第42話「圧倒的な力の差」
ぶつかり合った力と力は大きな波紋となり、天から地へと矢の如く降り注いでいく雨を一瞬、止ませた。
俺が打ち込んだパンチは奴の大斧の刃の筋にめり込んでいくけれど、刃自体が拳を切り裂くことは無かった。俺の拳は黒炎を纏い、皮膚は分厚いゴムにも似た感触を感じさせた。衝撃はあったにしても”痛み”らしき感触はまるでない。しかも、俺が込めた力は全体の何パーセントだろうか。自分でも推し量れないほど普通の打撃だった。対して、奴の攻撃に込められたパワーはどれほどか。俺にそれを知る術はないにしても、奴の表情を見るに、放った攻撃は割りと本意気に近かったらしい。
「なッ・・・」
困惑とまではいかないものの、俺から見て左の眉だけを釣り上げて驚いている。
一撃で仕留めるつもりの攻撃が、しかも刃物を使っての攻撃が、自分の身の丈の半分にも満たない華奢な、女の顔をした侵入者のか細い腕一本で受け止められたのだ。時が止まったように感じたのは俺も奴も同じだと思った。
お互い、反対の意味で戸惑っているんだ。
俺、殆ど力なんて入れてねえのに――
――まさか!今の攻撃を受け止めるだと!?
せめぎ合う拳と大斧が共に、両者の体を撃ち砕こうとしあう中で、一瞬だけ止んでいた雨が再び爆発的に降ってくる。力の入れ方は真反対だが、綱引きをしているようだ。少しでも気を逸らせば硬くなっている拳の皮膚も容易く切り開かれていくだろう。でも、いつまでもこうしてなんかいられない。攻めてこないのならむしろチャンスだ。先手を取ることこそ、戦いを優位に進める為の技術だ。
リロウスのレクチャーが頭に響くと同時に、俺は突き出していた右拳を一気に後ろへと退いた。
いきなり力を抜かれた奴の大斧は斬撃の対象物を失い、勢いそのままに縦へ振り下ろされる。勿論、空を斬るだけ。空中で、前につんのめる奴の腹に俺は、退いていた拳を今度は力の限り思い切りぶち込んでいく。
濃い緑色の軍服に似た服の上から炎を纏った拳は見事に鳩尾を捉え、雨の中、黒い炎が奴の体を包んでいった。
「貴様ァッ!」
ようやく吐き出せた息と一緒にしゃがれた声が耳に届いた後、苦痛よりも、怒りに満ちた眼が俺を睨む。その眼力はイルヴァナやウィズとウィードには決して見られなかった力強さが宿っている。まさに男の眼だ。
このまま鳩尾を貫こうと思ったが、下を向いていた大斧の刃を反す音が聞こえて、その場を後退する。奴を包んでいた黒炎は雨により鎮火した。俺の体を離れれば色は違っても普通の炎らしい。
腹を押さえながら、深く息を吐き、大きく吸い上げる。時間にして1秒も無い。
充分な隙だった。
取っていた距離を一度の羽ばたきで詰める。奴が息を吸い上げた瞬間に俺の右拳が目の前にあったはずだ。鼻を打撃の中心にして、腰の捻りも加えた一発を顔面にねじ込んでいく。半ば強引に拳を振りきって、奴の巨体を城壁に叩きつける。強すぎる勢いに城壁は奴の体を受け止めきれず壁の一部に穴を空ける結果になった。それでも止まらない勢いのせいで、とうとう奴は向こう側の壁まで突き破り、美しいと思える城に無様な通路を作り出した。
「なんだよ、この力……。意識してないのに力が湧いてくる……」
俺は両手を広げて右手、左手、交互にみる。その手はいつもどおり、指の1本1本が細くしなやかで殴り合いより、ピアノを弾くに相応しいと思う枝紡ふたばの両手。確かに山篭りで筋トレをして俺の本体には肉体変化があったけど、炎禍の二の腕や腹筋を見ても大した変化は無い。赤い着物の胸ぐらから腹筋を覗いたから枝紡の怒鳴り声が脳内を駆け回った。
『肉体的成長もあっただろうが、一番は潜在意識の成長だ。炎とは薪をくべればくべただけ燃え上がるだろ?それと同じさ。君の意志そのものを燃やした分だけ君の力となる』
