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5-05

 それからほどなくして百合は、


「ご飯も食べたし、もう家に帰るね」と言い出し、鈴川家201号室をあとにした。


 百合が去り際に「あとはお若い二人でごゆっくり♡」という、いくらなんでもテンプレすぎる捨て台詞を吐いていかなかったのは、ちょっとした幸運だった。


 夏弥はリビングのローテーブルに残されていた食器類を片付けつつ、百合の言葉を頭のなかで巡らせていた。



 ――仲良くすることだけが、仲良しじゃないんだよ夏弥。


(どういう意味だ……? 仲良くしてるから、仲良しなんだろ? あ、ダメだ。なんか意味がゲシュタルト崩壊してきそうだわ)


 固くしぼった布巾で、ローテーブルを拭きながら考える。


(てか、こういうのは結局のところ、部外者がどうこうできる話じゃないんだよ。本人達にその意志がなけりゃやっぱり全部無駄骨に終わるんだ)


 キッチンの流し台へ行き、洗い物を済ませていると、脱衣室からドライヤーの音が響いてくる。


(上がったな、美咲)


 それは美咲が入浴を終えた合図だった。

 短いボブカットのため、美咲は割といつも早めに髪を乾かし終える。

 髪を梳かしたり保湿液を塗ったりなどしても、かかる時間は大体三十分かその程度である。


 夏弥はテキパキと洗い物を済ませると、リビングの窓際のベッドへとダイブした。


 ぼふんっ。と気持ち良い音がして、そのままナマコにでもなりたい気分だった。

 夏弥は寝そべったまま、Youtubeの動画を視聴する。


「お。ずとまよの新曲きてる。はえーな」


 ずっと迷ってればいいのに。が新曲をあげていたらしく、夏弥は動画をタップしようかどうか迷っていた。


(お風呂のあとでゆっくり聴く……?)


 どうせ中毒曲。一度聴いてはい終了、となればいいのだけれど、そうもいかないのが実情だろう。なにしろ、かの『ずとまよ』である。


 界隈からはその中毒性を評され、ずっと聴いてればいいのに。なんて尊称まで飛び交う始末だ。


 コンスタントに制作されているにも関わらず、クオリティは軒並みモンスター級。


『抹茶ラテ』の際もそうであったが、楽曲にしゃしゃり出てくるなんてことない日常のワンアイテムが、なぜかリスナーを魅了してやまない。


 ちなみに首都圏のほうでは、『抹茶ラテ』の楽曲発表以後、約一か月のあいだ抹茶ラテがアホほど売れたという社会現象が起きていたらしい。


(いや、やっぱり時間に余裕がないとダメだな。聴き足りないままお風呂に入ったら禁断症状が出るぞ絶対)


 夏弥は新曲の中毒性におののいて、画面を閉じることにした。

 すると、その直後に偶然ラインが一通送られてくる。


 送り主は夏弥の幼馴染み、鈴川洋平だった。


『夏弥。そろそろ決めた? 俺がお前に返さないといけない借りの件』


 内容は、以前化学準備室で喧嘩した際生まれた貸し借りの話だった。


 勢いとはいえ、洋平は夏弥の前で彼の父親をバッシングしてしまった。それ自体は確かにバッシングされて然るべきものだったとしても、タイミングが芳しくなかった。あの喧嘩の現場で、追加攻撃のように言い放ったことはいただけない。


 夏弥と洋平はそれを『三つの貸し』でチャラにしようという話になったのである。


 あの喧嘩からもう何日も経っていたけれど、夏弥はその内容を未だに決められずにいた。


『いや、まだだ。ちょっと方向性は見えてるんだけどな』


『方向性。どういう感じの……ベクトルですか?』

 ラインのトーク画面に、道路標識のような矢印スタンプが送られてくる。


『お前と美咲とのことだよ。もうなんとなくわかるだろ、これで』


『あ~、そういう感じ』


 話が早いのか、洋平はすでに夏弥の言いたいことを察したらしい。


(美咲の気持ちが少しでもあれば、俺も何か手を打てそうなんだけどな)


