第46話「砕かれる希望」
月光が輝く夜の闇に、ひとつの光が神々しく世界を照らす。
その眩い光に、偽りの月は霞んで見えてしまう。
足元まで伸びた白い髪がそよ風に揺れて、背中からは翼竜を思わせる翼が生える。
褐色の肌は瑞々しく、金色を放つ瞳の先には己の敵が映っていた。
リロウスは右手の指を小指から一本ずつ手の平に納めて拳を作り、左手でも同じ動作を行った。続いて、首を回し、右足、左足の順番で足首を回した。
陸斗の体は問題なく自分の意思により動く。
この世界の匂いを懐かしむように、深く、大きく深呼吸を2回繰り返した。
「……リロウス……ッ」
「……この姿で会うのは久しぶりだな、エッフェンバルト」
「貴様が出てきたところで、何ができる」
「できることならあるさ。……お前を殺す」
言葉に力が込め、リロウスは言い放ったがエッフェンバルトは鼻で軽く笑い飛ばす。
「フっ。元々の実力でさえイルヴァナにも劣る貴様がか?」
「あの頃はな。今は違う」
リロウスは右手を水平に振り払い、自身の魔力で赤い鞭を精製する。
「今の私には明確な目的があるから」
「目的?魔導師でありながら我らを裏切り、人間の世界を守ることか?」
「……最初に言っただろ。お前を殺す、と」
「答えになっていない!!!」
語気を強めたエッフェンバルトはリロウスに向かう。
100メートルほどあった距離は一瞬で詰められ、エッフェンバルトが拳を振り抜く。彼の拳は空を撃ち、リロウスの残像が陽炎のように揺らいで消えた。
「「遅いな」」
互いが同時に呟いた一言は、互いには届かず、湿った空気に混ざっていく。一気に詰まった距離は再び遠く離れたが、リロウスは鞭をしならせ、エッフェンバルトの右足を捕縛し、自身に引き寄せる。対して、エッフェンバルトは鞭が絡みつく右足を頭上まで蹴り上げ、鞭を解き、掴んでから逆にリロウスを引き寄せ、もう1度拳を構えた。
「フンッ!口ほどにもない!」
「そう思っていればいいさ」
今度こそ、射程距離に思われたがまたしても拳は空を撃った。いや、正確に言えばリロウスの虚像を撃ち抜いていた。
「――なっ……!」
「どうした?エッフェンバルト。止まって見えるぞ」
背後からの冷たい声。否が応にも条件反射的に体は振り向いてしまう。
振り向きざまに繰り出した蹴りも、彼女を捕らえはするものの、虚像である為に感触は皆無だ。
「こっちだ」
次は下から飛んできた声に反応し、続いて左方向、右方向、遠くの声に向かっていけば、近くの声に動きを止められる。実体はひとつでありながら、声は幾重にも重なり、あらゆる方向から聞こえてくる。加えて、虚像を生み出し、視覚情報と聴覚情報を乱す。
「……小細工をっ!!!」
そのときすでにエッフェンバルトの体には鞭が巻きつけられ、容易に抜け出すのは困難だった。リロウスは充分に距離をとった位置で、鞭を引く手に力を入れた。すると巻きついた鞭の表面が刃状に変化し、絡みついた体から蛇が這うように解けていくと同時に鍛え抜かれた肉体を切り刻んでいく。
全身からほとばしる血液、痛みをこらえながらも歯軋りの音が闇を彷徨う。
間髪いれずにリロウスが仕掛ける。エッフェンバルトが怯んだ一瞬をついて、鞭を払い、右腕に打ち込むと破裂音の後に衝撃波が生まれて、巨体を吹き飛ばす。逃がしはしないと、弾き飛ばされていくエッフェンバルトに鞭を伸ばし、追い討ちの一撃。腹部を強打して、瞬く間に大地に突き落とした。
大きく泥が跳ねる。しかし、落下地点に敵の姿はなかった。
「素早い奴だ。だが、何をどう仕掛けてこようとも――」
リロウスが言いかけた途端、腹部を突撃槍が貫いた。
「マナ……借りるぞ」
腹の中心を捉えた突撃槍は皮膚を裂き、肉を抉っていく。突撃槍に滴っていく血と、エッフェンバルトの血が混ざり合った。
だが、リロウスは苦しむどころか、不敵な笑みを浮かべていた。
「お前がどんな攻撃を仕掛けてきても、私には辿り着けない」
また、陽炎のように突撃槍の刺さったリロウスが消失する。混ざり合った血も、肉を抉った感触も。
「貴様――」
