第1話
眠りから目をさました時、たまに『私は誰?ここはどこ?』と思う事がある。
でもすぐに、自分が誰で、自分がどこで寝ているのか、すぐに思い出す。
私の名前は恵理花、ここは自分の部屋のベッドの上。たいがいそう言う時は、
インハイ前で部活の練習がハードな時が多い。疲れて寝ていたので、
たくさん寝返りをうち、いつも枕が足元にある。自分の部屋の天井に貼った、
目標の選手のポスターを見て、やっと我に帰る。
だが、今回は少し様子が違った。疲れて寝ていた時のように寝返りをたくさん
うった記憶もないし、足元に枕の感触がない。目をさました私の目に見えた
天井は、いつもと違っていた。もちろん、目標の選手のポスターもない。
天井には照明がぶらさがっていたが、電気はついていなかった。
薄ぐらい部屋。思わず、これまでなかったほどに『私は誰? ここはどこ?』
と真剣に思った。自分がどこにいるのか、どこに寝ていたのか、たしかめよう
とあたりを見回した時、なぜ寝返りをうった記憶がないのか、すぐにわかった。
私は縛られていた。きつい縄で縛られ薄ぐらい部屋の中で寝ていた。
こんな状態で寝返りをうてるわけ、ない。
なぜ? なんで私は身体を縛られてこんな薄ぐらい部屋の中で寝ていたの?
動きづらい身体を必死に動かし、部屋のあちこちを見回してみる。無理に身体を
動かしたので、痛みが走る。部活のハードな練習で身体中の筋肉の
あちこちが痛い。思わず声を上げた。
「…痛っ!」
「…気がついたか?」
不意に人の声が聞こえたので、私は飛び上がって驚いた。
縄でしばられているにもかかわらず、文字どおり飛び上がる勢いで
反応してしまった。おかげで、ますます身体が痛む。
その声は男の声だった。飛び上がって驚いた拍子に、身体がちょうど
その方向を向いたので、その姿を確認する事ができた。電気もつけず、
薄暗い部屋のドアのところで、声の主の男がシルエットのように立っている。
窓のない部屋で、
広さはそう、私の学校の教室くらい。あちこちに荷物が雑然と置いてある。
ここは何かの倉庫のようだ。
なぜ私はこんな部屋にいるの? この男はいったい何者? 私はこの男に
何かされたの?
そう思うとだんだん腹が立って来た。こういう時、普通は恐怖に陥るはず
だが、私はそうはならない。通学中の電車の中でも、トラブルによく遭遇する。
そう言う時と同じような怒りでいっぱいになった。
「お、お前、誰だよ?」
ぶちきれた私の強い口調の問いかけに男は答えなかった。無視しているの
ではなくまさにその逆で、私の事をマジマジと観察しているようだった。
なに? 何だよ、この男。ならば私も負けずに男の顔をマジマジと見てやる。
シルエットになって男の顔がよく見えず、相手の表情がよくわからない。
けれどガンを飛ばすなら、その方がちょうどいい。いつもの電車の中での
トラブルの時にする私の表情で男を観察する。いつもの電車の中のトラブルの
時のように。そう、電車の中の…。えっ、電車の中?
「…あっ! お、お前!」
「思い出したか?」
男は、私が声を出す前に少し喜んだ表情をうかべた。私が記憶を思い出した
表情をマジマジと観察していたのだろう。その不敵な表情を見て、私は不愉快で
たまらなくなった。
「思い出したか? じゃなねえよ! なんだよ、てめえ! 電車の中から私を
付け回してさ! 改札を出た階段の途中、突然私に話しかけて、わけのわから
ない事を言って、私を…私の…。」
「口をおさえた。」
「…そう! そうよ! そうだよ! お前はいきなり私の口をおさえて…」
「誘拐した。」
「そう! そうだよ! てめえ! お前は私をさらって、誘拐したんじゃん!
