Chap.9
「タカ君て他の世界の人だったんだ」
ベラにおやすみなさいを言った後、明日の予定を話し合おうと二人で鷹雄君の部屋に入るが早いか、鈴は言った。もう一秒たりとも待てなかった。文字通り口から言葉が飛び出してしまった。
「僕じゃなくて曽祖父と曽祖母がね。ああ、だから祖父もそうだね。日本育ちではあるけど。僕は四分の一だけ」
淡いグリーンの絨毯の上の大きな白いソファに並んで腰を下ろし、さらっと言う鷹雄君をまじまじと見つめる。
他の世界の人の血を引いてるんだ…。
そんな鈴を見て鷹雄君が笑った。
「リンもじゃない。お母さんが他の世界の人なんだから」
「え」
お母さんが、他の世界の人。
「…そっか」
言われて初めて気がついた。自分の間抜けさ加減に呆れる。
私も、他の世界の人の血が混ざってるんだ。なんだか変な感じ…。
「そういう人って結構いるんだと思うよ。世界と世界のつながりは大昔からあるみたいだから」
鷹雄君はこともなげに言ったけれど、なんだか現実のこととはとても思えなくてぼうっとしてしまう。
「そうなんだ…。ね、ルキって何?」
「ルキっていうのは、そこの世界の古代語で魔法使いっていう意味。魔法大学を卒業するともらえる学位なんだ」
「魔法大学ってたくさんあるの?」
「それぞれの国に一つずつだけ。曽祖父と祖父が行ったのはルビナスっていう国の首都カッサにあるカッサ魔法大学。ルビナスは他の国よりも魔法学が盛んだから、カッサにだけは魔法高等学校もあるんだ」
鷹雄君の目がキラキラしている。
「タカ君…もしかしてそこに行きたいの?」
「できればね。父が反対してるから行かれるかはまだわからないけど、粘って交渉し続けるつもり」
「そっか…」
じゃあ、中学卒業したら、別々の高校どころか別々の世界か…。
ため息を押し殺して、他の質問をする。なんせ知りたいことがいっぱいなのだ。
「この世界…四季の世界と、その魔法大学のある世界は、つながりがあるのね?」
「そう。春の国とのつながりのことしか知らないけど、カッサと春の国は昔から交流があって、カッサ魔法大学を卒業したルキが春の国の魔法塾の先生として来たりすることが多いんだ」
「それでベラさんもカッサとかルキとか知ってたのね」
「そうだろうね。春の国の大部分の人たちは魔法に興味がないらしいけど、でもベラさんは賢女の親友みたいだし、それで知ってたのかもね。賢女の先生も多分カッサから来たルキだっただろうし」
「なるほどね…。タカ君もカッサの魔法大学で勉強してルキになりたいんだ」
「うん。魔法学にも色々あるんだけど、魔法数学がやりたい。でも魔法医学もいいなって思ってる」
「そっか…」
魔法数学に魔法医学か。どんなものか想像もつかない。なんだかうんと遠くに行っちゃうんだな…。
またため息が出そうになって、危ういところで呑み込む。
「その世界って、誰でも行かれるの?」
「春の国からだと、魔法を持ってる人じゃないと行かれない」
「魔法使いってこと?」
「ちょっと違う。血液の中に魔法の要素がある人のこと。僕たちの世界にも、自分では気づかずに魔法を持ってる人たちは結構いるんじゃないかって言われてるんだって」
結構いる?密かにどきどきする。
「…魔法を持ってるかはどうやってわかるの?」
「向こうの世界だと、生まれた時の血液検査でわかる。僕たちの世界だとそんな検査はないから、例えば春の国から向こうの世界に行く公式の『扉』を通れるかどうかで分かったりする。だから向こうの世界で生まれた祖父は、生まれた時から魔法を持ってるって分かってたけど、僕たちの世界で生まれた父の場合は春の国の『扉』を試してみるまでわからなかったんだって」
「へえ…」
「もちろん、実際に魔法ができればそれでもわかるよ」
鷹雄君が鈴を見てにこりとした。
「試してみる?」
「えっ」
心の中の密かな期待を読まれていたようで赤くなる。
「リンも、多分魔法を持ってると思う」
「ほ、ほんと?」
「うん、ほぼ確実。今日の移動の時、するっとできちゃったし、榎田駅の夢のこともあるしね」
