第9話
あたりには廃墟が広がっていた。
私は、廃墟なんて見た事はない。
今、私の眼の中に飛び込んできている光景は、
たぶん、廃墟と呼ぶのだろう。
しばらく長い階段を上り詰めていた。
二人とも、ハアハアいいながら階段を走り上がっていた。
二人がいた部屋は、そうとう深いところにある地下室だったのだろう。
長い階段を上り詰めて、そして、やっとたどり着いた出口のドア。
そのドアを力いっぱい押しあけると、私の眼に、黒と灰色の色しかない、
瓦礫の荒野が飛び込んで来た。
生命のにおいがしない。
朽ち果てた黒と灰色の瓦礫の建造物が、山脈のように連なっている。
今にも日が沈みそうな夕景。瓦礫の山脈が、まるで墓標のように見える。
今は、夕方。
たぶん、四日目の夕方。
だが、もはや、今日が四日目だろうが、半年後だろうが、関係ない。
私の眼に、荒涼とした死の世界が広がっていた。
私は立ち尽くした。力もなく、ただ立ち尽くすしかなかった。
「…なんで? どうして…?」
私の横で、彼はガクッとひざをつき、気を落とした。
彼が地面にひざをつくと、ジャリッと言う細かく砕けたコンクリートの
音があたりに反響した。
「…だめだったんだ。間に合わなかったんだ。」
彼は、肩を降ろしうなだれていた。
だが、私は彼への問いかけは止めようとしなかった。
「…何が、何が、間に合わなかったって言うの?…何よ? 説明しなさいよ!
この廃墟はいったい何? なんで街が、あたりが廃墟になっちゃったの?
それに、なに? なんで私たちだけ無事だったのよ?
この建物は、私たちがいた地下室は、いったいなんだったの?」
頭に血が上るって言うのは、こういう事を言うのだろう。
明らかに私は怒っていた。混乱していた、と言うより怒っていた。
怒った勢いで、自分たちが今出てきたドアの方を振り返った。
自分たちがいた、地下室がある建物の方を振り返った。
たぶん、それはとても巨大な建物だったんだろう。
朽ち果てた鉄骨が数本も、地面から上に長く突き出て、遥か天を刺している。
何かの影響で、地面から上の建造物は吹き飛んでしまったようだ。
私は、腰が抜けた。
腰が抜けて、彼と同じように、へなへなとその場に座り込んでしまった。
私に身体から、力が抜けていくのがわかる。今まで緊張していたもの。
これまで、抱えていた毎日のストレス。
今、その全てがまるで蒸気のように蒸発して抜けてしまったようだ。
悲しくなった。
なにがなんだか、わからない。
理由はわからないが、なんだか涙があふれてきた。
何について悲しいのかわからないが、
目から、いっぱいの涙があふれ出てくる。
「…なんでだよ…なんでこんな事になっちゃうんだよぉ…。
みんな、どうしてるのかなぁ…。」
彼が何か言っている。彼も肩を落とし疲れ切っている。
だが、疲れている理由は私とは異なるが。
「…ジェノサイドを、ジェノサイドを止める事が、できなかったんだ…。」
「…ジェノサイド? なに? なによ、それ?」
私は困惑していた。
私は、彼が言っている事がわからなかった。
私は、目の前で起きている事が納得できない怒りから、
強い口調で彼に問いただした。
「ジェノサイドって、何よ?…わかるように説明してよ!」
だが、彼が答えた内容は、苛立つ私を不快にさせ、
もっと事態を混乱させた。
「…南へ、南へ行こう。…そうすれば、僕たちの仲間と合流できる。」
「…南?…なにが?」
わからない。彼の言っている、意味がわからない。
苛立つ私の問いかけをを無視するかのように、彼は予想外の行動に出た。
「…さあ…、行こう。」
彼は、ゆっくり立ち上がって、私に手を差しのべた。
だが、今回は違う。
今までと違って、素直に彼の手を取るつもりになれなかった。
「…南って、…南がなんだよ! 何言ってんだ! ちゃんと説明しろよ!
