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◇ ◇ ◇


 芽衣からドーナツ入りの可愛らしいタッパーを受け取った夏弥は、それを手にして201号室へと戻る。


 芽衣は、美咲に声もかけずに土曜の真昼へと溶けていってしまった。


(昨日も食べたし、今日もドーナツとかちょっとキツいな……)


 そんな風に思いつつ、夏弥は自分の手にしていたコレをどうしようかなと考えていた。

 キッチンの調理台の上にそのタッパーを置き、少しだけ頭を悩ませる。


 するとそこへ、トーストを食べ終えた美咲が、空になった皿とジャムの瓶を手に近寄ってくる。


「今の、芽衣だったよね? ちょっと声聞こえたんだけど」


「え? ああ、そうだよ」


「どうして中に入ってこなかったの?」


「ああ。ちょっと連絡事項があったんだ」


「なにそれ。……まぁ、別になんだっていいけど」


 美咲はそう言いながら、やはり素っ気ない様子のまま流し台に皿を置いていった。

 そのまま自分の部屋へ戻りそうになる美咲の背中に向かって、夏弥はとっさに声をかけた。


「あ、美咲。よかったらコレ食べないか?」


 夏弥は、芽衣から聞いた話を思い出していた。

 美咲がドーナツをすごく好きだというのなら、一緒に処理してもらおうと考えたのだ。


「コレ……って? なに、そのタッパー?」


「うん。戸島からもらったんだ。あいつのお母さん、ミスドで働いてるんだってさ。だからたくさん持って帰ってくるらしい」


「ふぅん」


 美咲はいつものように、無表情のまま半透明のタッパーを見つめていた。


 それに気が付いた夏弥は、ぱかっとフタを開けてみせる。


 中に入っているドーナツは、割と偏りのない品々だった。


 チョコチップも、ハニーシロップも、カスタードも、生クリームも。

 ダブっているものは一つもなかった。


 それはきっと、芽衣が洋平のためを思って揃えていたからに違いない。


 また、甘さを多角的に責めた結果、バリエーションが増えてしまったというお店側の声も聞こえてきそうな気がする。


「いろいろあるんだね」


「そうだな。俺も今、フタを開けてみて思ったよ」


 美咲の声は落ち着いていたけれど、目線だけはしっかりとドーナツに釘付けになっていた。


 洋平が言っていた情報は嘘じゃない。

 夏弥は、美咲の様子を見てそう確信していた。


「あ、でも美咲。朝食食べたばっかりだし、入らないか」


「そんなことないし。大体パン一枚で、入らないも何もないでしょ」


「そ、そうか。じゃあ好きなの取りなよ」


 夏弥はそう言って、フタの開けられたタッパーをさらにグイッと美咲の前に差し出す。


「……じゃあ、コレにする」


「オリジナルドーナツね。へぇ」


 ちょっぴり目移りしていたのか、選んだ後も美咲はまだタッパーから目線を外していなかった。

 片手にはすでに、素朴な見た目のオリジナルドーナツがあるのだけれど。


「もっといるなら、どんどん行けば?」


「は? 違う。違うから。……どんどん行けばって何が?」


「ふっ。あ、いやごめん。とにかく、キッチンに置いておくし、好きな時に食べていいよ」


「…………わかった」


 美咲はオリジナルドーナツを片手に、自分の部屋へと戻っていった。


 

 夏弥はその後、無事に役割を終えた洗濯機から、脱水されたばかりのスウェットを取り出した。

 脱水されたといっても、それはまだ五割増しぐらいで重たくて。


 それを洗濯カゴに入れ、リビングの窓まで持っていき、白のカーテンを開けた。

 窓の外のベランダには、すでに昨晩干した夏弥自身の洗濯物が並んでいて、ひだまりの暖かさに優しく包み込まれていた。


 その横に、自分のスウェットをさらにつるす。


(これだけ天気がいいと、スウェットもすぐに乾きそうだな)


