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「え?」
「美咲さん?」
美咲のアイデアに、洋平も夏弥も思案顔を浮かべ「……」と脳内で三点リーダーを打ち始めた。その時だった。
「それだぁぁぁぁ‼」
「うわっ⁉」
「なんだ⁉」
突如あげられた叫び声に、お兄ちゃんズは肩をすくませる。
無論、奇声の主は秋乃だった。
ベンチから腰を浮かし、興奮気味にビシッと美咲に指を差す。
「それだよ、それ! メイクの練習! 文化祭のためにも良い案だと思う!」
「良い案だってことはわかったけど、急に奇声あげるんじゃねぇよ……。心臓止まるかと思ったわ。……じゃあとりあえず明日、土曜日は特殊メイクリハーサルってことで決まりか」
と、胸をなでおろしながら夏弥は話を進める。
「……あ、でも三人とも、なんかごめんね? 私の都合に付き合ってもらうなんて」
秋乃は自分のパーマヘアをもしゅもしゅと触り、申し訳なさそうにしていた。
「気にしなくていいよ、秋乃。でも特殊メイクって具体的に何使うの……? あたしも詳しくないからわからないけど、化粧用品とか、そういう普通のメイク道具も使ったりするんだ?」
「まぁ特殊って言っても「おばけ役」のメイクだからねぇー。クラスの予算内で買うんだけど、一応プチプラでメイク道具揃えよっかって話にはなっててさ。明日は私の持ってるお化粧道具も総動員させてあれこれ試すって感じで十分かな? 男子の顔にメイクするのも慣れておかないとだしねぇ~」
「そっか。確かに、女子と男子で化粧のノリとか結構違うだろうし、ちゃんと実際にメイクしてみないと見えてこない問題とかあるだろうしね。あたし、これ適当に提案したんだけど、案外ベストな選択肢だったっぽい?」
「うん! かなり良き!」
美咲と秋乃は身を乗り出して会話を弾ませていた。
ぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃ。
思いのほか、この二人でもしっかりガールズトークできていることに、夏弥は感動すら覚えそうだった。何しろあの秋乃だ。
「おぉ……秋乃が……秋乃が美咲と女の子らしい会話を……うっう……ブレザーの袖が涙で濡れるわ」
「なに涙ぐんでんの、なつ兄。てかさ、さっきからなつ兄が手に持ってるそれって……?」
「ん? ああ、これか? 『濃厚ふわとろたまったまご』だ」
「うそぉ⁉ あの幻の⁉」
「洋平からの差し入れだぞ。みんなで一切れずつ食べようってことで、買ってきてくれたんだ。お前の分もあるから安心しろ。……ほれっ」
夏弥はベンチから立ち上がり、手に持っていたたまごサンドのパックを秋乃に渡す。
受け取った秋乃は、隣に座っている洋平に速攻で頭をさげた。
「ありがとう洋平! このチョイスははっきり言って神」
「いいって。夏弥からラインが送られてきた時、どうせお昼を一緒に食べるなら何か買っていこうかなって思ってたんだ」
「さすがだな、洋平」
夏弥は洋平の気遣いに少しだけ安心した。
どのような出来事があっても、やっぱり兄妹という繋がりは切っても切れないものだ。みんなで一切れずつ食べる『たまごサンド』を買ってきたことが、その証拠であるようにも思えて仕方なかった。
「はい。それじゃ、洋平も一切れ取りなよ」
「ん? ああ、そうだな」
秋乃から渡されたパックを開け、今度は洋平がその中から『濃厚ふわとろたまったまご』を一切れだけ、つかみ取る。
夏弥、秋乃、そして洋平の三人が一切れずつ取り出したことで、パックの中身は四分の一だけ残される結果となっていた。
残すは、美咲の分の一切れだけだ。
「は、はいよ。……最後、美咲の分」
洋平は少し緊張しつつ、美咲の前にたまごサンドの入ったパックを差し出す。
別々に座っていたベンチからベンチへ。兄から妹へ。
橋でも架けるみたいにして、その腕をぐっと伸ばしていた。
「…………」
美咲は無言のまま、目の前に差し出されたそのパックを見つめ、どこか不服そうにも見える態度で受け取った。
お昼の平穏なひと時の中、美咲と洋平、ひいては四人のいるこの空間だけが、少しだけいびつな雰囲気をまとっているようだった。
「……」
「……」
鈴川兄妹の不器用なこのやり取りを、夏弥と秋乃は両脇からじっと眺めていて。
(がんばれ美咲。……洋平はもう、お前が毛嫌いしていた頃の洋平じゃないんだ。昔みたいに小さなことでやんやと罵りあったり、困ったときには助け合ったりすることだってできるはずなんだ。……厳しいかもしれないが、洋平を信じてあげてくれ)
夏弥は心の中で美咲を応援していた。
これはもう、祈っていた、と言ってもいい。
素直じゃない彼女の性格を、夏弥は十分に理解している。
それは、これまでに何度も夏弥自身が体験してきた出来事に由来していて。
(思ってることとか感じてることを、美咲は飾らずに話せないんだってことはわかってる。付き合っていく中で、ようやく俺は美咲の本心を聞けるようになったけど、それだってまだ時々上辺だけの言葉だったりするし)