お前、誘拐犯だな? 何が狙いなんだよ?」
私が食ってかかかると、男は安心したかのように近くの金属製の箱の上に
座り込んだ。
「…よかった。衝撃が強すぎて、脳に障害が出るとまずいと思ってたんだが、
よかった。脳には障害はでなかったか。」
「障害が、出なくて良かったじゃなねえよ! なんだよてめえ!」
「…女の子なんだから、少しは言葉使い、気にした方がいいと思うけどな。」
この言葉で私はブチ切れた。女の子だと思って、女子高生だと思ってバカに
してるのか?
「なっ! なんだよ、てめえー! いい根性してやがるな! 誘拐犯の分際で
人に説教してんじゃねーよ! てめえいかれてんじゃねえのか? このボケ!」
自分の不満を男に向けて口に出せたので、スッキリした。一気に言いたい事を
言ったので、少し疲れてしまった。
だが、男はまったくわけのわからない言葉を口にした。
「…わけあって、君を誘拐した。個人的に興味があったから誘拐したわけ
ではない。勘違いしないで欲しい。俺は自分の使命のため、君を『保護』
している。俺は君の、君の命をまもるため君をここに連れてきた。
君は狙われている。」
「君は、狙われてる、だと? このバカ! テレビか映画の見過ぎだよ、
キモイよ!」
「…君に危害を加えるつもりはない。協力してくれ。」
バカらしい。もう終わりにしよう。私にはやる事があるんだ。大事な用事が。
余裕ができて、自分の置かれた状況を確認する事ができた。上半身は縄で
きつくしばられているが、足は縛られてはいない。足は自由だ。これなら走れる。
男に気づかれないようにドアのノブを見る。サムターンでロックをはずせる
構造のようだ。
しめた、逃げられる! 私は行動に出る事にした。私は、力をこめて
立ち上がり、一気に男の身体に体当たりした。気を抜いていた男は、
座っていた荷物もろとも数メートル先に吹き飛んでいった。
ざまを見ろ! けっこうスッキリした。私は立ち上がり、ドアに背を向けた。
後ろ手で、必死にドアのノブをさぐる。どこ? ドアのノブはどこ?
私は、こういう体制で物をいじるのは得意だ。家近くのスーパーで、
よく万引きを繰り返していたものだ。お母さんに怒られて、
最近はしなくなったが。
そう思った瞬間、ドアのノブにやっと手が届いた。私は思いっきりドアの
ノブをひねった。
開け! 開いてくれ! 私の願いをかなえてくれ!
一気にドアのノブを回すと、にぶい音をたててドアが開いた。やったっ!
このままダッシュで逃げてやる! これでも私は、高校の陸上競技の県大会で
上位入選した事あるんだぞ! 学校の強化選手にだって一度は推薦されたんだ。
私は一気に廊下をダッシュした。
薄暗くて、長い廊下。出口! 出口はどこなの? まるで迷路のような廊下を
何回も曲がると、その先は、行き止まりだった。
「ええーっ! なんで? マジかよ、おいっ!」
だめだっ! 今来た道をもどろう! 出口につながる道はきっと他にあるに
違いない。そう思ってふりかえると、そこに男が立っていた。
「うわさ通り、足は早いね。」
なに? 何だって? なんで私が足が早いのを知ってるんだ?
この男は、ストーカーか? 私は、逃げ口を失った不愉快さを一気に男に
ぶつけた。
「どけよ、てめーっ!」
「だから言ったじゃないですか。女の子なんだから言葉使い、ていねいに
した方が良いですよ。」
嫌いだ! 私はこう言うマジメっぶった奴は、大嫌いだ。まるで担任の先生と
同じじゃないか。私の事を、強化選手の推薦からはずした、大嫌いな陸上部の
担任の先生。私はもう、怒りで押さえきれなくなった。
「うぜーよ! お前! そこをどけよ!」
「ここは特殊な構造になっているんですよ。敵からの攻撃を防ぎ、
あなたの命を守るためにね。」
なにを? 何をいってやがる? この男。私は逃げ出そうと、再び体当たりした。
だが、今回は私が甘かった。同じ手はニ度と通用しなかった。
体当たりした私の身体を軽くよけた男は、私の背中に重い一発をお見舞いした。
私は、痛みのあまり、気を失った。