第49話「不器用な彼女から貰った物」
朝、目覚めてからしばらく立ち上がれなかった俺を起こさせたのは、母さんだった。
母さんは慌てた様子で俺の部屋に入ってくるなり、横になったままの俺を激しく揺さぶった。
そして、こう言った。
『栞菜ちゃんの意識が、戻らなくなった』と。
*****
あの世界からの帰還後も、やはり栞菜の意識は戻っていなかった。
医者の話によれば、身体機能に異常はなく、なぜ目を覚まさないのかはまだ分析中らしい。
でも、誰も知らないその理由を俺は知っている。
栞菜の意識はあの男に奪われ、今も魔導師の世界に閉じ込められたままだ。
俺がちゃんと守っていれば、栞菜を連れて帰ってこれたはずだ。
いや、そもそも栞菜を巻き込んだのがいけなかったんだ。
枝紡も鳴海も栞菜も、巻き込まないと言いながら、結果全員を魔導師たちとの戦いに巻き込み、枝紡は体を失い、鳴海は普通の日常を失い、栞菜は意識を奪われた。
エッフェンバルトとの戦いでリロウスは消失し、向こう側に行く方法さえ分からない。魔導師たちの世界も救うことができず、生きようとしていただけの奴らまで葬った。
結局、全部、俺のせいじゃないか。
確かに、戦って救えた命だってあった。
でも、戦って失ったものの方が遥かに大きい。
何も知らず、ただこの世界に普通に生きている人たちからしてみれば、俺が失ったものなんて心底どうでもいいかもしれない。『可哀想に』なんて同情の声ぐらいは上げてくれるのかもしれない。
……何も知らないくせに、俺が失った全部をお前らの物差しで測るな。
八つ当たりしたって、誰かを恨んだって、栞菜は戻ってこないのに。
俺は夏休みの間、毎日病院に通い面会終了時間まで栞菜の傍にいた。
毎朝俺が行くと、椎菜が先に来ていて泣いている。
俺が病室のドアを開けたのに気づいた椎菜は、急いで涙を拭いて、平静を装う。
そんな椎菜を見ているのもつらかった。
俺のせいだと知ったら、椎菜は何を思うだろう。
真実を伝えたら、本気で嫌悪するだろうか。
俺の話を信じてくれるかどうかも、分からないが。
……眠れない日々が続いた。目を閉じると、あいつの顔が浮かんだ後にあいつは流々禍の姿になって、『また会おう。式瀬陸斗君』と言ってくるからだ。
またって、いつだ。今すぐにでもあいつから栞菜を取り戻しに行きたいのに。
枝紡は帰ってきた日から、ずっと泣いている。
彼女は何も悪くない。けれど、彼女はずっと自分のせいにしようとして、後悔を積み重ねていた。今の俺と枝紡は、お互いに後悔をぶつけ合って、慰めあって、虚しさで満ちた泥にはまっていくばかりだった。
そうやって、眠れないまま朝がくる。
どうせ眠れないのならと、俺は毎晩、旧藤咲市に通うことにした。
枝紡もそれに賛成してくれた。
もしかしたら、次元の穴を開くヒントがあるかもと信じていたから。
病院での面会時間が終わると、俺はバスに乗り旧藤咲市に向かう。
中の様子は相変わらずで、修行に使っていた山は局地地震の影響で地すべりを起こしていた。
いつも真っ先に向かうのは、次元の穴が空いた藤咲学園の体育館跡地。
穴が空いていたはずの場所はただの地面になっている。
俺は炎禍となり、その場所に延々、魔力を放出した。
頭で考えても、しょうがなかった。
いったいどうすれば次元を開き、魔導師の世界に行くことができる?
毎晩、俺も枝紡も気絶するまで魔力を放ち続けた。
気絶することでようやく、眠れるようになった。
……向こうは今、どうなっている?
………栞菜は”無事”なのか?
……………エッフェンバルトは、まだ戦っているのか?
あいつになら、次元の穴を開けられるだろう。
でも、どうやって伝えればいい?
俺が毎晩、魔力を放っていれば気づいてくれるか?
