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 それから、二人は晩ごはんを食べ始めた。


 いつものように美咲はソファで。

 夏弥はテーブル脇に置かれたクッションの上で。

 電子タバコのセットは、ちゃんと美咲に返していた。


(もうこれ以上は美咲の倫理観に任せよう。初めに言ったみたいに、美咲自身わかってることだろうしな……)


 一種の親心みたいな気持ちが夏弥のなかには芽生えていた。


 食事のまえにひと悶着あったことは、二人にとって想定外。

 夏弥も、できれば何かの間違いであってほしいと、心のどこかで思っていたに違いなくて。


 少し冷静になった夏弥は、改めて自分の気持ちを伝えてみることにした。

 落ち着いた今なら、本当の気持ちを伝えられるような気がしていたのだ。


「美咲って、なんか妹みたいなんだよな」


「……妹? なに急に」


 唐突に切り出した夏弥の言葉を受けて、美咲は動かしていた箸をぴたりと止める。

 そんな美咲をちらっと見てから、夏弥はゆっくりと話し始めた。


「そう、妹。俺の妹の秋乃よりは遠いけど、親戚よりは近い存在、みたいな」


「そう、なんだ」


「そうだよ。数年会ってなくても、見た目とか口調とか変わってても。面影とかほとんど残ってなくても。それでも思い出とかはやっぱり記憶に残ってるから。本当にやめてほしいって感じたせいで、さっきはつい感情的になっちゃったのかもな。……その、ごめん」


 夏弥は、みんなが幼くてあどけなかった頃のことを思い出しながらしゃべっていた。


 幼馴染みの四人は、小学生時代いつも一緒だった。


 夏休みに河原で遊んでいて、美咲が川に落ちた所を夏弥が助けたこともあった。

 デパートで迷子になった美咲を、必死になって探したこともあった。


 いつまでも缶蹴りの鬼が終わらなくて泣いていた美咲のために、二人体制の鬼という謎ルールを夏弥が言い出して、洋平と秋乃を緑地公園で追い詰めまくったこともあった。


 喧嘩もいたずらも山のようにした。


 屋根に干されている人様のお布団に水鉄砲を撃ち当てるとんでもないミリタリーごっこもしたし、美咲が風邪をひいて寝込んだ時は、鈴川家の前でうるさすぎるエールを送り近所迷惑になったこともあった。


 無論、四人はどちらの親にも烈火のごとく怒られたわけだけれど。


 そんなセピア色に霞んでいる無邪気な日々を想いながら、夏弥は卵とじスペシャルのカツ丼を口に頬張る。


 なんてことはない自然の摂理だ。あふれだす小さな頃の記憶なんて、時間が過ぎていけばどんどん小さくなっていくんだ。と自分に言い聞かせるみたいにして、夏弥は丼をかきこんだ。


 肉汁と卵の優しい優しい味が、夏弥の口いっぱいに広がっていく。

 やっぱり半端じゃないな、と夏弥はどこか空々(そらぞら)しく料理を味わっていた。


 そんな夏弥に向けて、美咲はゆっくりと口を開き、自分のペースでしっかりと気持ちを吐き出していった。


「……あたしこそ、ごめんなさい。

 ていうか、あたしもそれはそう思うよ。夏弥さんこそ変わったって。

 身長も、声も。あたしに対する態度も。……雰囲気だって変わった。


 なん……ていうか、大人っぽくなって。面影は少し残ってるけど、前はもっと、四人でバカみたいにじゃれてたくせに。


 ……洋平が言ってたんだけど、最近、夏弥さんがどんどん心に壁を作っていくみたいでイヤに感じるときがあるんだって。まぁ、アイツがいるせいで、劣等感みたいなもの、夏弥さんは余計に感じちゃうのかもしれないけど。


 でも、壁っていうのは、あたしも感じる……し。ちっちゃい頃みたいに、親しくできないのが、なんかその…………気持ち悪いっていうか。


 ……さっき、あたしのこと、親戚よりも近い存在って言ったでしょ?


 でも、あたしはすごく距離を感じる。


 すごく、距離を感じるの。


 ねぇ…………遠くなっちゃったね、()()()



「……美咲、お前」


 美咲は、今確かに夏弥のことを、「なつ兄」と呼んだ。


 これまでの美咲からは考えられない、耳を疑うセリフだった。


 美咲の切なそうな表情とそのセリフに夏弥が動揺していると、彼女はごまかすようにしてまた話し始める。


「ていうか、カツ丼食べながら本音こぼすとか。昔の刑事ドラマでしょ。……なにこれ。昭和じゃん」


「しょ……。昭和も悪くないんじゃないか。あの昭和レトロなタバコ屋はアカン警察だけど」


「アカッ……ふっ」


 夏弥は、なぜか胸いっぱいに込み上げてくる感情を必死になって押し殺していた。押し殺して、そんな冗談を言うのがやっとだった。

 感情的になっただなんて発言しておいて、さらに追い討ちのような弱さを美咲に見せることはできなかったのだ。


 それ以降、食べてる最中の二人に会話はなかった。


 夏弥も美咲も、静かな一つの箱のなかに閉じ込められているみたいだった。


 遠くからサアサアと雨音が響いてきているような、そんな音だけが耳につく。

 箸が丼ぶりにあたる、かちゃんこちゃん、というその可愛い音だけが耳につく。

 思い出したようにお茶を飲めば、喉を抜けるその音だけが耳につく。

 リビングにはそれらの音しか響いてない。


 けれど二人にはそれが気まずく感じられなかった。


 お互い認め合うような、あるいはそれに準ずるような不思議な空気感が、二人きりのリビングにふわふわとただよっていた。


(なんだか今日の晩ごはんは、ひと味もふた味も違う)


 自分で作っておきながら、夏弥は目の前の料理の味に翻弄されているような気分だった。


 夏弥と美咲はその後、何事もなく夜を過ごしていった。

 美咲は食後、そのまま部屋にこもりきりだったし、夏弥は食器を洗ったあとでお風呂に入った。


(もしかしたら、美咲は部屋のなかでタバコを吸っているかもしれないな)


 そうした疑いは、食器を洗うときも、お風呂で頭を洗うときも、夏弥の心をかき乱す理由の一つになっていた。


 でも同時に、それを打ち消す気持ちも湧き上がっている。


 夏弥は彼女の「ごめんなさい」の言葉に込められた意味や感情を、少しだけ信じてみようと思っていたのだ。


 今晩の雨は、じっくり降るだろうと予想していたけれど、夏弥が洗濯物を済ませたころにはちょうど雨音が止んでいた。


 試しにベランダへぬっと顔を出してみると、夜空には半分にかけた白い月が見え隠れしていて幻想的だった。


(明日、晴れんのかな)


 スマホで明日の天気を確認すると、ピーカンの空を示す赤い太陽のマークが表示されていた。快晴ということらしく、陽気にもそのマークはピコピコと点滅している。


 夏弥は雨上がりの夜空に感謝して、ベランダに洗いたての衣類を粛々と干していった。

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