第4話
いつの間に眠ってしまったのだろう。
深い、とても深く眠りこんでいたような気がする。
懐かしい夢も、いっぱい見たような気がする。
ぐっすり寝たので、気分が少し落ち着いた。
ゆっくりと目をあけると、コンビニの袋が飛び込んできた。
無造作に私の目の前の床に置いてある、コンビニの袋。数が増えていた。
あれから、誘拐されて、ここに来てから何日たつのだろう?
たしか三日目ぐらいだ。ぼけた眼でコンビニの文字を読む。どこの店?
だめだ、コンビニの袋ではわからない!
だから私はコンビニの袋がキライなんだ。
他の袋を探すと、コンビニとは別の、スーパーらしい袋が視線にはいった。
知らない名前のスーパーだ。でも、地名が書いてあった。
聞いた事もない地名だ。どこの地名だろう?
少なくとも、ここは本当に私が住んでいる場所から本当に
離れているのも知れない。
ああ、地理の勉強、ちゃんとしておけば良かった。
悔やんでもしょうがない。何かヒントを探そう。
スーパーの袋には電話番号も書かれていた。
だが、ちょうど物の影になって良く見えない。
どうして、いつも、よりによって、こんな時に! という事が多いのか。
まあ、世の中とはそんな物なのかもしれない。
外に連絡さえできれば、電話さえあれば、外に助けを求められるのに!
電話さえあれば。携帯電話さえ、あれば…。
あっ、そうだ、携帯!
あの男は、私が持っている携帯電話はひとつだと思っている。
あの時、電車の中で使っていた携帯は、あの男によって壊されて
しまった。だから、あの男は、安心しているのだろう。
私が携帯電話を、もう持っていないと思っているはずだ。
でも、私は携帯電話を、二個持っている。壊れされていない、
あの男が気がついていない、もう一個の携帯電話。
それは、お母さんと連絡する時に使う重要な、とても重要な電話。
どんな時でも、どんな場所でも、すぐに絶対に出る、
大切なお母さんからの連絡専用の、携帯電話。
まあ私は元から、どんな時、どんな場所でも、携帯電話には、
すぐ出るのだけど。
とにかく、もうこんな状態はいやだ。早くここから逃げ出そう。
すきを見て、今度は、絶対脱出してやろう。
顔を上げて、男の姿を探す。私を誘拐した、あの男の姿を。
男は、相変わらずドアの近くに立っていた。何を気にしているのか、
ずうっとドアの外の様子を注視している。
警察が来るのを恐れてるのかな? 私を誘拐した事がわかり、
警察が私を助けに来る事を恐れてるんだ、きっと。ざまを見ろ!
こうなったら、こちらからもあの男を揺さぶってやる。
私の意志は固まった。
「ねえ。」
男は答えない。
「ねえっ。」
男は答えない。無視されバカにされたような気分になり、
怒りがこみ上げて来た。
「ねえっ!」
私の、怒りを込めた問いかけに、ようやく男は反応した。
「…なんだ?」
男は、疲れてみるみたいだった。それなら、ちょうどいい。
今度はちゃんと逃げ出してやる。私は、ぶっきらぼうに口を開いた。
「お腹空いた。」
「…食べ物ならそこに、君の目の前に置いてある。」
「食べられないじゃない。」
私は自分が縛られている事をアピールした。
男が躊躇している事が見て取れた。私は続けた。
「ほどいてよ。逃げないから。」
私が再度アピールすると、しばらく考えた末、男は口を開いた。
「…わかった。」
ゆっくりと歩いてくる男。
今この瞬間に男に体当たりする事も考えたが、それはやめよう。
また失敗してしまう。今回は男に安心させる事が重要だ。
私の背中に立ち縄をゆるめる男。
きつかった縄がほどけ、身体から痛みが取れる。
足に縛られていた縄もほどかれ私を束縛するモノはひとつ減った。
私を束縛するモノは、あとこの男だけ。
だが私はまだ飛び出そうとはしなかった。
様子を見よう。
逃げ出すために状況を見よう。そう思い私は男を安心させることに努めた。
「ありがと。」
私のささやきに、男は少しまた、動揺した。
よく見ると、男は「悪者」風の顔に見えなかった。
顔はくすよごれていたが、頭の悪い、変な顔には見えなかった。
疲れているようだが、少し凛々しい感じがした。
私は男をもっと混乱させようと、問い続けた。
「…ねえ、いったいどう言う事よ?