振り返りながら、突撃槍を薙ぐ。背後をとっていたリロウスを確かに斬った。
はずなのに。
「言っておく」
虚像のリロウスが消えた、同じ地点に実像のリロウスが現れ、エッフェンバルトの鼻を砕かんと右拳をぶち込んだ。
城壁を破壊し、また1つ、大きな壁穴を開けてしまう。
エッフェンバルトは自分が突き破った穴の向こうを見上げて、眉間に皺を寄せる。
そこには、偽りの月を背にして、逆光になったリロウスが殺意の滲んだ眼で見下ろしていた。
「――お前には、たった1秒の時間のずれさえも追いつけない」
*****
「……1秒の時間のずれ……?やはり、その力を使っていたか。使えたのならなぜ、1秒しか使わない?」
「それだけで充分だからだよ」
――1秒、先に動けば充分に戦える。
至って冷静にリロウスが告げる。だが、エッフェンバルトにも焦りはなく両者の間に重たく、淀んだ空気が流れた。
「まさか、会得していたとはな。”時間操作”を」
「そんな大それたものじゃない。私は、1秒後の世界に飛んでいるだけ。お前が聞いた声も、切り裂いた私も全て、1秒前の私なんだよ」
「1秒前……?」
突撃槍を握る手に力が入り、今しがたの交戦を思い出すエッフェンバルト。元々、リロウスが”鞭”と”己のスピード”を使った戦法が得意なのは知っていた。加えて、彼女が魔力を用いて”時間操作”を極めようとしていたことも。
様々な魔力の使い方がある中で、”時間操作”を会得していた魔導師はたった1人しかいなかった。伝説、そして、災厄の魔導師・ウィザードだ。
万物の摂理に反する”時間操作”は、理さえも超える力のある者しか使えないある種の禁忌とされていた。その力をリロウスは息を吸う程度の感覚で使った。本人も言うようにたった1秒ではあるものの、時間という概念に逆らう行為は決して容易くない。本人の基礎能力が劣っていても、または、圧倒的な力を持つ敵と対峙したとしても、”時間”の壁は分厚い。最強の能力と言っても過言ではないのだ。
「まあ、この世界から追放された後、無茶をしてね。20秒近く時間を止めたら、魔力の殆どを失ったよ。だけど、私は運がよかった。この体の主、陸斗に出会い、強力な魔力を持つ少女と過ごすことでかなりの力を回復できたからな」
視線を下に向けたまま、勝ち誇ったようにリロウスは言う。彼女にとっても久しぶりの実戦だったが確かな手応えを感じていた。腕を組んで、さらに彼女は続ける。
「お前の問いにも答えてやる。お前の言うとおり、1秒以上の時間を止められれば字の如く秒殺だってできるさ。そうしないのには、2つ理由がある。ひとつは魔力の消費が激しすぎること、そしてもう1つは……」
言葉の途中でリロウスの姿が消失する。忽然と消えた姿を追うまでもなく、声はエッフェンバルトの左隣から聞こえた。
「陸斗の体が持たない可能性があるってとこだな」
「チィッ――!!!」
声に気づいてからの反応では遅すぎる。エッフェンバルトが突撃槍を振り切った後には、誰の姿もなく自身の血が虚しく床に飛び散っただけだった。
「屑が……。馬鹿にしおって……」
「馬鹿になんてしていない。ただ、時間は有限だ。少しばかり時間を無駄にした」
「なに……!?」
城内に響き渡る声の出所を探して、ぐるりと見渡すも、エッフェンバルトの眼にリロウスの姿は映らない。沸々と湧き上がってくる苛立ちが彼の息づかいを荒くさせた、次の瞬間――。
「ぐあっああ!!」
鞭により首が急速に締め付けられ、じたばたともがき苦しむ。しかし、その行為がさらに首を締め付け、無呼吸状態が続く。
「本来であれば私たちが戦う必要なんてないんだ。だから、昔の好で言うぞ。もう邪魔をするな。邪魔をしないと言えば、命まで奪うつもりは」
「断゛る゛ッ!!!」
やっとの思いで言い放った言葉は、リロウスの表情をさらに冷たくさせた。
「……そうか。残念だよ、エッフェンバルト」
彼女は鞭を強く握り締め、力の限り、引き上げた。
*****
「……――っ」
