5-01
※お久しぶりです。
ここから五巻目分になります。
またお付き合いいただけると嬉しいです。
◇
秋口も過ぎた九月下旬。
世の中の人々が衣替えを行なうこの季節は、毎年天候がえらい不安定になる。
藤堂夏弥の住む地域、東北にある三條市は本日も生憎のくもり空だった。
降ったりやんだりを繰り返す気まぐれな小雨に、「はぁ」と気だるいため息がもれてしまうのも仕方ない。
街はまだらに濡れていて、その濡れたアスファルトの路面をビニール傘がゆっくりと進んでいく。
学校指定の冬服を着る藤堂夏弥と鈴川美咲。
それぞれが差す二本のビニール傘だ。
「洋平はまっさらになったんだ」
「まっさら?」
下校途中でのことだった。
傘の柄をぎゅっと握り込みながら、夏弥は隣を歩く美少女に話し掛けていた。
「俺と喧嘩をしてから、いや、する前からかもしれないけど、アイツは気持ちを入れ替えてた。そこから、女子との連絡先もみんな削除したんだってさ」
「ふぅん。そうなんだ」
その美少女・鈴川美咲はどこかしれっとした表情を見せていた。
(信じてくれてんのかなこれ……。いまいち、表情からは読み取れないけど)
横を歩く美咲に目を向けるも、その顔は至ってクール一色。
アンニュイに見開いた瞳や、その柔らかそうな唇の端が、動揺や驚きで何かピクリと動きつくこともなかった。
洋平と美咲の兄妹関係は、おそらく洋平がモテ始めた黎明期を境にひずみ始めていったものだ。
それは夏弥にも見当がついていた。
だから、その女子人気のわかりやすい指標ともとれる「連絡先の数」を極端に減らしたことは、ひずみ始めたきっかけを洋平が自力で正したこととイコールでもあった。
(けど、そう単純じゃないんだよなきっと……。一度こじれてしまったら、いくらきっかけの問題を正したところで手遅れだったりして)
「もう今は、女子とホイホイ遊んだりしてないみたいだから」
「……そうなんだ」
「……」
これ以上言っても、今はどうしようもないのかもな……。
と、そんな暗雲が夏弥の目の前に立ち込める。
美咲の薄い反応に、少し空気を替えたほうがいいだろうと彼は感じた。
そこで一つ、夏弥は思い出したように口火を切る。
「め……」
「め?」
「そういえば美咲、『めちゃくちゃにされてみたい』って言ってたよな?」
「~~っ!」
夏弥の肌色すぎるその質問に、美咲は一瞬面食らう。
当たり前だろう。何しろ唐突である。
アパートまでの帰り道で、辺りにほかの人は見当たらなかった。
ぱらぱらと雨も降っているし、まぁ隣を歩く美咲に聞こえる程度のボリュームであれば訊いても問題ないよな、と彼なりに判断してのことだった。
だがしかし、隣をひた歩く見目麗しい現役JK・美咲のレスポンスはといえば。
「……。そんなこと言ってないけど? 夏弥さん、寝ぼけてたんじゃない?」
「えっ」
美咲は、務めて冷静にすっとぼけたのだった。
あたしの記憶には一切ございません、といった寄る辺もない態度。ツンドラの再建だろうか。
「寝ぼけてた⁉ 俺が聞き間違えたってことか……? いやいや。ない。難聴系男子でもありえない」
「じゃ、あたしが……ただ、寝ぼけて言っただけかもね」
「すっとぼけてるだけじゃ……」
「なに?」
「いや……。風邪で意識が朦朧としてて記憶が全部ぶっとんだとか、あるいは若年性健忘症に襲われました、とかおっしゃるつもりですか」
「あたしは事実を言ってるだけだって」
「……ほお。……ふぅん」
隣を歩いていた夏弥は、平然とそんなウソをつく彼女に笑ってしまいそうだった。
なんて素直じゃないんだ。
やれやれ系男子に転身しようかな、などと夏弥はひとつ思ったことだろう。
このクールな幼馴染みは、どうやらあの時の言葉を想像以上に恥じていたらしい。
無理もない無理もない。
再度口に出してごらんなさいと言われたって、美咲は二度と口にしないかもしれない。
それくらい、あの「こどもがほしい」「めちゃくちゃにされてみたい」等の発言は、彼女のなかで赤面必至の恥じらいワードだった。
「俺の風邪も治ったし、そろそろ……アレかと思ったんだけどな。残念だよ俺は」
「……」
夏弥は恥ずかしいながらも、美咲の顔色をうかがってみる。
あまりに澄みきったその瞳と、一瞬バチッと目線が合う。
けれど、一秒に満たない速さで美咲は目をそらして。
「だ、だから言ってないって! あたしはそんなこと言うタイプじゃないでしょ」
「タイプ」
(超今更だけどな……。タイプとかずいぶん前にスイッチ可能になったんじゃないの? おかしい。背中におっぱい当ててきたのはなんだったんだよ……。あ、わかった。今日はツンの日ってことか。日付とか曜日で周期的に決まってんのか。ツンを出す頻度が)
