5-16
◇
「これが……俺……?」
夏弥は目をパチクリさせて驚いた。
それもそのはず。
手鏡の中に映る冴えない男子高校生・藤堂夏弥は、まるで男子には見えなかった。
「もう立派な女の子だね、なつ兄!」
「……」
ガッツリ描かれたアイシャドウ。
頬を染めるチーク。口紅も程よくナチュラルに決まっている。
ただ、施工者がメイクに不慣れな秋乃だったため、よくよく観察すればほころびが伺える。
いわゆる一般的な女子のメイク……と評したいところではあるのだけれど。
「夏弥さん……ぷふっ、一応女の子に見える……ふはっ」
「……」
「あ、美咲ちゃんひどい! コレ全然女の子だと思うんだけどなー」
「あのな秋乃、人の顔を指さしてコレとか言っちゃダメだろ。そこに直りなさい」と夏弥は冷静に注意する。
「だってさー……」
「てか、お前はお兄ちゃんをお姉ちゃんにしたかったのか?」
夏弥は女子風メイクのまま、秋乃に疑問を投げかける。
「違うけど……でも、洋平なんて綺麗系でイケてる感じなんだよ?」
「え?」
秋乃に言われて、夏弥はふと横に顔を向ける。
そこには当然、美咲にメイクされた女子風の鈴川洋平が立っていたのだけれど……。
「はっ⁉ フツーに女子じゃん、洋平⁉」
「え?」
その通り。夏弥とはえらい違いなのである。
冴えないオーラと女子風メイクの掛け合わせが妙なハーモニーを奏でている藤堂夏弥とは違い。……いや、この場合、夏弥が妙なのではなく、一般的に男子に女子風のメイクを施せばこうなるというものだ。
夏弥のフェイスチェンジがここまで劇的なのだから、当然横にいる洋平もおかしなことになっているはず。
と、そんな淡い期待を夏弥は抱いていたのだけれど……。
「はい……手鏡」
「お、おう」
夏弥は洋平に手鏡をパス。稀代のイケメン男子君は、受け取った手鏡に映る自分の美少女っぷりに一瞬息を呑む。
それからハッと我に返り、申し訳なさそうな口調で――――
「夏弥……お前も割と似合ってると思うわ」
「……。そういう優しい接し方のほうが、かえって効くからやめろ」
「くぷっ……ぷふっ……」
横で美咲が笑いを堪えている。そのか細い肩もピクついている。
201号室のリビングで顔を合わせる四名。うち三名は女子と呼んで差し支えないレベルなのだけれど、夏弥だけが面白いルックスをしていた。お疲れ様である。
「はぁ。……てか、そろそろお昼だし、ご飯作るか」
「やった! なつ兄の料理食べれるんだ!」
夏弥が気持ちを切り替える意味も込めてそう言うと、秋乃がすぐさま反応する。
兄の手料理をひそかに心待ちにしていたのだろう。
「あ、え? ……夏弥さん、そのまま料理するの?」
「ん? ああ。かわいいかわいい現役JKの手料理だ。ぜひ味わってくれ」
「ふふっ。なにそれ」
美咲はすっかり、夏弥の女子風メイクがツボにハマってしまったらしい。会話の節々で噴き出してしまっている。
グレーのエプロンを着用しつつ、夏弥は言った。
「お前ら、この中で一番女子力高いのが誰なのか、わからせてやるからな……」
そう。夏弥は四人の中で一番料理が得意である。
外見こそ残念賞なのだけれど、女子力という意味でいえばそれこそ夏弥が一等賞に違いない。
無論、だからどうしたという話なのだが。
◇
あさりのボンゴレスパゲティ、四人前。
夏弥がキッチンの調理台でチャチャッとそいつを作ってくれたおかげで、他三人は労せずしてお昼ご飯にありつけた。
「ん、うま! あさりの旨味が効いてる!」
秋乃はぱぁ~っと表情明るく反応する。
「っぱ、夏弥の料理なんだよなぁ~」
「洋平、今のお前、見た目が見た目だから男の声で話してることに違和感しかないな……ははっ」と夏弥。
「気にしたら負けだと思うぞ、夏弥」
「……」
確かに、現在の洋平は美咲のように美少女然としていて大変見目麗しい。
彼の特徴であるナチュラルパーマも、どことなくジェンダーレスな髪型に見えてくるから不思議である。
母親由来のダッチェ〇的パーツ配置も手伝って、洋平は下手な女子よりよほど女子女子した見た目をしている。
「違和感あるのはなつ兄もでしょ~?」
「そうそう。夏弥さんの顔も……ぷふ……声とかのミスマッチが……っ、くふっ、あはは!」
「美咲ちゃん、ツボりすぎ!」
「だって夏弥さん、顔だけ浮いてるから……」
「まぁ、確かに笑えるけど……ぷは! はははは!」
「……」
夏弥は苦笑いするのみ。
何も言わずにあさりのボンゴレを食べ進めている。
それから、彼は途中で美咲の端正なそのお顔を見る。
美咲はここまで落ち着いた様子だったけれど、夏弥の女子風メイクにはさすがに笑いを禁じ得なかったようで。
秋乃と二人で笑ってる様子だけ切り取って見れば、もうすっかり垣根など取り払われた仲良し二人組のようだった。
しかし美咲自身は、内心かなり驚いていた。
幼馴染三人と久しぶりに過ごす時間の中で、これだけ自分が素直に笑えていることに。
(あれ? あたし……今、普通に笑えてる……)
無理もない話だ。
今、この幼馴染四人でまた遊べているのは、先日夏弥がきっかけを作ってくれたからで。
(また遊べたって、どうせ気まずくなるものだって思ってたのに……)
美咲の気持ちは、これまでの表情や態度とは裏腹に、このメンバーの中でもっとも複雑だったのかもしれない。
夏弥に作ってもらったチャンスに対して、嬉しさ半分戸惑い半分だった。
(小さい頃なら、当たり前だったことなのに……)
――――なんで難しくなっちゃうの?
