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春の音が聴こえる  作者: 柏木みのり
3/14

Chap.3

 「入りなさい」

 威厳のある声が応えた。

「失礼します」

 鷹雄君の手が、鈍い金色に光るドアハンドルを押した。重そうな厚いドアがすうっと内側に滑らかに開いた。

 広い部屋だった。

 レースのカーテン越しの心地よい光が溢れて明るい。壁紙も敷き詰められた絨毯もふっくらした大きなソファも象牙色。ガラスの低いテーブルの上にはお茶の用意がされている。左の奥の方には一段高くなった部屋が続いており、緩やかに引き絞られた金のふさのついた象牙色のカーテンで半ば隠されていた。

 そのカーテンの向こうの部屋から、背の高い女の人が現れた。

 五十代か六十代くらいだろうか。高く結い上げた栗色の髪。美しいけれどもきつい感じのする顔。絨毯やカーテンと同じ象牙色の長袖ハイネックのロングドレス。喉元には大きな金のブローチが留めてある。

 女の人はじろりとこちらを一瞥すると、

「この子の母親はどうしたのです」

 鷹雄君が少し驚いたように言う。

「まだお着きでは?」

「着いていないから訊いているのです」

「鈴さんを巻き込みたくないから一人で行くと仰って出かけられたので、てっきり…」

 女の人は眉をしかめた。

「まさか電車で来るつもりではないでしょうね、まったく。なんという時間の無駄でしょう」

 苛立たしげにため息をつくと、

「座りなさい」

 と言って、自分がまず一人掛けのソファに腰を下ろした。鷹雄君に促されて鈴も大きなソファにおずおずと座った。座り心地がいい。

「鷹雄も座りなさい」

 そう言われて初めて鷹雄君は「では失礼します」と言って鈴の隣に座った。なるほど、ボスと部下のようだ。

「時間がないので話を始めましょう。鈴、」

 急に名前を呼ばれて鈴はびくっとした。

「は、はい」

「簡潔に話します。よくお聞きなさい。

 我が家は代々、春という季節を守ってきました。春の賢女達と言われる私達が、青い月の宵ごとに春のを歌う。そうすることで全ての世界の春を美しくすることが私達の役目です。ところが、私の跡を継ぐはずだった上の娘が、無責任にも私達の世界を捨てて駆け落ちしました。春の賢女としての役目は下の娘が継ぐことになりました。しかしその下の娘がつい最近行方不明になったのです。春のは春の賢女が二人で歌うもの。青い月の宵の前に下の娘を早急に探さねばなりません」

 女の人が話し終わり、誰も何も言わないので部屋はしんと静かになった。  

 女の人はきつい目で鈴を見つめている。何か言うのを期待されていることは痛いほどよくわかるけれど、なんと言っていいかさっぱり分からなかったので、鈴は何も言わずに女の人を見つめ返した。沈黙は金だ。

「何か言うことはないのですか」

 女の人が苛ついた口調で言った。

 嫌な言い方。鈴はちょっとムッとした。目上の人だろうとなんだろうと、威張られるのは嫌いだ。優れた人はこんなふうに威張ったりしないと聞く。実るほど頭を垂れる稲穂かな。小学生の時に習った。こんな人に愛想良くする必要はないと思った。

「特にありません」

 無表情にはっきりと言うと、女の人の眉がおかしいくらいに高くひゅっと上がった。

「まあ!」

 今度はその眉が急降下して不快そうにひそめられる。

「この反抗的な態度!母親によく似ていること。血は争えませんね」

「賢女…少し説明不足では」

 鷹雄君が静かに言う。

「どこが不足だと言うのです」

「ご自分と鈴さんの関係を説明されては?」

 賢女はふんと鼻で笑った。

「この状況で今の話を聞いてそんなこともわからないようではね。鷹雄の報告では成績優秀ということだったけれど、怪しいものですね。きっと学校のレベル自体が相当低いに違いない」