 今日の夏弥は気分がよかった。


 二階のベランダから見えるその景色は、数日前に通学路に感じていたあの新鮮さに似ていて新しかった。


 見下ろしてすぐのはす向かいには、あの昭和感ただよう小さなタバコ屋も見えていた。

 けれど、今はそれよりももう少し遠くが見えている。


 存在感のある総合病院も、外装の改修工事を行なうスーパーも。

 空の支配者みたいな顔で腕を伸ばしているあの高い電波塔も。

 みんな、夏弥の俯瞰(ふかん)風景の演者でしかないみたいだった。


「あ、そうだ」


 ボソッとつぶやいて、夏弥は思い出したように一度キッチンへと戻っていった。


 芽衣からもらったドーナツ入りのタッパーをリビングのローテーブルまで持ってきて、その中からドーナツを一つだけ手にする。


 それは昨日も食べた、チョコチップのものだった。

 別に夏弥はドーナツが嫌いじゃないけれど、二日間続けて食べるほど好きなわけでもない。


 それでもなんとなく、彼は食べたくなっていた。


 ベランダから見えていたちょっと新しい景色と、ふわっと気まぐれに吹いてくる昼間の弱い風のなか。


 ロケーションが変われば、もしかして味まで変わるんじゃないかと期待していた。


(……あ、やっぱり同じ味か。それに、やっぱり口や喉の水分を根こそぎ持っていかれる)


 夏弥がベランダでドーナツを味わっていると、スマホに一通のラインメッセージが届く。


(ん……?)


 そのラインメッセージは、今まさに隣の部屋で過ごしている美咲からのものだった。


『チョコチップのやつ、あたし食べたいから残しておいて』


 送られてきた内容に目を通し、夏弥は一瞬固まった。


 すでに自分が食べかけているこのドーナツこそが、チョコチップだ。

 残念ながら、他に同じものや似たものはない。


『ごめん。もうそれ、たった今俺が食べてるんだわ。新しいの買ってこよっか?』


 夏弥はそんな返事を送る。

 同じ家に居ながらメッセージでやり取りしていることに、違和感を覚えつつ。


 それから一分もしないうち、さらに美咲から返信が届く。


『いやそこまでしなくていいから。ドーナツとか好きじゃないし』


 絵文字も顔文字もなかった。

 ただ否定的で、突き放すような印象の文面が送られてくる。


 でも夏弥は、そんな冷たい文面にすら微笑んでしまいそうだった。

 なぜなら、美咲のラインのアイコン画像が更新されていたからだ。


 それは、さっき美咲が部屋に持ち帰った、オリジナルドーナツまさにそのものが撮られた画像だった。


 もう言い逃れはできないし、問い詰められれば美咲も言い逃れする気はないに違いなくて。


 夏弥はさらに一口、ドーナツをかじってから返信を送った。


『美咲って、しっかり冷たいよな。安心した』


 夏弥は心優しい男子である。

 今ここで、美咲を問い詰めようなんて思わなかった。

 それには、まだまだ時間をかけてもいいような気がしていたからだ。




 新しい距離感に自分達を置いてみたら、きっとまた予想もしていなかった未来がやってくるような気がしていたからだ。


 自分達のつけた足跡がかすれて消えかかっていても、探したりなんてせずに、さらに上から足をのせていけばいい。


 そんなやり方が、この二人には合っているのかもしれない。

 夏弥と美咲は、不器用に後ろを振り返りながら、今日も一日を過ごしていく。


(了)

※あとがき

 以上でこちらの小説はおしまいとなります。

 お読みくださった方々、評価ポイントやブクマ登録等してくださった方々、執筆のモチベーションに繋がりました。とても嬉しかったです。

 お手隙の方はご参考までに、どういった点が読んでいて面白く感じたのか、感想欄にお寄せください。教えていただけると次回作に役立てられます!

 何卒、よろしくお願いします。

 ご愛読いただき、誠にありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[一言] 確かに冷たくて安心しましただわぁ ウソツイテナイ
[一言] マジでデレずに完結するとは思わなんだ…。 ラブコメ…というよりは純文学…?ヒューマンドラマ…?
感想一覧
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