Chap.8
ベラの言った通り「ねむの花」と書いてある雨晒しの道標に従って左に曲がる。しばらく行くと、木造の大きな門があった。上はバラのアーチになっていて、甘い香りが辺りに漂っている。
鷹雄君が門の脇にある呼び鈴に手を伸ばすと、いきなり上の方からシュッと音をさせて青白く光る何かが飛んできた。二人思わず身を屈める。
「ベラに用なの?」
二人の顔の高さあたりに浮かんでいるのは妖精だった。手のひらに載るくらいの大きさ。羽は高速で動いているのでブレていてよく見えない。ピーターパンのような格好をしている。妖精に性別があるのかどうかはわからないが、どうも男の子っぽい。
「はい」
鷹雄君が返答し、鈴も頷く。
「隣の世界から何の用?」
楽しそうに言われて、二人とも固まってしまった。どうして隣の世界から来たってわかったんだろう?
妖精は何も言えずにいる二人を見比べていたけれど、つっと移動して鈴の顔のそばに来て繰り返した。
「隣の世界から何の用?」
「え…っと」
どうしよう。
「…どうして隣の世界から来たってわかったの?」
とりあえず逃げてみると、妖精は小さな肩をすくめてみせた。
「そんなのわかるに決まってる。目があるからね。で?何の用で来たの?」
どうする⁈
妖精が鈴の顔の真ん前でじっとこちらを見つめている。鷹雄君の方を見て助けを求めてはだめだと直感で悟った。
試されている。
正直になろう。
鈴は心を決めて口を開いた。
「人を探してるの。でも夏の国では私たちは本当は入国禁止だし、それでベラさんに手伝ってもらうために来たの」
「誰を探してるの」
「私の叔母さん」
妖精が満足げに頷いた。
「春の賢女の跡継ぎだね」
びっくりする。
「どうしてわかるの」
妖精はまた肩をすくめた。
「頭があるからね」
そしてにこりと笑った。
「気に入ったよ、鈴。正直な子は好きだ」
名前を呼ばれて目を丸くした鈴に片目をつぶってみせ、
「僕の名前はレイン。困った時はいつでも呼んで。助けるよ」
そしてまたシュッと音をさせてどこかへ飛んでいった。
「…あ、ありがとう」
遅すぎるお礼を言って、鷹雄君と目を見合わせる。
鷹雄君が微笑んで頷いた。
「さすが」
心からの賞賛がこもっていた。
呼び鈴を押すと、重い木の門がぎぎいとひとりでに内側に開いた。門の中に続く石畳の道を自転車を押して歩く。
森の中とは違って木の数がずっと少ないので、ここは夕日の名残でまだ少し明るい。石畳の道の両脇にはバラが植えられていて、少し先に見える大きな石造りの家にもつるバラが絡んでいる。
道の左手には広い芝生の庭があり、真ん中にとてつもなく大きなねむの木がゆったりと枝を広げていた。
「わあすごーい!大きい!」
こんな大きなねむの木を見たのは初めてだった。かわいらしい花がたくさん咲いている。
鈴の歓声に応えるように、まだ先の方にある家のドアが開いた。
「着いたわね、いらっしゃい!」
ベラがここからでもわかるくらいの大きな笑顔を浮かべ、大声で呼ばわる。
手を振って応えながら、鷹雄君が小さい声で言った。
「話すことに気をつけて」
「了解」
しっかり頷く。
春の国出身で賢女の昔の学校友達だったベラは、賢女のことはもちろん、鈴と鷹雄君が他の世界から来ていることも知っているが、叔母さんの家出のことは知らない。
賢女のところで魔法の修行をしている鷹雄君とまだ見習いを始めたばかりの鈴が、向こうの世界の夏休みを利用して夏、秋、冬の国を見学したいと願い出て、今後の修行のためにもそれが有効であると考えた賢女がベラの協力を頼んだ、という筋書きだ。余計なことを喋らないように気をつけなくては。
「ようこそ我が家へ!」
にこにこして二人を家に迎え入れながらベラは言った。背の高さは鈴と同じくらい。さっきとは違って、クリーム色のゆったりとした絹のブラウスとこれもゆったりとしたベージュのスボンを身につけている。帽子の代わりなのか、カールしたダークブロンドのショートヘアに大きなすみれの花がいくつもついたヘアバンドをして、金のイヤリングやネックレス、ブレスレット、指輪を山ほど身につけている。
