは結局言葉にならなかった。


 返されたのはただ一言だけ。


「うん。……わかった」


「悪いな」


 それから、美咲はスタスタと脱衣室の方へ行ってしまった。

 彼女が脱衣室へ入るところまで見届けると、夏弥はベッドでもう一度横になる。


(美咲のあと、お風呂に入ろう。そしたら歯を磨いて――)


 横になっていると、自然と瞼が降りてきていた。

 目をつむる。

 そのまま今日のことを振り返ったりなんてしていると、夏弥はいつの間にか睡魔に襲われていたのだった。



 夏弥は夢を見ていた。


 はじめは無数の光に目がくらんでいた。

 その光の群れが勝手に自分の前から後ろへ流れていって、かき分けられていって、知らず知らず光の向こう側へとたどり着く。


 そこには大きな河原が伸びていて。

 その河川敷に夏弥は立ち尽くしていた。


「こら! 夏弥! あんた何やってんの!」


「え、お母さん⁉」


 突然、背後から声をかけられる。

 振り返ると、自分のすぐ後ろには母親らしき人物が立っていた。


「らしき」という表現は間違っていない。

 なぜなら、目のあたりに靄が掛かっていてはっきりとはわからないからだ。


 ただ、その声や口調のおかげで、その人が自分の母親だという事を夏弥は認識できていた。


 小さい頃、河川敷で遊んでいた夏弥は、母親に叱られるという苦い記憶があった。


 いつまでも夏弥が帰ってこないから心配して探しにきたのかもしれない。あるいは宿題をしていないのに遊んでいたから、だから叱られたのかもしれない。


 その理由は夢の中というだけあって、はっきりとしていなかった。けれど、この状況は過去の自分とリンクしている。


 夏弥はそう確信していた。その時だった。


「夏弥ぁー‼ 逃げるぞおおおおおお!」


「あっ、洋平‼ 逃げるって、どこへ逃げるんだ⁉」


 突如、藤堂親子に向かって走ってくる少年がいた。

 ザッザッザッザと、河川敷の整備された芝生の上を、ものすごいスピードで駆けてくる。


 無論その少年とは、小さい頃の鈴川洋平である。

 すでに涼しげなその目鼻立ちは、将来イケメンになることが約束されているかのようだった。


「ほら! 美咲もいるし、秋乃もいるぞ‼」


 洋平は走りながらそう言った。

 近くまでくると、洋平は夏弥に向けて手を伸ばす。

 母親と向き合う形で立っていた夏弥は、そんな洋平の手に掴まって、半ば強引にその場から脱したのだった。


「あ! こら、夏弥! 待ちなさいっ‼」


「なつ兄! 逃げるよ‼」

「なつ兄~、美咲ちゃ~ん、置いていかないでぇぇえ~」


 お兄ちゃんズの後ろから、小さな妹達も走ってついてきている。


「お、おい! 洋平! 逃げるったって、どこへ逃げんだよ⁉」

「アッハッハッハッハ! 俺達四人の仲は永久に不滅だあああああ!」


 夏弥の問いに答えず、洋平はがむしゃらに走っていた。

 完全にイカれているのかもしれない。

 子供とは大体アホウなのだ。


「ぷ……ふふ……アッハッハッハ! なんか俺も笑えてきたぁぁー!」

「アッハッハッハ~!」


 洋平は笑って夏弥の手を引く。

 はじける笑顔と流れる汗の粒すらさわやかだった。


 後ろからついてくる美咲も、二人に負けないくらい楽しげな様子である。


 そのさらに後ろを走っている秋乃も、懸命に走りぬいた自分をどこか誇らしげに思っているような顔付きだった。


 その時、



「四人ともぉぉぉ!明日はぁぁ――――



 何かを叫んでいる声が聞こえた。

 振り返ると、ずいぶん向こうの方に夏弥の母親が見える。

 自分達が走ったせいで、もうすっかり遠い存在になっていた。


「なんて言ったか聞こえた? 洋平」


「いや、聞こえなかったけど。……いつものアレだろ?」


「ああ、アレか――



「……」

 ぱちっと目が開く。


 夏弥は夢から覚めていた。

 母親が何かを叫んでいる途中で、夢の世界は終わった。


 寝起きの薄ぼけた視界の端に、お風呂から上がったばかりと思われる美咲が立っていた。


 黒のショートパンツにパステルピンクのTシャツ。


 お風呂上りのラフめな格好でも、美咲の整った顔立ちと綺麗な瞳のおかげか、それほど全体からだらしなさは感じられない。

 シンプルでかわいい格好だ。

 そんな美咲は、ベッドで仰向けになる夏弥をじっと見つめていたようで。


「もうあがったよ?」


「……あ、お風呂ね。わ、わかった」


「ふっ」


「なんだよ」


「いや。前から思ってたけど、夏弥さんて寝起きの顔、ウケるよね」


「……あのな、大体寝起きなんてみんな変な顔してんだよ」


「ふふっ。おっかし」


 夏弥は中途半端に途切れた夢の映像が、瞼の裏でまだ生きているような気がした。

けれど、それは思い過しに違いないと思った。


 小さい頃の記憶。

 夢の中で見るそういった記憶は、大概脚色されたものだという経験則が夏弥の中にはあった。もしくは自分の願望やらなんやらが、過去の事実とごちゃ混ぜにされていることがよくあるのだ。


 夏弥はベッドから起き上がり、自分もお風呂を済ませようと思った。


「……う」


 脱衣室へ移動すると、相変わらずとんでもない甘さの香りが鼻をつく。


 美咲が使用したシャンプー。いつもの桃の香りだ。


 すっかり嗅ぎ慣れた香りのはずだった。しかし、うたたねから醒めて早々にこの濃さでもって鼻を責められる経験はなかった。


 この責められ方は新感覚。……とまではいかずとも、思春期の男子にとってはいささか刺激的であることに違いはなくて。


(ちゃっちゃとお風呂済ませた方がいいな。ダラダラ入ってたらまずそうだ)


 雑念を振り払って衣服を脱ぐなり、夏弥は浴室へ入った。


 浴室の中は、さっきまで美咲が使っていた証拠だと言わんばかりの熱気がこもっていた。


 湯気こそないものの……。


(……迂闊だった。もうちょい時間置いてから入ればよかった。この湿っぽくてもあもあとした空気。……寝起きの俺にはちょっとアレだった)


 夏弥にはちょっとアレだったらしい。

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いくらなんでもないだろ主人公、、、 読む気失せた
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