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5-12


「なつ兄~? 美咲ちゃーん?」


 ドンドンドン。ドンドンドン。

 ドンドンドンドン、ドンドンドン。


 201室の玄関ドアを丁寧に、しかし確実に叩き続ける秋乃。

 たまにインターホンも鳴らし、何度か声も出して呼んでみる。


 秋乃はパーカーにジーンズ姿という動きやすそうな服装で、両肩には大きめのリュックサックを背負っていた。


 事情を知らない者が見れば、そのままヒッチハイクの旅にでも出掛けるのではというちである。


 がしかし、今日の予定はヒッチハイクではなく、幼馴染四人で特殊メイクのリハーサル。


 秋乃にとって、これほどワクワクするリアルイベントも珍しい。

 数年の間、めっきり絡むことも減っていた四人が、今日正式に再結集。となれば、その感情に羽根が生えたり浮足立つのもうなずける。


「うむ。無反応か。……もしかして、なつ兄こそ二度寝してんじゃないよね? 私は我慢してきたのに」


 音沙汰のない鈴川家のアパート。

 秋乃は立ちふさがる目の前の玄関ドアに対して、やや不満そうに頬を膨らます。


 すると、


「っはぁ……秋乃、三・三・七拍子でドアを叩くなよ……。朝から近所迷惑になるだろ? ……ふぅ」


 ゆっくりと玄関のドアが開けられ、そこに夏弥が現れる。

 肩で息をし、焦りで汗もかいているようだった。


 秋乃には想像できないだろうけれど、夏弥は数分前まで可憐な美少女JK・美咲のかわいい双丘を登ろうとしていたばかりである。

 彼は登山家の責務を心半ばに諦め、妹の襲来に迅速な対応をとった、いわば紳士そのものだった。


「おはよう、なつ兄。出てくるの遅いよ~。てかどうしたの? すごい乱れてるけど……?」


「いや、いいんだ。俺のことは気にするな……。てか結構な大荷物だな……? 大丈夫?」


「ん? ああ、これね。今日、いろんなことを試せると思ったら気合がみなぎってきちゃってさ~♪ だってオバケの特殊メイクだよ? 非科学的なものって、いないとわかっててもなんだか心惹かれない?」


「そういうものにワクワクする人がいるのはわかるよ。俺はそこまで惹かれないけどな」


「未知なる存在に、人は魅了される生き物だからね。幽霊とかクリーチャーとか。わかる人にはわかるって信じてるよ私は!」


「そうか。……まぁ、楽しそうで何よりだけど。…………あれ? そういえば秋乃一人なのか。洋平は?」


 夏弥は秋乃を家に招き入れつつ、その後ろに居るはずの洋平が居ないことに疑問を抱く。


「んー? ああ、洋平なら買いたいものがあるとかで、途中で別れちゃったんだよね。たぶんすぐ戻ってくるよ」


「ふぅーん……。そうか」


(洋平のことだ。きっと昨日の『濃厚ふわとろたまったまご』みたいな差し入れか、何か特殊メイクで使えそうなものでも買ってるのかもしれないな)