何で? なんでこんな事をするの?
ちゃんと説明してよ!
私だって、こんなわけわかない状況は、気が狂いそうよ!」
「…説明。」
「…そう、説明! 理由もなくこんな事するわけ?
ちゃんとした理由があるなら話してよ!」
だが、男が答えた内容は、予想外だった。
「…君に、今の君に説明しても、ちゃんと理解してもらえるとは、
とても思えないが…。」
私はブチ切れた!
「何それ? 私をバカにしてんの?
こんな事しといて、何それ? ふざけないでよ!
私にはお前から説明をうける権利があるはずだわ!
お前は私に、説明する義務が、あるはずよ!」
「…権利…義務…?」
男はとぼけているのか、それとも私をバカにしているのか。
その言葉を初めて聞いたような、言葉の持つ意味がわからないような
表情を私に投げかけてきた。
私の胸の中から、怒りがまたもやこみ上げてきた。
スキを見て逃げ出す事をすっかり忘れて、私は男に怒りをぶつけ続けた。
「…バカにするなよ! 何だよそれ?
私これでもちゃんと学校で、高校で勉強してるんだぞ!
そんな事すら知らないのか? ふざけるなっ!
今の時代せめて高校だけは、ってお母さんがひとり一生懸命働いて、
学費を出してるんだ! 子供の頃、突然お父さんが行方不明になって…
突然勝手にいなくなったお父さんに変わって、
お母さんがひとり一生懸命働いてくれて…!」
お母さん! 私のために一生懸命働いてくれたお母さん!
今、どうしてるのかな?
ひとり病院の一室で、私が来るのを待っているのかな?
今度は私がお母さんに返す番だ。
陸上競技でトップになって、この国の代表選手になって、
お母さんを安心させてあげるんだ!
だが、男が次に言い放ったセリフが、
私のしおらしい気持ちを怒りに変えさせた。
「…君は、…君は父親の事を、自分の父の事をうらんでいるのか?」
「な、なんだ? な、なに言ってんだよ?
お前に、お前に言われる筋合いはないよ!」
やめよう。この男に、何も私の事情を話す必要はない。
こんな奴に私の事情を話したところで、何の意味もない。
変えよう。話題を変えよう。こうなったら、こいつが何者でなんで
こんな事をしたのか聞き出さなくては、気が済まない。
「そんな事より、そんな事言ってないで、何で私を誘拐したのか、
ちゃんと説明してよ!」
口ごもり、しばし考え込む男。優柔不断なのか?
それとも衝撃の事実を告白するつもりなのか?
私に背を向け、ドアに近づいて頭を下げた男の口から、
思いもよらない『衝撃の事実』を告白された。
「…今から数日後、世界に異変が起きて…
人類が、この地球がとんでもない状態になる。
想像を絶する出来事だ。その日の出来事で、全ては一変する。
…こんな事を言っても、君にはわかってはくれないだろうが…。」
笑った。もはや笑うしかない。
私はひさびさに、心の底から笑った。
そして、力が抜けて、ひたすら飽きれるだけだった。
「…だめだ。…こりゃダメだ。こいつ、マジで頭がいかれてる…。
はぁ、まいったなあ…。」
遠くでボンッと言う音がした。
何の音かな? と思った瞬間、まるでトンネルにはいった時の
ような耳鳴りが押し寄せてきた。
空気圧の波が来た次の瞬間、室内全体に軽い揺れが響いた。
「なに?」
私が思わずたちあがると、男はものすごいスピードで
私に駆け付け、私の口を押さえた。
警察だっ! きっと警察が私を助けに来たんだろう。
さっきの空気の衝撃は、爆弾か何かで、ここからとおくの先の
ドアをこじ開けたんだろう。思わず私は叫んだ。
「…助けて! 私はキチガイの誘拐犯に…!」
男は予想外の行動に出た。するどく大きいナイフを取り出し、
私の首にあて私を脅した。
「静かに! 声を出すな!」
なんで? なんでこいつはこんな事するの?