こんなんじゃ、お前との約束も果たせない。
現に俺は栞菜との約束も果たせていないのだから。
なあ……、エッフェンバルト……。
助けてくれ……。お前たちを必ず救うから、俺を助けてくれ……。
俺は、どうしたらいいんだよ……。
どうやったら、魔導師の世界に行けるんだよ……。
答えの見つからない、模索が続いた。
*****
1日1日が、ゆっくり過ぎていく。
栞菜に取り付けられた機器は日々、数が減り、最終的に脳波形と呼吸器と点滴だけになった。
夏休みが終わる3日前。
俺は、詩織さんに栞菜の体をきれいにしてあげて欲しいといわれた。
俺は戸惑い、迷ったけど、頷いた。
栞菜を車椅子に乗せて、病院のお風呂に連れて行く。
週に1回は湯船に浸からせてあげるのだと言う。
俺は慣れない手つきで栞菜の衣服を全て脱がせた。
初めて見る栞菜の裸は皮膚に骨が浮かぶほどやせ細ってはいたけれど、
とても綺麗な体だった。
長い時間をかけて詩織さんに手伝ってもらいながら栞菜の体を洗い、抱きかかえて湯船へと運ぶ。
栞菜は信じられないくらい軽くなっていた。
湯船に浸かる際は頭が落ちないよう、支えてやる。長く伸びた髪は流々禍の姿を髣髴とさせた。
お風呂が終わった後、詩織さんに食事に誘われた。
俺は断ったが、詩織さんは「大事な話があるの」と言って気乗りしない俺を近くの喫茶店に連れて行った。
「……夏休みが終わったら、あの子、生命維持装置を取り付けることになったの」
詩織さんは、医者からの通達を淡々と話した。
意識を失ってから、しばらくは問題なく動いていた栞菜の心臓や肺が機能低下を起こし、このままでは延命できない可能性がある――。
つまり、栞菜の体は”死”の直前にあるということ。
枝紡と同じように、戻る体が無くなれば栞菜は奴の精神と完全に融合してしまう。
それに、多分、栞菜の精神も相当衰弱しているのかもしれない。
膝の上に置いた手が拳を作っていく。
詩織さんは話を続けた。
生命維持には莫大な費用がかかるらしく、
今のままでは2年続けられるかどうか……。
詩織さんはやっと、静かに涙を流しながら自分の不甲斐なさと、母親としての悔しさに抗おうとしていた。
2年……。
その間に俺は、魔導師の世界に行かなくてはならない。
どんな手を使ってでも、俺は次元の穴をこじ開けなくてはならない。
実際、2年持つかどうかも分からないんだ。
その考えが俺に焦りと、もどかしさを生んだ。
俺は喫茶店を飛び出し、すぐに旧藤咲市に向かった。
解決策があるわけでもない。
けれど、もういてもたってもいられずじっとしているのが怖かった。
バスも使わず走り続け、汗を滝のようにかいて、旧藤咲市に辿り着く。
走っても頭の中はぐちゃぐちゃのまま。
――栞菜の体に制限時間がつけられた。
栞菜は生きているのに、
栞菜は今もあの場所にいるのに。
俺は知っているのに――。
……知っているだけなんだ…………。
碌に睡眠も食事も取っていない俺はその日、炎禍になれなかった。
枝紡の精神も衰弱し、話しかけても返答すらない。
本当の意味で”無力”になった俺の中で、何かが壊れた。
「あああああっ!!!アアあああああああああああああ!!!!!!!!」
狂ったように素手で瓦礫を殴り、考えがまとまらない頭をたたき付けた。
痛くなかった。
それでも、血が流れた。
ぼたぼたと頭から流れる血は溜まりを作って、鏡のように俺の姿を映す。
血の鏡に映った俺は血の雫で波紋が広がり、あいつの姿になった。
そして、そのままの姿でこう言う。
――『また会おう。式瀬陸斗君』
俺は、自分でも何語なのか分からない言葉を叫び続けた。
叫びながら、また何度も瓦礫を殴った。
殴って、殴って、後悔や無力さを消し去ってしまいたかった。
やがて砕けたのは、俺の右手だった。
力があれば、簡単に砕けたはずの瓦礫さえ、
無力な俺には砕けない。
その事実が、悔しくてたまらなかった。
ぼろぼろになった右手を見つめて思う。
『人間と魔導師は手を取り合えるんだ』
『お前の力が必要だ。力を貸してくれ』
『僕は空っぽなんだよ』
『また会おう。式瀬陸斗君』