 それから、秋乃をリビングへと通す。

 リビングには美咲がおらず、少し手をつけた朝食がローテーブルの上に置いてあるだけだった。


「美咲ちゃんはまだ寝てるの?」


 秋乃は夏弥へ質問をしながら、その背負っていたリュックサックを下ろし、ソファの脇に寄せる。


「いや、さっきまでリビングに居たんだけどな。部屋に戻ったらしい」


 夏弥の言葉に嘘はない。

 美咲は、秋乃の声が聞こえて間もなく、慌てて自室へと逃げ込んだのだ。


 夏弥と恋人らしい行為に及んでいたせいで、反射的に秋乃と顔を合わせづらいと感じていたのかもしれない。


「ていうかモデルルームみたいに綺麗な部屋だね……あっ、朝ごはん美味しそう! いいなぁ……サラダとピザパン?」


 リビングを見渡したあと、秋乃はローテーブルの朝食に目を輝かせた。

 それからパーカー越しに腹部をさすり、夏弥に物欲しそうな面持ちを見せる。


「……朝ごはん食べてないのか?」


 その問いにコクンッ、と無言で首肯する妹。


「なんで食べてないんだ? 時間には余裕あったんじゃないのかよ……?」


「いや~、家に居た時はおなか空いてなくってさぁ。……ねぇ、たまには私もなつ兄のご飯食べたいんだけど」


「俺のご飯? いいけど、出来るまでちょっと時間かかるぞ」


「それでもいい!」


「わかった。まぁちょっと座って待っててよ」


「ありがとう。なつ兄はこっちでも相変わらず炎の料理人だね☆」


「パンを焼くのは俺じゃなくてオーブントースターだけどな」


 それから、夏弥は秋乃にもピザパン風の食パンをふるまってあげた。


 自分と美咲が口にしていたものと同じ料理だ。

 食パンにケチャップを塗って、チーズを散らしてトースターへ。

 本来ならここにベーコンやタマネギ、バジルなどを加えればもっと美味しいのだろうけれど。


 なんてことないその朝食を、秋乃はとても美味しそうに、嬉しそうに食べるのだった。



 ◇


「秋乃、もう来てたんだね。おはよ」


「おはよー。お邪魔してます美咲ちゃん!」


 リビングのソファで寛いでいた秋乃の前に、美咲が自室から現れる。


 寝巻きから部屋着に着替えていたらしい。

 長袖のシャツに、こちらも秋乃と同じくジーンズ姿。ひとたび腕まくりをすれば、すぐにでも特殊メイクのリハに取り掛かれそうな格好だった。


 夏弥は隣のキッチンで洗い物をこなしつつ、リビングで会話する妹達の様子を気にしていた。


「アイツ来てないっぽいけど、もう始める感じ?」と美咲がリビングを見回して一言。


「準備だけしとこうかなぁ。洋平ももうちょっとで来ると思うからさ! 美咲ちゃんの持ってる化粧品とか、実はちょっと気になってたんだけど、今出せる?」


 ソファに腰掛けていた秋乃は、脇に置いていたリュックサックを自分の膝に乗せる。

 そうしてガサゴソと中の荷物を物色しているようだった。


「うん、いいよ。ちょっと待ってて?」


 美咲はそう言って、また自分の部屋へと踵を返す。

 自分の持っている化粧品の中で、差し当たり特殊メイクに役立てそうなものを見繕う。


 これは昨日、特殊メイクのリハが決まった時点で、美咲がなんとなく考えていたことでもあった。



 ところで、女子高生の化粧事情というものは、きわめて個人差が見受けられるものだ。


 自分の顔面にどこまで化粧をほどこすのか、という「線引き」の個人差もあるし、限られたおこづかいやアルバイト代からどれだけ費用を捻出するのか、という「予算」にも個人差がある。


 そもそも女子高生であれば、「化粧自体まだいらなくない?」と認識している子もいるし、親御さんが「若いからまだいいわよ」といって購入を控えさせるパターンもあったりなかったり。


 こうしたことから、女子高生であろうとコスメにおける「強者」と「弱者」は存在する。


 長年一緒につるんできたズッ友ならばいざ知らず、数年来の幼馴染みともなればそのカルチャーショックはフタを開けてみなければわからないのが実情である。


「うーん……色々持ってきたけど、結局使うの限られそうだなぁ……」


 秋乃はうんうん懊悩おうのうし、リュックから様々なお化粧グッズを取り出してみる。


 買ったまま眠っていた、いつぞやのファンデーション。

 中学三年の時、興味本位で使い夏弥に笑われた口紅。

 一縷いちるの望みをかけて試しに買ってみたヘアアイロン。(※こちらは、秋乃の髪の毛がクセ毛過ぎて、掛けてみたらクセが悪化としたという悲しい事件もあった)


