第45話「もしも”かみさま”が運命を決めるなら」
――桜見市中央病院505号室
「……」
*** ***
『栞菜、俺さ、今から行かなくちゃいけないところがあるんだ』
『すぐに帰ってくるから。そしたら、また会いに来る。約束する』
*** ***
「……りく……」
ついさっきまでこの場所にいたリクはどこかへ行ってしまった。
行き先も告げずに。
果たせるかどうかも分からない約束を言い残して。
今、あたしの意識が自分なのか、”彼女”なのか、それもよく分からない。
ただ、お互いに共通している意識の中には、間違いなく”式瀬陸斗”という存在が共有されている。リクの事が頭から離れない。
想えば想うほど、リクがあたしにくれた思い出が頭の中を巡る。
どんなに些細な思い出も、もう取り戻せないと知っているから涙が溢れそうになる。
ああ……、そうか。
今のあたしは、ほんとのあたしだ……。
まだ、あたしはあたしのままでいられているんだ……。
”『帰ってきたら、お揃いの浴衣を着て花火大会に行くぞ』”
リクの言葉。優しくて、暖かくて、かっこよくて、リクにしては少しだけ、大人びた言葉。
いつかリクとお揃いの浴衣を着るあたしは、あたしなのかな。
違うあたしになっても、リクは約束を果たしてくれるかな。
そうだと……、いいな。
そうなってくれたら……、あたしは……きっと嬉しい。
「お姉ちゃん!気分はどお?」
静かだった病室に明るい声が響く。椎菜だ。
あたしは妹の小さな手を握り、平気と伝えた。
「栞菜……」
お母さんはあたしの頭を撫でてくれる。小さな頃から、お母さんはあたしの頭を撫でて励ましてくれた。気持ちよくて、心が安らいでいくのが分かる。
「今日はずっと傍にいるからな」
お父さんの低い声。温かみのある声。いつも仕事が忙しくて家にいないときもあるけど、絶対に仕事の愚痴は言わない。家族といるときは家族との会話を優先してくれる。いっぱい話がしたいのに、話せないのがもどかしい。
あたしはつくづく幸せ者だ。
こんなにもたくさんの愛に囲まれて、生きてこられた。
矢薙沢の家に生まれてなければ、もしかしたらリクとも出会っていなかったかもしれない。ふたばにも、まるちゃんにも。
運命って、すごいなぁ……。
あたしの運命を決めてくれた”かみさま”が本当にいてくれるのなら、
お願いします。
あたしに出会ってくれたみんなを、守ってあげて下さい。
お願いします。
……お願い、します。
ゆっくり流れていく時間は、まるで川のせせらぎみたいな音を聞こえさせる。
”あの日”の川の流れの音に似ていて、このまま眠れそうな気がした。
瞼が、少しずつ、閉じられて、いった。
*****
――〈クリア・セントラル〉
「行けぇっ!!セナ!!ドナ!!」
「「はい!お父様!!!」」
エッフェンバルトの命令に即答し、2体の傀儡が空の亀裂に向かおうとしている。
〈行かせるものか!!!〉
俺よりも先に炎禍が叫び、体の自由を強制的に奪う。右手から黒炎を放ち、炎を巨大な手の形に変えて杖の傀儡を掴みかけた、そのとき――
「貴様の相手は俺だろう!」
伸ばした右手はエッフェンバルトに掴まれる。
〈――ッ〉
抵抗する間もなく、一瞬で城壁に叩きつけられる。まだ右腕は掴まれたまま、
腹部に強烈な一撃を打ち込まれる。攻撃は止まない。
3発、鳩尾に食らい、首を掴まれて城壁から引き剥がされて、また叩きつけられる。また、一旦引き剥がされて、頭部に衝撃。凄まじいスピードで地面に落下し、体勢を整えようとした瞬間、すでにエッフェンバルトは俺の腹を蹴り下していた。
「がは――ッ」〈くッ――〉
口の中に鉄の味が広がった途端、行き場を失った血液がぶち撒かれる。
エッフェンバルトは、迅さもパワーも桁違いに強く、さっきまで余裕を息巻いていた炎禍でさえ反撃の余地すらない。
完全なる油断だった。
「貴様にも、大切な者がいるはずだ」
言いながら俺の腹を踏みつける。その度に血を吐いてしまう。
「最期を看取ることも出来ず、この世からいなくなってしまう悲しみを」
語気が強くなるとともに、踏みつける足にも力が入っていく。
激痛に激痛が重ねられていく。意識が吹っ飛びそうだ……。
「苦しみを、自分の無力さを、その身で思い知れッ!!!」
一段と高く持ち上げられた右足。反撃するには今しかなかった。
体の自由を炎禍から奪い取る。俺は体を何とか転がせる。
!!!!!