…………。
「からっぽなのは、おれだ……」
俺は何のために戦ってきたんだよ。
こんなにも多くのもの失って、取り戻すこともできずに、意味も無く血を流すことしかできない。
俺の今までって、なんだったんだ…………。
夕陽が、落ちていく。
影が伸びて、いつのまにか伸びた影さえも消えた。
また夜が来る。
そして、朝陽が昇って世界は照らされる。
世界は何も変わっていない。
むしろ変わったのは俺たちの方で、”決められた運命”は変えられない。
もし、こうなることさえも”決められた運命”なのだとしたら、
俺はいったい、どれだけの”大切”を失えば運命を変えられるんだ。
なあ……、教えてくれよ。
かみさま…………。
*****
2日後。
栞菜に生命維持装置が取り付けられることが正式に決定し、手術の日程が決まった。
夜。
病院から帰る途中、病院の門の前で呼び止められた。
声の主は、鳴海。
俺はあの日以来初めて、鳴海に会った。
鳴海は俺の顔と右手に巻かれた包帯を見て、ひたすら謝ってきた。
お前は気にするな。
そう言ってやりたかった。
でもその言葉を言えば、鳴海はきっとさらに心を痛めてしまう。
人は誰も、自分のせいにしてしまうことで楽になれるから。
俺もそうだし、鳴海もそうなのだろう。
気にするなと言われて、自分の責任をもみ消されてしまったら後を退く後悔は尋常じゃない。もっと深い傷も負いかねない。
鳴海もあの世界で命を懸けて戦い、最後は俺を連れ帰ってくれた。
実際、あのまま斑模様の空間にいたらどうなっていたか。
鳴海は俺や栞菜に対しひたすら謝っているが、俺は鳴海に対して怒る理由はないし、権利も無い。
この子を悩ませているのは他でもない俺だ。
鳴海はこの2週間、ずっと次元のゆがみの中から俺を連れ帰ったことを後悔しているのだ。確かにあの空間が一番、魔導師の世界に近かった。
しかし、今は、その入り口すらも開けていない状況だ。
歩きながらこの2週間の間の話をした。
嵐禍によれば鳴海はずっと家の自室から出られないほどの熱に犯されていたらしい。
魔力を限界寸前まで使用したことによる反動だと嵐禍は言った。
鳴海がそんな状態だったのも知らなかった俺が、今度は鳴海に謝った。
やはり鳴海にも相当な負担をかけていて、彼女はそれを自分だけで抱え込もうとした。
俺は正直、鳴海が持つ”強さ”が羨ましかった。
目の前の現実から逃げようとせず、熱に打ち勝ち、俺に会いに来てくれた。
鳴海は悪くないのに、俺に謝った。
俺は栞菜のことばかりを考えて、鳴海の体調に気づけなかったというのに。
俺は……、最低な奴だ。
この子の優しさや強さは、俺には眩しすぎる…………。
同じペースで歩いていたが、俺は足を止める。
俺が止まったのに気がつかず3歩前を行った鳴海が振り返る。
そのとき既に俺は、逃げるように鳴海の前から姿を消した。
鳴海……。
俺なんかに優しくしないでくれ。
俺なんかを支えようとしないでくれ。
ごめん………。
本当に、ごめん………。
時計の針が12を差し、長かった夏休みが終わる。
夏の終わりに見上げた夜空には、
いくつもの星が、輝いていた。
*****
夜が明け、今日から新たな学校生活が始まる。
俺は桜見市にある市立二木原ふたきはら高等学校に転入した。
藤咲学園の生徒達は皆、受け入れ体制が整っている高校に振り分けられ、それぞれが今頃新しい制服に身を包んでいる頃だろう。
俺も二木原の制服に着替えて、鞄を手に取る。
手に取ったのは、藤咲でも使っていた鞄だ。
クローゼットから取り出すとき、何かが戸に引っかかって、床に落ちた。
俺は腰を下ろし、それを両手ですくい上げるように拾う。
………それは、栞菜が俺の誕生日プレゼントとして作ってくれた
ケルベロスの人形だった。
顔はなんか睨んでいるし、縫い目も見えてるし、タテガミもぎざぎざだ。
2本生えた尻尾はなぜか色違い。
……不器用なくせに、栞菜はこれを一生懸命作ってくれた。
多分、何度も針で指を刺したり、針に糸が通せなかったりしただろう。
何度も何度も失敗を重ねて、ようやくできた1体なのだろう。
