4-24
「美咲、起きてたんだ……」
「……うん。まぁ……ね」
「……」
夏弥と美咲は同じ方向を向いているため、顔こそ合わせてはいない。
けれどつい今ほど、夏弥は湧き出る源泉のごとく本音をもらしていた。そのため一気にこっ恥ずかしさがこみ上げてきて。
「どこから……聞いてた?」
おそるおそる美咲に尋ねてみる。
「……美咲のこと……好きだよってところ……」
「~~っ!」
本音をまるまる聞かれていたらしい。
死んでしまいたい。
夏弥はそう感じて、いっそのことここで舌を噛み切ってみようかなと思った。好きな人とベッドで寝ながら死ねるなんて。それもまたよし。乙なものである。
「ケホッ……コホッ…………ん゛んっ」
「あ……大丈夫……?」
恥ずかしさで命すら軽んじてしまいそうになった夏弥だけれど、背後で咳き込む美咲の様子にまたしても不安を覚える。
「……大丈夫」
「無理させて、本当にごめん……」
「夏弥さんが謝ることじゃないじゃん……。あたしが、一人で空回って……変な事しちゃっただけ…………」
「身勝手なこと言って、美咲の気持ちを考えてあげられなかったんだ。俺が謝らないとだよ」
「夏弥さん……」
美咲の腕の力が緩まる。
なんだかその緩まり方が「こっちを向いて」と言っているような気がして、夏弥は身体の向きを180度変えることにした。
夏弥のその動きを察してなのか、美咲の腕はもう完全にほどかれていた。
一つのベッドの上。向き合う夏弥と美咲。
美咲の顔は風邪のせいですでに赤く、熱っぽい。
さっきまで抱き着かれていたので、向き合わせた二人の距離はすっかりキスシーンのための距離に入っている。
夏弥は、今度こそ彼女に「味方でいること」を伝えたいと思った。
ちゃんと美咲の綺麗な目を見て、気持ちを真っ直ぐ言葉に直していく。
「…………俺は。……俺は、美咲の味方でいたいんだ。ずっと味方でいたい。これからも、ずっと。……だから、ごめん。本当に俺がいけなかったんだ」
「……」
「……美咲?」
美咲は返事をしなかった。
夏弥にいろいろと想う所があって、考えがまとまらなかったのだ。
――夏弥さんはいつもそう。あたしの気持ちの弱いところをすぐに突いてくる。あたしみたいに意地張ったりしないで、素直に謝ってくるんだよね。そういう所も……あたしは好きなのかも。
――夏弥さんがそんなすぐにエッ〇なことしない人だって、あたしも知ってたはずなのに。あんな風に迫ってみたりしてさ。悪いのは、やっぱりあたしじゃん。
その数分後、美咲はようやく口を開く。
「ね……夏弥さん」
「ん?」
「キス……したい」
「っ!」
唐突に、美咲からキスをご所望される。
「でもお前……風邪……」
「……」
夏弥はそのまま言葉を続けて「風邪ひいてるんだから、今はダメだ」なんて、またしても拒否してしまいそうになっていた。
でも、これは間違っていない。
風邪のような感染症を患った人との粘膜接触は、ひどくリスキーである。
キスで移ってしまうことも往々にしてある。それは周知の事実だった。
「……この、熱い身体のまま…………キスしてみたい。夏弥さんと」
「~~っ!」
美咲は夏弥の目を見つめながら、とんでもない破壊力のセリフを口にする。
少し長い萌え袖で口元を隠す仕草は、夏弥の心をつかんで離さない。
そんな美咲におねだりされてしまえば、夏弥だってキスをしたくなってくる。当然である。
それに、一度拒まれた美咲が、どんな気持ちでお願いしてきているのか。
その気持ちを思いやれば、お願いを聞き入れてあげたいと思うのはとても自然なことで――
「そうだな……。してみよっか……」
「……うん」
それから二人は目を閉じ、ゆっくりと唇を近付ける。
ぷるっとした美咲の唇に、夏弥の唇が触れる。
「……っはぁ」
「ん…………熱いな」
火照りを口に感じる。
美咲がしっかりとそこにいる。
全身の体温ごと、その唇に乗ってるんじゃないかと思うほどに熱い。
「………………と、溶けそう」
美咲は、このキスをそんな風に言い表す。
「……ん」
ベッドの中もそうだけれど、二人の口のなかもとても熱い。
風邪をひいていた美咲は、口に始まり、頬、首筋、あごの下や鼻の先まで、熱病に侵されている以上に熱かった。それはすべて、夏弥への想いのせいである。
「美咲……恥ずかしい……?」
「ん……うん。……だって、こんな感じ、今までなかったし……っはぁ」
「……んっ。……そうだよな」
「でも夏弥さん。……あたしとキスしたら、風邪うつっちゃうんじゃない?」
「……」
夏弥は数秒のあいだだけ黙っていた。
