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 夏弥が料理を始めて三十分くらいした頃。

 今日は和食にしようと思い、みそ汁のために鍋を火にかけた瞬間。

「カチャンッ」と音が鳴り、玄関のドアが誰かに開けられた。


「ただいま。はぁ」

「おじゃましまーす」


(美咲……と、え? 誰か一緒?)


 玄関のほうから二人分の声が聞こえてきたので、夏弥は慌ててキッチンから廊下に顔を出した。


 短い廊下の先、201号室の狭い玄関ドアの内側に立っていたのは、美咲ともう一人別の女子高生だった。


「「え⁉」」


 名前も知らないその女子と夏弥は、目が合うとお互い息を合わせたように驚いた。


 長くもなく短くもない、ちょうど良い長さのその黒髪サイドテールには見覚えがある。

 美咲と一緒にやってきたその子は、偶然にも今朝、通学路で洋平を呼び止めた女の子だったのだ。


「その……と、友達がどうしてもうちに来たいってきかなくて」


 そう言いながら、美咲は心苦しそうに自分の髪の毛先に触れる。


「あ、もう! まだ怒ってるのー? ウチは、みちゃんの言う夏弥さんって人がどんな人なのか知りたかっただけなんだってばぁ~! 怒んないでよ!」


 表情豊かな顔。弾むような明るい声。

 そのしゃべり方と雰囲気が、彼女の性格を底抜けに明るいのだと訴えかけてくる。


(朝の時と様子が違うけど、それは洋平がこの場にいないせいかな……? それと、みちゃんって美咲のあだ名……だよな、たぶん)


 一文字に略されている美咲のあだ名を、夏弥はそこで初めて聞いた。


「でもまさか、みちゃんの言ってた夏弥さんが、あの時の人だったなんてね。ふふっ」


「もう見たし、帰る?」


「それは早過ぎ! せめて自己紹介くらいさせてー? それにほら、コレも買ったし」


 美咲の言葉にキレよくツッコミを入れながら、彼女はその手に持っていたプラカップをぐいっと美咲に見せる。


 夏弥の視界にも、ソレがしっかり映り込む。


 昔の歌人がよく口にしてそうなうぐいす色の液体。

 ふわふわっと乗せられた白いホイップクリーム。

 かけられた琥珀色のキャラメルソース。


 ソレは、今日ずっと夏弥のことを悶々とさせていたものだ。


 ソレというのはもちろん――


()()()()()!」


「「え?」」


 たまらず声を発した夏弥は、慌てて口を手でふさぐ。

 夏弥の言葉に耳を疑う女子二人。


 朝からずっと飲みたかったソレが、運命的にも自分の前に現れたこと。

 そんな偶然に動揺したせいか、夏弥は「おちゃらけ」みたいなイントネーションでソレを呼んでしまった。


「ま、抹茶ラテ……だね。そう。抹茶ラテ。えっと、まっ……スタバで買ってきたん?」


 夏弥は、噛んでしまったことをごまかしながら、二人の持っているその飲み物について質問した。

 カップにはわかりやすくもスタバのロゴマークが付いている。


「そ、そうだけど」


「ウチが行こうって誘ったんです! 学校帰りにちょこっと寄り道しよーって。そしたらみちゃんが「夏弥さんにも買ってった方が良い」って言うから~」


「は? そんな事言ってないじゃん!」


「わわっ、怒んないでって! かはっ」


 女子二人の仲良しなそのやり取りに、夏弥は少しだけ複雑な気持ちになった。


(昨日の晩の美咲の電話。あの時にも思ったけど、やっぱり友達の前では豹変するんだな。俺と接する時の態度とはかなり違う……いや、もしかしたら、こっちの姿が本当の美咲なのかもしれない)


 夏弥があれこれ考えていると、美咲とその友達はローファーを脱いで家の中へあがってくる。


「はじめまして! ご紹介が遅れました。ウチは戸島(とじま)芽衣(めい)っていいます~」


「ああ。こちらこそはじめまして、俺は藤堂――「藤堂夏弥さん、ですよねっ! みちゃんからちょっと聞いてます。ほんとに住むとこ交換してるんですね! ふふ、ウケるかもっ。あ、ウチもみちゃんみたいに夏弥さんって呼んでいいですか!」


 夏弥の言葉に被せるようにして、彼女、戸島芽衣はそう提案してきた。


「えっ?」


「ねぇ。芽衣は藤堂先輩って呼びなよ。いきなりそんなの失礼でしょ?」


「!」


(美咲が……「失礼でしょ」……?)


 夏弥は、その美咲の態度に目を丸くさせた。

 芽衣の意見を即否定した、美咲の意外すぎるその態度に。


(美咲って、こういうことで友達にダメ出しとかするんだな。俺や洋平に対する尊敬とか親しみみたいなものは、持ち合わせていないと思ってたんだけど……? どういう事なんだ?)