落ち着いた声はすでに勝利を確信しているように聞こえる。油断は禁物だけど、俺にも何となく手応えがある。奴とのほんの数秒の攻防で得た手応え。それは枝紡ふたばがまだ〈炎禍〉としての裏人格を出していないことにも繋がる。言い換えれば、俺たちはまだ本気すら出していないんだ。にも関わらず、奴の動き、攻撃、防御全てを凌駕しているように感じた。
『だが、気をつけろ陸斗。エッフェンバルトはアーフェン、オリオンに次ぐ戦闘能力の持ち主だ』
「ああ。あいつにも傀儡はあるんだな?」
気になる傀儡の有無。魔導師たちには傀儡という名のコンティニューがある。
俺からの問いに、リロウスは当然といった風に答えた。
『勿論だ。しかし、奴の傀儡は特殊でな。奴は―――』
そのとき、またしても雨粒が途絶え、一瞬の静寂が訪れたかと思うと俺の正面には奴の巨体、左側面からは大斧が迫ってきている!
傀儡の話は途端に遮られた!
体が半分にされる直前に上昇する。再び空を斬った大斧を構え直して奴も瞬間移動に近い速度で俺の背後を取った。
「イルヴァナを殺した……というのは本当らしい」
よく通る低い声は俺の背筋をなぞる。首だけを振り返っている間に大斧は一閃されていた。左肩から右の脇腹にかけて胴体に一筋の道が出来たあと、濁流のように傷から血が噴出する。
「やっ……べっ」
瞬間的に体の緊張が解けて、全身から力が抜けた。奴の顔面に返り血が飛び、あっという間に雨に流された。
『式瀬くん、任せて!』
枝紡が宣言してからはまるで逆再生だった。飛び出た血は戻ってこないが斜めに一閃された傷痕は下から上に修復されていく。
今度は俺も奴も、眼を丸くした。
「さんきゅ、枝紡!」
『反撃よろしくっ!』
「させるかぁッ!!」
振り切ったばかりの大斧をすかさず右手1本で真横に薙ぐ。俺の腹を掠めて次の攻撃は左拳だった。俺は今斧を避けるために引かせた腰を戻すと同時に頭を後ろへ。
寸でのところで左拳を見送り、がしっと掴む。奴が右腕を遊ばせる訳は無く、到底俺なんかでは持てそうも無い大斧を軽々右腕1本で掲げてから、落としてきた!
でも、俺の左手も空いている。攻撃が来なければパンチに使おうと思っていたがそれよりも先に大斧が向かってくる。刃が近い。怯まずに柄ではなく刃を掴みにいった。さっき同様、皮膚は黒炎に守られ硬化し、無事に刃を受け止め、奴の両腕を塞いだ。
「あんまし、時間がねえんだ」
反論を講じようと口を開いたが、奴の声を聞く前に掴んでいた両腕を俺の方へ引き寄せ、体が密着する寸前に腹に中段蹴りを見舞う。それでも両腕は離さずに2度、3度、4度、威力を増して蹴り込んだ。
7度目を打った後、思わず雨で手が滑り、蹴られた拍子で奴の体が離れていく。しかし、奴の動きも鈍かった。
俺はすぐに距離を詰めて、奴の頭上に右足を振り上げ、一気に踵落とし。
奴も必死に頭部への直撃を恐れ、大斧を両手で持ち上げ柄で衝撃を受ける。
今の状態での全力を放ち、奴はまた城に落ちていく。最上階から縦穴を築いていく。
普通なら今の衝撃で崩壊してもおかしくないけれど、城は思ったよりも頑丈らしく圧倒的な威圧感を保持したままだ。
空気中に漂う緊張感は奴がまだ生きていることを微かに教え、俺は右の手のひらに黒炎の弾丸を作る。出来うる限り高密度に炎を圧縮していった。山篭り中にこんな修行はしていない。脳裏にイメージしていたのはウィザードの戦い方だった。俺の精一杯だった粉塵爆発すら物ともしなかった史上最強の魔導師が見せつけてきた黒炎の使い方を、俺は真似ている。
手のひらの中で炎は渦巻き、自らを爆弾に仕立て上げていく。密度の限界値なんて知らない。ただひたすら、破壊力を求めた。
「城ごと、いくぞ」
空を引き裂いている亀裂、その奥に見える次元の歪み。こうしている間も俺たちが住んでいる世界は闇に飲み込まれている。
