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◇ ◇ ◇
「おはよう、洋平。はい。持ってきたぞ美咲の服」
「おはよーっす。ありがとう夏弥。俺も持ってきたぞ、秋乃の服~」
クラスメイトもまばらな朝の教室。二年一組での第一声。
そんな会話から、冴えない非モテ系男子とナチュラルパーマなイケメン男子のコミュニケーションは始まる。
一つの机を挟み、正面から向かい合う形でゆるゆると。
もちろん美咲の服も秋乃の服も、本当に持ってきているわけじゃない。
そんなわけがない。
これはいわば、お互い妹を持つお兄ちゃん同士の軽いおフザケトークだ。
「サンキュー、助かるわ。明日学校休みだし、出掛けたかったんだよなぁー」と洋平は安心したような顔で言う。
その視線の先は、たった今夏弥から受け取った袋のなかに注がれていた。
洋平の反応は優しさに満ちている。
あたかもお望みの服を夏弥が比類なきセンスで当ててくれましたという様子だったけれど、実際はハズレのないクジを夏弥が引かされただけである。
悲しいことに夏弥のセンスはほとんど含まれていない。
「いや、俺のほうこそ助かる。特に催促してないのにマジでありがとう。ていうか、靴下も入ってるじゃん。やっぱり永遠のモテ期を生きるイケメン君は違うな。マメで気が利くとか天才か? マメ天かキガ天の異名をさあここに」
「ぷはっ、なんだよそれ。てんぷら屋の新メニューか? どっちもネーミングセンスひどすぎるだろ。というか夏弥は靴下――あっ」
洋平は、袋の中を手でかき回してから何かを悟ったようだった。
「ああ、入れてきてないよ。すみませんでしたね」
洋平とそんな会話をしていると、夏弥のスマホに一通のラインメッセージが届く。
『藤堂せんぱーい。約束は今日のお昼休みですよ。忘れないでくださいね!』
(『はい、忘れてないから大丈夫』っと……)
洋平の前で夏弥が返信を打っていると、画面を覗いたわけでもないのにその涼しげな口元のはしがつり上がる。
「あ、もしかして、もしかするご連絡ですか?」
「いや、べつに?」と、夏弥は答えておくことにした。まさか相手が、洋平狙いの後輩女子だとは口が裂けても言えなかった。
それからまた雑談を続けていると、続々とクラスメイト達が登校してくる。
女子の何割かは洋平にハートマークのついた「おはよう~♡」を放ち、男子からもこぞってフレンドリーな「おっすー鈴川~」がくり出されていた。
(やっぱり半端ない。本当に誰とでも幅広くコミュニケーション取ってる。男子まで仲良いやつ多いとかこいつは無敵か? 洋平くらいしかまともにしゃべれてない俺がかえって目立つくらいだ)
「洋平って、美咲とは全然違うよな。色んな意味で」
夏弥がだしぬけにそんな事を言うと、洋平はにこやかだった目をぱちくりとさせて返事をした。
「え、全然って? あれ、ていうか待って。夏弥が美咲のこと「美咲」って呼び捨てにしてる!」
「あっ」
「おやおや~? 一体この数日でふたりの間に何があったのかなぁ?」
「何にもねぇよ! 少なくともお前の頭のなかで炸裂してるようなピンクピンクしたことはな。普通に美咲に注意されて「ちゃん付け」をやめたんだ。断じて不純異性交遊なんてない。ここに誓いの旗を立てん」
「へぇ~、ふぅーん? でもなぁ、夏弥くん。俺気付いてたんだぜ。お前の髪から美咲と同じ匂いがするってなぁ……ったく……。お兄ちゃんは嬉しいような寂しいような、複雑なお気持ちだよ」
「は、気付いてたのかよ……。でもこれ仕方なくない? 大体シャンプーの詰め替えを怠ってるあの家が悪いんです。俺は無罪っていうか、冤罪っていうか」
「いや~? 真相はどうかわかんないしなー。案外、夏弥が俺の知らんところでオオカミになってる可能性もあるだろ。美咲は美咲で夏弥にならワンチャン……みたいなこともありえるからなぁ? あははっ!」
