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5-11

 ◇


 土曜日の朝。

 期待を裏切らないくもり時々晴れ。


 間もなく十月の寒空に切り替わろうという外の空気感は、リビングの窓越しにもちゃんと伝わってきていた。


 夏弥は室内干しにしていた自分の衣類をリビングで畳んだあと、誰に言われるでもなく朝食を作っているところだった。


 家事をこなすルーティンワークは、この鈴川家201号室に来てからそれほどブレることがなかった。


 炊事も、洗濯も、掃除も。

 一定量の仕事を、一定の時間で規則的に終わらせる。


 料理も夏弥自身のレパートリーから引き出すだけで、大して時間を要さない。


 同居人かつ恋人である美咲が、夏弥にばかり作らせていることへの後ろめたさから、「あたしもごはん作る」と言ったことがあったけれど、それも結局は彼女の気が向いた時でなければ起こりえない話だった。


 美咲は自炊の経験以前に、自炊の「習慣」というものが身に付いていない人だ。


(朝起きて料理作るのなんて、一人いれば十分だしな。俺自身は一人暮らしの時から習慣化してたから、それが二人分になったくらいで不満もないし。……てか、いつも作ってて思うけど、美咲の好き嫌いが少なくて本当によかったよなぁ)


 ちゃっちゃと朝食の用意を進める。


 コーヒーのために電気ポットのコンセントを入れる。

 食パンにケチャップを塗って、チーズを散らして、オーブントースターに入れて。

 茹でてある鶏肉にレタスなどの野菜をあわせ、ドレッシングで和えていく。


 もうここまで用意できれば朝食は完成だ。


 一人暮らしの時であれば、食パンかサラダか、どちらか片方を気分で作り、それきりだったかもしれない。


 夏弥の中にも当然、料理をめんどくさいと感じるような日はそこそこあるのだけれど、現在は同居する美咲のためにも横着してはいけないという自戒の気持ちがあった。


(美咲が美味しそうに食べてくれると、もうそれだけで一日満たされた感じあるしな……。早く起きてこないかな……)


 夏弥が美咲の食事シーンを想像していると、そこへ思わぬラインメッセージが送られてくる。


『今日何時くらいに行けばいい?』


 連絡をしてきたのは、意外にも秋乃だった。


(あれ?)


 夏弥は妙な違和感を覚えた。

 今日はもともと、洋平と秋乃がこの201号室へ遊びにくる予定である。


 秋乃のクラス出し物・おばけ屋敷の特殊メイクリハーサルということで、その約束は昨日の時点で交わしていたものだけれど――――


(それにしても、時間早いな?)


 夏弥が感じた違和感の正体は、そのラインの送られてきた時間帯だった。


 ラインのトーク画面を開いたまま、スマホ画面左上の時刻表示に目を向ける。


『7:30』


 ふむふむなるほど、これは朝と呼ぶにふさわしい時刻。

 秋の雲が朝日にチリチリと焼けて、東の空が明るい黄金色に色づいたりしている頃だ。


 土曜日で学校はお休み。加えて秋乃はアルバイトをしているわけでもないし、彼女は昼夜逆転じがちな自堕落ゲーマーでもある。

 間違っても元気なモーニングハローをさえずれるタイプじゃない。


「ひょっとして、今日はひょうでも降るのか……?」


 奇妙なできごともあるものだ。

 そう感じて、夏弥は頭の中で今日のお天気模様を妄想してみる。

 いやいや、あるわけがない。雹なんて。

 そして思うまま秋乃へ返信を送る。


『俺はいつでもいい。ていうか、秋乃にしてはしっかり起きれたんだな。今日学校休みなんだけど?』


『へっへっへ。私も起きれそうにないと思ってたから、いっそ寝ない選択肢をとったんだよ』


(……やっぱりな。そうかなとも思ってたから、大して驚かないが)