次元の狭間にまで伝わってきた強大な魔力にドナの後を追っていたセナは前に進むことをやめてしまう。セナの背後に迫った嫌な予感は彼女の背筋をなぞり、苦しみ悶える父の姿を脳裏に叩きつける。言いようのない不安が彼女を襲い、杖を握った両手にはじわりと汗が滲む。
少し先を行っていたドナは、セナの気配が遠ざかるのを感じて後方を振り向く。慌ててセナの位置まで戻ると、小さな肩を掴んで叱咤した。
「おい!!何で止まってるんだよ!はやくここを抜けないと、出られなくなるんだぞ!」
「で……、でもでも……」
セナの動揺の仕方は異様だった。がたがたと震えて、眼の焦点もあっていない。過呼吸気味になり、吐く息ばかりが多くなる。明らかに様子がおかしいセナに対し、ドナは一瞬狼狽える。しかし、いつまでも立ち止まっているわけにもいかない。今度は、自分自身とセナを落ち着かせるように優しい声を出した。
「……どうしたんだよ?セナ……?」
そっと、不安を浮かべた表情を覗き込む。ようやく眼が合うと、セナは思いきりドナに抱きついた。
「セナ!?」
「ねえ、ドナ、戻ろう?セナたち、このまま進んじゃいけない気がするの」
「な……っ」
ドナは予想だにしない提案に言葉を飲む。これじゃあまるで、マナも含めた3人で各国に向かおうとし、途中で引き返した先程の状況と変わらない。しかも、今回に関しては独断ではなく、父からの命令だ。
今、自分たちに与えられた役割は『もうひとつの世界』に行くことなのだ。
そう自分に言い聞かせて、自分の言葉を取り戻した。
「ば、馬鹿言うなよ!お父様の命令なんだぞ。それに、眼の前でみんな死んだんだ!殺されたんだ!!人間共に仕返しする機会をお父様は俺たちにくれたんだよ!!」
「だから!その意味が違う気がするの!!」
「えっ……?」
「お父様は……、もしかしたら……セナとドナを逃がそうってしてくれてるかもしれない……」
再び言葉を失うドナ。
まさか、いやそんなはず……。
父の命令は絶対という鋼の意志はセナの健気な想いの一言によって揺らぐ。
セナは抱きつきながら顔を上げて、ドナの眼を真っ直ぐに見つめて言う。
「さっきね、すごく嫌な感じがしたの。何なのかわからないけど、すごく、すごく怖い。このまま進んだら、もう2度とお父様に会えない気がするの。そんなの……、セナは嫌なの……」
「セナは、お父様の強さを信じないのか?」
「そういうことじゃなくて……、ねえ、違うの、ドナ!!」
「違うって、何がだよ!」
自分を奮い立たせるようにドナは言う。意志はまだ揺らいだままでも、それでも今、自分達が為すべきことが決まっている以上、”このまま進む”以外の選択肢が選べそうになかった。
「俺は……、お父様を信じる。そして、この先にある世界をぶっ壊す。マナ、ルナ、レナ、ラナの為にも。仮に、俺たちが戻ったって、多分、奴には勝てない……」
半ば諦めに近い感情を滲ませてからドナは抱きついたままのセナを体から離した。
「ドナ……」
胸に残っていた温もりは急速に冷めていく。確かにドナの言う通り、あの力に自分達が勝てる保障はない。幾多の戦いを経験して培った能力でさえ、黒炎の前にねじ伏せられた。戻る行為こそが死を意味するなんて分かりきっている。
分かりきっているはずなのに、セナは”未来”に向かって1歩を踏み出せずにいる。
父の強さは知っている。本来の力を取り戻しつつある父なら奴に勝てるはずだ。
けれど、そのあとに待ち受けているのは、大きな争いだ。世界は壊れ始めている。戦いに勝利しても尚、殺し合いは続く。きっと父は最期の最期まで戦い続けるだろう。たった1人になったとしても、争いを鎮めるべく、立ち続けるだろう。
自分達に命令を下したとき、父は本気で怒り、悲しみ、敵意を剥き出しにして、人間の住む世界を破壊してくるよう命令した。同じ苦しみを与えろ、と。
それは心の底から湧き上がった憎悪だ。だが、その奥の奥にある真意は他にあるような気がしてならない。だとしたら、尚更、前に進むわけにはいかなかった。
そして、立ち止まっていられる時間も無くなった。