俺たちの身に起きた全ての元凶がここから始まったことなら、今、この瞬間に全てを終わらせるのも判断として間違っていないはずだ。
元通りの日常が戻ってくる可能性はかなり低いにしても、戦いの日々が終わるなら……。
それに越したことは無い。リロウスが言っていた〈主〉とやらが城にいるならさらに好都合だろう。魔導師の〈主〉がいなくなってしまえば、何事も終結する――。
栞菜の元に帰れる――。
安直な考えと栞菜のことが頭に浮かんだ瞬間に、俺は炎の弾丸を城に向けて投げつけていた。
弾丸は真っ直ぐに城に向かう。
――これで、終わる。
弾丸が着弾する、まさにそのときだった。
「させるものかアアアアッ!!!!」
怒号と共に城壁が爆発。その爆発は、黒炎の弾丸によるものではなく、奴の巨体が壁を突き破った衝撃だった。奴は、自身の体で弾丸に抱きしめるように覆いかぶさる。
「本気か、あいつ!」
狼狽する俺のことなど気にも留めずに、奴は体を強張らせていた。
「〈主様〉もこの国も、貴様なんぞに壊させてたまるものか……ッ」
間もなく、黒炎が爆ぜた。
*****
黒炎は刹那に奴の体から溢れると、俺ですら距離を大きく取る程の大爆発を起こした。熱の影響で大地にできた水溜りや雨粒は蒸発、草木は燃え尽き、熱風の強襲を受けた家々も燃えていった。家の中から人間……ではなく魔導師たちが逃げ出てくる。一様にして、全員が俺を見ている気がした。彼らにとって俺は敵に見えているんだろうか。少なくとも、今の爆発を起こした者程度には思っているかもしれない。
彼らが武器を持つなり、何らかの戦う意思を示した場合、俺はどうすべきなのか。
でも、俺の考えとは裏腹に彼らはただ空を見つめるだけだった。雨に打たれることも気にせず、じいっと見ているだけ。爆発を見入っているわけではなさそうだが。
やがて雨が家々の炎を鎮火させ、上空に浮かぶ炎までも収束していくと彼らは散り散りに消えていった。
「魔導師にも、一般人とかあんのか……」
『我々の生活はさほど、人間のものと変わらない。尤も魔力を持つという決定的な違いがこの世界に永遠の不穏をもたらしているのだがな』
「永遠の不穏?」
『争いのことだ』
「なるほど……。そういえば、さっきの話の続きだけど、奴の傀儡って特殊なのか?」
『途中だったな。エッフェンバルトの傀儡は全部で7体ある』
「な、7体!?」『嘘っ!?』
重大な事実を簡単に言ってのけるリロウスに対し、俺と枝紡は声が大きくなる。奴は1回どころじゃなく7回もコンティニューできるらしい。リロウスはさらに続けた。
『そのことについては事情があってな。長い歴史の話をしている暇はないだろ?経緯は省略するが、奴は確かに7体の傀儡を使役している』
「使役って?」
『傀儡を傀儡として使うんだよ。要するに、自分の体として使うんじゃなく分身として使っているんだ』
とは言うものの、辺りを見回してもそれらしき物体は見当たらない。リロウスが言っていることが本当なら傀儡と奴を合わせて8対1の戦いになっているはず。勿論、そんな出鱈目な戦いを望んでいる訳ではないけれど、戦況として正しくない状態というのが不気味だった。倒すべき敵はまだ潜んでいるんだ。
雨は依然止む気配が無い。爆炎はまさに風前の灯。俺が瞬きをしたタイミングでぷつんと炎は消失した。
『やったのかな……』
枝紡の声には不安も混ざっている。多分、まだ倒していない。この世界における強さの序列で上から3番目の実力者だ。俺自身が修行で強くなっていたとしても、奴の本気がまだ分からない。傀儡もまだ出てきていない。
勝利が遠いと感じたのは、目下で大斧を支えにして立つ奴の姿が見えたからだった。
「やっぱ、さっきのくらいじゃ倒れてくれないか」