「なぁーにがオオカミだよ……。あ、わかった。わんちゃんとオオカミっていう、同じイヌ属に引っかけた高度なギャグか? けど俺がオオカミとか、それはそれでオオカミに失礼だろ」
「あ、確かにオオカミに失礼だったな」
「いやそこは否定してくれよ」
お兄ちゃんズのセンスきらめくバカ漫談はこの辺で幕を引く。
なぜなら始業のチャイムが鳴ったからだ。
それから午前中の授業が終わるころ、夏弥のスマホに再び芽衣からラインが送られてきた。
『体育館のギャラリー来れますか? お昼、あそこに来てください』
『はーい』
そんなわけで昼休み。
購買でパンとコーヒー牛乳を買ったのち、夏弥は指定された体育館のギャラリーへと向かう。
体育館出入口から脇に階段が伸びていて、そこから登れるのだけれど、夏弥はこの階段をのぼったことがなかった。
(一年以上通ってる校舎だけど、初めての体育館ギャラリー。運動部とかに所属してればまだ縁がある場所なんだろうけど。というか、よく考えてみたら後輩とはいえ女子に昼休み呼び出されるなんてな。いっそ告白されないかな俺)
「あ、藤堂せんぱーい。ちょっと遅くないですか~?」
「ああ、悪いな。戸島さん」
ギャラリーへ上がる階段の途中。
先にその階段をのぼっていたらしい芽衣の姿がそこにはあった。
手には小さな巾着袋があって、きっとそこにはお弁当が入っているのだと思われた。
「あははっ! 普通に戸島って呼び捨てでいいですよ?」
弾むような笑い声。後ろ暗いことなんて何一つ感じさせない無邪気な顔。
赤いシュシュで束ねた黒髪サイドテールから、イイ具合に大人っぽさがあふれている。
それは、明るい性格の彼女とはどこかアンバランスな趣きがあって、塩キャラメルやいちご大福みたいな、狙った中和作用の賜物みたいに見える。
「じゃあ戸島。なんでこんなギャラリーを場所に選んだんだよ。さすがに遠くない? それにうちの学校のギャラリーって結構狭いし、相談には不向き……」
「ふっふっふ。よくぞ聞いてくれましたね先輩。さ、ちょっとこちらへ上がって来てください。来れば理由は一目瞭然ですっ」
「うん?」
下から見上げる形になっていたせいかもしれない。
夏弥には、昨日よりもずっと芽衣のその生足が強調されているように見えた。
男子にとっては、その足があまりにも悩殺的で、目に悪くて。
だから夏弥は、とっさに目をそらしながら階段を上がりきったのだった。
体育館のギャラリースペースのすぐ外側には、大きな窓ガラスが続いている。
芽衣はその窓ガラスから見える校舎のほうに顔を向け、ギャラリーのはしの方までトコトコと歩いていった。
窓ガラスに、彼女の後姿が鏡のように映り続けていく。
「おい、一体どこまで行くんだよ?」
「ここです!」
「ここが、どうしたんだよ?」
「ほら! あそこですよ!」
そう言って芽衣が指さした窓ガラスの先。
そこには夏弥の通う教室、二年一組のベランダが映っていた。
ガラス越しに教室の中まで見えている。
「あ、え?」
「たまにここから鈴川先輩が見えるんですよね~っ。ちなみに今日は曇りなので、あんまり外が窓ガラスに反射してないんです! 晴れだと反射して見えにくくなるんですよねっ」
「えぇ……。ただのストーカーじゃん。戸島、いや戸島さん」
「え、なんで呼び方が戻ってるんですか⁉ 今のちょっとした会話で距離を置きはじめたんですか⁉」
「や、何のことかな? 別に戸島さんと関わるのはやめておこう、とか思ってないよ。うん」
「絶対思ってる顔ですよそれ! あと地味に後ずさりしないでください! 窓ガラスに映ってる先輩の分と合わせて精神的にダメージも二倍なんですがっ!」
「ぶは、確かに」
夏弥は、芽衣の困った顔に思わず噴き出してしまった。