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吸血姫様、惰眠を貪ることにする

 この世界には二種類の生物が存在する。まずは偉大なる吸血鬼。この世界の支配者であり、知性に長け、美しく、醜く衰えることもしない不死の存在。崇高にして高貴で、最良にして高潔で、この世界で最優な知生体。常識よ。もう一つはそれ以外の劣等種。こっちは語るまでもないわ。


 でもね、そんな最優の存在たる吸血鬼の中にも二種類ある。何か二種類じゃないじゃないかって反論の声がする気がするけど、きっと気のせいでしょう。まぁつまるところ、私かそれ以外よ。


 私こそ吸血鬼の中でもより優れた高貴にして優美な存在。他の存在と区別するため、私の麗しさと美しさに敬意を払うため、私を呼ぶときは吸血姫と表記する。


 この尊大な吸血鬼たちの女王は、シシィ・フォン・バイエルン。この世界の頂点にして、最強の吸血姫である。黒く艶がかる長い髪、妖艶に濡れる赤い瞳。無垢な白い肌は穢れを知らず見ることさえ憚れるが、しかしその体つきは同性さえも情欲させるほど扇情的で思わず手を伸ばしたいと魅了する。


 この世にある美辞麗句はすべて彼女を褒めたたえるために存在し、煌びやかな宝石は彼女を飾るために存在する。絶対的な強さと文明で他種族を席捲し、他種族を支配した吸血鬼時代を象徴する女王である。思い通りにならないことはない。不老にして不死な彼女たちはもはや神と同義の信仰を受けていた。


 そんなシシィだが、贅沢な悩みを抱えていた。端的に言えば刺激が足りない。昔は反抗してきた竜族や悪魔族も近年は大人しくなってしまい、人族や獣牙族は家畜の身分に恭順している。他の種族の似たようなもの。内政も従僕どもがあくせくと健気に働いてくれる。彼女の仕事といえば、そんな従僕の労を眺めて時たま微笑みかけるだけ。それだけで休みなく働く。


 気晴らしにダンジョンなる魔物の巣窟に潜ってみたが、戯れに全力で放った魔法に跡形もなく崩壊してしまった。ダンジョンは貴重な食糧源で財源で他種族の労働の場所であったため、この一件から一切入場することを禁止された。


 そんなものは無視もできたが流石にやりすぎたとシシィは大人しく従った。が、おかげで余計に窮屈になった。悠久の時を生きる彼女にとって、退屈ほど苦痛ものはない。


「寝るか」


 有り余る時間の使い方で一番非生産的な手段をシシィは選んだ。長く眠れば、ありふれた食べ物でも味を新鮮に感じられるでしょ、そんな軽い気持ちで。そうと決まれば早速行動しようと、傍に仕えていた人間の侍女に声をかけた。


「ソフィー。私はこれからしばらくの間眠ります」


「かしこまりました。すぐに準備いたします」


 声をかけた侍女がシシィの指示にすぐに従って働きだす。シシィは寝具に拘りが強い。視力や聴覚が鋭いため、少しの明かりや物音でも安眠妨害になってしまう。熟睡するためには防音で光も通さない特別なベッドが必要になる。


 しばらくすると侍女が準備を終えてシシィを呼びに戻る。侍女に連れられて寝室に案内されると、見事な棺のベッドが部屋の真ん中に置いてあった。人族などでは埋葬のために使用するものだそうだが、その密閉性能をシシィは気に入っていた。


「それでシシィ様。いつ頃に起こしましょうか?」


 侍従の女性がシシィに尋ねる。ソフィーと呼ばれるこの女性は、代々シシィの侍従として仕えていた。シシィが急に眠ることは珍しいことではないが、吸血鬼と人間では時間間隔が違う。シシィは昼寝感覚で一週間眠り続けることがあったので、起きるタイミングを聞かないと気が休まらないのだ。


 そんな人間のソフィーがどうしてシシィの側近として身の回りの世話をしているのかというと、彼女の先祖に当たる人が、同じ黒髪だという理由で気に入られたからだ。ちなみにシシィには人間の差異など見分けがつかないので、ソフィーという名前は世襲制である。今のソフィーは八代目だ。


 人間はすぐに死に、その子供ができるその営みにシシィは興味があった。大人のソフィーから小さなソフィーに移り変わり、そしてまた大きく成長していくのを近くで眺めるのはシシィの楽しみの一つだ。