嬉しくて心臓の位置がぐぐっと上がったような感覚。
「どうやって試すの?」
「浮かんでみるのが一番手っ取り早いかな」
鷹雄君が立ち上がる。一緒に立ち上がりながら、急にどきどきし出した胸を宥めようと息をついた。
できなかったらどうしよう…。
ふとお母さんが「もう浮かぶことすらできなくなった」と言っていたことを思い出し、心の中で拳を握り締める。昔お母さんにもできたことなら、私にだってできたっていいはずだ。
鷹雄君が鈴に向かい合って両手を差し出す。
「手貸して」
しっかりとした手に両手を預ける。
「目つぶって」
大人しく目を閉じる。
「『浮かぶ』っていうことに意識を集中して。焦らなくていいから。ゆっくり時間かけて。浮かぼうとするんじゃなくて、『浮かぶ』っていうことにだけ意識を集中させて」
ゆっくりと深呼吸をして意識を集中させる。
浮かぶ。
その言葉が頭と身体の奥のどこか深いところにすうっと降りていった。
と思う間も無く、今度はその深いところから不思議な感覚が身体中に広がっていく。毛細血管の隅々まで。
足の下の、絨毯の感触が消えた。
「よし、そのまま」
鷹雄君の声に感嘆と微笑が含まれている。
もう、どきどきはしなかった。
ものすごく懐かしいような、身体中の血管が何かに「おかえり」と言っているような、ずっと昔大好きだったことを久しぶりにやっているような感覚。
瞼の向こうが明るい。
「目開けてもいい?」
「いいよ」
鷹雄君の手がちょっと緊張するのがわかった。そっと目を開ける。
二人は天井近くまで浮かび上がっていた。顔のすぐそばでシャンデリアが煌々と輝いている。
鷹雄君の手と顔がリラックスする。
「…やったことあったんだ」
「そうみたい。記憶にはないの。でも、懐かしい感じがする。身体が…血が…覚えてるみたい」
身体中を満たす強烈な懐かしさにふんわり夢見心地で答えると、鷹雄君が柔らかく微笑んだ。
「Welcome back」
本当は夜の庭の上を空中散歩でもしたい気分だったけれど、ベラ以外の人達に見られては困るので、鷹雄君の部屋の中でゆらゆら浮かびながら話を続けた。
「タカ君はどうやって魔法を持ってるのが分かったの?」
「カッサに行く『扉』で。その時通ったのは春の国にある『扉』じゃなくて、アメリカのB市にある『扉』だけど」
びっくりして空中で身体が滑った。
「アメリカ?」
「そう。僕たちの世界にもカッサと繋がってる『扉』がいくつかあるんだ。残念ながら日本にはないけど、アメリカとカナダ、イギリス、それからフランスにある」
「そうなんだ…。でもどうしてアメリカ…、あ、そうか。住んでたんだものね」
「うん。十二歳の誕生日の前日に、日本から訪ねてきてた祖父が、父には内緒でカッサに連れていってくれてね。僕たちの世界からだと、魔法を持ってない人でも行かれるんだよ。そういう人たちには、『扉』のところで、魔法の力のあるブレスレットを貸してくれるから。でも僕はブレスレットなしで通れたから、それでわかったんだ」
「そっか…。びっくりした?」
「びっくりしたし、嬉しかった。なんていうか…今までどっかにいっちゃってて見つからなかった自分の一部分が見つかったみたいな」
思わず息を呑む。
「その表現ぴったり。すごくよくわかる」
今までどっかにいっちゃってて見つからなかった自分の一部分が見つかった…。
なんだか胸がじんとした。さすが鷹雄君。いいこと言うなあ。
「カッサってどんなところ?」
「んー、外見的には、一言で言うとヨーロッパ風かな。カッサには『扉』があるから、いろんな人種の人達が歩いてるけど、町並みはヨーロッパの古い都市って感じ。よかったら今度一緒に行ってみる?」
ものすごく嬉しい。
「うん!行ってみたい!」
ちょっとドキドキする。それって、なんていうか、ちょっとデートみたいなのかな。…いやいや、そんなふうに考えない方がいい。落ち着け自分。
「ね、じゃあ、春の国にはどうやって行ったの?」