「……俺は行く。俺たちにだっていずれ死は訪れる。だったら最期まで俺はお父様の傀儡としての役目を果たす。セナの決断も、傀儡としてなら間違ってはないと思う。自分が決めた道を進むのは、ある意味一番正しい決断だとも思うよ」
「でもでも……」
「でもでも、はもうやめろ。……お姉ちゃんだろ」
言いながら、ドナは少しずつ距離を離していく。さらに続けて言った。
「多分さ、何かが変わろうとしているんだよ。だから、セナは予感したんだろ。戻らなきゃって。その想いはきっと間違ってない」
――間違っていないと思えるなら、それは正しい決断だ。
ほんの少しだけ微笑んだ後、ドナはセナに背を向けた。
セナは唇を噛み締めてから、その背中に背を向ける。
互いに進む方向は違えど、前を向いて、進む。
見据えた先に”未来”があるのなら、それを手にするために。
「……セナ、お前が羨ましいよ。”本当の心”を手に入れた、お前が……」
ささやかな呟きは次元の狭間に飲み込まれていく。
たったの1度だけ振り返った先に、もうセナの姿はなかった。
「……ちくしょう……」
そして、ドナも前を向く。
*****
夜空にはまた、暗雲が浮かび始め、月光に翳りをもたらす。
戦いが始まる以前までは、毅然としてそびえていた白城は最上部が半壊し、絶えず、瓦礫が落ちていく。
崩れた瓦礫の中から男が這い上がり、ふらふらになりながら拳を構える。
「……かかって……こい……」
声は殆ど出ておらず、空気ばかりが混じっていた。満身創痍だが、まだ戦えるだけの力は残っている。
力のある限り、拳が握れる限り、両の足が体を支える限り、戦いは続く。
「この俺が、貴様になど、敗けるものか……」
「ああ、お前は敗ける」
1秒先の世界から声が届き、1秒後の世界でエッフェンバルトは腹部をリロウスに突き破られる。
「――ッ」
「声も出ないか。こうなることはわかっていて、どうして戦う」
「……貴様に……教える義理など、ない……」
エッフェンバルトはリロウスに掴みかかろうとしたが、貫いた腕を引き抜かれ、1歩引かれたあと、血まみれの拳を左頬に受け、地面に倒れる。
「……終わりだな。エッフェンバルト」
静かに呟きながら、リロウスはエッフェンバルトの左腕を持ち上げ、上体を起こす。
本人は口から血を流し、白眼を剥いてはいるが、まだ生きている。
リロウスの眼にうつる現状の姿は、憐れ以外の言葉が見つからない。
かつては共に背中を預けあった仲間だった。今、こうして敵対しあい戦う未来など誰が予想しただろうか。豪傑は見る影もなく、無抵抗のまま呼吸をするのに必死だ。
「お前の真意なんて見抜いているからな。子供を逃がしたつもりだろうが、無駄だ。今すぐに追いかけて同じ墓場に入れてやる。せめてもの、手向けだ」
少しずつ呼吸も減っていく。リロウスの言葉に対する返答もない。
真意が定かなのかどうかも、分からないままだ。
リロウスはトドメを刺す為に左手の爪を鋭く伸ばし、
エッフェンバルトの胸に突きつける。
「セレンに、会わせてやるよ」
再び、淀んだ闇を血が染める。リロウスの左手に伝わる僅かの肺の動きも、徐々に鈍り、やがて止まった。
エッフェンバルトの体は1度硬直した後、緩やかに力が抜けていき、リロウスが腕を引き抜くと仰向けに倒れる。
戦いの余熱だけが、その場に残された。
リロウスがその小さな気配に気づいたのは、直後の事だった。
次元の狭間に近い位置から、セナが見つめている。遠くからでも分かるほど、セナの表情は青褪め、一心に注がれる視線は父の亡骸だけを見つめていた。
「お……お……お、と……」
眼の前に一気に広がった絶望の光景が彼女の思考を乱し、慟哭させる。
静かだった世界を、少女の悲しみが覆いつくし、悲しみは無謀に転じた。
「あああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
何の得策もなく、がむしゃらな突進。それは、リロウスに向かうものではなく、倒れた父の元に向かうための突進だった。
「あああああっ!!!!ああああああああああああ!!!!!
あああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
「わざわざ追う手間が省けたよ」
そんな小さな少女の決死の想いでさえ、リロウスは一撃で破壊する。
上半身と下半身が2つに分かれてしまい、セナも地面に転がった。
「お……とう……さま……、やだ……いやぁ……」
自分の体の痛みなど気にせず、セナは這い蹲りながら父の元に進む。
力の入らない手の平でぬかるんだ泥を必死に掴み、前に、前に。
「お前も苦しいだろう。すぐに、父親と母親、妹たちのいる場所に送ってやる」
リロウスは這い蹲るセナの前に立ち塞がり、右足を上げる。
セナの頭部を踏み潰そうとした瞬間。
「やめろおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!!!!」
静寂を切り裂く叫びと同時に、リロウスの脇腹に太刀が刺さった。
「くっ……」
「うおおおおおおおおおおっ!!!!!」
両者ともにリンフィルの街まで吹っ飛び、セナは事なきを得ながら、再び父の元に進む。
「……ドナ……。ありが……とう……」
泥のついた頬に涙が伝い、落ちていく。
父までの距離はまだ遠い。けれど、確実に近づいていった。
「お父様……、やっぱりセナとドナを助けるために……」
微動だにしない父だけを見つめて、進む。
「セナは……、お父様にまだ何もお返しできていません……」
右手で泥を掴んで、進む。
「まだ、いいたいこと、いっぱい……あります……」
左手で泥を掴んで、進む。
「いっぱい、おはなししたいこと、あります……」
右手で泥を掴もうとして力を込めると、右手に亀裂が入って砕けた。
激痛を堪えて、左手を前に出し、進む。
「いっぱいまもってくれたおとうさまが、せなはだいすきなんですよ」
左手にも亀裂が入る。それでも、進む。
「ふだんはぶっきらぼうなおとうさまが、わらってくれたときのえがおも」
何度地面に顔を打ち、泥を口に含んでも、進む。
「おかあさまのおはなしをしてくれたときの、おかあさまをおもうひょうじょうも」
あと少し、もう少し。亀裂が細かくなり、砕けてしまいそうでも、進む。
「どんなおとうさまも、せな…たちの、おとうさまだから……」
進み続けて、ようやく届く。
ぼろぼろで、どろどろになった左手が、エッフェンバルトの右手に触れた。
「だから……、おとうさまが……いなくなるのは……いや……」
触れた左手が光を帯びると、上半身だけになったセナの体も発光し、光はやがてエッフェンバルトを包んだ。
「やっぱり……、おとうさまは……あたたかい……なぁ……」
セナは戻ってきてよかったと心の底から思った。
薄れゆく意識の狭間で、遠い日の事を思い出す。
初めて、傀儡として目覚めたとき。
眼の前にいた父は泣いていた。
泣きながら、自分のことを抱きしめて名前を呼んでくれた。
あの温もりと同じ温もりに包まれて、”心”が満たされていく。
この手の平の感触はもう2度と思い出せなくなるけれど。
再び手を繋ぐことも叶わないけれど。
セナは願う。
「……おとうさまが……しあわせになりますよおに……」
すうっと痛みが退いて、力が抜ける。閉じていく瞼。
光の先に、セナが最期にみたのは、家族みんなが手を繋いでいる光景だった。
「……………………………えへへ……」
繋いだ小さな左手は、そっと優しく、握り返された。
*****
「ぐおぁッ!!!」
幾度となく吹っ飛ばされながらも、ドナはリロウスに立ち向かう。体中から血を噴き、脇腹には亀裂が走っても、太刀を握る手に力を込め続けた。
唯一の男の子として、父には一段と厳しく鍛錬を受けた。その教えは肉体の隅々にまで染み渡っている。