今から口にする言葉が大変バカげているものだと知っていても、美咲のとろけた顔のせいでつい口に出してしまいたくなって。
「いいんだ。…………美咲の風邪だったら、俺は喜んでかかりたいから」
「~~っ!」
美咲は夏弥の顔から思わず目をそらし、伏し目がちになってしまう。
掛け布団の中は、二人の汗の匂いが混ざり合っていて、それだけでとても官能的。他人が見れば、ああここに地雷を埋めときますねと言ってしまいたいシーンがそこにはあった。
「夏弥さん……あたしの風邪、受け取ってくれるんだ……?」
「愚問です……」
「ふふっ。じゃあ……もっと。……もっとしなきゃだから、その……こっちに来てよ」
「……うん」
今だって十分近いのに。
それなのに、美咲はまだ夏弥との距離が少し遠いと感じていて、もっとくっついてほしいらしい。ああなんてわがままな子。
夏弥の身体に腕を回して。夏弥も美咲の身体に腕を回して。
二人でお互いを求め合う形になっていた。
「んっ……は、ぁ」
「……っは」
ちゅっちゅちゅっちゅと繰り返していく。
口と口の逢瀬は果てのないキス時雨。
止みそうにないなと思われるくらい、熱くて、濃くて、そして深い。
そんな胸焼けしそうなひと時が一旦落ち着きをみせた頃、美咲は夏弥の胸に顔をうずめた。
くんくん匂いでも嗅ぐみたいに、鼻や頬をつけたりして、可愛らしくスキンシップを取る。
「夏弥さん……んん……」
夏弥の匂いは、美咲にとってとても落ち着く匂いだった。
小さい頃から夏弥のことを知っているから。というのも当然あるのだろうけれど、好きな人の匂いというだけで、ずいぶん補正がかかるのかもしれない。
だから心が緩んでしまって、ついつい言ってしまったのだ。その一言を。
「……あたし、夏弥さんの子どもがほしい…………」
「~~っ‼」
(こ……子ども!)
ぶっちゃけ過ぎた美咲の発言に、夏弥は一瞬パニックに陥る。
美咲自身も、口を滑らせてしまったことで顔を真っ赤に染め上げていた。
子供がほしいということは、子作りをしたいということ。子作りしたいということは、隔たりのない濃厚接触をしたいということであって。
「っ……こ、これは違くて……! それだけ、夏弥さんのことが……好きって意味だから……」
「……あ、ああ。そういうこと」
「好き」の表現だとしても、それはそれでオーバーですよね。と、夏弥は込み上げてくる恥ずかしさで胸が一杯になってしまう。
「それに言ったじゃん……。あたしは…………もうダメなくらい夏弥さんのこと、好きだって」
「……言ってたね」
しゃべり過ぎたせいか、美咲はだんだん眠たくなっていく意識の中でぽつりと言う。
「コホッ……。だから、風邪が治ったら…………」
「……?」
「夏弥さんに……めちゃくちゃにされてみたい」
「っ……!」
気だるい体調のまま、曖昧な意識のまま。
美咲は、めちゃくちゃに、なんて口走る。
聞き受けたそのセリフに、夏弥は声が出せなかった。
美咲のセリフそのものに、発熱作用があったのかもしれない。
夏弥はつい、自分が美咲をめちゃくちゃにしている所を想像してしまう。
その想像だけで、どうにかなってしまいそうだと思った。
「……ちゃんと……風邪が治ったら、しましょう」
乱れた呼吸や思考を整え、夏弥はやっとのことでそう答える。
だけれど、それはもう美咲の発言から二分も過ぎてしまっていた頃のことで。
「……。……ん? 美咲……?」
ああ残念なことに、美咲はすっかり寝入ってしまっている。
夏弥が返事をもたついていたせいである。
(返事聞く前に寝たのか……。いや、まぁこれはこれで……よかったような、悪かったような?)
夏弥は美咲がくうくう寝ているこの状況を察し、もう今日は話し掛けないでおこうと思った。
寝入った美咲の腕に力はなくて、二人の太ももの辺りまでずり落ちてきている所だった。
腕の先には美咲のかよわい手があって、夏弥はなんとなく、その手に自分の手をくっつけてみる。
その後、
(……今日は、このまま一緒に寝よう。美咲と一緒に寝たい)
胸の内側で、夏弥はひっそりとそんなことを感じる。
美咲の手に触れて、それを外側から優しくにぎってあげる。
すると、不思議なくらい胸の辺りが落ち着いてくる。
瞼を閉じれば、その状態で寝付けてしまいそうなくらい心地よかった。
(……ああ、晩ごはん……作りかけのままだよな……。けどもう……全部明日片付ければいいか……)
夏弥は横になったまま枕元へ腕を伸ばす。
そして、その手の先に置いてあった照明のリモコンをつかみ取り、ふぅ、と深呼吸して明かりを消したのだった。