 鈴はさっきの三倍くらいムッとした。なんて嫌な人だろう。

「つまり、駆け落ちをした無責任な娘というのが私の母で、あなたは私の祖母ということですか」

 顎を上げて思い切り冷ややかに言った。

「そうです。おばあさまとお呼びなさい」

 嫌なこったと舌を出したいのを堪える。

「お茶を」

 賢女が言い、鈴は自分に言われたのかと思ってまたムッとした。どうしてこんな人に命令されなきゃいけないんだ。

 すると、ガラスのテーブルの上のやはり象牙色の地に華やかな金色の模様が描かれている大きなティーポットがすっと宙に浮き、ティーカップにお茶を注ぎ出した。

 鈴はびっくりして目を見張った。すごい!これって魔法?隣に座っている鷹雄君を見る。

「これ、鷹雄君がやってるの?」

 鷹雄君が微笑んで首を振る。

「この屋敷に住んでる魔法とでも言ったらいいかな」

 賢女が立ち上がった。

「この子の母親が来るまで私は調べ物をします。時間がもったいない。鷹雄、この子が聞きたいことがあれば話しておやりなさい」

 衣擦れの音をさせて足早に部屋を出ていく賢女の後を、紅茶の入ったティーカップと受け皿がすうっと追っていった。賢女とティーカップの後ろでドアがそっと閉まった。

「……信じられない」

 ソファのふかふかした背もたれにどさりと倒れこむ。鷹雄君が同情顔で小さく笑った。

「びっくりした?」

「そりゃあね」

「ミルクと砂糖は?」

「ううん。いつも入れないの」

「僕もだよ」

 おんなじ。ちょっと嬉しくなる。でも今はそんなことで嬉しがっている場合ではない。

「さっきの話だけど…。つまり行方不明になってるのはお母さんの妹、私の叔母さん、っていうことなのね?」

「そうだね」

「何があったの?誘拐とか?」

「いや、それがどうも家出らしいんだ」

「家出⁉︎」

 鈴は目を丸くした。大人でもそんなことするんだ。

「うん。理由とか詳しいことは僕は聞いてないんだけど、それは確かみたい」

「叔母さんて、結婚してないの?」

「してないと思うよ。確か賢女は結婚しないって聞いた」

「じゃ、あの賢女さんと一緒に暮らしてるんだ」

「そうだろうね、多分」

「じゃ、家出の理由なんて簡単。賢女さんでしょ。あんな高慢ちきの威張り屋となんて、誰だって一緒に暮らしたくないに決まってる」

 ふんと鼻を鳴らすと、鷹雄君が苦笑して囁いた。

「壁に耳あり」

 おっとしまった。首を縮める。魔法の住んでるような家だもの、どこにいてもこっちの言うことが賢女に聞こえたりするのかもしれない。

「で、えーとなんだっけ、青い月の宵?それが来る前に叔母さんを見つけて連れ戻さないと困るのね?」

「そう」

「私とお母さんに、叔母さんを探すのを手伝って欲しいってことなの?」

「まあ、主にお母さんにってことだね。賢女同士っていうのは、例え姿を変えていても、会えばお互いにわかるそうだから」

 目を見張る。

「姿を変えることなんてできるの?」

「そうらしい。で、家出をしたからには、見つけられたくないわけだから姿を変えている可能性大だよね。だからリンのお母さんに探しにいって欲しいんだと思う」 

「なるほどね。でもじゃあ私はどうして呼ばれたの?」

「さあ、それは僕にはわからないけど…。孫に会いたかったんじゃないのかな。ずっと会ってなかったんでしょ?」

「うん…五歳くらいの時にね、多分会ったんじゃないかと思うんだけど…」

 さっきから考えていた。前に賢女に会ったかどうか。

「全然思い出せないの。会ったことがあるなら、再会したとき『見覚えがある』って思うはずじゃない?」

「それはケースバイケースだよ。小さかったんだし、会ったけど覚えてないってこともあるんじゃないかな」

「そうだね…」

 香り高い紅茶を一口飲む。おいしい。なんだかまだ少しぼうっとする頭を整理する。質問したいことがいっぱいで、何から先に訊けばいいのかわからない。記憶を巻き戻して、賢女の言っていたことを思い出してみる。

「…あのね、『()()()()世界を捨てて』って言ってたでしょ。それってつまり、賢女さんたちが住んでる別の世界があるってことなのね?ナルニアみたいに」

 鷹雄君とは少し前に学校でナルニアの話をしたことがある。今まで読んだ中で一番好きなシリーズだと話したら、にこにこして

「いい物語だよね。ちょっと宗教色が強いところがあんまり好きじゃないけど」

 と言われて、口では

「ああ、なるほどね」

 と返したけれど、実はそんなことを考えたこともなかった鈴は内心舌を巻いた。宗教色だって。さすが鷹雄君。ただただ物語を楽しんでいた自分がずいぶん子供のように思えて、ちょっと悔しかった。