 夏弥は美咲の気持ちを今ひとつ掴めずにいた。

 ベッドに寝そべっていた体勢から、なんとなくごろごろ左右に転がったりしていると、


「夏弥さん、お風呂入らないの?」


 いつの間にか美咲が脱衣室から出てきていた。

 ダボついたパステルカラーのパジャマは、美咲をかわいい系に仕立て上げているみたいであざといったらない。


「ああ。すぐ入るよ」


「……。そういえばシャンプーがもう少しで切れそうだったから、明日買わないと」


「シャンプーって、あの桃の香りのするやつ?」


「そ。ピンクと黒の小悪魔カラーボトル」


(自分で小悪魔カラーとか言っちゃうんだな……。でもそういう商品PRだったんだろうか)


 美咲は乾かしたばかりの自分の髪をふわりと触り、リビングのソファに座った。


「てか、明日も一緒に帰るなら美咲もスーパーに寄るんだろ? だったらその場でまた言ってくれたほうが忘れないと思うんだけど」


「それはそうだけど、あたし自身明日の夕方にはもう忘れちゃってる可能性あるじゃん。だから、今のうちに伝えておいたほうがよくない? って思って」


「なるほど……確かに。美咲が忘れてたらそもそもどっちも気付けないかもしれないしなぁ」


「でしょ?」


 美咲はソファの上で膝を立て、スマホをいじり始めていた。

 いじりつつ、夏弥のほうをチラチラと見たりなんかしちゃってて。


「ん? どうした?」


「いや……その……。も、もうちょっと、褒めてほしいっていうか……。なんなら頭とか……撫でてくれてもいいんだけど……」


「っ⁉」


 美咲の頬はいつの間にかかああっと赤くなっていた。

 大変だ。

 突然おデレになった美咲の態度に、夏弥の顔も写し鏡のように赤くなってしまう。


「な、撫でて()()()()()()ってなんだよ……。そんな日本語ありませんよ」


「……」


 美咲の口もとが少しだけほころぶ。


「撫でてほしい。じゃないのか?」


 夏弥のいじわるな確認に、コクンッ、と美咲はうなずくばかり。

 その素振りには少しだけあどけなさすら感じる。


 それから、夏弥は彼女に近付いて、その頭に優しく手を置いてあげた。


 ショートボブの、その茶色い髪に夏弥は触れる。


 絹糸みたいに艶があり、手触りも犯罪的に優しい。

 撫でているこちら側こそ心地良くなれる、そんな素敵な感触だった。


 なでなで、よしよし、と繰り返し夏弥が撫でていると、


「~~っ! ……も、もういい。ストップ。ストップ!」


 美咲は夏弥の腕をガッと捕まえ、動きを止めさせた。


「そ、そうか。つい撫ですぎた」


「……はやくお風呂、入りなよ」


「……それな。お風呂入るわ」


 お互い目も合わせられず、空々しい会話をしてしまう。


 これはこれは。

 なんというイチャコラ具合であろう。

 ただ頭を撫でただけだというのに。


 恋人としての甘い余韻もそこそこに、夏弥は脱衣室へと向かう。

 そこで彼はいつも通り、桃の香りにふわぁ~っと包み込まれるのだった。


(うーん……やっぱり洗脳されたんだな俺。もうこの匂いがすっごく好きになってきてる)


 服を脱いで浴室に入る。

 湯気はもう残っていない。


 小窓が開けられていて、浴室はすでに九月の外気で冷え始めている。


 ボトルラックには、さっき言及していた小悪魔カラーのシャンプーボトルが置いてある。


 ポンプヘッドを掴んで持ち上げてみると、夏弥はその軽さにうんうんと頷くばかりだった。


(本当だな。もう一割もないくらいか)