なにが、どうなってんだよ? なんであたりは瓦礫の山なんだ?
どうして街が廃墟になっちゃったんだよ?」
「…とにかく、ここにいては危険だ。とにかく、南へ急ごう。」
だめだ。
全然会話になっていない。
コミュニケーションが取れていない。これじゃ、あの化物と、
あの、ダリのオブジェと同じだ。ひょっとして、彼は、実はこの男の正体は、
あのダリと同じ化物じゃないかと思えてきた。
私の問いかけに答えていない男に、怒りの質問を重ねた。
「なんで、ここらへん一帯が廃墟になっちゃったんだよ?
他の、他の街はどうなってるの? 学校は?
お母さんが入院している病院は、どうなったの?」
自分の言葉に、すごく不安になった。
学校の友だちは? タケルは? そして、病院に入院しているお母さんが
どうなっているのか、非常に気にかかった。
「なんで、こんな事になったの?…まさか、昨日の、昨日の地震のせい?
それとも、それとも戦争が始まったって言うの?」
だが男は、相変わらずわけのわからない事をつぶやくだけだった。
「…さあ、行こう。南へ….。そうすれば…。」
もう、止まらない。不安と怒りが一気に爆発してきた。
「いいかげんにしろよ、てめえ! 何わけわかんねえ事言ってんだよ?
責任とれよな! こうなったのは、全部全部、お前のせいだからな!
今度の日曜日、タケルと、タケルといっしょに、入院中の、
お母さんのところにお見舞いに、行くはずだったんだからな!
…私のために、一生懸命働いてくれてる、疲れた身体で、
文句一つ言わず働いてくれてるお母さんに、…末期ガンで、
一人で苦しんでるお母さんにタケルの事を紹介しようって…、
私が陸上の選手で、有名になって、お母さんを楽させてあげるって
言いに行きたかったのに! タケルといっしょで、
お母さんに会いにいけなかったじゃないか!
…全部全部、お前が…お前のせいだからな!」
この男に誘拐されて、たぶん今日で四日目。
約束の日曜日は、過ぎていた。
タケルはどうしてるんだろう?
お母さんは今、何をしているんだろう?
そんな、小さな小さな思いの投げかけに、男は予想もしなかった言葉で
返してきた。
私は、自分の耳を疑った。
「…南へ、南へ急ごう。…そうすれば、我々の仲間と、
…君の…君のお父さんと合流できる。」
「…? えっ? お父さん? 私のお父さん?」
私の頭の中に、雷が落ちた。そのような体験は、今までなかったと思う。
いや、お母さんが倒れた、と連絡があった時以来か?
自分でも、目を丸めて男に訴えているのがわかった。
私は驚いていた。
男は、それに答えるように、静かにうなづいた。
「…お父さんが…生きてる? 本当に生きてるの?
…なんで?…いったい、どう言う事?…」
本当なのか? この男が言っている事は、本当なのか?
ダリも、ダリのオブジェも同じような事を言っていた。
すべての事が本当なのか?この男の言っている事を信じていいのか?
彼が、私に手をさしのべた時、たぶんすべてが真実なのではないか、
と思えてきた。それは、決して私にとって、良い事ではなかったが。
その時、パキッと言う音がした。
何だろう、と思って二人ともその方向を振り返る。
音は自分たちが出てきた、ボロボロのドアの方からする。
まさか、よくある展開? そんな!
しばらくして、もう一度、ドアの方からバキバキッと言う音が響いてきた。
「しまったっ!」
彼は、叫ぶより早く、ドアに体当たりした。ボロボロのドア。
そのドアの周辺の建物も、ボロボロの廃墟のように朽ち果てている。
これは、まずい! ドアもそうだが、建物自体もボロボロで
今にも崩れそうだ。それ以前に彼一人でドアを押さえるのは、
とても無理に思えた。私もドアを支えよう、彼といっしょに!