『寝てないのはわかった。だが理由はどうせゲームだろ? 白状しなさい』


『わ! バレてる!』


 夏弥は額に手を当てて、首を横にふった。

 休日の過ごし方にわざわざ口出しするつもりはない。


 それに実際問題、秋乃が今回の特殊メイクリハーサルに寝坊してこない一番確実な方法は、この徹夜作戦以外ないだろう。

 であれば、彼女の判断は賢明である。


 夏弥はその事情を踏まえた上で、


『来る前にうっかり寝るなよ』


 その忠告メッセージを一通だけ送ったのだった。



 ◇



「ふぅん……。秋乃がね。てか、秋乃ってそもそもいつも何時くらいに寝てるの?」


 美咲は夏弥が用意してくれた朝食・鶏肉と野菜のサラダにお箸を入れつつ、そう尋ねていた。


 まだ服装は寝巻きのままだけれど、髪の毛はとかし終えてあって、顔もしゃんとしているようだった。


「俺の覚えてる限りだと、次の日の学校が休みなら平気で朝の五時くらいまで起きてる」


「えぇ……。それマジ?」


「マジ。……けど夜ふかしくらい、美咲だってするんじゃないのか? ガールズトークで時間が過ぎるのも忘れてたとか。好きなライブ配信見てて遅くなったとか」


「いや、あたしはそういうの無いし。フツーに日付変わる前に寝るけど? 夜ふかしとか美容の天敵なの、常識でしょ」


「そうですか……。あ、そういえば美咲。この食パンいる? まだ俺の分しか焼いてなかったんだけど。食べるなら作るぞ」


「あ、うん。食べよっかな?」


 夏弥は美咲の空腹メーターを推し量り、そのように伺いを立てる。


 食パンは焼きたてが一番おいしいのだ。

 美咲が起きてこの食卓に着くその時まで、彼は作るのを少々我慢していた節があった。


 また、美咲の胃袋はとても気まぐれで、毎日同じ量を食べれば良いというわけではない。

 何も食べたくない時もあれば、カフェオレだけでいいなんて日もあるため、確認はとても大切である。


 夏弥はキッチンで拵えていたパンをオーブントースターにかけ、十分に焼けたものを美咲に出した。


「はい、ちょっとピザパン風」


「わぁ……めっちゃ良いニオイなんだけど」


「ふふっ……そうだろう、そうだろう。簡単だけど美味しいしな。さらにお好みでマヨネーズとかタバスコをかけてもグッド」


 夏弥が親指を立ててみせると、美咲はそのピザパン風を早速ひと口食べてから「うんうん」と同意を示してみせるのだった。


 食べだして早々、彼女の口元にはケチャップソースがついていた。

 そのせいであどけなく見えていたからなのか、夏弥はもう少しだけ美咲のお世話をしたくなってしまう。


「の、飲み物いるか? あったかいカフェオレとか……ガムシロ入りの牛乳?」


「カフェオレ飲みたいんだけど……」


「OK」


 まさに美咲にとって至れり尽くせりだった。


 自分が動かずとも夏弥が動いてくれる。

 あれ食べたいこれ飲みたい、に応じてくれる。


 素直に自分の欲求を叶えてくれる彼氏の存在ほど、ありがたいものはない。


 ――が、しかし、ここまで満たされると、かえって妙な不安を覚えてしまうのも事実としてあって。


「夏弥さん……」


「んー?」


 夏弥がキッチンでカフェオレを用意し、手元のカップにコポポポ……とお湯を注いでいると。


「今日は特にやさしいね」


「え? そうか?」


「うん。なんとなく、今日は一段とやさしいなって思ったんだけど。あたしの気のせい?」


「気のせいじゃないか?」


「本当?」


 夏弥は本心から、この朝食を作ることや、美咲のお世話をすることにちょっとした愉悦を覚えつつあった。


 好きな人の、好きな時間を作り上げること。

 むしろ、こうした行為は少し自己満的とさえ思っていたのだけれど。


「本当だよ? 俺が作ったものを美咲が食べて、それを美味しいって思ってくれたら……なんかそういうのって、こう、やっぱり胸に来るっていうか……。嬉しくなっちゃって、余計に美咲のこと……」