 なんだかんだで夏弥もこのシャンプーを数か月使い、洗脳されてきていたので、今更別の商品に鞍替えしようなどとは毛ほども思わなかった。



 入浴後、夏弥がリビングへ戻ると、美咲はまだモスグリーンのソファに腰を掛けていた。


 入浴前と違うのは、膝を下ろし、横にぐでぇんと身体をそらせていた点。


 退屈げなそのオーラは、もしかすると自分を待っていたのだろうかと夏弥に誤解を生ませるもので。


「え、なんか俺のこと待ってた?」


「いや、……別にそういうんじゃないけど」


 そらせていた身体を正し、美咲は夏弥のほうを見る。

 お風呂上りの夏弥と目線を合わせた美咲だったけれど、その目線はすぐにまたスマホ画面へと戻されてしまう。


 何か美咲のなかで、思うことや言いたいことがあったのかもしれない。


「……」


 夏弥がしばらく黙り込んでいると、その沈黙に気圧されたのか美咲が口を開く。


「……夏弥さんもあのシャンプー使ってると思うんだけどさ、一応あれ、女性ものだと思うよ?」


「ああ、それは知ってる。……でも最近じゃ、俺もすっかりあのふんわりあま~い香りに慣れてきたからな。洗脳とも言うけど」


「ふふっ、洗脳って。そんなあくどい感じじゃないでしょ」


「……ていうか純粋に疑問なんだけど、ああいうシャンプーとかってどうやって選んでる? お店に行っても、試供品がなかったりする商品もあるよな?」


「うん。それはまぁ、ググってレビューコメント見たりとか? あ、芽衣からオススメを訊いたりするってパターンもあるけど」


「へぇ。それじゃああのピンクと黒のやつも、自分で調べたりしたのか」


「いや、あのシャンプーは……」


「……?」


 どうしたというのか。

 美咲は何気ない会話の途中で、言葉を詰まらせているようだった。


 そして数秒の間ができたかと思えば、


「あたしは調べてない。……てか、あのシャンプーは、洋平アイツがあたしの誕生日に買ってくれたものだから……」


「っ!」


 ちょっとした驚きの真実が明らかになる。

 あの小悪魔ボトルは、洋平からの誕生日プレゼントだったらしい。


「洋平が買ってくれたものだったのか……」


「うん。……あたしとアイツが一緒に住みはじめた頃、あの頃はまだ、それほどあたしもアイツのこと嫌ってなかったしね。お互いの誕生日にプレゼントあげるくらいには、フツーの兄妹だったから」


「フツーの兄妹」


(美咲……。お前は気付いてないかもしれないけど、誕生日プレゼントを当たり前のように贈りあってる兄妹なんて、少なくともフツーよりは仲の良い兄妹だと思うぞ)


 夏弥の感覚は正しかった。

 思春期の兄妹間で誕生日プレゼントをあげるかどうか。それはおそらく、街頭アンケートで半々に別れるくらい、賛否両論あってもおかしくはない。


「しんみつど」なんてラベルの貼られたコップに、一度でも二度でも「なかよし」なんて名前の液体を注ぐ行為。誕生日プレゼントとは、そういうポジティブな行為なのだけれど、美咲にはその自覚がないようだった。


「何? フツーじゃん?」


「いや。……ところで、その誕生日プレゼントを今でも使ってるのには、何か理由があるってことだよな?」


「……」


 わずかな沈黙が挟まる。

 夏弥の質問に、美咲はすぐには答えなかった。


 それから夏弥がベッドに腰を下ろすタイミングで、彼女は話し掛けてくる。


「別に深い理由なんてないし……。あのシャンプー、良い匂いだったでしょ? 洋平のことは嫌いだけど、物に罪はないじゃん」


「……。そっか」


「今日はもう寝るから」


「ああ。おやすみ」


 リビングでの会話はそこで終了した。

 夏弥は、美咲の「今日はもう寝る」の言葉に、どんな意味が含まれているのか考える。


 以前のように、本当に寝るためにそう発言したわけじゃない。


 それは夏弥も気付いていたことだった。

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