間一髪のところで回避。雨でぬかるんでいるとはいえ、硬いはずの地面は粉々に砕かれ、雨水が流れ込んでいく。
「死んでおけば楽になったものを!!」
うつ伏せ状態から立ち上がろうとした瞬間を狙われ、頭に鋼鉄のような一蹴。
泥をつけながら転がっていく俺を止めてくれたのは瓦礫の山だった。頭から流れる血が右目に入って視界がぼやける。
再び立ち上がろうと試みて、髪の毛をがしっと掴まれ、軽々持ち上げられる。
近くで見た奴の顔は、目鼻立ちもくっきりとし、若返っている事実を引き立たせていた。冷め切った瞳からは巨大な殺意を感じる。
「どうした、苦しそうな顔をして」
「う……るせぇ……よ」
「まだ話せるのか」
そう言って、奴は掴んでいた髪を離し、全体重を乗せたパンチを俺の左頬に突き刺す。
またしても泥の中を激しく転がった。
体中が痛い。全身が外側からも内側からも刃物で斬られているみたいに
絶え間なく痛い。血を流しすぎたのか寒気もする。まだかろうじて炎禍の体になっているが、背中の羽も小さくなり、あれほど漲っていた力も今は微かだ。
ぴちゃぴちゃと水溜りを踏む足音が近づいてくる。
奴はトドメを差すつもりだ。
体のどこを動かせば立ち上がれるのか。
心をどう奮い立たせれば、力が漲るのか。
エッフェンバルトを倒すにはどんな技を繰り出せばいいのか。
「くっそ……」
上半身を起き上がらせるため、必死に腕に力を込める。
「まだ……俺は……」
左腕から力が抜けて、顔が地面につく。けど、もう1度力を振り絞った。
「……俺は……戦え……る」
地面についた手を握り締め、拳の中に泥が握られる。
「約束……、したんだ……。絶対に……帰るっ……て」
上半身がようやく持ち上がったと思ったら、腹部を蹴り上げられ、1度空を舞った後、地面に落下しまた転がる。それでも、また、やり直す。
「無様な人間よ。貴様はなぜそこまでして生きることに縋る」
「……生きてなきゃ……何も、できねえだろうが……」
たったひとつ、俺にしかできないことでさえ、できねえだろうが。
もしも、俺の運命を決め付けた”かみさま”がいるんなら、頼む。
力が……欲しい……。
全てを守れるだけの力が。立ち上がれるだけの勇気が欲しい。
……頼む。
俺は、こんなところで死ぬわけにはいかないんだ。
「ここまで傷ついても、か」
「……ああ!……生きることに……意味が、あるだろ……!」
「……ッ」
一瞬、ほんの一瞬だけ、奴の殺意が和らいだように感じたがすぐに元に戻る。
頭を踏みつけられ、じりじりと地面に押し付けられる。
「貴様如きが、何を言う!!貴様は何も出来ずに死ぬのだ!永遠に悔いに捉われながら、無限の地獄を彷徨え!!」
そんなの、誰が、望むかよ……!ふざけんな……。
しかし、最早、声も出ない。
逆にエッフェンバルトは怒号を重ねていく。
「失って襲い掛かってくる虚無を知らない貴様が、生きることへの意味を見出そうとするのは許さない!!!」
頭から足がどけられて、また髪を掴まれる。
俺の両腕も両足も力なくぶら下がっているだけだ。
「はあ……はぁ……、はあ……」
「――フンッ!!!」
左頬への一撃。髪がぶちっと切れた音がして、同じように転がっていく。
「炎禍……!」
体に変化はない。早く……エッフェンバルトを倒さないと傀儡が――
「くたばれぇっ!!」
俺はボールのように蹴られ、ボールのように転がる。
仰向けになり、空をみると、すでに傀儡の姿はなく、いつのまにか晴れ渡っていた空には月が浮かんでいた。俺の事を嘲笑うかのように輝いている。
体はもう、動かない。
瞼が閉じかけたとき、彼女の声が聞こえてきた。
『……陸斗』
「……リロ……ウス」
リロウスの声はいつになく、優しい声だった。
不思議と体中を襲っていた痛みが引いていく気がした。
「枝紡は……?」
『……ひどく精神が削られていて、戦える状態ではない……』
「そうか……。謝りたかったんだけどな……」
俺が死ぬとき、枝紡も死ぬ。
精神の癒着をしているから当然だ。
このまま俺が死んでしまえば、枝紡は何も知らずに死を迎えることになる。
せめて、そうなる前に、一言だけ謝りたかった。そして、一緒に戦ってくれてありがとうと言いたかった。
それすらも叶わない。俺は、敗けたんだ。
鳴海にも、謝りたい。鳴海の夢も、想いも踏みにじってしまった。
何より、この戦いに巻き込んでしまった。鳴海の意思を汲むべきじゃなかったんだ。
鳴海には平穏な日常を過ごすことができたはずなんだ。
もう、全部、何もかも、覆せない”結果”なんだ……。
諦めたくない気持ちと、どうしようもできない現実がぶつかり合う。
聞こえてくる足音が大きくなっていく。
イルヴァナ戦では枝紡が、ウィザード戦では鳴海が、俺に手を差し伸べてくれた。
でも、ここに、俺に手を差し伸べてくれる者はいない。
俺は……、もう……――
『陸斗、諦めるのはまだはやい。諦めてはいけない。君にはまだ、力が残っている』
リロウスが何を言っているのか分からなかった。
リロウスには殆ど魔力がないはずだから。そう言っていたから。
だから答える気も起きなかった。
だが、リロウスは本当に、最後の最後まで諦めるつもりはないらしい。
『……陸斗……。私の名はリロウス……』
それは、いつか聞いた言葉に似ていた。
俺とリロウスがバスで出会ったときの最初の言葉。
すべては、その言葉から始まったんだ。
『目の前の魔導師を倒したい。君の体を、貸してはくれないか』
”かみさま”が決め付けた俺の運命は、まだ、終わることを許さないらしい。
心に灯った光は、あっという間に俺の意識を遠ざけていった。
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