そう。
美咲は素直じゃないのだ。
だからここで、美咲が何も取り繕わずに本音のまま喜ぶのかというと、それは甚だ疑問というもので。
「これいくらだった? 一切れ分のお金払うけど」
「……」
その口から漏れたのは事務的で、形式的な会話。
案の定、美咲は洋平に対してツンと冷めた対応をとってしまうのだった。
「ああ、値段な……。ひとパックで二百円だから、一切れ五十円ってとこかな……」
五十円。
洋平は落胆にも似た様子で、厳密なその値段を答えるしかなかった。
(くぅ……ダメか、美咲。……俺も、そんな簡単にお前と洋平の関係を修復できるとも思ってないけどさ……)
はぁ、と一つ夏弥からため息が漏れ出る。
この、美男美女兄妹の行く末が思いやられてしまう。
(美咲がその鉄仮面を洋平の前で脱ぎ去ってくれれば、状況は一気に好転してくれるはずなんだけどなぁ……)
さてそんな肩を落とす夏弥に、横からこしょこしょと囁き声が聞こえてくる。
その声は、今しがた冷めた対応をとっていた張本人、美咲の声だった。
「夏弥さん……あとで洋平にお礼言っておいて?」
「……。いや、今ここで言いなよ……」
どうにもこうにも、この美少女JKときたら。
夏弥は本日この日を持って、やれやれ系主人公に転向することを心に誓うのだった。
◇
その昼休み中、美咲からのこしょこしょ話は続行アンド勃発していた。
彼女と一つのベンチで相席となったことが、藤堂夏弥の運の尽きだった。
美咲は、洋平と秋乃のやり取り次第によっては、何度夏弥の耳元でないしょのつぶやきをしてみせるかわからなかった。
「このたまごサンドってほんとに二個しか売ってないんでしょ? 洋平、よく買えたよねぇ~」
「あはは。これでも元サッカー部だからな。人だかりをスルスル抜けていくドリブルさばきに自信があったし。俺にとっちゃこのくらい余裕なんだ」
サッカー部のエースストライカーとて、そんな特殊能力は持ち合わせていないはずであるが。
こんなふざけた会話のとき、彼の妹の美咲はというと。
「……そこまで無理して買わなくてもよかったのに……ってあとで洋平に言っておいて?」
「……。……はぁ」
美咲のその囁き声に、肩を落とし嘆息する夏弥。
一瞬、彼女の色香に思わず心が弾みそうになるけれど、直後もどかしい気持ちが押し寄せてきてしまう。
美咲の美しい声色をゼロ距離で聞かされることはご褒美的で、なんだかそっちの意味で需要はありそうなのだけれども。
にしても、だ。
さほど離れてもいない隣のベンチ。
そこに座る洋平へのセリフを、わざわざ夏弥へ預け、伝言板として機能してもらおうというこの手段。
いくらなんでも間接的がすぎる。二段階右折もかくやという遠回りなやり方だ。
「美咲。ちょいちょい」
「え?」
今度は夏弥から美咲に耳打ちをする。
口元に手を添えて。
「そのくらいは自分で言えよ……?」
「夏弥さん、あたしの手助けしてくれるって話じゃなかった?」
「や、確かにそうなんだけどさ……なんか俺の想像してた手助けとはシステムが違うねんて」
「ぷっ……なんでいきなり関西弁だし。コソコソ話してる時に笑わせにこないでよね? バレるじゃん」
「……」
……。
さて、まだ洋平と秋乃の陽気な会話は続いており、美咲と夏弥もその会話に聞き耳を立てていた。
「あ、そういえば文化祭っていえばさ、洋平となつ兄のクラスは何の出し物するのー? てか、もう決めてる?」
「出し物なー。具体的にコレっていうのはまだ未定だけど、とりあえず飲食店がいいんじゃないかって話にはなってる。実行委員の間で」
「へぇ~! てかそれなら、なつ兄大抜擢だね! 普段料理してるから、じゃんじゃん料理作って活躍してくれるはず!」
秋乃が夏弥の名前を出すと、それを耳にしていた美咲はこんなことを耳打ちしてきて。
「……。あたしも、夏弥さんが活躍してくれたら……それはすごく嬉しいから。……よろしく」
(~~っ‼)
こしょこしょもーど全開。
何を言いだすのかと思えば、今度は夏弥に対するただのデレだった。
また洋平への伝言かと思っていた夏弥は、急にしおらしい想いを打ち明けだしてきた美咲にきゅんきゅんしちゃって止まらない。
「――――でもはっきり言って、うちのクラスで料理したがるメンツが少なすぎるんだよな。大体みんな給仕のほうやりたがるっていう」
「ん? それなら、なつ兄がみんなにレクチャーすればいいんじゃない?」
「おっ。なるほどな? それはとても興味深いな。夏弥先生に調理実習の指導をつけてもらおうって話か」
洋平と秋乃は、隣の夏弥達をよそに建設的な会話を繰り広げているようだった。悪ノリ的ともいう。
「おい聞こえてんだけど? 俺そんな料理教室みたいなこと出来ないからな⁉ 第一、料理をレクチャーしたところで、クラスの連中が料理したがるかどうかは話が別だろ……」
夏弥は向こうのベンチで無責任にあがる自分の名前に反応した。
危うく調理実習の特別講師として、二年一組に馳せ参じることになりそうだった。