力のある限り、拳が握れる限り、両の足が体を支える限り、屈しない。
何度も何度も己を鼓舞し、立ち上がった。数え切れないほど、太刀は空を斬った。
攻撃しているのは自分なのに、ダメージを受けるのは自分ばかりだった。
それでも尚、リロウスの姿を追い、太刀を振る。
リロウスが少しでも、エッフェンバルトとセナの元に向かおうものなら、しがみついてでも止めた。
「ぜったいに……いかさねえからな!!!」
到底及ばない実力差なのは分かっている。でも、ほんの僅かでもリロウスを食い止めさえすれば……。
あのまま、もうひとつの世界に突き進んでいたならどんな未来が待っていただろう。セナの言葉を借りるなら、父が用意してくれた未来だったかもしれないが、まるで想像ができない。
引き返せばこうなるのは容易に想像できたけれど、不思議と後悔はしていなかった。
自分が選んだ未来だから。
必死にしがみついても、頭部に肘鉄を食らい、あっけなく地面に叩きつけられる。
余裕をみせたリロウスの足にもしがみつき、行く手を阻んだ。
「いかさねえって、言ってんだろぉッ!!」
リロウスは何も言わず、ドナの両手を振り払い、頭部を踏みつけてから、歩いていく。
「待てえっ!……はあっ!……まてよおおおっ!!!」
今度は背中に抱きつく。リロウスは動じず、首に回された腕を取って背負い投げる。
地面に仰向けに倒れたドナの腹部に鋭利な爪を3度突き刺した。
「ああ……、くッ……そ……」
ドナを踏みつけ、また歩き出すリロウス。だが、また右足の動きが鈍ると、ドナが右手だけで掴んでいるのを見た。
「そんなに死にたいのか」
「とっくに……覚悟なんて……できてたんだ……。多分……セナも……」
そうドナが言うと、神々しいまでの光がリロウスの眼に入る。思わず手で影を作り、光が止んでからその方向を見やると、軽く舌打ちをした。
「5つ目の魂が回帰したか。まあいい。また殺せばいい」
ドナの手を振り払って、リロウスはセナの亡骸を腕に抱いたままのエッフェンバルトを睨みつけた。
「……セナ。なぜ、戻ってきた……なぜ……」
「よかったじゃないか。彼女のおかげで生き返られたのだから」
「――ッ!」
セナを腕に抱えたままエッフェンバルトは右の拳をリロウスに繰り出すも、殴ったのは虚像。5つ目の魂の回帰をしても、時間の壁を壊すには至らない。
「殺してやる……ッ!!!リロウスッ!!!」
「さて、殺されるのはどっちだろうな」
「てめーだよ……、リロウス!!」
その声の主は、自らの胸に太刀の切っ先を当てて、勝ち誇った顔をしていた。
ドナは震えながらも、しっかりと両足で立って、”覚悟”を決める。
一息はいてから、思い切り、太刀を自らに突き刺した。
「ドナ!!!……なにをしているっ!!!」
セナ同様、ドナの体も発光を始める。同調するようにエッフェンバルトの体も発光していくと、ドナは微笑みながら言う。
「お父様、今の俺には、こうするしか方法が浮かばないや……」
「ドナ!!」
エッフェンバルトはドナに駆け寄ろうとしたが、リロウスが阻む。しかし、殴りつけてきた右腕を掴むと、お返しとばかりに地面に叩きつけ、ドナの元に急ぐ。セナを大切に抱えながら。
「いかん!それは、俺が許さない!!これは命令だ!死んではならん!!」
「……俺は……死なないよ。お父様と一緒に生き続けるだけさ……」
そういうと、ドナはさらに強く太刀を刺し、体全体に亀裂が走った。
「ドナ!!!死ぬんじゃない!!頼むから!!死なないでくれ!!!俺を――」
「……俺は、ずっとお父様の傍にいますから……」
片手を伸ばし、ドナを掴みかけたが、