美咲は視界に映っている夏弥達の様子を見て、自然とそんな疑問を抱いてしまった。
小さな唇をくっと食い締めてみると、なぜか目頭が熱くなってくる。
あの時の無邪気さはもう手に入らない。
永遠に続く気がした、楽しくてまぶしい炎天下の夏休みも。
ワクワクして早起きしてしまうクリスマスイブのような毎日も。
すべてが年月に濾され、打ち捨てられていく。
しがらみに支配されていく。
それなら、これからの人生は……。
「……」
「美咲、どうした?」
「え?」
「急に、切なそうな顔になったから……」
「っ!」
夏弥に小声で言われて我に返る。
美咲は、ほぼ無意識に涙を浮かべていた。
その透き通るような瞳の淵に、優しく一滴垂らしたような涙だ。
「べ、別にそんな顔してないし……」
「……」
「ちょっと昔のこと……思い出してただけ」
「……」
夏弥は、ローテーブルのそばでボンゴレを食べる洋平や秋乃を一瞥した後、彼らにも聞こえるように話し始めた。
「……あのさ、俺にだけじゃなく、二人にも本音を打ち明けていいんじゃないのか? 洋平と秋乃だって、美咲と気持ちは一緒だよ。やり直せるんだ」
「……!」
夏弥の言葉に、洋平も秋乃も思うところがあった。
二人ともすぐには口を開かなかったけれど、それでも数十秒の沈黙を挟んでから洋平が口を開き――――。
「俺も……やり直したい。今度からは、ちゃんと、付き合うにしても誰か一人とだけ付き合っていこうと思ってる」と静かに話してくれた。
「……」
「ごめんな、美咲……。ダメな兄だったけど……。どれだけ言っても全部言い訳にしか聞こえないだろうけど……それでも、ごめん」
「……」
「こ、こういうの。ダメだよな俺ってほんと。あはは……。いつもどこか説得力がないっていうか、相手に誠意が伝わらなかったりして、ダメなんだって思う」
洋平はこれまでにないくらい、悲しそうな笑みを挟んでそんなことを言う。
「……」
美咲は違うと思っていた。
説得力がない? 誠意が伝わらない?
そんなことはなくて。
自分の兄は、それでも自分に許しを請いたくて、ちゃんと省みることから始めている。意固地になっているのはどっちなんだろう。
相手が過ちに気が付いて、反省して、償いまで始めているのに。
「……」
黙り込む美咲だったが、そろそろ我慢の限界だったのだろう。
気が付けばその目元から、ぽろぽろと涙がこぼれてきてしまっていた。
「あたしは三人とまた……一緒に楽しい時間、過ごしていきたいよ。洋平とも、そう。……だから、もういいよ。もう、洋平が前までどうだったとか……そんなことに縛られてるの、よくないってわかってるから。……それより、もっともっと、もっとたくさん思い出作ってさ……。これから大人になっても、会える時間が少なくなっても……ずっと付き合うような仲で居続けたい」
「……」
「どんなに会えなくても、そういう事情が増えていっても……あたしはやっぱり……この四人じゃなきゃ……やだよ……」
美咲は飾らない本当の気持ちを口にしていた。
目元は赤らんでいて、ぐしゃぐしゃになっている。
ショートボブのすっきりとした髪型や、線の細い綺麗な顔立ちには似合わない泣き顔だった。
「美咲ちゃん……」
秋乃も、泣き続ける美咲につられ、涙目になっていた。
混じりけのない美咲の気持ちは、秋乃だけでなく洋平にも夏弥にも響いていた。
大人になるにつれ、四人以外との交流が増えるにつれ、幼馴染という関係性はどうしたって希薄になると。四人全員が、うっすらと気が付いていたことだ。
(美咲のやつ、偉いな……。ちゃんと自分の気持ちも伝えて……)
夏弥は心の中で美咲を褒めていた。
涙が出てもいい。ぐしゃぐしゃになってても、声が震えててもいい。
それがどんなに不格好でも、あたしはあなた達に伝えたかったんだ。
……と、美咲のその気持ちが、ちゃんと夏弥をはじめ三人には届いていた。
(もしかすると……、いや、もしかしなくても、百合さんの言ってたことって、こういうことなんだよなきっと……)
夏弥は胸が締め付けられる想いだった。
目の前で涙をぬぐう美咲の姿に、百合のセリフがチラついて仕方ない。
――――仲良くすることだけが、仲良しじゃないんだよ夏弥。
結局、その日彼らは夕方頃に解散したのだった。




