2-23
二人はリビングのソファに並ぶ形で腰をかけた。
ソファに座るなり、美咲はミネラルウォーターを一口飲んで、再び話を始める。
「これからお話するのは、私が今読んでる小説の内容なんですけど」
「……え?」
「ある女の子と、その子の幼馴染みの、男の子の話……です」
「……」
美咲は、とんでもなくベタなリスクヘッジを行なった。
さすがにその話が本人の実体験なのだろうということは、美咲の切り出し方からしてまど子もお察しである。
けれど、まど子はそこにあえて触れず、しっかりと傾聴する姿勢をとってあげることにしたのだった。
やはりまど子は優しさの化身なのかもしれない。
そもそも、お呼ばれした家で、言い出しっぺの美咲が自分に芳しくない反応を見せていたことも、懐の深さでどっしり受け止めてしまうのだから。
「その女の子は、小さい頃からその幼馴染みの男の子のことが好きだったんです。でもそれは小さい頃のことだから、恋愛感情で言う「好き」とかじゃないような気がしていて。……どっちかっていうと、友達とか、兄妹とか、そういう人達に向ける親しさの続きみたいなもので……」
親しさの続き。美咲は伝えにくいその感情を伝えるために、今自分の持ち合わせているボキャブラリーの中でもっとも適してそうな言い方をした。
「そっか。そういう曖昧な気持ちね」
「はい。……でも、あるタイミングで二人はしばらく会わなくなるんです」
「どうして……?」
まど子は隣に座る美咲の目を覗き込むようにして尋ねた。
幼い子供を見るようなそんな優しい表情だ。
結んだ黒髪がふわっと揺れたりしている。
まど子のまとう空気感に、美咲は少しだけ目頭が熱くなった。
やるせない感情がほんの少しほぐれたのかもしれない。
「どうっていうか……。強いて言うなら、環境のせい…………です」
「……」
「二人は一つ年が離れていたので、進学するタイミングが違いました。男の子のほうが先に中学校に上がってしまって。それから、二人はなんとなく疎遠になっていって」
「うんうん」
「それで、久しぶりに再会した時にはもうお互いに高校生だった。だからいろいろな事が小さい頃と違っていて。…………そのことに、女の子はどういう接し方をしていいのか、わからなくなっちゃうんです。いや、たぶん男の子のほうも、どう接すればいいのか、正解なんてわからないんだと思いますけど」
美咲は夏弥の気持ちもしっかりとわかっているつもりだった。
最大限自分で推し量れる、幼馴染の男の子の気持ちだ。
洋平の代わりにお兄ちゃん役を務めてくれた夏弥は、今でも美咲の心のなかにいる。
子どもの頃から自分より背が高くて、頼りになって。その大きな背中や繋いでくれた力強い手に、美咲はいつもいつも助けてもらっていた。そんなまぶしくて切ない宝物みたいな思い出が彼女のなかにはたくさんある。
「そっか……。そういうのってあるよね」
「? 月浦さんには、幼馴染みの男の子、いないんですよね?」
「え? あははっ。……そうだけど、いなくてもなんとなくわかるの」
まど子は軽く微笑んでから、遠くを見つめた。
何かを思い出しながら話そうとしているようだった。
「――幼馴染みじゃないけど、私も小学校のころ仲が良かった男の子がいたから」
「……」
「その子と私も、似たような感じだった。小さい頃って何も知らないから、「ただそこに居てくれるだけ」で繋がりを持てるんだよね」
「……私もそう思います。……あ、オムレツ。冷めないうちに食べたほうがいいと思いますよ」
「あ、そうだね! いただきます」
美咲に言及され、まど子はテーブルの上の皿に乗せられていたオムレツを食べ始めた。
ゆっくりと手を伸ばす。
銀色のスプーンを立てて切れ目を入れてみると、中からトロッと半熟の黄身が流れてくる。
半熟のプレーンオムレツは、割れたところからホカホカと湯気を立ちのぼらせていた。
「――――だんだん、みんな年齢を重ねていって、「そこにいるだけ」じゃなくなったら、やっぱり繋がりを失っちゃうんでしょうか……」