なんでナイフで私を脅すわけ? 私は怒りと言うより、恐怖のあまり、
胸がドキドキした。自分の心臓がドキドキ鳴って、とても緊張する。
でも、その中で、別のリズムが聞こえて来た。
別の心臓のリズム。
そう、私を脅す、この男の心臓の音だ。彼も緊張しているようだ。
ざまを見ろ! まもなく警察が駆け込んで、
私を、この私を助けてくれるに違いない。
だが、安心する期待感とは裏腹に、
ドアの向こうから、異様な「音」が聞こえて来た。
それはまるで波のような音だった。
サーッという音が、遠くの方からだんだんと聞こえてくる。
人じゃない!
何か変なモノが近づいてくる。私の口を押さえた男が、
息を殺しながら、私を引っ張り、部屋の奥へと後ずさりする。
何が? 何が来るの? 警察の新しい捜査用の機械かなにか?
とにかく、それが人ではない事は、すぐにわかった。
この部屋の、荷物の物陰にかくれる私たち。
男を突き飛ばし、助けを求めたかった。男の持つナイフなど、
怖くはなかった。だが、せまりくる「異様な物音」がそれをさせなかった。
異様な物音が、ドアのすぐ前まで近づく。
室内から、それは見えなかったが、前に逃げて走った事があるので、
どんな通路かは憶えている。
異様な波の音が、一瞬ピタッとドアの前で止まった。
変な生き物のしゃべる声のような音がする。
しかも、それはひとつではない。
ドア一枚向こうから、複数の異様な「会話」が聞こえてくる。
こんな変な言葉は、聞いた事はない。
もちろん私が外国語が堪能なわけ、ないのだけど。でもそれが、
「人」の声ではない事は、すぐにわかった。
私を押さえる男の心臓音の高まりが、身体を通して伝わってくる。
私の事を意識する事を忘れ、男は、その恐怖におびえていた。
どのくらいの時間だったのだろう。
異様な物音の「波」は、しばらくドアの前で留まったあと、
通って来た通路を戻り、そして消えていった。
静かだ。
とても静かだ。
あたりには静寂につつまれた。
男は、まだ私の顔の近くに大きなナイフをあてていた。
異様な物音は、もうドアの向こうにはいない。私にはそう思えた。
だが、男はひとりおびえ、息を荒し、心臓の鼓動を高らかに
ならしていた。男が我に帰る気配を感じられなかったので、
私がひきもどす事にした。
「ねえ。」
例によって、男は答えない。
「ねえっ!」
私の怒りの呼び掛けに、ようやく男は我に帰った。
「…えっ?」
「えっ? じゃねえよ! いつまで、このナイフ、
私の首にあててんだよ?」
「…ああ、すまん。」
男は、びっくりした様子で、ナイフを私の首から引いた。
男の顔は汗びっしょりだ。
こいつ、本当にビビってたんだ。
たしかに私も異様な物音は怖かったけれど、こいつの様子は
尋常じゃない。なんだか私は腰が座ってきた。
こんなやつだったら、実は意外と簡単に逃げられるんじゃないか?
そう思えて来た。私はイラついた目で男の顔をにらみ、
手に持つナイフを見つめた。
「なっ! 何だよ? そのナイフ?
お前、私に危害をくわえるつもりはないって言ってたじゃん!
なのに、何だよ? お前! この、嘘つきやろう!」
私の怒濤の怒りの爆発に、まるで男は小さな子供のように
小さくなった。
「…すまん。…すまない。ぼ、僕は、僕はそんなつもりでは…。」
きたっ! チャンスだっ! 今ここで、こいつをつぶしてやる!
こいつをつぶして、私はこんなところから出てやる。
さっきの異様な物音が気にはなるが、いつまでもこんなところに
いるつもりは、ない。
私は続けた。
「お前、いいかげんにしろよな! 何がすまないだよ?
お前、いかれてるんじゃないのか?
さっきのはいったい何なんだよ? お前、何者なんだよ?
お前は、なにがしたいんだよ?」
私のたたみかけの攻撃に、男はどんどんと小さくなった。
男は、廊下に立たされている子供のような表情で、小さく口を開いた。
「…僕は! 僕の任務は!」
地震だ。えっ? 地震? 地面の振動が、
私の立つ足から伝わってくる。
「…地震?」