右拳に力が入る。奴は傀儡を使役しているようだが、多分自分の魔力を供給して動かしているはずだ。なら、本体が倒れたとき傀儡自体も機能しなくなる。昔、読んだ事がある漫画にはそんな感じの敵が居たことを思い出した。
奴がどんな理由で傀儡を使わないのかは考える間もなく、俺は一直線に奴のいる地上に向けて羽を羽ばたかせた。
「たとえ……命に代えても……貴様を……殺す……」
近づいた際に聞こえた言葉さえも、俺は掻き消すように拳を奮った。奴は抵抗することなく無防備のまま立ち尽くしていて、俺の攻撃をあっけなく食らう。
『陸斗、一気に片をつけよう!』
「おうっ!!」
不思議と体の奥底が熱くなっていく。体が軽い。繰り出す拳と蹴りは見事なまでに奴の体にヒットしていった。
腹を打ち、奴もようやく抵抗を見せる。両手で俺の頭を持ち、握力で砕きにきたかと思ったら自身の頭部を後ろに引いて直後に頭突き。一瞬眩暈がするほどの威力だったけれど、奴の頭が離れた途端に俺は打ち込んでいた拳を腹から引き、すぐにアッパーを顎に命中させる。怯んで両手が頭から離れる。後方に仰け反る奴の右脇腹に左足を蹴り込んで、無抵抗のまま城壁に激突、剥がれ落ちたところ目がけて飛び込んでまた右拳を今度は心臓辺りに叩き込んだ。もう1度壁にめり込み、衝撃で城壁に亀裂が生じていく。次に、胸ぐらを掴んで背負い投げを試み、硬い地面の上に背中をつかせる。それだけで地面にも亀裂が生じる。結構な体重を感じたけれど、重いというほどのものでもなかった。投げた勢いと奴の体重が地面に窪みを作る。俺はその上に股がりマウントポジションからひたすら奴の顔面を殴り続けた。左右交互に。
しかし奴も、右腕、左腕、と掴み、仰向けの体勢から城壁側である右方向に俺の体を投げる。不利な体勢だったが俺は城壁を破壊するくらいの勢いで投げ飛ばされた。城内は人間界で言うところの大理石が床に張られていたり、壁には5メートルはありそうな大きな窓が付けられていたり、色々と規格外だった。
大理石の床を転げ、止まってから壁の穴の先にいる奴の姿を捉える。息を乱し、服は焼け焦げ、顔からも、腕からも血が出ていた。それでも、戦う意思は消えていない。
「はあ……はあ……ッ」
息が整ったのか、奴の姿が消える。毎度のパターンだ。目の前に現れた奴の大振りな攻撃は交わしやすい。嵐禍を追いかけた修行に比べればスローにさえ見える。加えて、奴の体は2メートルを超えている為俺は懐に潜りやすかった。力任せに腕や足を振り回すので隙を見つけるのは簡単だった。俺の頭上を奴の殴打が掠めた瞬間に俺は手のひらに炎を作って、そのまま奴の体に押し付ける。手のひら全体から火炎放射並みの炎を噴出させ、体全体を灼いていく。
「ウアアアアアアッ!!」
俺は手を引いて、拳を握る。腰を落とし、姿勢を低くして腰に捻りを加えたあと、決して重くは無い体重全部を乗せて三度、鳩尾に全力の打撃を放った。
奴は黒炎に包まれながら吹っ飛ぶ。新たに城壁には穴をあけて、嵐の中に放り出された。
黒炎の熱さは身に沁みているだけに、奴がのたうちまわる姿は直視していられない。
決着をつけて、楽にしてやろう。そう思った。
「枝紡、全力でいく」
『おっけ。いつでもいーよ!』
すぐに体中から炎が上がり、羽が大きく広がる。
黒炎の影響か、窓ガラスが割れていった。
「くそがぁ……、こんなところで……、負けるわけには……」
かろうじて立ち上がっているようだが、まだ黒炎が奴を蝕んでいた。自分以外にあの熱さに耐えられる者がいたのかと考えるとぞっとする。
奴は魔力で大斧を引き寄せ、構えを取る。
「死ぬわけには……いかないんだ……ッ」
「俺たちだって、同じだ!」
「同じではないッッッ!!!」
奴が駆け出す。同時に俺も、羽ばたいた!!
