Chap.11
鈴はしばらくぼうっと突っ立っていた。
なんだったの、今のは。
その人なら知ってる?
君が探してるって伝えておくよ?
一体全体どうなってるの…。
——覚えてないの?
あの傷ついたような眼差し。
誰?
——今日の午後三時に…
ハッとする。
なんて言ってたっけ?今日の午後三時に、えーと、…中央エリアの…マルゴット、だっけ?
急いで園内地図を取り出して確認する。中央エリアって、ここの中央エリアってことだよね?飲食エリアのこと?マルゴット…マルゴット……あった!
大きく息をついたら息の端が震えた。
これってつまり、今日の午後三時にこのマルゴットっていうお店に行ったら、叔母さんに会えるっていうこと?
注意深く記憶を巻き戻して再生する。
…ううん、あの子はそうは言ってなかった。叔母さんに私が探してるって伝えておくって言っただけだ。
それってどういう意味?叔母さんはどこにいるの?叔母さんとどういう関係なの?
ちゃんと質問できなかった自分にめちゃくちゃ腹が立つ。まったく何やってるんだろう、私。いくら驚いてたからって…これじゃ間抜けすぎる。鷹雄君に呆れられちゃう。
銀色の腕時計を見ると、十二時半になったところだった。待ち合わせまでまだ三十分ある。春のエリアに戻らなくちゃ。ところでここはどこだろう…。
辺りを見回し、地図を見るが、一体自分がどのエリアのどこにいるのだかわからない。地図にはアトラクションの名前は書いてあっても絵が描いていないし、だから例えばここから見える赤と青と白のストライプの高い塔がなんなのかちっともわからない。
まあ歩いていくうちに人に会うだろうから、そうしたら道を訊けばいいか。
そう思って、鈴は赤と青と白のストライプの高い塔の方向にてくてく歩き出した。アトラクションのある方向に歩けばいいと思ったのだ。
しかし、行けども行けども辺りは賑やかにならない。のんびりとした芝生と庭木と花壇の風景が続く。
もしかしてあの高い塔はアトラクションではないのかもしれない、と思い立ち止まる。このままでは待ち合わせの時間に間に合わなくなってしまう。スマホはない。鷹雄君に「ちょっと遅れるから」と連絡もできない。どうしよう。
——困った時はいつでも呼んで。
澄んだ声が記憶の中から聞こえた。こんなことで呼んで笑われるかもしれないけど、仕方ない。
「レイン」
小さい声で呼んでみる。何も起こらない。辺りに誰もいないのを確かめてから、もう少し声を大きくする。
「レイン、困ってるの。助けて」
途端にシュッと音がして、レインが現れた。昨日と違って明るい日の下なので、青白い光が目立たない。なんだか日の光に透けているように見える。
「どうしたの、鈴。迷子?」
「うん。方向間違っちゃったみたいで」
「飛べるんじゃないの?」
「……」
言われて思い出した。そうだ、飛べばよかったんだ。
「…忘れてた。ごめんなさい、くだらないことで呼んで」
なんて恥ずかしい。
「くだらなくなんかないよ。姿は消せる?」
「ううん」
「じゃ、一緒に行くよ。飛んでる姿は人に見られない方がいいからね。見えないようにしてあげる」
「ありがとう」
意識を集中して浮かび上がる。自分の姿を見下ろす。
「姿、消えてないみたいだけど…」
「大丈夫。他の人たちには見えてないから」
木々の梢よりも高く浮かんでみると、目指していたのとはまったく正反対の方向に来ていたことがわかった。
「で、叔母さんは見つかりそう?」
「うん…それがね」
ゆるゆると空中を移動しながら——まだあまり速くは動けないのだ——レインにことのあらましを話して聞かせる。レインは面白そうに言った。
「なるほどね」
それだけ?