父に優しく語りかけた言葉を最期に、ドナは破片と化した。
触れたかった者が崩れ去り、伸ばした右手は行き場を無くす。
闇に漂う光の欠片を握ると、鼓動が強くなるのを感じた。
エッフェンバルトは両膝から崩れ落ち、ドナの破片に触れる。無機質な感触がドナの死を突きつけ、尖った破片は指を切る。
「――ないで……くれよ……」
落ちていく涙は破片を濡らす。応えることのない破片にむかって同じ言葉を何度も語りかけた。
「おれを……、ひとりに……しないで……くれよ……」
自身が戦いの渦中にいることさえも忘れて、エッフェンバルトは涙を流した。
若返った、細身の背中に、リロウスは冷たい言葉を浴びせる。
「そんな風に思うなら、子供らに戦わせたのは解せないな」
「……………」
リロウスの一言は、エッフェンバルトの逆鱗に触れるには充分だった。
「……?」
初め、気のせいかと思っていた揺れは、次第に大きくなり大地全体が振動する。エッフェンバルトから発せられる魔力が大地、大気、全体に響き、各所で地割れが発生する。空には、別の亀裂が走り、リンフィルの街の建物も倒壊し始める。
やがて、分厚い雲が空を覆いつくし、雷鳴が轟き、雷が降り注ぐ。
崩れないようにセナの亡骸をドナの破片と共に置いてから、エッフェンバルトは天に向かって大きく叫んだ。その瞬間、突風が巻き起こり、リロウスは簡単に吹き飛ばされて、城壁に叩きつけられる。
エッフェンバルトが天に手を伸ばし、光を掴む。その中から1本の剣を引き抜き、空を斬る。すると、凄まじい斬撃が割れた大地に刻まれ、また1つ巨大な裂け目を生んだ。
「グリフ……、この剣を使うのは今日で終わりにします。
だから、守るための剣でなくなることを許し願いたい……」
剣に願いと祈りを込めて、切っ先をリロウスに向けた。
「貴様の血で穢れる剣で、誰かを守ることなど出来んからな」
「……戯言を。お前に、私を捉えるなんて――」
言いかけた瞬間に、リロウスの上半身に一筋の線が入り、どっと血が溢れると続けて、剣は真横に一閃。傷口を押さえる間もなく、左頬を殴打され、城壁にめり込む。衝撃で城全体がひび割れ、エッフェンバルトがリロウスの頭をわし掴んで、城壁から引き剥がす。もう1度力任せに叩き付け、城壁が崩壊していった。
「――あ゛ぁ゛ッ!!」
リロウスも頭を掴んでいる手の手首を掴み、爪をめり込ませるが、すぐに掴んでいる感覚が消え失せた。何が起きたのか気づくまでにかかった時間は1秒だった。
両腕の肘から先を失っていたのである。落ちていく間、見上げると両腕はまだエッフェンバルトの手首を掴んだままだ。
「汚らわしい」
言葉を履き捨てると同時にリロウスの両腕も空に放り投げてから、雷が焼き払う。
リロウスは地面に落ちかけながら翼を羽ばたかせるも、エッフェンバルトに捕まり、両翼を切り裂かれてしまう。
「ぐあああっ!!!」
「痛いか?成体の貴様がこんなに痛むんだ。子供達はもっと痛かっただろうな」
翼をもがれ、たたらを踏むリロウスにエッフェンバルトは頭上から剣を振り下ろし、左眼から左足の付け根までを切り刻む。
「得意の時間操作はどうした?使ってみろ。貴様は俺に1秒さえも超えられないといったな。だったら――」
倒れかけるリロウスの長い白髪を強引に掴んで、引き寄せながら切り傷だらけの腹部に剣を貫いた。
「あ゛ぁ゛……っ゛」
「――俺は1秒先にいるお前を斬ればいいわけだ」
あっけないほどに形成は簡単に逆転し、体内の殆どの血液が流れ出ていく。
追い討ちをかけるように、突き刺した剣を薙いで、新たな傷を与え、リロウスは手も足も出ずに彼方に飛ばされる。
何十メートルも転がり、止まることが出来たが、立ち上がるだけの力は残されていなかった。