夏弥は強引に自分を納得させようと試みた。
いや無理がある。美咲が日替わりでタイプを切り替えるはずもないのだけれど。一体いつから彼女は、そんな機械仕掛けなオートマタ系のツンデレガールになったのだろう。
さて先日、夏弥の風邪は完治した。
そして一緒に帰るは肌寒い今日このごろ。
あのベッドのなかで匂わせてきたセリフを思い起こせば、治り次第美咲のことをめちゃくちゃにしていいんだよな、と彼のなかのオオカミが騒ぎ出すのも当然だ。
「まぁ、美咲がそう言うなら……いいけど」
「……うん」
隣をコツコツと歩く美咲に、夏弥はもう一度だけ目を向ける。
気付かれないようにゆっくりと。
この天上天下唯一無二の美少女たる鈴川美咲は、今日も今日とて美しかった。
(無情だな。結構ショックというか、拒まれたみたいでなんだか悲しくなって――――いや待て。どんだけ美咲とシタいんだよ俺。チガウ。ゼッタイチガウ。美咲がそういう判断を下したんだから、仕方ないだろ? 諦めろ藤堂夏弥。とりあえずオオカミの牙は抜歯しとこうね)
夏弥の思いを知ってか知らずか、美咲はそのサッパリとしたショートボブヘアを秋の風になびかせて、前だけを向いていた。
夏弥とは目を合わせない。
むしろ今は合わせられないのかもしれない。
あの時夏弥に囁いたセリフを、美咲自身忘れているはずがない。
ただ、彼女はその後の夏弥の反応を見る前にうっかり眠ってしまっていた。
夢のまにまに溶けていった意識のせいで、夏弥の返事を聞けていないのである。
あの百回に一回言うか言わないかわからないような睦言に対する羞恥心だけが、美咲のなかで霞むことなく残っていたわけで。
「ふぅ……」
美咲は大きめに息を吐きだしてから、さて違う話題へとばかりに話を切り出す。
「ていうか、夏弥さん……ごめん。夏弥さんがひいてた風邪って、アレあたしの風邪でしょ? 冗談じゃなくてマジで移しちゃったってことだよね?」
「その件はいいって。今はもうバッチリ治ってるし。そのおかげで結果的には洋平とも正面から話せたしな」
「洋平と……」
「ああ。……ていうか、アイツが女子の連絡先を削除したって話、信じてくれよな?」
「信じてるよ? ……信じてるっていうか、信じざるをえないって感じだけどね」
と美咲は意外な見解を述べた。
「信じざるをえない?」
「ほら、アイツって、後輩の女の子ともラインのやり取りしてたでしょ? だからここ数日、クラスの人達がウワサしてたから。それ聞いちゃったら疑うも何もないじゃん」
「ウワサ……?」
ウワサとはなんぞや。と首をひねる夏弥を見て、美咲はさらに続ける。
「うん。『二年の鈴川先輩が、もうワタシらとはラインしてくれなくなった~』とか『先輩達も鈴川先輩とラインできなくなったんだって! こんなの大事件だよ!』って嘆いてるのがいたからね。その上夏弥さんに言われたら、あ、マジなんだ。って思うしかないでしょ」
「あ、そういうウワサね」
美咲が耳にした通り、学校では洋平の『ライン大量削除事件』が一大スクープとして広まっていた。
しかし、まさか一年の教室にまでこの件が波紋を呼んでいたとは。
夏弥もそこまでの規模は想像できていなかった。
(三條高校の一年女子は、一体何%が洋平に夢見てたんだろう。……モテモテな男子ってのはいつの時代でも罪作りなものよ。いとかなしけり)
――イケメンの、本性見れば、すぐ嘆く。
冴えない歌詠み系男子・藤堂夏弥はここぞとばかりに心の奥で詠った。
ああ詠ってみせた。
ここに一句刻みたもう。洋平と一年女子のもろい関係性。あくまで洋平は社交辞令的に、一年生のきゃわわな女生徒達とライン交換を果たしていたに違いない。
拒んだらかわいそうだと。
この諸行無常っぽい趣きを詠うことで、夏弥は少しだけ気が晴れた気分だった。
が、いつからそんな和歌に興じるタイプになったのだろうこの男。
美咲といちゃこらできないとあって、今の夏弥は少々頭のネジがゆるんでいるのかもしれない。
「それに、夏弥さんが言うなら確かにアイツも心を入れ替えたんだろうなって思うし」
「え? あ、ああ。それならバッチリ入れ替えたんだと思うよ。ラインの友達一覧もガッツリ見せられたし、あれは動かぬ証拠だった。洋平は、昔みたいにただのイケメン君に戻ったんだよ」
「昔みたいに、ね……。そういえば、アイツが女子とよく遊ぶようになったのって、夏弥さんのあの時と近い時期だったよね」
「俺の……あの時……?」
「ほら。夏弥さんのお母さんが、――あっ」
美咲はそこまでしゃべって、ハッと気が付いた。
そのあとに続く言葉が、のどの辺りで詰まって出てこなかった。
けれど、これは仕方のない現象でもある。
夏弥の母は、何年も前にこの世を去っていたのだから。
「……俺の母さんのことか」