「そう。複数ね」

「複数?…ああ、そうか、()()()世界の春を美しくする、って言ってたものね。その青い月の宵に、賢女が二人で特別な歌を歌わないと、いろんな世界の春が美しくなくなっちゃうってわけね」 

 鈴はふうんとため息をついてまたティーカップに口をつけた。

 眉間に皺を寄せた鈴を見て、鷹雄君がちょっと笑った。

「不満そうな顔」

「うん…、だって、そんなの…、賢女さんはさも一大事みたいに言ってたけど、そんな大袈裟に騒ぐことじゃないんじゃない?って思って。別に春が美しくなくったって困らないじゃない?春が来なくなっちゃうっていうなら、そりゃ大変だと思うけど」

 鷹雄くんが生真面目な顔で言う。

「美しくない春、ってどんな春だと思う?」

「え?…んー、花が咲かない春。雨ばっかり降って灰色の春。ああ、それとも、カラカラ天気で花や木が干からびちゃう春………なるほど」

 鈴も生真面目な顔で鷹雄君を見上げた。

「そっか。春は美しくなきゃいけないのね」

「そう。だから青い月の宵に二人の賢女が春のを歌うっていうのは、重要なことなんだ」

「ちょっと待って、うちのお母さんだって賢女なんでしょ?賢女さんとお母さんが歌えばいいんじゃないの?」

「リンのお母さんはもう賢女じゃない。もちろん賢女の血は持ってるわけで、だから姿を変えた叔母さんを見てもわかるだろうという期待はあるわけだけど、春のを歌うことはできないと思うよ」

「そっか…。じゃあ、絶対に叔母さんを青い月の宵までに見つけなきゃね。青い月の宵っていつなの?」

 半年後とかせめて二ヶ月後とかいう答えを予想していた鈴は、鷹雄君の言葉にティーカップを取り落としそうになった。

「五日後」

「五日後⁈」

 呆然と鷹雄君を見つめる。

「叔母さんが家出したのっていつ?」

「一週間前かな。賢女は最初、すぐ帰ってくるだろうと思ってたらしいんだ。それでも一応国内は探したんだけどね。これだけ探してもいないっていうことは、国外に出たんだろうって思ってる」

「五日間しかないのに…」

 鈴の脳裏に世界地図が浮かぶ。世界は広い。

「警察に知らせなかったの?海外に出る前に止められたかもしれなかったのに」

 鷹雄君がきょとんとして、それから笑い出した。

「そうか、こっちの世界で家出したって思ってるんだ」

「だって…ここに住んでるんでしょ?」

「いや、ここはこっちの世界にいる時に使う、んー、別邸みたいなものかな。つながってるのに別邸っていうのも変な気はするけど」

「つながってる?」

「そう。この屋敷と春の国にある屋敷はつながってるんだ。そうだ、行ってみたい?向こうの世界」

「えっ」

「隣の部屋のドアを通るだけで行かれるよ」

 ちらりと壁の時計を見上げる。

「リンのお母さんが電車で榎田駅まで来るとしたら、まだあと三十分はかかるな。お腹減ってない?向こうで食べてこよう」

 言われて気がついた。そういえばお昼の時間だ。

「だって…いいの?」

 鷹雄君はもう立ち上がっている。

「国内なら大丈夫」

 ドアに向かう鷹雄君に慌ててついていきながら、

「賢女さんに断らなくていいの?」

 鷹雄君がにこりとする。

「さすが孫娘。じゃ、ちゃんと許可をもらってから行こうか」

 言われて思わず眉をしかめる。あんな人の孫娘だなんて思いたくない。私のおばあちゃんは千葉の優しいおばあちゃんだけだもん。

「ううん、許可もらわなくても行かれるならいいの。早く行こ」

 またなんだかんだと嫌なことを言われたくない。あんな人とできるだけ顔を合わせたくない。

 ドアを開けて廊下に出て、隣の三番目のドアの前に立つ。二番目の部屋のドアと同じ、美しい焦茶色のドア。

 鷹雄君がドアハンドルを押し、ドアがすっと内側に開く。

 眩しい光。

「どうぞ」

 鷹雄君が鈴を先に通してくれる。

 目の前のものが信じられないまま、鈴は部屋の中に足を踏み入れた。

 二人の後ろで、カチリと微かにドアの閉まる音がした。


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