勝敗は一瞬で決した。
超越した力を前に、為す術も無く、完膚なきまでに叩き潰された。
リロウスは自らの力に溺れた後悔に責め立てられ、血の涙を流す。
陸斗に謝らなければならない。そう思った矢先に全身を悪寒が走り、
力尽きた。
*****
………………………。
…………………。
……………。
………。
突然、体の力が抜けたと思ったら、意識が飛んだ。
リロウスが、あの日と同じ言葉を言った後のことだ。
何が起きていたのかは分からない。
けど、自分に何が起きたのかはなんとなく分かる。
ありえねえくらい、体中が痛い。
今までの戦いで感じたことないくらいに、痛い。
もしかしたら、炎禍との特訓で灼かれていたときよりも痛いかもしれない。
それに、どこもかしこも動かないし、頭では指を動かしているつもりなのに、動かしている感覚どころか、腕の感覚そのものがない。
どうなっちまったんだよ、俺は……。
リロウスは?どこにいるんだよ、リロウス。
枝紡は?……炎禍は?
誰か、応えてくれ……。俺は、いったい……――
「驚いたな。まだ息があるのか」
いきなり声が聞こえたが、何も見えない。
声だけが頭に響く。
「それに、まさか本体が男だったとはな」
その声は間違いなくエッフェンバルトの声で、俺が聞いていたものよりさらに若々しく聞こえる。相変わらず、全身に激痛を感じているままで、記憶が正しいのかも分からないけれど。
そのとき、エッフェンバルトは俺の首を掴んで、持ち上げた。
体全体が軋み、激痛が襲うと、ようやく俺は声を出せた。
「あ゛ぁ゛……ああ、あ……」
声が出ると、視界も広がった。
何度か瞬きをして、エッフェンバルトの姿を見つめるが、やはり若返っている。
それに、感じる殺気が半端ではない。俺は、首元に手を持っていくが触れない。
まさか……。
視界には本来、手が映るはずなのに何も映らない。
そして、自分に起きている事態を把握したとき、更なる激痛が俺の体を駆け巡った。
「あ゛あ゛っ!!!あ゛あ゛あ゛ああっ!!!ぅアアアアあっ!!!」
必死に体を揺らし暴れても、首を掴んだ手は一切緩まないどころか、徐々に締め付けられていく。
取り込める空気が段々少なくなっていった。
「アア……ッガぁ゛……ッ」
「貴様のようなガキに俺の同士は殺され、わが子達も殺されたのか」
痛い、苦しい……、誰か、助けてくれ。
このままじゃ……、誰か!!誰か!!!
「たとえ、貴様を殺しても、俺の想いは晴れない。貴様の命1つでは何も償えない」
炎禍!!
炎禍!!!!
炎禍!!!!!
応えてくれよ!!!
炎禍…………っ
い……、息が……、息ができな……
「だが、俺は貴様を殺さずにはいられない……。死が近づいてくる恐怖を
痛みと共に味わいながら、死ね」
「ダ……れか……、だず……ゲ……――」
「貴様の全てを、砕いてやる……!!」
やめろ、やめてくれ!!!俺はっ!!
死にたくない!!!やだ、いやだ!!
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ」
俺は、
死ぬわけには、
いかないんだ。
みんなを守らなきゃいけないんだ。
俺にしか、
できないことなんだ。
だから、
俺は、
俺は――――……
*****
雨が降る。
エッフェンバルトは手の力を緩めて、
動かなくなった式瀬陸斗の体を地面に落とす。
数秒間、死体を見つめた後、
グリフから授かった剣を砕いて、歩き出した。
雨は、ぽつり、ぽつり、と、
静かに、降った。
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