「そうね」


 ソフィーの問いにシシィは少し考え込む。シシィは自他ともに認める気分屋だ。今は夕食までに起きる気分であっても、そう伝えて起こされた時にはもう一か月眠りたい気分になっているかもしれない。特に起こされるのは好きじゃない、寝起きに不機嫌になってソフィーに当たってしまうのも不本意だ。


「来るべき時が来たら起きるわ」


 そう意味深に微笑むことにした。ようは起きるまで起こすなという意味だが、その妖艶な笑みが何か別の意図があるのでは、と他者を錯覚させる。


「……なるほど。かしこまりました。決して起こさぬようにいたします」


 何を勘違いしたのか、ソフィーは深刻な面持ちで頭を伏せた。


「ふふっ、その内目覚めるから心配しないで」


 そんなソフィーを慈しみ、シシィは軽くその髪を指で梳いてやった。それだけでソフィーは、幸せそうに頬を赤らめて潤んだ瞳を向けてくれる。


「お目覚めを、いつまでもお待ちしております」


 棺に入るシシィに再び頭を下げ、ゆっくりとその蓋を閉めた。シシィは大げさだと微笑みを向けてやる。きっと一日でこう何度もシシィの笑みを見ることができるのは、この世界でソフィーだけだろう。


(きっと、短命ゆえの時間間隔の違いね。人間は一年だけでも相当成長するし)


 暗闇の中でソフィーの憂慮を微笑ましく思いながら、シシィはゆっくりと瞼を下した。ついでに振動で揺れて起こされるのを防ぐため、棺の中に空間を固定化する魔法もかけておいた。これで彼女の安眠を妨げる要因は全て排除された。


 例えこの吸血姫たるシシィを崇めるために作られた宮殿ごと燃え尽きようと、この中には一切の影響はない。こうしてシシィ・フォン・バイエルンは自身の持つ惰眠の最長記録を目指して深く意識を沈めていった。


 しかし、ここから吸血鬼時代は転落する。


 象徴として君臨していた吸血姫、シシィ・フォン・バイエルンの姿がこの日を境に誰の目にも入らなくなり、数日後には宮殿内で働く内政をしていた官僚たちが、数か月後には王都に住む住民たちが、シシィの姿を見ないことにある種の禁断症状に近いものを発症していた。


 身を粉にして働いているのは全て他種族たちだ。悠久の時を生きる吸血鬼たちと価値観が違う。支配側の吸血鬼たちは何を大げさなと、働けなくなった者を容赦なく排除しては補充を繰り返した。そしてこの不当な解雇をきっかけに、吸血鬼たちへの不平と不満は募っていく。それでも過去に長く眠るという前例があったため何とか耐えていた。


 だが一年、二年と姿を見せないシシィに、吸血鬼側も少し危機感を持ち、反抗的な態度をとる種族も出ていたこともあって、シシィに代わって表立って圧制を開始した。そしてこれが『シシィ様は吸血鬼内の反対勢力に幽閉されているのでは?』という噂を広めることになってしまい、遂に被支配層の種族が立ち上がる。


 近年大人しかった竜種、悪魔族、妖精族も介入した反乱勢力との独立戦争までに発展した。吸血鬼たちは個人の戦闘力に依存、特に最強のシシィの戦闘力に依存していた。さらに本来味方だった人族や獣牙族も裏切っていたこともあり、軍部はすべて敵となった。


 終焉は実に呆気なく訪れた。吸血鬼たちはシシィを求めたが、この窮地にも彼女は目覚めない。崇拝する女王に見放されたことに絶望した同族は、劣等種たちの手に落ちるくらいならと誇り高い自死を選択した。


 こうして永きの間支配していた吸血鬼の時代は終わった。そして多くの人員の必死の捜索にも関わらず、シシィ・フォン・バイエルンも発見することができなかった。


 シシィ・フォン・バイエルンを求める心も進む時につれて次第に薄れていく。この独立戦争から支配種族がなくなり、種族平等の価値観が急激に広まることになり、時代の奔流も激しさを増していた。


 それから2000年。もう吸血姫のことなど、誰の記憶からも抜け落ちてしまった。

9/8記載

はじめまして、枝穂やこ と申します。

別のシリーズ『お嬢様の犬』https://ncode.syosetu.com/n0632gk/ のシリーズがもうすぐ1章の完結になりますので、並行して執筆してるこちらのシリーズを少し早めに公開しておきます。


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