「初めての時は、祖父と一緒にカッサから『扉』を使って行ったんだ。でもその後は主に指輪を使って行き来してる。賢女の弟子になってからは榎田の家を使うことが多くなったけど」
「…指輪?」
次々インプットされる新情報に、脳の細胞達ががおおわらわだ。
「春の国と僕たちの世界とのつながり方って、ちょっと変わってるんだ」
鷹雄君が人差し指をぴっと立てて、暗唱するように言う。
「青い月の宵にだけ、春の国の門が開く。その数時間だけ、眠っている間に、夢の中で、誰でも春の国にアクセスできる。青い月が沈む頃、客人達はみんな、種を一粒ずつもらって帰る。目が覚めて、夢の中のことを覚えていられて、種をちゃんと蒔いて育てることができると、花が咲く。その花の中から指輪が出てくる。その指輪をはめると、いつでも春の国に来ることができる」
鈴は空中で気絶するふりをしてみせた。
「…めんどくさーい!」
鷹雄君がくすくす笑う。
「だよね」
「それ、タカ君やったの?」
「まさか。だってこの前の青い月の宵には、僕はまだ生まれてないもの」
「…ああ、そうか。約十五年に一度だもんね」
「僕が使ってるのは、曽祖父のだった指輪。曽祖父は、いつもはカッサから『扉』を使って春の国に行ってたんだけど、ちょうど青い月の宵が来る頃に春の国の知り合いから指輪の話を聞いて、面白そうだからやってみたんだって」
「へえ…」
鈴はちょっと考えた。
「青い月が出てる間に眠ってる人たちは、みんな揃って、夢の中で春の国に行くってこと?」
大混雑になりそうだ。
「みんなじゃなくて、行きたい人は、ってことだね。 例えば、夢の中で道を歩いてたら、『春の国』って書いてある道標が出てて、へえ、行ってみたいな、って思ってそっちに歩いて行ったら…とか、夢の中で郵便受けを開けたら、春の国からの招待状が来ていて、それで行ってみたいなって思ったら妖精が現れて連れて行ってくれたとか、体験談としてはそういうのが多いらしいよ」
「ええー、おもしろそう!」
さっきはめんどくさいと思ったけれど、なんだか素敵だ。
鷹雄君はくすっと笑って、
「曽祖父は、ちょっとズルしてるんだよね。朝起きた時、夢の中で何があったのかは全く覚えてなかったんだって。だから、種だの指輪だののことを事前に知っていなければ、起きた時に手の中に握っていた種のことだって『なんだこれ』って捨てちゃっただろうけど、知ってたから種を蒔いて花を育てて、首尾よく指輪を手に入れることができたんだ。夢を覚えてられることって結構少ないもんね」
鈴は頷いた。確かにそうだ。見た夢を思い出せる朝の方が断然少ない気がする。
「…お父さんはどうだったんだろう。春の国に遊びに来ててお母さんに会ったってお母さんが言ってたけど」
「指輪だけ偶然手に入れて春の国に来たって例もたまにあるらしいよ。骨董品屋で売られてたとか、フリマで買った鞄に入ってたとか」
「川底に落ちてたとか、洞窟に落ちてたとか」
「それじゃトールキンだよ」
二人で笑う。ちゃんと話が通じて楽しい。
「ねえ、今思ったんだけど…。そんなふうだと、すごい悪人が来ちゃったりする可能性だってあるわけでしょ。殺人狂とか、世界征服を企むような人とか」
「それ!僕も考えたことあるんだ。で、夏の国と冬の国が他の世界に対して『鎖国』してるのって、もしかして過去にそういうことがあったからなのかなって思ったりもして。春の国の人たちに聞いても知らないって言われて…。ベラさん、何か知ってるかな。明日訊いてみようか」
「そうだね」
鷹雄君と話すの楽しいな、と鈴は改めて思った。教室でも色々話すのは楽しかったけれど、今はもっと距離が近くて自由な感じ。それに、会話の内容が楽しいだけじゃなくて、話している鷹雄君の顔を見ていたり声を聞いていたりするのがなんだか嬉しい。
一緒にいられて嬉しいな。
幸せでふわふわしているのは身体が空中に浮いているからだけではないようだ。梨香が言ってたのはこういうことなのかな…と考え込みかけてハッとする。そんなことより明日のことを決めなくては。