 夏弥は作ったカフェオレを美咲の前のテーブルに置き、恥ずかしそうにそう伝える。


「夏弥さん……」


 ソファに腰かけていた美咲も、その気持ちはとてもよくわかる気がした。

 美咲も、妄想とはいえそのシチュエーションを思い浮かべたことがあるからだ。


 思い出すだけで高揚する。

 心が楽しい音を鳴らす。

 美咲は手に持っていた食べ掛けのピザパン風を皿に戻し、彼の顔を見つめていた。


「ねぇ」


「……なんだよ?」



「……いま、ちょっと…………この()()()()()()()()けど……」


「っ!」


 美咲はきれいなその顔をあかね色に染めて、指をもじもじさせている。


 視線はパンの方へ行ったり、置いたばかりのカフェオレへ行ったりしていて。


 とても落ち着かない様子なのは、夏弥への気持ちが溢れてしまいそうだから。


「何の心配してんだよ……。美味しく作ったし……パンの味がしたって問題ないに決まってるだろ」


「~~っ!」


 夏弥も心臓の鼓動が速まって仕方なかった。


 朝から、こんな目も覚めてしまうような流れ。恋人と愛を確かめ合うことに、適切な時間帯なんてないのかもしれない。そう思えてしまうくらい、いつの間にか朝からアツアツな空気が二人の間には生まれていて。


「ねぇ……こっち。……来てよ」


「……」



 促されるまま夏弥が近づくと、美咲は彼の手をとって、さらに近くへ近くへと引き寄せる。


 彼女の座っているモスグリーンのソファに、夏弥も横に並んで座る。


「……んっ」


「…………んぅ」


 座ってすぐのこと。

 抑えきれない思いのまま、ゆっくりとキスをする。


 腕を回して、口から漏れる小さな音と息が、二人に甘い雰囲気を与えていった。


 大人顔負け。

 胸焼けしそうなくらい濃くて、熱くて、やめられそうにない二人に、きっと世の大人達は怒ってしまうはずである。



「なぁ美咲……いつ秋乃達が来るかわからないし……あんまり激しいと……」


「ふふっ……なぁに? 激しいと……どうなるっていうの?」


「~~っ」


 知ってて訊いている。知ってて訊いている。

 夏弥は頭の中で何度も美咲のあざとさを呪った。


 キスが激しければ、当然彼女の身体にももっと触れていたくなる。


 キスのために顔に手を添えていたけれど、このまま首まで手を下ろしたい。

 鎖骨に滑らせて、谷間にもぐしてしまいたい。


 そういう、クラクラ来る肌の絡み方を求めてしまうわけで。


「茶化すなよ。……これ以上進んだらまずいだろ」


「そうだね。……すっごくまずいね」


 美咲はその余裕のありそうな目元を細め、ペテン師のように微笑んでみせる。

 彼女は決して、これっぽっちも悪びれてなどいないのだ。


 ああ、ここに男心をもてあそぶ非情なモンスターがいる。

 かわいくて、綺麗で、それでいてちょっぴりエッ〇な、ちょっぴりいじわるな女の子。


 夏弥の頭を悩ませるその主は、いつだってこんな窮地に彼を追いやって、そのすべてが自分の手のひらの上にあるのだという風に笑ってみせる。


「まずいって言いながら……俺の手、繋いできてるけど……?」


「ぁ……これ……まずい奴じゃん。……まずいね」


 美咲は夏弥の問題提起に、ちゃんと答えるつもりもないようだった。

 夏弥の指の間に、美咲の指先がするんと入ってくる。


 夏弥の顔を上目遣いでちらりと一目見て、さらに美咲はこう続ける。


「まずいけど…………こういうのも……悪くないと思うから」


「……それもそうだな」


 もういけない子。

 夏弥は美咲のやわらかくて形のいいおっぱいに、服の上から触れてみる。


 何度も越えたその一線を、またここで越えようとする。

 そうして恋愛一色の空気に二人が押し流されてしまいそうになった――――


 その時だった。



「なつ兄~?」


「「っ⁉」」


 201号室の玄関の向こうから、こもり気味な秋乃の声が聞こえてきたのだった。

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