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4-25


「ん……?」


 出どころのわからない温かさのなかで眠りがとける。


 九月の某日。夏弥が目覚めたのは午前六時。

 タイマーもセットせずに起きられたのは、もう二学期の生活リズムが身体に刷り込まれ始めているからだった。


「……!」


 夏弥はゆっくり瞼を開ける。

 当然、隣には美咲が眠っていて、その吐息が自分の頬にほんのり当たっていた。


 茶髪のショートボブにその白磁器はくじきみたいな肌。


 グレーの萌え袖パーカーを着たまま美咲は寝入っている。静かに寝息を立ててすんすん言ってる辺りが、どうしようもなく無垢で。ちょっぴり儚げなオーラに包まれている。


(……今更だけどパーカーかわいいな。……こんなに綺麗で、その上かわいさまで求めようだなんて欲張りすぎだ。美咲のあほんだら)


 そんな気持ちになっても夏弥は声をググっと堪えていた。

 何かしら言いたくなってはいたのだけれど。

 唇を食い締めて、おしゃべりは封印する。


 目の前で眠り続ける美咲の寝顔を、まだ見ていたかった。

 だから大きな声はご法度。

 ともあれ余韻嫋々(よいんじょうじょう)、「もう朝……」と小さくそれだけつぶやいて、夏弥はベッドから抜け出したのだった。


 そのままリビングへと(おもむ)いて、脱衣室の洗面台で顔を洗い、歯を磨き……と朝の素朴なルーティンを済ませていく。


 さて朝食作りに取り掛かる。

 昨日作業途中だった鍋を左のコンロへ移し、右のコンロにもう一つ片手鍋を乗せる。


 寒いのでうどんでも煮てみよう。と夏弥は思い立つ。


 数日前に買っておいた生麺タイプ。

 タイムセールでお買い得になっていたものである。


 煮ているあいだ、「きっと美咲は今日学校休むよな」と考えていた。


 とっても気持ちよさそうに寝ていたけれど、それでも昨日の風邪が治ったかは怪しい。

 夏弥は彼女の容態が未だ気になっていた。


(昨日の夜は、俺が風邪を受け取るだなんてアホなこと言ってたけど……実際問題、まだ美咲の風邪は治ってないかもしれないし)


 夏弥の思う通り、風邪という病はそれほど単純じゃない。

 当人の意志で誰かに移すだとか、そんな魔法みたいなことは易々(やすやす)できないもので。


「うわ、煮立った煮立った」


 鍋からモクモク湯気があがる。


 うどんやそばの類いはササッと用意でき、かつ腹持ちが良い。空腹を満たす意味ではタイムパフォーマンスがとても素晴らしいメニューである。


 うどんの他、夏弥はお昼ごはんも料理した。

 無論、美咲の分だけはお皿に別で盛り付け、ラップをかけておくことにして。


 夏弥はリビングで一人、うどんをちゅるると啜ったあと、身支度をして家を出たのだった。



 ◇


 午前八時前。夏弥は一人で学校へ向かう。

 彼が201号室を出る時、美咲はまだベッドで眠っていた。


 朝食と一緒に作ったお昼ごはんには、こんなメモを添えておいた。


『おはよう美咲。起きて、もし食べられそうだったらコレ食べて。あと、しっかり医者にも行きなさいね』


 完全にママだった。

 その書き置いたメモは、男子らしく若干ぶっきらぼうな字ではあったけれど、料理そのものに関しては丁寧に作っていた。


(美咲の好きそうなものを作ったから、あれで美咲の体調が少しでもよくなってくれたらな……。まぁ、料理が薬になるわけじゃないけど)


 そう考えながら通学路を進んでいく。

 秋の朝は、昨日に続いて冷え込んでいた。


 そのため、夏弥は今日からワイシャツの上にカーディガンを一枚羽織ることにしていて。


「ううっ……」

(それにしても寒い……。マジでもう冬の到来を感じさせられる)