 テーブルの上に出してみると、こうしたイヤな思い出もセットで蘇ってくる。


「うわ……ある程度予想してたけど、なんかメンタル削れるなぁ……。ていうか特殊メイクにヘアアイロンいる?」


 ぼやきつつ、秋乃がその他何点かの化粧用品や道具を並べていると、


「ん? どうした秋乃。珍しく顔色悪いぞ?」


 洗い物を終えた夏弥がリビングへとやってきていた。


「ああ……いや、なつ兄には関係ない……。言うなれば、只今絶賛コスメティックブルー……」


「コスメティックブルー……?」


 聞き慣れない秋乃の造語に、夏弥ははてなを浮かべるしかなかった。

 おそらくマリッジブルーやマタニティブルー的な意味合いなのだろう。

 さっきまでの威勢はどこへ行ったのか。


「でも秋乃って、意外と化粧品持ってたんだな。そういうの、一切関心ないと思ってたから俺には驚きだわ」


「ま、まぁね? 私も普段使わないもの掻き集めてみたら、思いのほか出てきてびっくりしてるからね! あはは……は」


 苦笑いする秋乃と、なんとも言えない顔で窓際のベッドに座る夏弥。

 そんな藤堂兄妹のやり取りに、お隣の部屋の主・ルッキズムの頂点たる美咲が現れる。


 現れた美咲は、その手に化粧品の入ったポーチを持っていて、


「ねぇ秋乃。とりあえずあたしも使えそうなものまとめてみたんだけど、もうテーブルに並べておいていい?」


「うん」


「よし。それじゃ、まずファンデとフェイスパウダーと……それとアイメイクの道具。あ、リップはとりあえず口紅あればいいよね……?」


 美咲は、ポーチの中からこまごまとした化粧用品を次々に取り出していく。


「うわっ、美咲ちゃんの化粧用品、数多いね⁉」

「すごい数だな」


 夏弥と秋乃が、その化粧品の数の多さに驚嘆の声をあげる。

 まあ出るわ出るわ、これぞ多感な現役女子高生の持ち物。


 許容量もさほど多くないだろうそのポーチから、夏弥と秋乃があっけにとられるほどの数が出てくる。


「数は普通くらいじゃない? あたし、普段ナチュラルメイクだから、舞台用の白粉おしろいとかそういうの持ってないし。おばけの特殊メイクならたぶん白粉必須なんだろうけど……秋乃、今日はリハだし大丈夫だよね?」


「うん、大丈夫……というか、ファンデーションだけでこんなにあるんだ……。わ、口紅だけでも三本あるし…………スゴイ。美咲ちゃん、すごすごの実の能力者だったのか」


 秋乃はやつれた顔で真っ白になっていた。

 目からハイライトが失われているような気がしないでもない。

 口から魂が抜け出ているような気がしないでもない。

 きっと女の子としての何かが傷付いたのだろう。


「お、おい秋乃、大丈夫か……?」


「なつ兄……わたしゃもうダメだよ……。うう。つらい現実に、心がゴリゴリと削られる。……もうちょいで天使たちがラッパを吹きながら空から舞い降りてくるんだよきっと。……ガハッ」


「お、おい⁉」


 秋乃は胸の辺りを抑え、夏弥のいるベッド側に倒れそうになった。

 そんなグロッキーな秋乃を、夏弥は咄嗟に抱きかかえる。


「死ぬな秋乃⁉ おい⁉ お前、特殊メイク係はどうした⁉ せめて特殊メイクが終わってから死んでくれ!」


 それはそれでどうなのだろう。


「特殊メイクは……そこにいる美咲ちゃんに任せた。…………クラス違うけどね。――ぐふっ」


「秋乃ぉぉぉぉ‼」


 夏弥は迫真の演技で妹の名前を叫んだ。

 美咲はこの茶番劇を、気まずい笑みでやり過ごすしかなかった。


 藤堂秋乃、十六歳。お兄ちゃんの腕のなかで死す。

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