― 転 1 ―
竜馬とココとともに、私はファミレスに入っていた。
流石に、そのまま家に帰ろうという考えは起こらなかったのである。
かと言って、保育園の中にずっといるのも嫌だった。少しでも早く、どこかへ離れ、人混みの中で、私たちと一切関係のない会話を聞いていたかった。この気持ちはココも同じだったらしく、ファミレスのお金は、ココと私とで折半する事になった。
まだ、幼い竜馬は楽しそうに、何も知らないというように、アイスクリームとパンナコッタ、そして、スパゲッティを食べている。
が、何も知らないというのはないな、と思う。
時折、チラチラリと私とココの顔を伺うように目線をやっているのだ。
こういう事、普段と違うことがあった時は、子供は敏感だ。鋭いともいえる。
だから、私は、にこりと無理に笑みを作るが、その、無理もわかっているのだろう。
ココが、ずずっとわざとらしく、ジュースを吸って、スマホを置いた。
「かたなん、保育園のほうはいいの? なんか相談することあるんじゃない」
「うん。保育士の先生が、対応するって。警察にも相談するって」
「じゃあ、一緒に相談すればよかったじゃん。この人かもって」
「でも、別に証拠ないし」
「まぁ、それも、そうか。私もスマホで撮っておけば良かったなぁ。でもさ」
ココが、ずいと身を乗り出して、私の耳元へと顔を寄せる。
「本当に、宮田って人なの?」
「わからない。だけど、たぶん」
「直感ってやつかぁ。まぁ、帽子とサングラスじゃあなあ。なんか、あからさまに不審者って感じ」
「本当にね」
笑って飛ばすためか、ココがそう言った。
私もあまりにも、それっぽくて、笑う。
「でも、どうするの」
「さすがに、父も考えてくれると思う」
「まぁ、今回は運が良かったよな」
「そうね。今回はきちんと対応してもらえたと思う」
もしも、対応してもらえていなかったら。
考えるだけで少し震える。
粟立つ皮膚の感覚が、まだ残っている。
スマホを取り出して、検索欄に言葉を入れ、消した。
「で、最悪の場合」
「そんな場合はないよ。ココ」
「あるかもしれない。かなたん、そうなったら、うちに一時的に逃げてきていいからね」
「ありがとう」
「ううん、ごめん。私、そんな力になれなくて」
「いいよ。ココ。私たちはだって」
学生だ。
無力だ。
何もできない。
「あのぉ、すみません」
暗い面持ちがココと私に浮かんできたとき、ふいに、声をかけられた。
みれば、私たちのテーブル席の前に、一人の男性が立っていた。
年の頃は、私の父と同じくらいだろうか。すらりとした痩躯の男性で、スーツの袖から出た腕は、がりがりである。少し値の張りそうな腕時計はサイズが合わず、ぐるぐると、文字盤が手首のほうへ回ったり、甲の側に回ったりとしている。
眼鏡の奥にある瞳は薄暗い。
「あの、宮田さんのお知り合いですかね」
ぞくりと背筋が凍る。
「あぁ、その反応。彼、また、何かやらかしましたか」
「ちょっと、あなた」
ココが立ちあがる。
瘦躯の男は、上背もあった。クラスの中で、比較的身長の高いココでも見上げる形になる。
これは意外だったのか、ココはうっと一瞬、物怖じしたが、ぐっと目を見開いた。
「無礼じゃない。まずは名前を名乗ってもらえるかしら」
「あぁ、これは失礼。私、弁護士の朽木と言います」
痩躯の男は、すっとスーツの内側から、名刺を二枚取り出し、ココと私へ手渡した。
名刺には、弁護士 朽木一正 あった。
みれば、スーツの襟元には弁護士バッジが光っている。
「本物?」
「あぁ、手に取ってみます? どうぞ」
「いや、いいです。手に取っても、本物かどうかはわからないんで」
「それもそうですね。賢いですね。さすが、えっと」
「天音かなた、です。それで、弁護士先生が何か用で?」
「今、あなたが話しておられた、宮田という男についてですよ。どうですか、ご一緒させていただいても?」
空いている席、ココの隣へと斧木は目をやった。
ココは、わざと席を立つと、奥の席を開け、どうぞ、と促した。
斧木は嫌な顔一つせずに、その席に座った。
その席は、竜馬の正面になる席であり、一瞬、斧木は嫌そうな顔をしたが、手提げ鞄の中から、折り紙を取り出して、テキパキといくつか折り紙でおもちゃをつくると、それを竜馬に手渡した。子供は嫌いだが、子供の扱いは慣れているらしい。
「それで、斧木先生」
「あぁ、先生は結構です。依頼人でも生徒でもないんですから。それで、宮田さんの事ですが、宮田良助という男で、この男のことで良かったですかね」
一枚の写真をテーブルの上に置きながら、斧木は言った。
それは間違いなく、宮田良助の写真だった。しかし、今よりも少しだけ若く、溌剌としている。
そして、何よりも興味深かったのは、服装だ。
警察官。
その服装を着ている。
「え、その」
「あぁ、この写真は、私の依頼人からもらったんですよ。コスプレじゃないですよ」
「ということは、あの人、警察官なんです?」
「ココさん、少し、それは違いますね。元警察官です」
写真をひっこめながら、斧木は訂正する。
「少しばかり、これはオフレコでお願いしますよ。私も、守秘義務がある中で、やるんですから」
「それって弁護士としてどうなの」
「あぁ、彼に関しては弁護士なんて糞みたいな資格は役に立ちませんから」
斧木は少し語気を強め、それから、謝罪した。
「失礼。さて、どこから話しましょうか。迷ったときは、最初から」
「どうぞ、ココも、私も待ちます」
「ありがとう。初め、宮田良助という男は、京都府で警察官をしていました。柔道の大会で全国大会にもでるその優秀さが、評価され、警察官としても優秀だったそうです。そんな彼が結婚し、子供が出来ました。順風満帆です」
「子供いたんだ。え、でも」
「そうです。彼は今、一人で暮らしています。彼の結婚生活は長く続きませんでした。離婚の原因は、とくにここで重要ではありません。ただ、結果として、彼は妻と子供をなくしました。妻は東京へ、幼い子どもは妻によって連れていかれました」
「ひどい」
「さて、残された彼は、自分の子供に会いたい、会えない、その気持ちを慰めるために、子供たちの参加するボランティア活動に積極的に関わるようになります。そして、色々と、トラブルが起きるようになりました。今、おそらく、あなた達があっているのと同じような目、かと」
「なるほど」
ココは、目を細めて言う。
「で、弁護士先生は、どうするんです? 逮捕? できないわよね。何が目的なの」
「賢いですね。えぇ、別に、私は彼の逮捕なんて興味はありません」
「なら、なんで」
「ココ、この人、弁護士だから。たぶん、依頼人が一番なんだと思う」
だから、と言葉をきって、ジュースに口をつける。
すっかり、温い。
「奥さん、の側の弁護士ですかね」
「聡明ですね。どうです? バイトしません、うちで」
「結構です」
「それは残念。そうです。彼の元奥さんから依頼されてましてね。養育費を払わないから、なんとかしてくれと」
「今までもあったんですか?」
ココが聞いた。
それに対して、斧木は首を横に振る。
「と、言うよりも、一回だけですね。養育費を支払ったのは」
「最低じゃん」
「まったくもって、そう決まっているのだから、従ってほしいものです。そして、もう一つ、用件が」
「用件?」
「えぇ、実は、彼が引っ越す前の住所地、そこの町で」
斧木はちらりと竜馬をみた。
「そこの町で、子供が一人、消えているんです」