5-18
◇
十月の秋空。
雲間から日差しが弱弱しく降り注ぐ。
三條高校の文化祭は、湿り気を帯びた秋真っ盛りの今日この日、行われることとなった。
夏弥と洋平の所属している二年一組は、実行委員の間で第一候補となっていた飲食店『たこ焼き喫茶♪残したら女子がシバキに回ります』に決定。
無論、夏弥は調理担当者の筆頭として名前をあげられた。
学年一支持者が多いとも謳われるイケメン君・鈴川洋平のそれはそれは熱い推薦により(※はた迷惑)決まったことだ。
ああ無情。
一組内のモブ男子として扱われている藤堂夏弥に、その熱い推薦をはねのけ返すだけの政治力は無いのである。
美咲と交際してることも相まって実質四面楚歌。
窮鼠猫を嚙むなんてことわざは、所詮特殊な鼠にしかなしえない芸当なのである。
さて、そんなわけで調理担当となった夏弥は、ただいま絶賛たこ焼き作りに取り掛かっていた。
一組の教室内後方。
パーテーションで仕切られた簡易的な調理ブースで、夏弥を含めた四人の男子が、しこしこと生地を作るところから地道に始めている。
「藤堂って、料理できたんだね」
「ひょっとしてお前、料理人志望だったのか?」
――――などなど、様々なご感想がチラホラ飛んでくる。
ああ、この一見するとただの冴えない高校生が、あの鈴川洋平に推されるほど料理ができるというのだから、興味が湧くのも必然。
「一人暮らししてたら勝手に作れるようになるよ」と、夏弥はローテンションで返す。
「……へぇ」
「そういうもんか」
熱のない男子同士の会話がそこにあった。
目の前のたこ焼き機に手を伸ばし、作った生地を半球の型に流し込んでいく。
幾何学的な配列。
シュウシュウと焼ける音。
男子達は目線をそこから離さずに会話を続けていた。
そんな折、夏弥のスマホがメッセージを受け取る。
『夏弥さん、何時頃抜けられそう?』
(美咲……)
夏弥の恋人、美咲からのメッセージだった。
夏弥がスマホをいじり始めると、横に並んでいた男子は恨めしそうに話し出す。
空気感で、そのメッセージが彼女からのものだと察したのだろうか。
「いいよな~。俺もかわいい年下彼女がほしいわ」
「わかるわ。文化祭、男同士で回るのもいいけど、女子とも回りたいよな」
「ははは……」
夏弥は男子達から鋭い視線を感じ取る。
咄嗟に乾いた笑いを浮かべてやり過ごし。
『たぶんお昼過ぎだと思う。その頃連絡する』
と、手元で美咲に返信を送りつつ、夏弥は手元の生地を焦がさないよう注意をはらっていた。
「つーかお昼前なのに客入り悪くね? 藤堂、ちょっと廊下見てこいよ」
「いいけど、お前らちゃんとたこ焼き作れんの? 焦がしたらまず俺からシバかれる未来しか見えないんだけど」と夏弥。
「でーじょぶだって。俺、実は家でたこ焼き作ったことあるし」
「俺も小学校の頃クレープ作ったことあるから安心しろ」
「……ほぉ」
彼らの主張が信用の後ろ盾にならないことはさておいても、確かに客入りは悪かった。
夏弥は半信半疑のまま、クラスの呼び込み係がいる廊下へと出てみることにしたのだった。
◇
廊下に出されていた受付用の席に、女子生徒が一人座っている。
三つ編みの黒髪に、野暮ったげな黒縁メガネ。
そばかす付きのお顔は見慣れたもの。
その女子生徒・月浦まど子は、相変わらず真面目を絵に描いたようなビジュアルでそこに佇んでいた。
「藤堂くん? どうしたの?」
教室から出てきた夏弥に気付いて、まずまど子は質問を投げかける。
「客入りが悪くなってきたから、廊下の呼び込みどうしてるかなって思ってさ。様子見に来たんだけど……」
「あ……それなら、たぶん隣の二組が呼び込みの数を増やしたからじゃない?」
「そっちに取られてたのか」
「もう少ししたら落ち着くんじゃない……?」
「そうだといいんだけど……」
「……」
やや沈黙が挟まる。
この沈黙を破ってきたのは、意外にもまど子の方からで。
「……ねぇ藤堂くん。今日美咲ちゃんと回らないの?」
「っ!」
夏弥はまど子のセリフに一瞬戸惑ってしまう。
確かに、今や夏弥と美咲が付き合っていることは周知の事実となっているのだけれど。
それにしても、こんな風にまど子から直接触れられる機会はなかった。
「そう……だよね。月浦さんももう知ってるよね。俺達のこと」
「うん……」
「……」
(もう知られてるなら、何も恥ずかしがることないよな)
夏弥はそう思い、特別何の含みもなく、打算もなく、ありのままを話すことにしたのだった
「一応、午後から当番外れるから。それから回ろうかなって思ってるんだ」
「……そっか。……でも、よかったね!」
「よかった?」
「うん。これで藤堂くんは、今日の文化祭を楽しく回れるってことでしょ?」
「! 月浦さん……」
まど子のセリフはとても感慨深いもののようだった。
交流を始めたのは数か月前からだったけれど、その数か月分を経たことで生まれた愛のようなものがそこに感じられて。
「文化祭は、楽しんだ人のものだと思うの。だから藤堂くんも……」
「うん。……ありがとう」
夏弥は、素直にまど子に感謝した。
自分に向けられたまど子の優しい言葉や柔らかい表情が、すっと心の中に入ってきて、そのまま癒してくれていると感じたから。
「じゃあ俺、また持ち場に戻るね。もうちょっと、たこ焼き作らないとだし」
「うん。がんばって! 藤堂くんのたこ焼き、評判すごく良いみたいだから」
「あはは。そう言われると、ちょっと照れるな」
そう言って夏弥が受付を去っていったあと。
まど子は一度ため息をついてから、廊下の窓に映る秋空へと視線を向けた。
(……。好きな人がいるって、とても素敵なことだよね。それは藤堂くんを見てれば……私にだってわかるよ)
まど子は、あと少し遅ければ、自分がもっと深く傷付くことになるとわかっていた。
まど子は気付いていたのだ。
夏弥が、以前よりも楽しそうに毎日を過ごしていること。
夏弥が、少しずつ明るくなっていること。
「美咲ちゃん」という特別な存在が現れたから。
太陽みたいな彼女の存在が、彼を照らしたり導いたりしてくれている。
それは、自分には到底できそうにないことで。
どんどん変わっていく「藤堂くん」に、切なさ以上の嬉しさを感じるから。
だからこそ、諦めもつくのかもしれない。
――――きっと、これでよかったんだよね。藤堂くん。