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5-20


 秋乃の言っていたベンチに三人で腰をかける。

 端から秋乃、夏弥、美咲の順で座る。


 殺風景とも原風景とも言える景観を眺めながら、夏弥と美咲は各自のビニール袋に手を入れた。


 秋乃は、安い包み紙でくるまれていたサンドイッチをあけ、すでにはむはむと食べ進めており。


「んんっ! 悪くないね~。こんくらいのクオリティであんくらいの値段なら文句ナシだ」


 文化祭で売られている出し物のサンドイッチなんて。

 そう思っていた秋乃だったけれど、そのお味は想像をちょっぴり上回るものだったらしい。


 黒縁メガネ越しに目元はゆるみ、夏弥から見ても上機嫌であることが伺える。


「サンドイッチはむしろ不味く作るほうが難しくないか?」


「あはは! 確かにそうだね~。なつ兄が言うならきっとそう」



「夏弥さんて……」


「なんだよ美咲」


「夏弥さんて、人の料理には優しいんだ」


「……?」


 夏弥は、隣に座る美咲が何を言いたいのかわからなかった。


「人の料理には優しいって……どういう意味だ?」


「いやほら……あたしが料理作って失敗した時は、そういうフォローなかったなぁって思って」


 人の料理に優しい。

 評価の基準を、自分の基準ではなく相手や一般的な基準に下げて考えてあげること。


 夏弥が無意識に行なっていたそんな気遣いが、美咲には「優しくしてる」と映ったようだった。


「……」


 美咲の言葉に、夏弥は口を噤む。

 はたして本当に、自分は彼女をフォローしていなかったんだろうか?