「…どうしたらいいと思う?」
澄ました微笑が返ってくる。
「今日の午後三時にその店に行ってみるといいんじゃない?」
「…そうだね」
ちょっと意地悪だなあ。
「クマのハンバーガー屋さん」を見つける前に、足早に歩いている鷹雄君を見つけた。
嬉しくて気持ちがふわんとなる。梨香が言ってたっけ。「好きな人って人混みの中にいてもすぐ見つけられるんだよ」って。
「おやおや。キューピッドの矢かな」
レインが冷やかすような声を上げて、鈴は赤くなりながら「クマのハンバーガー屋さん」の横の立て看板の陰にそっと降り立った。妖精ってなんでもわかっちゃうのかな。
「それじゃこれで。幸運を祈るよ」
鈴が地面に降り立つや否や、レインはそう言ってシュッといなくなった。
「あ、ありがとう」
また遅すぎるお礼を言ったら、近くを通り過ぎた人たちが変な顔をして鈴を見た。そこへ、お店の角を曲がって鷹雄君が現れた。
「ごめん、待たせて」
「ううん、今来たところ」
デートの会話みたいだ、と一瞬思った自分に呆れる。それどころじゃない。
「あのね、」
勢い込んで言いかけて慌てて口をつぐみ、辺りを見回す。鷹雄君の顔つきが変わる。低い声で囁く。
「見つかったの?」
「ううん。あの男の子に会ったの」
今までの話をする。
「…Wow」
鷹雄君が低く呟いて、鈴は頷いた。まったくだ。わお、だ。
「それ…」
言いかけて、言葉が続かないというように首を振る鷹雄君。
「…とりあえずバーガー買ってから話そう」
「そうだね」
バンの種類やトーストの仕方、肉の種類や焼き方、その他の具やソースなどを選んで、目の前で作ってもらえるお店だったので、変なことを口走らないように、他の世界の者だとばれないように緊張しながら注文した。飲み物は、二人の前に並んでいた三人の男の子たちが「最高にうまい」「ここに来たらこれでしょ」「他のとこのは甘すぎておいしくないんだよね」と大絶賛していたグァバジュースを真似して注文してみた。
ハンバーガーは、プラスティックでも紙でもない、草を細かく編んだような薄くて柔らかいお皿に載せられていた。トレイは木製。お店から離れた木陰にある小さなテーブルまで行って二人で座った。
まずは綺麗なピンク色のグァバジュースを一口。目が丸くなる。
「酸っぱーい!」
他のとこのは甘すぎておいしくない、か。なるほど。
「でもすっごいおいしい。夏らしい味」
鷹雄君は嬉しそうにグァバジュースをごくごく飲んで、ハンバーガーに取り掛かった。鷹雄君のお皿にはハンバーガーが二つ載っている。すごい食欲だ。鈴はなんだか食欲があまりわかず、一つだけ買ったバーガーをゆっくりと食べた。キャラメライズされたリンゴとオニオンがおいしかった。
二人が食べ終わってナプキンで口を拭ったのがほぼ同時だったので、鈴は笑ってしまった。
「速度二倍。お腹減ってたんだ」
「育ち盛りだから」
鷹雄君は茶目っ気たっぷりに片目をつぶってみせると、急に真面目な顔になって、
「一人で来いなんて…なんだか嫌な感じがする。できるだけ近くに、せめて見えるところに座ってたいけど」
と心配そうに言った。
ここの飲食エリアはお店の中で飲食するようにはなっていないようだ。みんな思い思いの店に行き、食べ物や飲み物を買って、外にたくさん並んでいるテーブルで食べるようになっている。『マルゴット』というお店の中に入ってしまうわけではないから、少し離れたところからでも、何が起こっているかはもちろん見ることができる。
「…何かされると思う?あの子が私に何かするとは思えないんだけど…でももし叔母さんが来たら…。叔母さんてやっぱり姿を変える以外にも魔法ができるの?」
「わからない。賢…『ボス』の仕事をしてるからといって魔法ができるわけではないだろうけど、でももちろんできる可能性はあるよ。それに一人で来いなんて言われると、やっぱり何かする気なんじゃないかって疑わざるを得ない」
鈴はテーブルの上で組んだ自分の手を見つめた。
「私ね、さっきからずっと考えてたの。もしかして叔母さんって私のこと恨んでるのかもな、って。私のお母さんのせいで自分は自由がなくなって、そこで偶然私の写真を見て、頭に来て、だから私の姿になって家出して、私の姿で例えば何か犯罪起こすとかして…」
鷹雄君が首を振る。
「辻褄が合わないよ。リンを恨むなんておかしい。お母さんを恨むならわかるけど」
「うん、でもね、もし…叔母さんに子供がいたら?お母さんは駆け落ちして自由気ままに暮らして、その子供の私も自由に学校生活なんて送ってる。でも叔母さんの子供は叔母さんと一緒に半分監禁生活みたいな暮らしをしていて、小さい頃に亡くなったんだとしたら?楽しい学校生活とか自由を経験できないまま亡くなったんだとしたら?それで叔母さんが制服姿の私の写真を見たりしたら、私に対して恨みとか怒りを抱くと思わない?」
鷹雄君が眉を寄せてため息をついた。
「…それは、…わからなくもないけど。でも、その子…ほんとに幽霊だって思う?」
「わからない。幽霊って足がないっていうけど、でも足はちゃんとあったし。ただ、輪郭がぼんやりしてたのは確か」
さっき話したあの子の様子をもう一度よく思い出す。
「でも…少なくとも、あの子は私のことを恨んでるとかそういう感じじゃなかった。だからね、もし…叔母さんが私のこと恨んで何かしようとしても、止めてくれると思う」
そう声に出して言ったら、不安が波を立てていた心がすうっと凪いだ。
大丈夫だと思う。
自分で自分に頷いて鷹雄君を見る。そんな鈴を見て、鷹雄君もゆっくり頷いた。
「わかった。僕もできるだけ近くにいていつでも動けるようにしてるよ。いざとなったら魔法を使って助けるから大丈夫」
「使っていいの?さっきレインが『飛んでる姿は見られない方がいい』って言ってたけど」
「緊急事態ならしょうがないよ。いいとか悪いとか言ってられない。必ず守るから」
鷹雄君の目が静かに光った。