― 起 ―
私に恋愛は無理だと常々思う。
恋愛がしたくないと言うわけではない。
世間で言う年頃の女子高生な訳なので、どっちかと言うと、彼氏は欲しい。出来れば、かっこいいとなお良し。
しかし、私にかっこいい彼氏が出来る予感というのは、毛ほどものないのである。いくつか理由があるのはわかる。
一つは私があまり可愛くないからだ。
例えば、同じクラスの東山つぶらという子は、すらりと背が高く眉目秀麗であり、常に男子生徒との噂が絶えない。それに比べて、私はショートヘヤーに、そばかすだらけでお世辞でも可愛いとは言われた事がない。
確か子供の頃は、親戚から「可愛い可愛い」なんてチヤホヤされた記憶があるが、高校に入ってからはてんでない。
それに、あまり恋愛に関して、いい覚えがない。
「かなたん、聞いてよー」
放課後の部室でクラスメイトの山縣ココが腕にしがみつき、声をかけてくる。
「彼氏いたじゃん。彼氏」
「あぁ、あのサッカー部の」
「そう、大学にいった先輩! その先輩からさ、裸の写真送れって言われたの信じられる?」
今月に入って三度目の恋愛相談だった。
前回と前々回はデートでのありえない行動についてひたすらに相談をされた。大学生にもなると人間が変わるのか、少なくとも私の知る先輩ではなくなっていた。
例えば、やけに家に誘うようになったりとか、デートの時のご飯代とかも前は割り勘だったのが全額奢りになった代わりに、夜遅くまで出歩いたりと無茶が多くなったらしい。
「別れたら?」
と、三度目のアドバイスを伝える。が、次いで出で来る言葉がわかる。
「えー、でもー」
「三度目のえー、でもー、ね」
「でも、だって、かっこいいんだもん」
「裸の写真送れって言うやつのどこがかっこいいのよ」
「でも、だって」
全くもって人生だ。
部活動中、山縣の相談をひっきりなしに聞き続ける。
これももはや恒例となり、他の部員たちからも保護者扱いされてしまっているのだった。
最も保護者扱いされてしまうのには他に大きな理由があるのだが。
「結局、私の裸の写真なんて何に使うのかな」
部活を終えて、山縣ココと共に帰路に着く。多くの学生はまっすぐ家に帰るなり、どこか繁華街に寄り道するなりだろうが、私の場合は異なる。
ひまわり保育園と書かれた看板が見えてきた。
園児たちの声が聞こえてきて、歩みが早まる。
門扉に手をかけ、中を窺い見る。
数人の園児たちに混じって、キャッキャッと砂場で遊ぶ弟、竜馬の姿が見えた。
「竜馬」
と、呼びかけると、弟はパッと顔をあげる。
「お姉ちゃん! と、ココちゃん!」
「おー、竜馬くん、元気してんなぁ」
保護者扱いされてるのはこれが主な理由だ。
私には弟が一人いる。その保育園へのお迎えを担っているのが私で、そのお迎えに行く時間がちょうど私の帰る時間とバッティングしてるのであった。
この手の保育園への送り迎えは、母親の仕事、と言われてしまっている。それはそうだと思う。だけども、それは、専業主婦の母親がいれば、の話だ。
母は一昨年、死んだ。
交通事故だった。
母は勤め先からの帰り道、高齢ドライバーの運転する車にはねられたのだ。乗っていた自転車のフレームは衝撃で破断されていたので、どれくらいのスピードで突っ込まれたのか、想像に難くない。
病院に着くまでの間に、年間何人が交通事故で死んでるか、その時、初めて興味を持って調べた。年間およそ三千人だ。そのうちの一人に、母がなった。
3000分の1。
数字で考えれば落ち着く。
そうでなければ落ち着かない。
それ以降、父親は仕事と家事の両方を一気に負担することになった。が、それにも限界が来る。弟の面倒を見るため定時退社や休みが多くなると、今度は雇用が危うくなる。
そこで、仕方なく、私が弟の面倒を見ることになった。面倒とは言っても、夕方のお迎えとか、その手の事であるが、それでも十分だった。
