空人〜闇と水の女神〜
これは太古の昔の話だ……。
かつての宇宙や万物を創り出した創造主の一族。その一族の出身であり地球という星の神の血筋も受け継いだ女神がいた。彼女の名はローセッタという。
ローセッタは偶然にも地球に降り立った際にある男神に捕まり無理に妻にされた。そしてローセッタは後に二人の息子を生んだ。上の子がローエン、下の子はタイタンと名付けられる。ローセッタは二人の息子達を憎んではいない。が、やはりどうしても考えてしまう。せめてこの子らが好きなダリウスと成せていたらと。それだけが口惜しかった。
ローエンは父のオールフェンによく似て黒髪に黒の瞳の美しい子だ。反対にタイタンは母によく似て淡い金の髪に翠の瞳の美しいが儚げな雰囲気の子だった。ローエンは明るく快活な感じなのだが。
ローセッタは二人の子供達を笑顔で呼び寄せた。
「……ローエン。タイタン。こちらに来なさい」
「はい。お母様」
「どうかしましたか?」
タイタンが素直に頷くとローエンは心配そうに覗き込んでくる。ローセッタは穏やかに笑いながらローエンの硬く真っ直ぐな髪を撫でてやった。そうしてタイタンを膝の上に乗せてあげた。
「……まずは。ローエン。お前は明るいし。兄なのだからしっかりとお父様やタイタンを支えてあげてね」
「わかりました。お母様のおっしゃる通りにします」
「そして。タイタン。お前はおとなしくはあるけど。兄様をちゃんと支えてあげて。お母様がいなくなっても」
「わかりました。でも。お母様がいなくなったりするのですか?」
「……もしもの事があったらよ。大丈夫。お母様はまだここにいるわ」
ローセッタは悲しげに笑いながらタイタンを抱きしめた。ローエンは母がいつになく表情が曇りがちなのがふと引っかかる。その予感は当たっていた事に後になって思い知らされた。
父のオールフェンが母を殺めたのはあれから約五十年後の事だった。ローエンは十一歳程にタイタンが九歳程になっていたが。二人が駆けつけた時には事が終わった後だった。ローエンは背中にタイタンを隠した。父が母を無表情で抱きかかえている。その足元や身に付けていた衣服は紅く染まっていた。ローエンは身体中から血の気が引く感覚がする。
「……お父様。お母様は亡くなったのですか?」
「……ああ。お母様はもういない」
「なら。お母様を弔ってあげましょう。でないと可哀想です」
ローエンが言うとオールフェンは緩やかにこちらを見た。が、目の焦点が定まっていない。
「……そうだな。ローエン。ローセッタを弔うか。だが。あいつらには知られぬようにな」
「……お父様?」
「タイタンはローエンと一緒に奥にいろ。ローセッタを弔うのは俺がやる」
ローエンは頷く。目に涙を浮かべたタイタンは嗚咽をあげるのを我慢していた。ローエンは黙って弟の手を引く。二人は洞窟の奥に向かって歩いた。
オールフェンはローエンやタイタンが奥に行ったのを見届けると神力を使って穴を掘る道具や亡骸を包む布を出現させる。丁寧にローセッタを布でくるむ。彼女の真っ直ぐな美しい金の髪が布からこぼれ落ちた。それを戻してから道具で人一人が入れる程の穴を自力で掘っていく。
しばらくはザクザクと土を掘っては放る音と彼の息遣いだけが響いていた。その後、オールフェンはローセッタの亡骸を静かに穴の中に横たえた。そうした上で地面に戻ると土を被せていく。完全に埋葬が終わると一時的にそこから離れた。
少し経って戻ってきた彼の手には白い百合の花が三本あった。近くの野原で咲いていたのを手折ってきたのだ。それを手向けの花にする。オールフェンは黙祷を捧げた。
ローセッタが亡くなりオールフェンは自身の仕出かした事に恐れおののいていた。何故、彼女の心を手に入れられないからと激昂してその手にかけてしまったのか。あの時、彼女の要望を聞いてダリウスの元に帰してやっても良かったのに。ローエンやタイタンは母を恋しがったかもしれないが。あの二人の息子達がいればこそローセッタを繋ぎ止められていた。けれど。俺は息子達からその大事な母を取り上げてしまった。何という事を。改めてオールフェンは後悔や慚愧の念に苦しんだ。
ローエンとタイタンは父の目を盗んで母が埋葬された墓にまでやってきた。黙祷を二人も見様見真似で捧げる。そうした後でローエンは近くの野原で黄色いタンポポという花をお供えした。母が好きだったのを思い出したからだ。ローセッタは穏やかで綺麗で。二人にとってはたった一人のお母様だ。なのにここにはいない。ローエンは涙が浮かんできたのをぐいっと手の甲で乱暴に拭った。タイタンはしくしくと静かに泣いた。
「……兄様。僕はお母様がいなくて凄く寂しい」
「……俺だって同じだよ。お父様はお母様を愛していたはずなのに」
「そうなの?」
「ああ。お母様はどうだったかわからないけどな」
「お母様……」
タイタンは余計にひっくとしゃくり上げながら涙を流した。ローエンと二人で泣き続けた。
あれからさらに百年が経った。ローエンは十六歳、タイタンが十四歳くらいになっていた。二人は成長して背もすっかり伸びている。後少しで成人に達しようとしているローエンは特に青年らしいしなやかで無駄のない身体付きになっていた。
「兄様。お父様は今日もお母様に百合の花を手向けていたよ」
「そっとしておいてやれ。父上なりに母上を想っているんだよ」
「そうかな。ならいいんだけど」
ローエンが言うとタイタンはちょっとバツが悪そうな顔になった。二人は最初こそ悲しみの只中にいたが。父のオールフェンを兄弟で協力し合って支えてきた。母の遺言通りに。母は自分がこうなる事を予期していたのかもしれない。ローエンは今ならそう思う。母は父を愛してはいなかったのかも。けれど自分達に対しては確かに愛情を持っていてくれたように思う。いつも優しくも厳しく導いてくれていた。
けれど、ふと思った。母は何で父から逃げる際に自分達を連れて行かなかったのか。その疑問には彼はこう考えてもいた。
……自分達が一緒でも足手まといにしかならなかったからではないか?
それに風の噂で聞いた。母のローセッタは地球の神ではなく空人という種族の出身であったとか。空人の住む宇宙という場所は地球に住む自分達では生きられない場所だとも。だから母は自分達を置いて行ったのではないか。一見、酷いようだが。母はそれを知っていたのだろう。なら仕方のない事だ。ローエンはため息をつく。
澄み渡った空の下、タイタンは野原に向かって歩き出す。ローエンは父のいる母のお墓に向かう。二人に燦々と陽光が降り注いだ。
――完――