「お部屋に案内するわ。ジャーヴィル、ねむの木の下にテーブルの支度をね。夕食の前にまずアイスクリームをいただきますから用意してちょうだい」
「かしこまりました」
すぐ近くで男の人の声が聞こえてびっくりする。黒っぽい制服を着て髪をきれいに撫でつけた姿勢のいい男の人が、会釈をして立ち去るところだった。
濃い紫の絨毯を敷き詰めた広い階段を上りながらベラが楽しそうに言う。
「私はね、アイスクリームが大好物なの。ですからうちのコックはアイスクリーム作りの名人よ。若い頃から私に鍛えられていますからね」
二人の部屋は隣同士だった。鈴の部屋には淡いラベンダー色の絨毯が敷き詰められていて、大きなフランス窓からバルコニーに出られるようになっている。トイレと洗面所と素敵なお風呂——石造りで、床に色とりどりの石を使った扇型のバスタブが埋め込んである——がついていて、ベッドはなんと天蓋付き。まるでお姫様かハリーポッターの世界だ。鈴はわくわくした。早くこのベッドで休んでみたい。
アイスクリームが大好物と言ったベラの言葉は誇張ではなく、ねむの木の下に美しく設られた席でベラが食べたアイスクリームの量はものすごかった。 十種類以上もあるアイスクリームは確かにどれもとてもおいしくて——鈴はコーヒーアイスクリームと桃のアイスクリームが一番気に入った——、鈴も鷹雄君もこの後すぐに夕食だという事実を無視してたくさん食べたのだけれど、ベラの食べた量に比べたら、ベラが言ったように
「まあ、そんなぽっちりでいいの?遠慮しなくていいのよ」
ということになるだろう。
アイスクリームを楽しんでいるうちにあたりはすっかり暗くなって、庭のあちこちにぼんぼりのようなかわいい明かりが灯った。
ジャーヴィルと二人のメイドさんたちが、晩餐の席の周りに薄いヴェールの大きなテントを張ってくれた。ねむの木が直に見られなくなってしまって残念だけれど、虫が入ってこないのはありがたい。
夕食の間はジャーヴィルやメイドさんたちが周りにいるので、話題は主に夏の国の観光名所のことだった。
余計なことを口走らないように大人しく話を聞いていてわかったことは、夏の「国」とはいってもそう大きくはないらしく、直線で国境から国境まで自転車で横切るだけなら半日くらいあれば足りそうだということで、鈴は内心ほっとした。五日間しかないのに行かなくてはならない国は三つもあるのだ。
しかし、もちろん叔母さんを探すのにただ夏の国を横切ればいいというものではない。できるだけ色々なところに行ってみなくてはならない。鈴は次々に運ばれてくるおいしい夕食を楽しみながら——直前にあんなにアイスクリームを食べなければもっとおいしく感じられただろうが——注意深くベラの話に耳を傾けた。
国中で一番美しいビーチや有名な水族館、うっとりするような香りとその風景の美しさで大人気の桃園(さっき食べた桃のアイスクリームはその桃園の桃を使っているそうだ)、幻の青い百合が咲くと言われている高原、水の神が住むという伝説のある山奥の滝、この世界で一番大きな、年中無休で二十四時間営業の遊園地、世界中から商人達が集まる朝市…とベラの詳細にわたる話はデザートのイチゴのムースの時まで続いた。
「そうそう、それから魔法博物館と、魔法サーカスも人気ね。あなた方は興味がないでしょうけど」
鈴は言われた意味がよくわからなくて反応し損なってしまったけれど、鷹雄君は苦笑して、
「ええ、まあ…」
と答えた。
「私もね、やっぱりハルミさんと仲良くしていたから、ああいうものにはあまりいい気持ちを持てないのよ。ハルミさんはいつも言っていたわ。魔法はお遊びじゃない、って」
ベラは懐かしそうに微笑んだ。
