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2-12

◇ ◇ ◇


(オッケー。サバ味噌がイイ感じに仕上がってきた。もう匂いがヤバイもんな、匂いが)


 夏弥は、湯気を手でこいのこいのと扇ぎ自画自賛していた。


 魚に火が通るときのたまらない香ばしさ。

 濃くてどっしりとした味噌の香り。

 半径数メートルにまでそれらはただよっている。


(味噌煮で正解だったな。傷だらけだったサバの身が、ほとんど目立たないくらいになってる)


 本当にその通りである。

 味噌煮は、料理の色味がすべて味噌のまま茶色になっていくので、ボロボロだった残念な見た目でも割とイケて見えてしまう。


「さあ、できました」


 いつもの通り、リビングのローテーブルに料理を並べていく。

 今日はサバの味噌煮の他、ちゃちゃっと野菜炒めも作っていた。

 炊いたばかりの白いご飯と並べれば、もうそれだけで十分な晩ごはんに見える。


「……美味しそうじゃん」


「藤堂食堂の日替わり定食です」


 もちろん、それは美咲の食欲をもかき立てている。

 日々の積み重ねから、美咲の胃袋はガッチリつかまれているのだ。

 そんなことは夏弥も当然わかっているのだけれど、どうしてもこのサーブの瞬間だけはドヤりたいのである。


「でも夏弥さん、サバ味噌でよかったの?」


 夏弥がいつもの茶色のクッションにぼふっと腰を下ろしたタイミングで、美咲が尋ねてくる。


「いいよ。ていうか、普通にウマそうだよなこれ」


「……まぁ、そうだね」


「……。食べよっか。冷めないうちに」


 夏弥は美咲の顔色をチラッとうかがってから、料理に手をつけた。


 美咲から「自分でウマそうとか言う?」なんて返しを夏弥はそれとなく期待していたのだけれど、今の美咲にはやはりそれも難しいようだ。


 それは、美咲の気を紛らわせてやりたくて口にした、夏弥のわかりにくいボケだった。これでも夏弥なりの不器用な気遣いのつもりだった。


(……気にすることなんて無いのに。結果がどうであっても、好意でやってくれたなら、その気持ち自体は俺だって嬉しい。相談してくれなかったことには確かにイラっとした。イラっとしたけど、でもそれだけだ)


「あ、そういえば」


 サバを箸の先で切りながら、夏弥は思い出したように話を切り替える。


「ちゃんとミネラルウォーター買ってきておいたから。冷蔵庫に入れてあるよ」


「うん。ありがとう……。ていうか夏弥さん、あの人さ」


「あの人?」


 美咲は野菜炒めを自分の取り皿に盛り、箸をぴたりと止める。

 それから箸を置くと、夏弥の顔を見つめて口を開く。


「あの、三つ編みの人」


「え、あ、ああ! 月浦さんね!」


「わざとらし……。それで、あの人同じクラスの人?」


「そうだよ。今日初めて話したんだけどな」


「初めてね。ふぅん。……でも普通に仲よさげだったじゃん。初めてっぽくなかった」


「そうか、そんな風に見えた……? あははっ! いや~、そういう感じじゃないんだけどなぁ」


 自然と照れくさくなる夏弥の脳裏に、まど子の顔が思い浮かぶ。


 三つ編みにそばかすの頬。そして黒縁のメガネ。

 笑うとそのメガネレンズの向こう側で、瞳がふにゅっと細くなること。


 それは胸の奥が切なくなるくらい、優しさたっぷりの表情だ。


 普段の佇まいは地味だし、おそらくクラス内に友達らしい友達もあまりいない。それでも、夏弥は少なからずまど子に好意を寄せつつあった。


(仲良いっていうか、月浦さんが良い人なんだよな……。勉強を教えてくれる優しさもそうだけど、俺のプライバシー尊重したりとか、全体的に思いやりを持って接してくれたり……)


