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4-22

「一体どうする気だよ……これから」


 夏弥は「うん」の一言から微動だにしない美咲に、そんな声を掛ける。

 何度か身体を重ねていても、シチュエーションのせいかドキドキしてしまう。


 そんな自分を呪いつつ、美咲の返事を待っていると。


「――っくしゅん」


「っ!」


 夏弥を抱きしめていた美咲は、突然かわいらしいくしゃみを発する。


 美咲は、抱き着くことで一段と身体がポカポカし始めたような気がしていた。けれどそれはあくまで気持ちの面が強かったようで、実際には足の辺りから冷えてきていたらしく。


「寒いのか?」


「さ、寒くない」


「……。今のくしゃみは?」


「あたし、鼻炎持ちだし」


 美咲は強がりながら答えていた。

 夏弥は前を向いたまま、その言葉が気持ち弱弱しく聞こえたような気がした。


 雨に打たれ、その衣類を脱いでからもう数分が経っている。下手をすれば美咲は本当に風邪をひいてしまうはずだ。


 次第に、夏弥は美咲の体調が気になり始める。


「鼻炎持ちだったなんて初耳だ。……ていうか、嘘だよな?」


「…………」


 美咲は応えなかった。

 シャワーの流れる音だけが、無機質に浴室内で響いている。


「否定しないんだな。……やっぱり、風邪ひいてるんだろ」


「……違うと思うけど」


「……」


「夏弥さん……?」


 湯けむりの立ち込める中、今度は夏弥の方が黙り込んでいた。

 何かに葛藤していたらしいのだけれど、もちろんそれは美咲にはわからないことだった。


 それから夏弥は、ふとこんなことを言い始める。


「こういうのは、やめた方がいいんじゃないのか……?」


「……え? こういうのって?」


 美咲は夏弥の言っている代名詞が、今ひとつ読み取れなかった。


「なんていうか……こう、いたずらにエロいこと……というか」


「……。どうしてそう思うの?」


「まず美咲が風邪ひきそうだってのもあるけど。……俺は、もう少し健全に付き合いたいって思ってるから……。安く付き合いたくなんてないっていうか……俺は、もっと美咲と、深い所で繋がってたい」


 夏弥は強めに目を閉じる。

 俯いて、視界が暗くなって、聴覚や皮膚の感度が少し上がったような気がしてくる。


 恥ずかしさを乗り越えて吐き出した夏弥のセリフは、二人のためのものだった。


 美咲がどう思うのかはわからない。

 正しく伝えるためにはひどくエネルギーが必要で。そのくせ、割に合わず伝わらないケースだってある。でも、このままは嫌だと思っていた。


「……深いところでって……あたしには、よくわからないんだけど……」


「……わ、わかりにくいよな。ごめん。……俺だって、美咲と触れ合ってたいとか、エッ〇なことしたいって気持ちは…………ある。当たり前だろ、そんなの。俺だって男だし……。美咲は、か、かわいいしさ、身体だって反応するよ。恋人って、そういうことするものだよな。


 …………でも、分別をつけないまま欲望に流されていったら、なんだか美咲が軽くなっていくみたいで。それは…………少し嫌だなって…………。なんか、急にそんな気持ちが膨らんでくるんだよ」


「……」


 夏弥はとてもはがゆかった。

 美咲に身体を触れられることが嬉しいと思う反面で、そういった行為をされると、夏弥の胸のどこかで嫌な気持ちが小さく芽生えてきたりする。


 別に彼女に処女性を求めたりしているわけでもないのだけれど、それでも、手軽にエッ〇なことをしてしまうのは、文字通り手が軽くなっていくみたいで、妙に心が痛む。


 これは夏弥が本当に美咲を好きだからこそ、感じていることなのかもしれない。


「……あたしは、その、深いとこで繋がってるって感覚がよくわかんないけど……。気持ちの部分。ってこと……?」


「うん。……気持ちの部分で……だと思う」


「洋平の言ってた気持ち悪いって話……引きずってるわけじゃなくて……?」


「それは関係ない。俺は……美咲の気持ちと繋がってたいです……」


「~っ!」


 不意に告白された夏弥のセリフに、美咲はときめいてしまう。


 ――なんでそんなずるいこと言うの? あたしの気持ちと繋がってたいとか……。


 なんて思ってしまって。


 裸で抱き着く現状ですら十分恥ずかしかったのだけれど、さらに彼女の顔は熱くなっていく。無論、足の先は冷えたままだった。


 対する夏弥は、自分の想いが最大限伝えられる言葉を選りすぐって、話を続ける。


「だから……距離感とか……さじ加減を大事にしたいっていうか」


「……!」


 美咲は夏弥の言葉にハッとする。



 実際、夏弥の言う通り、美咲のこの入浴行為は、今の二人にとって少々行き過ぎていた。

 距離感も、さじ加減も、彼女は少し見誤っていた。


 でもこれは仕方なかったのかもしれない。


 美咲は、初めて恋愛というものを体験している。


 他に誰かと恋愛なんてしたこともなく、セクシャルな接し方だってまだまだどこか覚束ない。


 美咲が恋人との距離感を上手く掴めていなくても、それはなんら不思議じゃない。


 それに、恋人にも適度な距離感が必要であることを、今の彼女はすっかり失念していた。夏弥と付き合う以前の美咲は、恋愛についてあれこれと自論を構築していたというのに。


「……ごめんなさい」


 美咲はつぶやくようにそう言って、夏弥から手を離す。

 さらに少しだけ後ずさりして、距離を取る。


「いや、謝るのはむしろ俺な気がするんだけど……」


 背を向けたまま申し訳なさそうにしゃべる夏弥が、美咲には大人っぽく見えていた。

 美咲は少し恥ずかしくて、切なくなる。


 恋人同士になれば、夏弥への想いをいくらでも表現していいものだと思っていた節があったのかもしれない。


「慌てなくていいから、俺達のペースでいいと思うんだ。……こういうのも」


「……うん。そう……だよね。付き合ってるからって、変に力んでたのかも……」


 美咲は冷ややかにそう言ってみせる。

 自分を客観的に見ることで、彼女は冷静になり始めていった。


 一方、夏弥は後ろから聞こえてくる美咲の言葉に、少しだけやりきれない感情を抱く。


(……。一般的な恋愛関係って、やっぱりお風呂までは一緒に入らないよな……。は、入ってもいいんだろうけど……)


 夏弥が閉口したまま思考を巡らせていると、美咲はさらに気持ちをこぼす。


「それに、秋乃が来るって思ったら……なんか焦っちゃったっていうか……」


「……そっか」


「ごめんね。……もう、充電とか…………言わないから」


「美咲――


 夏弥がそう言い掛けたのとほぼ同時に、美咲は浴室ドアを開けて出ていった。

 出て、すぐにまたドアが閉められる。


 夏弥はその閉められた音に反応して、ゆっくりと後ろを振り返った。


 ドアに映っていた美咲の影は、そのまましばらくじっとしていて。

 何も言わないものかと思っていたのだけれど、そうじゃなかった。


「……あたし、お風呂はまた後で入るね。夏弥さんは…………ゆっくり入って」


 ドア越しに聞こえる、くぐもった美咲の声。


「……あ、ああ」


 ため息のような生返事が、夏弥の口からもれる。


 夏弥はそこからしばらくの間、なぜか浴室から出てはいけないような気がしたのだった。

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