 夏弥は美咲の綺麗な横顔を視界の端に残したまま、目の前の気持ちいい景色へと視線を移す。


「まぁそれは、親しい相手に、親しくない相手と同じくらいの気は使わない……ってことだと思うけどな」


「……」


 思うけどな。という言い方は、少し含みのある言い方だ。

 まるで自分の知りえない情報を予想してみているかのような、そんな言い方だった。


 夏弥自身、その時の自分の気持ちを曖昧にしか覚えていないので、仕方ないセリフだったのかもしれない。


「じゃあ今日、一緒にまた晩ごはん作ってくれる……?」


「あ、ああ。……いいけど、食材を無駄にするようなことだけはするなよ?」


「しないから! ……ふっ。てかそれなら夏弥さんが、あたしのことちゃんと見ててくれれば……あっ」



 美咲はそこまで言って、同じベンチに座っているもう一人の存在に注意を払う。


 夏弥の妹、藤堂秋乃。

 黒髪のゆるい天然パーマがトレードマークなゲーマー女子。


「……」


 秋乃は二人の会話を聞きながら、ただ黙々とサンドイッチを口へと運ぶだけだった。


 ただこれが、美咲には(はばか)られた。


 自分が夏弥と交際していることを、秋乃はとっくに知っているわけだけれど、だからといって目の前でイチャついたり、二人の世界を作ってしまうのも憚られたのだ。


「美咲? どうしたんだ?」


「……え? あ、いや別に……」


「ていうか美咲のスマホ、さっきから鳴ってないか?」


「……?」


 夏弥の言うように、美咲のスカートの上に置かれていたスマホは、誰かからの着信を受けて光っているようだった。




 ◇


「ごめん。夏弥さん、秋乃。あたし、ちょっとクラスに戻らないとだから」


「全然気にするな」


「はいほーふはよ~、みはひはん!(※訳:だいじょーぶだよ~、美咲ちゃん!)」


 美咲のスマホに掛けてきていたのは、彼女と同じクラスの戸島芽衣だった。


 文化祭の出し物の件で、何やら急用だったらしい。

 芽衣に電話を掛け直したあと、美咲はすぐにその場を去っていった。



 その結果、夏弥と秋乃の二人きりになったのだけれど……。


「あーあ。結局、洋平も美咲ちゃんもいない文化祭になっちゃったねぇ~」


「ははは。それな」


「……」


 秋乃は、隣に座る自分の兄、夏弥の横顔をチラリと伺った。

 すると、彼に対する色々な思いが浮かんできてしまう。


 ついこの前まで彼女なんていなかったのに、今ではもうすっかり『誰かの彼氏』なんだ。

 そしてきっと、恋人である以上、二人は熱く触れ合ったりもしているに違いなくて……。



 ――――夏弥さん。


 ――――美咲。



 裸で抱きしめ合う二人の姿が見える。

 それはおそらく、自分には想像もできないくらい気持ちがよくて、満たされた行為に違いない。


 好きな人同士の抱擁なんて、この上なく尊い行為のはずだ。


「……」


 こんな妄想をし始めると、決まって秋乃はしくしくと心を締め付けてくるような寂しさや、今までになかった疎外感に襲われる。これは紛れもない事実だった。


 小さい頃は、ずっとずっと自分のそばにいてくれた。


 なつ兄は、どこまでいってもなつ兄のはずだと、そう信じていたい気持ちが、二人の尊い行為を喜べなくさせている。


 彼女には、それがわかっていた。


「ねぇ、なつ兄さ」


「ん? どうした?」


「……」



 秋乃は食べかけていたサンドイッチをプラスチックの簡単なパックに一度戻し、やや俯いた。


 沈黙とも言えないわずかな間があってから、再び秋乃は口を開く。


「この前、美咲ちゃんが泣いてた時のことなんだけど」


「……」


 夏弥は、きっとそのうち秋乃がその話題に触れてくるだろうなと思っていた。


 四人でもう一度、仲良く付き合っていくこと。


 秋乃なら二つ返事でこれをオーケーだと答えるに決まってる。実際、こうして文化祭を回る約束にも応じてくれたのだから。


「あの時のことが、どうかしたのか?」


「……。美咲ちゃんの本心はすごくよくわかるよ? 私も、色々事情があって遊べなかった四人が、なんだかんだで復活する。なんて展開は、少年漫画の胸熱展開にも似た感動があるわけだけど」


「まぁ、確かにそんな展開ではあるよなぁ」


 夏弥は秋乃の言い回しが純粋におかしくて、ふふっ、と心の中で笑っていた。


 次の言葉を聞くまでは。



「……これから四人で遊ぶことが増えていって。……それで、なつ兄と美咲ちゃんはずっと恋人として付き合っていって。……そういう未来になるってことだよね? これは」


「……? たぶん、そうだな。俺はそういう風に考えてるけど」



 少し秋乃の様子が、いや、雰囲気がいつもと違うな。と夏弥は感じる。


 口調や、その声のトーンが、いつになく真面目で、静かだった。


 その裏に隠された感情が何なのか、夏弥には予想できなかった。


 彼が予想できないまま、秋乃はお構いなしに次の言葉へと進んでいく。


「もうこんなわがままは二度と言うつもりもないんだけど……私のお願い、聞いてくれない?」


「……お願い?」


「……うん」



 秋乃はぐぐっと唇を噛んでいた。


 言うべきでないとわかっていても、言いたい衝動に駆られていた。


 大好きな兄と二人きりで過ごす時間が、なんだかもう二度と来ないような気がして。



 幼馴染の、それも特別にかわいいあの子と付き合いだすだなんて、思ってもみなかったから。



 ――なつ兄は、ずっとなつ兄のまま。


 ――そのままでいてほしかった。


 ――いつまでも冴えない兄で、彼女一人作れない兄で、私にだけ優しいなつ兄でいてほしかったのに。


 ――ずるいよ、なつ兄。


 ――ずるいよ、美咲ちゃん。


 ――二人だけ、好きな人と結ばれるなんて。


 ――そんなのずるいよ。


 ――私の方が、美咲ちゃんよりもずっとなつ兄のことを知ってる。


 ――お母さんが死んじゃってから、なつ兄がどれだけ生きる気力を無くしてたのかも知ってる。


 ――でも、なつ兄が私を置いて、どんどん離れていっちゃうのはわかってた。


 ――妹はやっぱり妹でしかないんだ。


 ――だから、私が言えるわがままなんて、たかがしれてる。


 ――二人の前で言ってしまったら、なつ兄にも、美咲ちゃんにも、迷惑がかかる。


 ――それでも言いたくなっちゃうんだから、私は本当にダメな妹だと思う。


 ――思ってるけど、なつ兄なら。私の大好きななつ兄ならさ。


 ――ダメな妹の、最後のわがままくらい、聞いてくれるよね?