 道を歩く他の人は、みんな夏弥のように首をすくめさせていた。

 サラリーマンは着ているアウターの襟を立てていたし、向こうの男子中学生達はすっかり衣替えで学ランを着ていた。


 だからだろう、夏弥は自分が感じているその寒気に、大した問題意識も持っていなかったのだった。


 ◇


「あ、秋乃」


「ん? ああ、なつ兄。おはよー……」


 学校に到着し、下駄箱で内履きに履き替えたあと、夏弥はたまたま廊下で秋乃と出くわした。


 わかめみたいに縮れた黒髪と、少し大きい黒縁メガネ。

 朝から少々ローテンションな点はいささか気になるものの、いつも通りの秋乃がそこに立っていた。


「お、おはよう……」


 夏弥は少しだけ秋乃の顔色を気にしていた。


 昨日送った秋乃へのライン。

 そのラインに、今の今まで返信がなかったからだ。


 秋乃とのトーク画面はいわゆる既読スルー状態になっていて、『今日は美咲の体調が悪いから、相談事はまた今度にしてほしい』に対して、我が妹が何を考えているのか。夏弥にはそれがまだよくわからなかった。


 しかし、


「……美咲ちゃんの体調、大丈夫? 一緒に登校してないってことは、今日お休み?」


「ん? ああ……」


 何かを疑う素振りもなく、秋乃は純粋に美咲の身を案じているらしかった。


「学校に連絡した?」


「そういえばまだしてないな。まぁ美咲が自分ですると思うけど、一応ラインで促しておくよ」


 夏弥はそう言って、美咲に一通のラインを送る。

 学校に報告するよう促す内容のラインだ。


 寝顔もそれほど苦しそうではなかったし、彼女の風邪は実のところ一夜でほぼ治りかけていた。だから、美咲自身で連絡できるものと判断した夏弥の見立てはおおむね正しかった。


(……それにしても、秋乃の相談事ってなんだったんだろう。すごく重要なことなら、昨日直接電話してくる手だってあったわけだけど。……ていうか、今訊いてみるか)


「秋乃さ、昨日の相談の件、ごめんな。ドタキャンするようなことになって」


「ん~? あ、いや……まぁそれはいいよ」


「いいって言われてもな……。ちなみにどういう内容の相談だった? なんなら今日聞くけど」


「え? えーっと……洋平のこと? って感じかなぁ~」


「洋平のこと……?」


 秋乃はこの時、実は夏弥に例の件を相談しようと思っていた。


 ――洋平が家で彼女さんとイチャイチャしてて、アレも目撃しちゃったんだけど……なつ兄ならどうする?


 そのような相談事だった。


 秋乃は今までずっと、夏弥には相談できないものだと思っていた。


 夏弥と洋平は半永久的に仲が良いものだと信じていたし、意見をぶつけ合うことはあっても、それはあくまでただの意見交換の延長みたいなもの。アザまで作る殴り合いなんて、二人には無縁だよね。と。


 けれど、夏弥と洋平が喧嘩したことを皮切りに、「ひょっとして今なら話してみても大丈夫……?」と、慎重に慎重にタイミングを見計らっていたわけで。


「もしかして、その件で朝からテンションが低いのか?」


「いや? そうじゃないよ。昨日さぁ…………私、全然キル数伸ばせなかったからね。それでテンションだだ下がってんのよ。私もFPSの腕が落ちたなと思って。もう歳かな?」


「あ、ゲームのことね。……ていうか、歳って言ったってお前まだ十六だろ」


「そうは言ってもねぇ~。最近、夜ふかしすると眠たい身体になってきたし。若さとは諸行無常。一過性の短いもんなのよ、なつ兄」


 秋乃は腰にトントンと手を当て、老婆のようなジェスチャーをくり出す。

 この妹の感情表現たるや、そのままミュージカルのワンカットでも盗んで持ってきたかと言わんばかりで。


「眠たいのは当たり前だろ。それで言うと、俺は日中よく眠たくなる」


「なつ兄ももうおじいさんなのかもね。あははっ」


「おぉ、秋乃よ。じいじはもう帰ってええかのぉ……。ワシは腰をいわしとうない」


「ぶはっ。なつ兄、おじいさん役うまいね。ぷふっ、全米が鼻で笑うと思うよ」


「……それ、バカにされてるだけじゃね? ……。てか全米かよ。俺の笑われる規模感すごいな」


 藤堂兄妹は漫談さながらの軽快なやり取りを交わしつつ廊下を進み、階段手前で別れる形になった。


 そこから二人は、各自の教室へと向かう。


(そういえば、一人で登校するの久しぶりだったかも……。美咲は……もうそろそろ起きたのかな)


 などと、そこそこの感慨にも浸りつつ、夏弥はいつも通り自教室の席に座る。


 すると到着早々、彼はとある人物から話し掛けられたのだった。

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