「……」
まど子はオムレツをモグモグ食べながら、美咲の質問に耳を傾けていた。
夏弥の作ったオムレツは最高の出来栄えで、それこそすぐに「おいしい!」と声をあげたいくらいの味だったけれど、今の空気ではさすがに言えなかった。
「どうしていつまでも子供の頃みたいに、仲良くできないんですかね……。特別、縁を切るような出来事もなかったのに。ぷつんって糸を切られたみたいに、会わなくなっていって」
「うん。現実でもそういう体験をする人は多いのかもしれないけど、でも、そればっかりじゃないと思うよ?」
「え?」
まど子の落ち着いた声に、美咲は惹き付けられる。
美咲の予想していた反応とは少し違っていたのだろう。
「……幼稚園とか、保育園とか、その頃から仲が良かった人と今でもたまに遊ぶっていう、そういう人もいるみたいだから」
「そういう人は少数派じゃないですか……?」
「うん。……でもそうじゃない多数派の人達も、おかしくないわよね……? だってみんな育っていく環境が違うもの。仲良くできそうかなって感じ取れる相手も、ちょっとずつその人の成長に合わせて変わっていくんだと思うよ」
「あ、あたしは……小さい頃みたいに仲良くしたいんです!」
美咲は思わずソファから立ち上がる。
握りこぶしには力が入っていて、小刻みに震えていた。
まど子に向けられた美咲の目は、真剣な表情そのものだった。
「小説の子の話、だよね……?」
「あっ……」
まど子のセリフに、美咲は頬をかあっと赤くして口を噤む。
美咲の反応に、まど子は「ふふっ」と品のある笑みを少しだけ浮かべた。
美咲から何かを感じ取ったような、意味深な笑みだった。
立っていた美咲は、居たたまれなさそうにもう一度ソファに腰をかける。
それを見ていたまど子は、少し間をあけてから食べかけのオムレツにまたスプーンを向けた。
時たま美咲に目線を向けたりしていたせいか、一度だけスプーンからオムレツがこぼれ落ちてしまった。
オムレツのかけらは、ぺちゃっと音を立てて彼女のひざに落ちてしまい、
「――あ、月浦さんこぼれましたよ⁉」
「え? あ! わわ⁉ …………あれ? でも青のパンツに黄色いオムレツって、なんだか色がスッキリして見えてキレイ!」
「え」
美咲はまど子のその反応に一拍置いてから、思わず
「ぷふっ。……月浦さんて、ちょっと変わってますよね」
「そ、そう……?」
「そうですよ。着眼点というか……。あ、それより早くティッシュで拭かないとシミになりますよ。あははっ」
「ふふっ」
重苦しかった二人の空気は、まど子のおっちょこちょいなポカで和やかなものになった。
(月浦さんて不思議な人……。あたしより年上で、落ち着いてるのかと思ったらそうじゃなかったりして。……あたしにもしお姉さんがいたら、きっとこんな感じだったのかな)
まど子は美咲のセリフに「そっか! 拭かないとだね」なんて、やや天然じみたレスポンスを示していた。
◇ ◇ ◇
八月手前の暑苦しい外気の中、買い物に出掛けていた夏弥は帰り道に貞丸のラインを読み返していた。
スマホのライントーク画面には、夏弥が送ったもの。貞丸から送られてきたもの。それぞれ一つずつ吹き出しが表示されている。
そのやり取りは次のようなものだった。
『ラインの追加ありがとね。ちょっと小森に訊きたいことあって』
『いや、別にいいんだけど。藤堂が誰かと絡もうとするなんて珍しいこともあるんだね。どうしたのー?』
夏弥と貞丸は、まだお互いを下の名前で呼び合うような仲じゃない。
だからライン上でも相手を苗字で呼び、会話もどこか定められた距離が置かれている。
いわば友達の友達枠。
両者はふわっと間接的に見知っているような間柄で、未だよそよそしい。
夏弥は彼の返信を受けた昨日の夜から、そのまま次の返信を送れずにいた。
(どう切り出そうか……。いきなり「美咲のことストーキングしてんだろ!」なんて言い出せないしなぁ……。とりあえず、直接一対一で話すほうがまだいい……?)