「うおおおおおおっ!!!」
「消え失せろ、人間がアアアッ!!!」
お互いの最大の力を込めて。
今、大斧の刃と、黒炎の拳がぶつか――――
「おとうさまぁっっっ」
――――・ ・ ・ ・ ・ ・
俺の拳が、何か陶器に似た感触を捉えて、ガラスが割れたみたいな音が巨大に響く。
砕いたのはエッフェンバルトの体じゃなかった。
「ああ……、お……と、おとう……」
貫通した腕の真ん中に小さな女の子がいた。かなり至近距離で女の子の顔が見える。血も出ず、代わりに体全体から亀裂の音が聞こえる。
「な、なんだよ……これ……」
「ラナァッ!!!!」
俺が状況を理解する前にエッフェンバルトが強引に腕から女の子を引き抜き、俺の腹に蹴りを打ち込む。女の子のお腹から大量の破片が砕けて落ちた。
吹っ飛ばされた俺は、城内の壁にぶつかって止まる。
「リロウス、あの子は?」
『……エッフェンバルトの、傀儡だ……。傀儡であり……娘だ……』
「むすめ……?」
さらに混乱が頭を乱す。傀儡であり、娘?あいつは自分の子供を傀儡にしたっていうことなのか?その娘が父親を助けるために飛び込んできたって言うのか?
乱れた思考が絡まって、背中の羽が元の大きさにまで戻ってしまう。
気になるのは、殴った瞬間の感触だ。肉感は皆無だった。本当にガラス、もしくは陶器を殴ったような、渇いた感触。俺は自分の手を見つめるばかりで、動けない。
遠くから、奴の切羽詰った声が聞こえてきていた。
「ラナ、何を……ッ」
「……こん…な、わたし…でも、お、とう…さま…を、おまもり…でき…ました」
エッフェンバルトに抱えられた少女は、必死に想いを言葉にしている。
その間も体の崩壊が続いていた。
「なぜ、お前が…、どうして…」
「おとうさ…ま、泣かないで…くだ…さい…」
少女は完全に陶器と化した右腕をエッフェンバルトの頬に当てた。奴がその手を握ると、脆く砕け散った。
「ラナ…、だめだ、死んではならんっ!!」
少女が、小さく微笑んだ。
「まけないで…、おとうさ……」
言葉の途中で亀裂は全身に回り、少女の体を粉々に砕いた。
奴の両腕には無残な破片だけが残され、いつまでも少女を抱いていた位置を見つめている。
すると突然、奴の体が光に包まれる。黄色くて温かそうな光だった。
ドクンドクンっと奴の鼓動が俺の耳にまで聞こえてきた。
依然、奴は虚ろなまま、顔を伏せている。
「俺が、あいつの娘を……」
『陸斗、君が感傷に浸る意味なんて無い』
「でも、あんなに子供だったなんて、俺、知らなかった」
『子供だろうが、大人だろうが、倒すべき敵に変わりは無い!早く、攻撃を――』
「ラナ……、愛しているぞ……ずっと、ずっとだ……」
奴の声が不意に聞こえた後、奴は破片をかき集めて力いっぱい抱きしめていた。
顔を上げて見開いていく眼。殺意は最高潮に達しているらしい。
何秒か睨み合いの後、奴から口を開いた。それは至って冷静な声だった。
「リロウス……今更貴様が裏切ったことに対して問答する気も起こらん。何が目的なのかも、な」
『エッフェンバルト、私はお前なら分かってくれると思った。争いで傷を負ったお前なら、きっと――』