「それもそっか~。ごめんなさい、藤堂先輩っ!」


「いやいや。全然気にしなくていいから」


「じゃあこれ。おひとつ、どーぞっ!」


 謝りながら、芽衣は二つ持っていた抹茶ラテのうち、一つを夏弥に手渡した。

 これで、三人が一つずつ抹茶ラテを持つ形になった。


「あ、ほんとに? それじゃせっかく買ってきてもらったみたいだし、遠慮なく飲ませてもらうわ。ありがと! ちょうど今日飲みたくってさ、これ。本当に嬉しい」


 受け取った夏弥は、心からのありがとうを送る。

 本当に奇跡みたいなタイミングだな、と夏弥は思っていた。のだが。


「そう言っていただけると、言い出しっぺのウチも嬉しいです! いや~、最近推してるバンドが新曲で抹茶ラテについて歌ってたんですよねぇ~」


「え?」


(あ……なるほど。抹茶ラテ買ったのってそういうこと……)


 奇跡でもなんでもなかった。

 あのバンドは認知度が低いわけでもないし、夏弥以外にも知っている人はたくさんいる。男子よりも女子人気のほうがむしろ高いくらいだ。


 夏弥が芽衣のセリフに納得しているあいだ、美咲は夏弥越しにキッチンのほうへ顔を覗かせる。


「晩ごはん、何か作ってたの? ていうか……鍋、大丈夫?」


「あっ! 危ない危ないっ。鍋、火にかけてたんだ」


 夏弥は二人から離れ、急いでキッチンのコンロへ駆け寄った。


「ねぇ、みちゃん。さっきの話、もう少し聞いてよ~! いいでしょ?」

「まぁ、そうだね。じゃあ夏弥さん、あたし達部屋にいるから」

「失礼しま~す、藤堂先輩っ」


「ああ。ごゆっくりー……」


(鈴川家の人間でもないのに、俺がごゆっくりってのもおかしな話だけど)


 言った後になって、そんな違和感が夏弥の頭にチラついた。


 それにしても、まさか美咲が友達を連れてくるとは思いもしていなかった夏弥だった。

 芽衣が強引に押し掛けてきた形みたいだったけれど。


 それから、美咲達はキッチンスペースを横切って、リビングの隣の自室へと入っていった。


 彼女らが部屋に入るのを見送ってから、夏弥はキッチンで作りかけていた料理を再開した。


 抹茶ラテを飲みながらマイペースに進めていく料理は、ちょっとした大人の道楽みたいで夏弥には心地よかった。


「――――。――――」

「――えー、うっそ? そうだった? じゃあ――」


 キッチンからだと、彼女達の声はよく聞こえない。

 聞こえたり、聞こえなかったり。曖昧に響いてくる隣家のピアノの音みたいに感じられた。


 ただし、その会話が盛り上がっていることくらいは、キッチンに立っていてもそれとなく伝わってくる。


 そんなタイミングで、夏弥は洋平が言っていたある言葉を思い出す。

 高校二年に進級して二週間ほどたった頃のことだ。



「――美咲の友達がうちに遊びきたかって? いや、まだ四月だし、新しい高校の友達ができたかはわからないけど、絶対うちのアパートには呼ばないんじゃねぇかなぁー……。まぁたぶん、美咲が単に嫌なんだと思うけど。ははっ」


 洋平のその言葉を思い返してみると、今の美咲の心境も透けて見えるようだ。


(もしかしたら、美咲はずっと、家に友達を呼びたかったのかもしれない。けれど、洋平と1LDKに同居していれば呼ぶことは難しい。人気者の兄を持つ妹には、彼女なりの複雑な気苦労がそこにたくさんあるんだろうな……。それが今、俺に変わったことで少しハードルが下がったのか……?)


 夏弥には、モテる兄がいるわけじゃない。

 だから、美咲がどんな気持ちなのか、その悩みを等身大で考えてあげることはできない。

 全て、あくまで想像でしかない。


「……とりあえず、料理はこれでいいか」


 あとは皿に盛りつけるだけ。そこまで進めると、時刻は六時半になろうとしていた。


 スマホを確認するも、洋平に送った衣類についてのラインの返事はまだ来ていない。

 洋平とのトーク画面には、昨日のインスタントコーヒーについての会話文が残っていた。


 その会話文からふと思い立ち、夏弥はコーヒーを淹れることにした。

 抹茶ラテは料理の最中に飲み切ってしまっていた。


 食器棚から、おそらく洋平のものだろうと思われるグレーのマグカップを取り出して、それでコーヒーを飲む。


 昨日と同じ、リビングにあるモスグリーンの優しい色味のソファに腰掛けてコーヒーを飲んでいると、引き戸の向こうから会話が聞こえてくる。


 キッチンとは違い、このリビングのソファに座ると彼女達のおしゃべりはほとんど丸聞こえで。


 夏弥はわざとこのソファに座っていた。

 内心ちょっとだけ、ガールズトークが気になっていたのだ。

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