それは間違いなく栞菜にとって、最高の自信作だったのだろう。
ふと、俺の脳裏に全てが始まったあの日の光景が蘇る。
まだ何も知らず、これから訪れる2ヶ月間なんて想像すらしていなかった、
裁縫部でのあの時間。
*** ***
『次は…あ、あたしから…っ』
渡されたのは、ラッピングも無いもちろん小箱も無い、おそらく手作りであろうライオンのような生き物の形をした手乗りサイズの人形だった。
形は成しているが、いろいろと不格好である。
顔は愛らしさが身を潜めなんだか睨んでいるように見える。
ライオンであるならばタテガミがトレードマークなのだが形が均等ではないギザギザである。
そして尻尾がなぜか2本生えていた。
『・・・け、ケルベロスよ』
『お前、それはいくらなんでも苦しいだろ』
まあ言われてみれば確かにそう見えなくもないが・・・。
『うっさいわねっ!初めて作ったの!少しふたばにも手伝ってもらったけどさ。あたし、初めてはリクにあげるって決めてたから』
『ぶほっ!!』
飲みかけていたコーラを明後日の方向にぶちまける。
何ということを言うんだこの生娘はっ!
その表情は、真っ赤になり目線は下を向きっぱなし。
本当にあの栞菜なのか疑いたくなる。
『け、ケルベロスだからあんたのお守りになると思って』
『な、なるほど…』
『肌身離さず持っていないと呪うから』
『お前がっ!?』
……………………。
………………。
…………。
*** ***
あのまま、何も起きずに時が流れていたら、
俺は未だにお前の気持ちに気づけてなかったのかな。
自分の、お前への気持ちにも気づけてなかったのかな。
「……あれ?」
ケルベロスに触れていると、お腹の中に何か角ばった感触を見つけた。
気になり、ケルベロスをよく調べてみるとお腹に小さなファスナーがついていて、
開けられるようになっていた。俺はファスナーをゆっくり開いていく。
「これは……紙か?」
中からは、かなり小さく折りたたまれた紙が出てきた。
一折ずつ、紙を広げていく。
その紙の正体は、手紙だった。
*** *** ***
Dear 17歳になったりく!
お誕生日、おめでとう。
りくに手紙を書くのは初めてだよね。
自分でもどうして書こうと思ったのかよくわかんないんだけど、
せっかくだから、書いてみる。
どうせ、りくは鈍感だからこの手紙がどこにあるのか
気づくのに時間かかるだろうしさ。
りくももう17歳、か~。
去年の誕生日から今日までってすごくあっという間だったね。
時間がたつのは早いなぁ。
りく、このまま一気に年取っちゃうんじゃない?
…それは、あたしも同じか。
ねえ、りく
りくは、この1年楽しかった?
あたしは、すごく楽しかったよ。
いつも思ってたことがあるんだけどさ。
あたしが楽しいって思える思い出にはりくが居てくれるんだよね。
りくがそばに居ると、元気になれるんだ。
出会った日からずっと。
あたしが困っていると、りくはいつも助けてくれたよね。
あたしが泣いていると、りくはいつも笑わせてくれたよね。
…あたしはりくのために、何かしてあげられたかな。
自分ではわかんないんだ。
でもね…、もしね、りくの方もあたしといると楽しいとか…
なんかそんな感じのこととか、おもってくれてたら、いいなぁって…
たまに思います。たまにね。
りくの17歳の1年はどんな1年になるのかな。
りくにとって素敵な1年になったら、あたしもうれしいよ。
これからも、よろしくね。
りく、いつもありがとう。
追伸
この手紙が見つからないことを祈る!
栞菜より
*** *** ***
「………栞菜……」
涙でくしゃくしゃになった手紙を、ひたすら読み返す。
何度も何度も、読んだ。
「栞菜、俺は……」
――お前のことが、好きだ。
いつになれば、伝えられる?
伝えられる日は、来るよな?
これで、終わりじゃないよな……?
初めて人を好きになって、
初めてこんな痛みがあることを知った。
クローゼットの隙間からは、
栞菜とお揃いの浴衣が見えた。
『te:tra』Fin.....