「私のこと……あ、ああ、頭撫でたりとか……つ、強く抱きしめたり……とか……そういうの……してほしいなって」


「……!」


 夏弥は秋乃の言葉に面食らうしかなかった。

 一瞬戸惑ったけれど、しかしこれはまた何かの冗談だろうと思ってしまって。


「秋乃お前、何ふざけてんだよ……」


「……」


 夏弥の反応を見て、秋乃は少し沈黙を挟める。そして。


「ふ、ふふっ。……そ、そうだよね! 冗談冗談! こんなの、冗談以外の何物でもないよね! あははは!」


「……」



 秋乃は同じベンチに座る夏弥相手に、必死に笑顔を作ってみせた。


 本当に精一杯の作り笑顔で、精一杯のハイテンションだった。


 秋の風が乾いた空気を運ぶように、秋乃もどこか乾いた笑顔をそこに浮かべていた。


 これが夏弥に見破られてしまうと、おそらくこれまでの関係は壊れてしまう。



 でも、夏弥には少しだけ知っていてほしかった。


 実の妹が、ほんの少しでも兄のことを()()()()()()()になってしまっていたこと。



「ごめん、なつ兄。私も用事思い出しちゃった。ちょっと行ってくるね」


「え?」


 その、気付いてほしいけれど気付かれてはいけないと感じていた気持ちのせいで、秋乃は一刻も早くこの場を立ち去りたくなってしまう。


 このまま居続けたら、たぶん自分は泣いてしまうから。


 そして泣けば、確実に彼に気付かれてしまうから。


「……」


(今のって……)


 夏弥は去ろうとする秋乃の背中を見つめ、明らかに妹の様子が「ただの悪ふざけ」や「冗談」じゃなかった可能性を感じ取る。


 長年の付き合いだ。

 夏弥がこれだけ敏感に察知できる相手というのも、一生のうちでそうたくさんは現れないだろう。


「……」



 それに夏弥は、さっきの秋乃の笑顔がどうにも引っかかって仕方がなかった。


 ここで秋乃を引き留めないと、この先しばらくは頭から離れなさそうな、そんな笑顔だった気がして。


「っ……!」


 夏弥はベンチから立ち上がり、去っていく秋乃の、その小さな肩を後ろから掴んだのだった。


「……え?」


 秋乃は夏弥に背を向けたまま、困惑していた。


 無理もないだろう。


 なぜなら、肩を掴んでからすぐ、()()()()()()()()()()()()()からだ。


「……なつ兄?」


「……」


 夏弥はそのまま、秋乃の頭を優しく撫で続けた。


 天然のゆるいパーマでくしゃくしゃになっている秋乃の髪を、夏弥は久しぶりに触ったような気がしていた。


「これは……その……。抱きしめるのは……ちょっと恥ずかしいだろ。……だからその、撫でるくらいならいいと思ったから……」


「……」


 秋乃は向こうに顔を向けたまま、コクンッと頷く。


 ――ダメ。


 ――絶対にこれは泣いたらダメなやつだ。


 心の中で唱えるようにそう考えていたのだけれど、どうしても秋乃の目頭は熱くなってきてしまう。


 撫でてくれる夏弥の手は思っていたよりも大きくて、卑怯なくらい心を揺さぶってくる。


「……すぅ……ふぅ」


 秋乃は小さく深呼吸した。


 それからサッと目元の涙を拭うと、思い切りよく振り返って。



「なつ兄、ありがと。もうわがまま言わないから、大丈夫! ……えへへ♪」



「……」


 夏弥は黙ったまま、秋乃の顔を見つめる。


 秋乃は夏弥に笑みをこぼしたあと、また踵を返して校舎へと戻っていった。


 軽やかな歩調。

 それはさっきまでの足取りとは打ってかわり、何か心待ちにしてるものがあるかのような、そんな足取りだった。

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