「ハルミさんはねえ、いつも本当に毅然としていた。ある時、何かのはずみで、あの人が魔法の修行をしているっていう話が学校で広まったの。何人かの男の子達があの人のところへ行って、冷やかし半分に、何か魔法をやってみせてくれって言ったわ。あの人、毅然としてその人たちを見やって、『魔法は見世物じゃないわ。お遊びでもない』って。とってもカッコよかったのよ」
うふふと笑って、少女のように頬に手を添える。
「私はね、今もだけれど、太った女の子だった。あの頃はそれが辛くて辛くて。学校でも散々デブだのブタだの鯨だのって言われていて…。子供って残酷ですものね。ある日思い切ってハルミさんに訊いたのよ。魔法で私を痩せさせてくれることはできないの?って。そうしたら、素っ気なく『そんなことを魔法に頼るのは間違ってるわ。本当に痩せたいならアイスクリームを食べるのをやめて運動しなさい』って言われてしまった。でも決して冷たい人ではないのよ。確かに厳しくはあるわ。でもね、冷たい人ではない」
食後のコーヒーをテーブルに置いたジャーヴィルを下がらせると、ベラはふかふかの大きな白いクッションに寄りかかり、さも満腹だというようにため息をついてにっこりとした。
「さあ、ようやく私達だけになった。それで、ハルミさんはお元気なの?今日はなんだか心にかかることがあるような雰囲気を感じたのだけど」
「ええ、このところお忙しいようで、少しお疲れが出ているんじゃないかと…」
鷹雄君が無難な言い方をすると、ベラがぽっちゃりした手を合わせた。
「ああ!そういえばもうそろそろあの儀式の時期なのではないかしら?」
鷹雄君がちょっと驚いた顔をする。
「ご存知なんですか」
「もちろんよ。これでもハルミさんの一番の友人と思っていますからね」
ベラが胸を張る。
「確か、十五年に一度とかではなかったかしら?」
「大体そのくらいです。その時によって、一、二年のずれはあるそうですが」
「そうなの…。その日が近いのね。それでなのね」
ベラは何度か頷いて、
「でもそんな大切な時期に、お弟子のあなた達が学習旅行なんてしていていいの?」
「僕たちは儀式のお役には立てませんから。却って僕たちがいない方が賢女も儀式の準備に専念できるということで…」
「ああ、なるほどね」
にっこりとしてコーヒーを飲む。
「ところで…訊いてもいいかしら。どうしてハルミさんのお弟子になったの?」
それは鈴も知りたいと思っていた。ミルクをたっぷり入れたいい香りのコーヒーに口をつけながら耳をダンボにする。
「曽祖父がルキなんです。カッサ出身の」
ベラは目を丸くして
「まあ!」
と言い、鈴は煙に巻かれた。な、なんの話だろう。
「春の国を通して日本を知るようになって、日本を好きになり、後に妻子と共に移住しました。祖父もルキになったんですが、父は色々あってルキにもなれず、日本での生活にもうまく馴染めず、二つの世界のバランスがうまく取れなくて苦労したそうです。それで僕には同じ苦労をさせたくないということで、僕は十二歳になるまで魔法のことも他の世界のことも知らされずに育ちました。初めは春の国の魔法塾に行っていたんですが、魔法塾の先生に勧められて三週間ほど前から賢女のところでも学ばせていただくようになったんです。彼女は、」
と、リンを見て、
「日本の学校の友達なんですけど、ちょっとした偶然から魔法を持ってるのを発見したので、春の国に連れてきてみたんです。見込みありということで、賢女が初歩から教えてくださっています」
もちろん本当ではないけれど、鈴もそうなんですと頷いた。
「まあ、そうだったの…」
ベラは目を細めて二人を交互に見ると、鈴の方に身を乗り出して大きく微笑んだ。
「あのね、私、初めてあなたを見た時から誰かに似ているなって思っていたのだけど、今わかったわ。どことなくハルミさんに似ているのよ。あのハルミさんが初歩から教えているなんて、あなたとても才能があるのでしょうね。ハルミさんもきっと、自分に似たものをあなたの中に見出したのかもしれないわ」