だが彼はそれを察したのか、私が駆けよる前に叫んだ。
「早く! 逃げろ! 南に走れ!」
「でもっ!」
次の瞬間、ドアの中から、身の毛もよだつような、無気味な、
まさに化物のような声が聞こえてきた。私は、その異様な化物の
声で立ちすくんで動けなくなった。
違う。
違う!
この声は、地下室で遭遇した、ダリのオブジェの声とは違う。
これは、まさに!
「逃げろ! こいつは、地下室で遭遇した尖兵隊とは違う!」
必死で押さえる彼の身体が弾き飛ばされそうになる。
なんなの?
尖兵隊とは違うって、まさか、悪ボス?
それとも、司令官かなんか?
ドアの隙間から、地下室で遭遇したダリのオブジェとは、
まったく違う、長い触手が何本もはみ出て、外に出ようとした。
「はやく逃げろ! こいつは、司令官級だ! 手に負えない!
君だけでも、君は逃げなくてはいけないんだ!」
彼が押されはじめている。ドアがだんだん前に倒れかけている。
まわりの廃墟となった建物から、コンクリートの塊があたりに
落ちて粉々になる。私の目に、ドアの向こうから出ようとしている
物体の一部が垣間見れた。
でかい! 全然でかい!
地下室で見たダリのオブジェの、そう、三~四倍はあるだろうか?
私は直に見た事はないが、熊ほどの大きさに思えた。
ドアの隙間から見える身体。極彩色の気持ち悪い、ケバケバした色だ。
まさに、司令官級だろう。
「なんで、なんでその、デカダリが、そんなところに隠れてたの?」
「やつは、奥の地下室に行くまでもなく、
俺たちが出てくるのを待ってたんだろう!」
「行こう! いいから! 私といっしょに逃げよう!
いっしょに走ろう! そうすれば、逃げられるよ、きっと!」
彼は、予想外の行動に出た。小さな機械を取り出し、
私に見せ、そしてスイッチを入れた。
「早く、逃げろ! あと一分で爆発する!
早く、ここから逃げるんだ!」
「そんな! 何言ってんだよ? 責任取れよな!
私を守るんじゃなかったの? 私の事、守れよ!
こんな状況で、街が、廃虚みたいなガレキの山の中で、
こんなダリのオブジェみたいな化物がいる中で私を、
私一人をほっぽりだすわけ?」
「南へ…南へ、走れ! 南に行って、我々の仲間と
…君のお父さんと、そしてタケル君と合流するんだ!」
「えっ? タケル? 何で、何であんた、タケルの事知ってるのよ?
私は一言も、そんな事!」
「…南に行って、安全地帯に行って…
そこで元気な子供を産むんだ!」
「なぜ? なぜ私が、なぜ私が妊娠してる事を、
知っているの? あなたは何者? 南には、いったい何があるの?」
「早く! あと、二十秒ぐらいしかない! 早く逃げろ!」
「そんな! イヤだ!」
「早く! それが、君の使命なんだ!」
「使命、使命って、知らないよ! 私の使命って、なんだよ?」
そう言いながら、私は一歩二歩後ずさりしていた。
私と彼の叫びあう声と、デカダリのまるで笑い声のような叫び声が、
夕焼け一色に彩られる廃墟一帯に響きわたった。
私は振り向いた。
振り向いて、そして走った。
前が見えない。
涙がいっぱいで、前が見えない。
でも、そんな事、関係ない。
私の目の前には、誰もいない。
泣きながら、目をつぶって走ったって、誰にも当たりはしない。
彼と、デカダリの叫び声が、遠くなってしばらくした瞬間、
閃光と爆風と衝撃で、私は地面に叩き付けられていた。
どのくらい時間が経っていたのだろう。
十分? それとも一時間?
