― 承 ―
向かいの家に引っ越してきた宮田は、比較的早く、地域に馴染んだ。
というよりも、あまりにも好青年であった。引っ越しの初日に挨拶回りを済ませたり、ゴミ出しのルールを違反することもない。また、地域の役割を率先してこなしたりと、馴染む努力が見られた。そして、その努力は功を奏していた。
そして、宮田自身が、よくボランティア活動に従事していたというものある。
土日の休みを、子供たちとのボランティア活動へと費やした。その中で、地元野球クラブのボランティア活動に協力したのが功をなしたのだろうと思う。というのも、その地元野球クラブの監督は、地域のまとめ役であった。その人と友好的に接していたからか、よく、地元の集まりにも呼ばれるようになった。
何もかもが相乗効果的に、彼を、地域へと馴染ませていった。
父もまた宮田に友好的に接した。宮田は車にも詳しく、父の愛車に対して話があったらしい。
機械音痴の父がメンテナンスをしている車に対し、私は「専門家に任せるように」と常々言っているが、父は自らの腕をすっかり信用している。そして、それにたいして、宮田も、おべっかかお世辞を述べたのか、得意になった。おかげで、悪い印象は抱いていないらしい。
が、私はあまり好めないのである。
とくに理由はない。強いて言えば、直感であって、そして、あの目。
カーテンの隙間から、こちらをじっと見る、あの目がなかなか忘れられない。
夜に寝ている時、ベッドの上からふとカーテンのほうを向けば、隙間から覗かれているのではないか。という想像をしてしまうほどもあった。それに、家の前を通るときもそうだった。朝、家を出るときに、カーテンから見られているのでは、と考えることがあった。
もちろん、それが空想と想像であると理解している。証拠もないから証明もできない。
一度、父親にそのことを相談してみた。が、一笑に付された。
証拠もないので、私は反論の仕方もなく、気のせいとして落ち着いた。
しかし、一度、あったことを覆すのは難しい。
「行ってきまーす」
今日も同じように玄関をすっと、少し隙間を開け、そこから宮田の家を伺いみる。
幸いなことにカーテンが開いていたので、安堵の息が漏れる。が、いつもと同じように急ぎ足で、家を出た。鉢合わせするわけにもいかないし、できれば関わりたくないからだ。
別に私自身に被害があるわけでもない。
「どうしたの? 深刻そうな顔をして」
登校してからココにそう心配される。
そんな顔をしていたのかと、ぱっと化粧用の鏡で顔を見れば、目の下にうっすらと隈ができていた。
誤魔化すこともできたが、山縣には素直に話しておきたかった。というよりも、そう話すことで、心配を払拭してくれる方が良いと考えた。
心配事としては、竜馬のことがあった。
まだ、幼い竜馬には、いい人悪い人の区別はまさしく外見的なことである。明らかに怖い人ならばともかく、表面的に善人であるならば彼は悪い人だと思わない。だからこそ、竜馬は、宮田に警戒心がない。
しかし、その竜馬に向けられる態度。
それはどこか嫌だった。
明らかに、私と異なる接し方である。もちろん、弟のほうが幼いのでそれ相応の接し方というのがある。しかし、前に握手していた時のような、両手でするような握手というのは、気味が悪い。アメリカで生まれ育っている人なら、きっと問題ないのかもしれないが、私は好きになれない握手だった。
心のうちを吐露した後、ココはしばらく考えたい、と申し出てきた。
「あのさ、考えたのだけども」
ココが答えを出したのは、その日の放課後の事であった。
部活動の最中に、ひそりと耳打ちする。
「やっぱり、直感って信じたいと思うじゃない」
「まぁ、うん。私は信じたい」
「なら、調べようよ」
「え?」
「証拠というか、反証というかさ。ほら、別に変な人じゃないってのが証明できたらよくない?」
それはそうだ。
あくまで私の個人的な疑惑、思い込みでしかない。宮田が変な人であるという証拠はない。その証拠があれば、私としてはそれを手に、父親に相談することもできる。証拠があれば、父親は今度はきっと笑わずに真剣に取り合ってくれるかもしれない。
そして、別に、問題ないという証明が出来れば、それはそれでいい。
あくまで、私の気のせいだという証明が出来れば、問題ないはずだ。
「でも、調べるったって、どう調べるの? 家に入るの?」
部活動が終わり、竜馬を迎えに行く帰路へ着く。
いつもと同じように、隣にココが歩いた。
「まさか、そんな不法侵入じゃん」
「いや、あんたねぇ」
「ま、ちょっと考えとくよ。探偵の知り合いに頼もうか」
「どういう知り合いよ……」
保育園が見えてきた。
と、なった時、不自然な感じがした。というのも、保育園が見えてくると、いつも、子供たちの声が聞こえてくるのであるが、今は聞こえない。保育園の中で、遊んでいるのかな、とも思ったが、せっかくの天気にそんな閉じこもったことをするのだろうか。
疑問が頭に浮かぶ中、保育園の入り口に誰かが立っているのが見えた。
ぞくりと体の全ての皮膚が、粟立つ。
遠目から、その背丈が、体格が、纏う雰囲気に、見覚えがあったからだ。
どうやら、その男は、保育園の保育士と言い合いになっているらしい。その保育士は私とも顔見知りであり、特段、気難しい顔をしているわけではないのだが、今日、今に至っては、眉間に皺を寄せて、保育園の入り口で仁王立ちしている。
「ですから、事前にお話のない方のお迎えは原則、禁止しているんです」
「そんな、僕はきちんと代理の委任をうけているんです」
「では、電話確認しますので、お待ちください!」
「それじゃダメなんですよ」
男の声を聴いたとき、私の足が止まった。
間違いない。
「お? どしたん、かなたん」
宮田だ。
「あ、どうも、天音さん」
保育士が私の姿を認め、にこりと笑みを見せた。
それと同時に、男が保育士の手から、委任状と呼ばれていたものをひったくると、足早に走り出した。
追いかけようと保育士が走ったが、男の走る速さはかなり早く、とても追い付くようなものではなかった。陸上部ならともかく、文化系の私たちでもきっと張り合うことはできないはずだ。
肩で息をする保育士が戻ってきたのを見て、どこか安堵する自分がいた。
「いやぁ、困った困った」
「どうしたんですか。なんか、ただ事じゃなかったですけど」
「いや、それがね。そう、天音さん」
保育士は呼吸を整え、私のほうへと目を向ける。
一瞬、迷いがあった。きっと、この質問をして良いかどうか、その保育士も迷ったのだろう。
「どなたか、親戚の方が、竜馬くんを迎えに来るなんて話、ありませんよね」
「えぇ。親戚は仲が悪いので、私か父が迎えに来ますが」
「そう。良かった。いやね。さっきの人」
隣のココが私の腕を掴み、支えるのが分かった。
「竜馬くんを迎えに来たって」