私が母親の代わりに、弟の面倒を見る。
その義務感が、私を恋愛から遠ざけている。
それはあった。
だけども、それは悪くないと思う。
ニコニコと今日あった出来事をココに話す竜馬を見ていれば、恋愛はひとまず、傍にのけておける。
通学路の途中で、ココと別れて、代わりに竜馬と手を繋ぐ。
家が見えてきたときだった。
向かいの家の前に、トラックが停まっているのが見えた。
向かいの家は長い間空き家になっており、そのトラックの車体にも引越社と書かれていたから、すぐにピンとくる。
「あぁ、向かいに誰か引っ越してきたのだなぁ」
と、何気なく、思う。
そういえば、昔住んでいたのは老婆だったはずだ。気難しい老婆であったために、周囲から疎まれていた。親類からも見放されていたために、そして、本人自身も周囲を拒絶していたので、孤独死していたそうだ。そのため、事故物件として、長い間、買い手も借り手もつかなかったらしい。
一体、どんな人が住むことになったのだろうか。
そんな疑問が思い浮かび、目がそちらのほうへと向く。
「あぁ、どうもどうも」
向かいの家の前で、ペコペコと引っ越し会社の作業員に頭を下げる男が現れた。
年のころはちょうど、三十歳手前というところだろうか。かなり体格が良く、優し気な面持ちである。
じろじろと見ていたのが男にわかったのか、その目が私の方を見た。
ニコリと笑みが向けられる。
悪い人ではなさそうだ、と思うのであるが、それと同時に、何か嫌な予感がした。
初対面の人間に笑みを向けられて、良い気持ちがしない私の性分もあるだろう。しかし、それにしては、どこか嫌な気がした。何とも説明できない。直感というか、虫の知らせと言うか、やはり、言語化できないものがあった。
「どうも、はじめまして」
「どうも」
私に向かって挨拶をしてきたその男に、私は最低限の礼儀を持って応じることにした。
先に感じた直感を信じたのだ。
しかし、竜馬は違う。
「はじめまして!」
元気よく、返事する竜馬に、男は驚き、一瞬止まった。
じいっと竜馬を見て、しばらく、してからにこりと笑みを作る。
それから、竜馬と同じ視線になるように、しゃがんだ。
「はじめまして、元気だね」
「うん」
「向かいの家の子かい。僕は宮田、宮田良助」
すっと、手を竜馬に差し出す。
竜馬は困惑しながらも、その手を取った。その手をさらに、包むように両手で握る。
しっかりとした握手。
宮田と名乗った男の目はじいっと竜馬を見ていた。
なんだか嫌な気がする。
「あの、向かいの、天音と言います」
私がそう声を声をかけなければ、もうしばらく、竜馬の手を取っていたのであろうか。
声をかけられ、ゆっくりと宮田が手を離した。
「どうも、初めまして。引っ越してきた宮田です」
「あの天音かなた、っていいます。そして、弟の竜馬」
「良い名前だね」
にこりと、竜馬に向けて笑みを向ける。
「ご両親は、在宅されてるかな」
「いいえ、いません。仕事です」
「そうか。なら、また後で引っ越しのあいさつに伺うから」
私と、竜馬を交互に見ながら、宮田は言った。
そして、短く、竜馬に手を振ると、宮田は家の中へと戻っていった。おそらく、引っ越しの後片付けがあるのだろう、と察することはできた。しかし、それが終わらないでほしいと思うのも真実であったのではある。が、それを表に出すことはやめておいた。
隣で手を振る竜馬には、要らぬ心配をかけたくない。
「ほら、入ろう」
と、家の玄関を開け、中に入るように促す。
竜馬が元気よく家の中に入っていき、私もついで、中に入ろうとした時だった。
ふと、視線を感じ、振り返った。
見れば、ちょうど、向かいの家のリビングの窓、真新しい、見慣れないカーテンの隙間から。
宮田がこちらを見ていた。