でも、もはや時間がどのくらい過ぎていても、もう関係なかった。
気がつくと、私はふらふらと立ち上がり戦闘が行われていた場所へと
足を進めていた。
日はすっかり落ち、あたりは暗くなっていた。音がしない。
人の声がしない。街のいとなみが聞こえない。
あたりは完全に死の世界になっていた。
希望なんて、ない。なんでこんな事になったのか、わかならい。
今はとにかく、彼とデカダリの戦闘の結果がどうなったか、
確認に行くだけだ。
結果は、予想通りだった。
結果はやはり、予想通りだった。
彼の物なのか、デカダリのものなのか、それはわからないが、
さまざまに飛び散った残骸があたりに散らばっていた。
私は、悲しくはなかった。
悲しいけれど、悲しさに負けている場合ではなかった。
風が吹いた。冷たい風が、私のほおを走り抜ける。
風に吹かれ、足元の瓦礫が音をたてて転がる。
次の瞬間、声がした。笑い声が夜空に響きわたった。
私は、驚いて、あたりを見回した。
無気味な笑い声は、私のすぐ近くの足元から聞こえてきた。
私は、驚いて二~三歩後ろに下がって確認すると、
そこにデカダリの残骸が落ちていた。
デカダリの残骸は、ちょうど頭部の部分だったのだろう。
直系三十センチぐらいのデカダリの残骸は、黒く光る目をかすかに
ふるわせながら、そして私にこう告げた。
「…我々カラ、我々から、逃げラレルと思うノカ?
…地獄ノ果てマデ追い詰めてヤル…。グヘヘヘヘ。」
たぶん、デカダリは、そう喋ったのだと思う。
私は、デカダリが何と喋ったのか、確認するつもりはなかった。
次の瞬間、私はデカダリの残骸を、コンクリートの塊で押しつぶしていた。
もう、いい。疲れた。
私は、とても疲れた。
何がなんだか、さっぱりわからない。
わかっている事は、もはや私は、南へ、彼が言っていた南に行くしかない。
南に、いったい何があるというのか?
しかし実際、この状況で、どうやって南に行けばいいのかわからない。
お父さんがいると言う南、タケルが待っていると言う南。タケルが…。
はっ、そうだ! 私は、タケルから手紙をもらっていた。
二人の秘密が書いてある、と言う手紙。
私は、あわてて手紙を探した。
制服に、指がひっかかって痛い。
こんなにボロボロになっても、指が制服に引っかかる事に、少し苛立ちを憶えた。
あった! タケルが私にくれた「秘密」が書いてあるという手紙。
地下室で、これを取りにもどったために大変な事になってしまった、手紙。
私は、手紙を封筒から取り出して、驚いた。
驚く、と言うより少し笑いたくなる気分であった。
それは、地図だった。
タケルが渡してくれた手紙は「地図」だった。
どこの地図かはわからない。しかし、地図の一点にバツ印がついている。
しかも、東西南北の方位で言うと、南を指している。
地図のバツ印がどこなのか、わからない。
そもそも、自分が今、どこにいるのかもわからない。
もっとちゃんと学校で勉強しておけば良かったかな、と少し思った。
だが、そんな事はどうでもいい。
もはや細かい事は、どうでも良かった。
とにかく、南へ向おう。
彼の言葉を信じよう。
お父さんが待つ、タケルが待つ、南を目指そう。
遠くで、何かが光ったような気がする。
それが人なのか、ダリなのか、それはもう、どうでもよかった。
とにかく南へ、南を目指そう。
流れ星が流れた。自分のまわりが、まるで死の世界のようだったので、
なぜか、嬉しかった。
まるで、流れ星が生き物のように見えてなぜか、希望が持てた。
私は、なんとかあの地下室から脱出した。
だが、根本的には、脱出した事にはならない。
でも、いい。
もう、いい。
とにかく、前へ進もう。
一歩一歩、前へ進もう。
今、私の目の前に、広大な廃墟の荒野が、無限に広がっていた。
完