「いや、何も分からんよ。今、この世界に何が起きているのかも知らずに裏切り、
あまつさえ乗り込んできた貴様の想いなど、ゴミ以下だ」
俺には2人の間で交わされる会話の意味するものが僅かも理解できない。
奴にもリロウスにも、深い闇があるらしいことだけは何となく感じ取れた。
ドクンドクンと波打つ鼓動は、さらに強く大きくなっていく。
奴は破片を置き、羽織っていたマントを引きちぎって上から被せた。
そして、もう1度顔をあげた奴の顔をみて俺は違和感を覚えた。
次第に奴を包んでいた光も収まっていく。
「なあ、リロウス、枝紡。あいつ、姿変わってないか……?」
嫌な予感と共に、後ずさりする。けれど、後ろはすぐに壁だった。
『ああ、確かに。陸斗が与えた傷さえ消えている』
『髭もなくなってる…よね?』
俺が初めに見たときは、50歳か60歳くらいの風貌だったが、あの少女が死んで、光に包まれたあとは、顔の皺や髭がなくなり……若返っている印象を受けた。
「魂の回帰……。そうか、ラナ……」
意味不明な言葉を呟いて、俺をまたしても睨む。
顔立ちは中年から、青年へと変貌を遂げていた。
奴から感じる魔力の圧力さえ、増大したように感じる。
威圧感がまるで違うのだ。
「貴様、先程言っていたな。俺と同じく、”死ぬわけにはいかない”と」
「あ、ああ……」
「ならば、殺してやる」
「はっ?――」
腹に鈍い感触。じわじわと、温かいものが広がっていく。次第に熱を帯びていき、込みあがってくる物を吐き出さずに入られなかった。少なくない量の血液が口からぶちまけられる。
気づいた頃には、俺の腹の真ん中に、あの少女と同じように奴の左手が貫かれていた。
「がはぁっ……」
「教えてやろう。俺の傀儡には、それぞれ俺の魂を分け与えている。そのうちのひとつが俺の元へ帰ってきた。……貴様のせいでな」
耳元で囁かれた声すらも別人のように、さらに低く冷たい声だった。
「愚かなる人間に、この意味が分かるか?」
予想はなんとなく、ついていた。
でも言葉になんかしない。
その事実を認めてしまったら、こいつに勝てる気がしなくなる。
「どうした。苦しくて、声も出ないか」
そう言うと、貫いた腕を強引に振り薙ぎ、腕は引き抜かれ、俺を捨てるように解放する。
大理石の床が鮮血に染まっていく。枝紡とリロウスがすぐに傷を塞いでくれた。
蹲る俺を冷めた視線で見下すエッフェンバルト。
稲光の効果で俺には奴の顔が鬼に見えた。
こいつが魂を分けた状態で序列3番目だとしたら……。
残る傀儡は、6体。
つまり、あと6段階の若返り=肉体強化があるってことかよ……。
しかも、6体の傀儡の実力も分からない。
俺が傀儡を倒せば倒すだけ、エッフェンバルトは強くなる……。
いまだに姿を現さない傀儡たちが来る前に、奴を倒さなければ、
4時間以内に帰ること以上に、生きて帰ることすら危ういかもしれない。
多分、こいつは……、
本来なら、最強の魔導師でもおかしくない……。
「苦しむのはまだ早い。戦いは、これからであろう?」
そして、エッフェンバルトは大斧を振り上げた。
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