 そんな事を考え始めると、夏弥は知らないうちに頬がゆるんでいってしまう。

 今まで女の子と大して関わってこなかった、藤堂夏弥の大冒険。多少のぎこちなさはあったけれど、一緒に図書室で過ごした時間はとても新鮮で確かにドキドキしていた。


 それは疑いようもない事実だ。

 だからこそ頬の力が抜けてしまうのだ。


 当然、美咲の目にもそれははっきりと映っていて。


「な……夏弥さん、あの人のこと好きなの?」


「え? それは……」


 美咲はじーっと見つめる。口ごもる夏弥の目を、じーっと、じ~~っと。


 夏弥の瞳の奥にその答えが書いてあって、それをカンニングしようとするような、そんな素振りだった。


 そのあと「はあ」と一息ついてから、美咲はしゃべり始めた。


「夏弥さん、手、出してみて?」


「手……?」


 夏弥は不思議に思いつつも、お箸を持っていない左手を言われたままに差し出す。


「……ちょっと触るね?」


「は? おい、何だよ急に」


「触るって言ってんの。夏弥さんて、女子に免疫とか無さそうだから。触ってみていいでしょ?」


 美咲が夏弥の左手に触れる寸前で指先を止める。


「無さそうだからって、なんなんだよ?」


「だから試してみよって話じゃん。免疫、あるの?」


「う……」


 夏弥は自分の女性経験の無さを呪うしかない。

 美咲相手でも、多少心臓の鼓動が速まってしまうのは、ここで言う免疫の無さのせいだろう。


「いや待ってくれ。美咲お前、男子の手は、汗とか体温でキモく感じるって前に言ってただろ?」


「え。……それは、その男子が普段ロクに話したこともない相手だったからね? 夏弥さん相手なら、まぁ……キモくはないんじゃない? わかんない。やってみないとそれはなんとも言えないって感じ」


「あのなぁ、はっきり言って意味ないと思うんだけど?」


「意味ない……って?」


「美咲相手にドキドキとかしないから。するわけないだろ、幼馴染なんだし」


 夏弥はほとんど反射的に強がった。

 むしろ、その言葉は美咲に対して言ったというよりも、ほとんど自分に言い聞かせる意味で言っていたようなものだ。


(小さい頃から知っている美咲にドキドキしちゃうとか、やっぱりおかしいだろ。そんなものは認めたくない。その上、美咲にその気持ちを気取られたくない……。何かに負けたような気がするし)


 夏弥がそう思ってしまうのは、日頃の美咲の態度のせいでもあった。

 夏弥のプライドに加えて、つんけん冷たくされていれば尚更だ。


「ふぅーん……。そんなにイヤなら無理強いしないけど。夏弥さんも冷めてるとこあるよね」


「それを美咲が言うかね……」


 美咲は、夏弥に触れることなく手を引いた。

 拒んではみたものの、実際には夏弥は(これでいい。俺は間違ってない……よな?)と語尾にはてなマークをつけるような思いだった。


 目の前に居る美咲はまごう事なき美少女である。

 それは、無に散ったラブレターや告白の数々からも明らかだ。


 現代に楊貴妃(ようきひ)を召喚してみたらこうなるのか、学校どころか街中ですら美咲に敵いそうな見た目の女子はいない。無論、それは見た目に限ればの話だけれど。


 夏弥は薄々気付いていたのかもしれない。

 自分が恋愛したいなぁと最近思い始めていたのは、美咲との関係のせいもあるのだと。


 それからの二人は、特に取り上げるような会話をすることもなく食事を終えたのだった。



 晩ごはんのあと、夏弥がお風呂に入りベッドに就くまでは特に何もなかった。


 美咲は、部屋にこもりきりだった。


 ちょっと出てきたかと思えば、夏弥に頼んでいたミネラルウォーターを飲みに出てきただけだったり、歯みがきのために脱衣室へ行くだけだった。


 その日も、何事もなくいつもの一日が終わる。はずだった。


(……月浦さん、何か俺に手伝えること、思いついてくれてるかな……)


 午後十一時半。夏弥は、明日まど子が何を提案してくるのか考えていた。

 電気を消して夏弥が窓際のベッドに就いていると、美咲の部屋の戸がゆっくりと開けられる。


(ん? 美咲のやつ、トイレか……?)


 物音に気付いた夏弥だったけれど、そのまま目をつむり続けていた。


 窓の方に身体を向けたままで、特に寝返って美咲のことを確認したりもしない。


 というより、もう半分くらいは意識が眠りに入り始めていたので、今更美咲の動きを見る気にもならなかったのだ。


 部屋から出てきた美咲は、そのままリビングを通って出ていくのかと思われた。


 ところが、夏弥にとって想定外すぎる出来事が起きた。


「え? ……なんで入ってきてんだよ⁉」


 一体どういうつもりなのか。

 美咲が、夏弥の寝ている()()()()()()に潜り込んできたのである。

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