「ところで、どうする?明日。どこに探しにいけばいいと思う?」
大事な話なので、ソファの鷹雄君のところにふわりと戻って腰を下ろした。ソファの背に座っていた鷹雄君が微笑む。
「やっと戻ってきた。久々なのにそんなに浮かんでて疲れてない?」
「ううん、平気。明日も自転車じゃなくて飛んでいかれるんだといいのにな」
鷹雄君がおかしそうに笑った。
「そんなことしたらすごい筋肉痛になって大変だよ。で、リンはどこに行ったらいいと思う?」
「うーん…」
鈴はベラが言っていた観光名所を一つ一つ思い出しながら考える。
「叔母さんがどんな人で、どんなことが好きな人なのかわかるといいんだけど…」
「わかってることなら少しあるよね」
鷹雄君が静かに言葉を並べる。
「賢女の次女。跡継ぎだった姉が十五年くらい前に駆け落ちしたので、今度は自分が跡継ぎになった。母親は厳しい人。自分が姉のように駆け落ちしたら困るという理由で、姉の駆け落ち以来約十五年間あまり外出させてもらえないし、人との交流もあまりさせてもらえない」
「十五年前?」
「推測だけどね。だってリンが十四歳だから」
「ああ…」
十五年前。青い月の宵と同じ頃。
やっぱりお父さんは前回の青い月の宵に春の国に行ったのかな。そしてお母さんに出会って、恋に落ちて、駆け落ち?…まったく。
「…十五年間も半監禁状態で暮らさなくちゃいけなかった叔母さんの身にもなってみろってのよね」
「まだ怒ってんの?」
鷹雄君が苦笑する。
「だってあんまりじゃない。私が十五年間もそんなふうに家に閉じ込められたら…」
「そうしたら、家を出てどこに行きたいと思う?」
鈴はうーんと唸って考えた。
「ベラさんが話してくれた場所の中でだったら、遊園地と水族館。朝市もいいけど、でも一番は断然遊園地」
鷹雄君が頷いた。
「じゃ、まず遊園地に行ってみよう」
鈴はちょっと笑って鷹雄君を見上げた。
「私だったら、だよ。叔母さんは大人だもん。大人は遊園地なんて行かないんじゃない?」
鷹雄君が訝しげな顔をした。
「リン、遊園地行ったことないの?」
「もちろんあるよ。ディズニーとか大好きだし」
「大人だっていっぱい来てるじゃない」
「子供の付き添いででしょ?」
「大人同士でだよ。結構いっぱい来てるよ」
「ええー、そう?」
半信半疑の鈴を見て鷹雄君がくすくす笑った。
「なんか想像できる。歩いてる時も、並んでる時も、ずーっと友達と喋ってるでしょ」
「…そうだけど」
「だから気づかないんだね」
おかしそうに言われて赤面しつつ反論を試みる。
「二十代の若い大人だったらデートとかで来てるかもしれないけど、叔母さんてきっと三十代でしょ。そんな年の大人が遊園地に行く?」
「それくらいの人たちだっていっぱい来てるよ」
鷹雄君が真面目な顔をして言う。
「十五年間外にもあんまり出られず人にも会えずだったら、楽しいことだってあんまりないよね。賑やかで楽しい遊園地に惹かれるっていうのは十分あり得ると思う。景色の綺麗なところとか、静かなところより、そういう方が可能性が高いかもしれない」
にこりとしてソファの背から鈴を見下ろす。
「行ってみようよ、遊園地。リンは魔法を持ってるだけじゃなくて、なんていうのかな、うんと簡単で雑な言い方をするなら、春の国のことに関して勘が働くんだと思うんだ」
「勘?」
「うん。あの榎田駅の夢のことにしたってそうだよ。一週間くらい前っていったら、叔母さんが家出をした頃だよね。賢女は最初、僕が魔法でリンにあの夢を見せたんだと思ったらしいけど、僕はそんなことしてない。リンは自分で自然にあの夢を見たんだ。そんなの、とてもじゃないけどただの偶然とは思えない。リンには魔法だけじゃなくて賢女の血が流れてるし、リンの中の何か…本能みたいなものが、多分一族として、春の国を助けようと、今回の問題を解決しようと、動いてるんじゃないかと思う。だから、リンの思う通りに…勘に従ってやってみたらいいと思うんだ」




