第40話〈流々禍ノ章〉「彼女の心音」
――旧藤咲市
俺は膝に手をついて、荒れた呼吸を整える。
病院側から栞菜への接触禁止令が出されて5日が経った。
あの日以来、俺はただがむしゃらに修行をしている。
何かをしていないと、意識が病院に向いてしまうからだ。
栞菜のことが心配で仕方がない。でも、病院への問い合わせは断られ、矢薙沢家にも俺との接触禁止令が出されているらしく、連絡が取れなかった。
俺には、あの後栞菜がどうなったのかまったく分からない。
意識は戻ったのか、体調はどうなのか、人格豹変は起きていないか・・・、
不安ばかりが募る中、俺を修行に連れ出したのは枝紡と鳴海だった。
――『くよくよしてても始まんないよ。式瀬君にはやれることがあるでしょ?』
枝紡には叱咤され、今、俺にできることを思い出した。
枝紡が感じているもどかしさは直に伝わってくる。枝紡は自分の気持ちも押し殺して俺を再び立ち上がらせてくれた。
――「先輩、栞菜先輩は大丈夫です。絶対、ぜっったい!大丈夫ですから」
鳴海には激励された。きっと、自分にも『大丈夫』と言い聞かせて俺と同じくらいの心配と不安をかき消そうと、心を強く持とうと頑張っている。
小さな体に宿る大きな強さが俺の背中をまた、そっと押してくれた。
俺は母さんに、しばらく円堂の家で気分転換してくると嘘をついた。
母さんは、「そう。迷惑掛けないようにね」とだけ言って後は何も言わなかった。
以来、俺はずっと山に篭っている。
鳴海は家のことがあるからいつもの時間に帰るが、晩御飯のサポート等をしてくれた。山を散策すると、麓の方に沢が流れていて、水の補給などを行った。
今はとにかく、早く強くなりたい。
体も、心も。決して折れないぐらいの強さが欲しい。
首には栞菜が絞めた痕がくっきりと残っている。俺が彼女に付けさせてしまった痕だ。夜になると、どうしても疼いてしまう。
だから鳴海がいない夜は、藤咲の街や山の中を走ったり、
普段はやったこともない筋力トレーニングをした。
藤咲の街には瓦礫が多くて、走りづらかったがその方が足腰の強化に繋がると思った。
腕立て伏せも最初は30回で腕が震えだし、体を持ち上げることができなかった。
腹筋なんて20回も苦しいくらいだった。
たったそれだけなのに翌日は全身が筋肉痛になった。
リロウスに痛みだけを消してもらった。そうしないと動けなかった。
その日は朝・昼・晩と3セットに分けて30回ずつ。
もちろん、嵐禍との修行もみっちりと。
終わった後は、いつもどおりランニング。息が上がってからスピードを上げて徐々に距離も伸ばしていく。
次の日は筋トレの回数を増やした。疲れはあっても30回を超えて体が持ち上がると少し嬉しかった。たった40回だが、効果が現れたことによってまだいけるかもしれないという気持ちになった。
ほとんど寝ない状態で嵐禍との修行。いつも鳴海がお弁当を作ってきてくれる。
結構な量だが、あっという間に食べ終わる。そのあとは、2時間ほど眠った。
起きてからも修行。嵐禍の動きを捉えることはできなかった。
また夜になり、走る。瓦礫の上を走るのもアスレチックトラックを走っているようで楽しいと思える。さらにスピードを上げた。
途中、学園跡に立ち寄り、何か無いかと物色して何かの運動部が使っていた10キロの鉄アレイを見つけた。持ち上げた瞬間から腕を持っていかれそうになる。めちゃくちゃ重たく感じたが、鉄アレイを2つ、なんとか持ち上げて山に戻った。戻る途中もなるべく足を止めないように。
次の日もまた、回数を増やす。ここで一旦、リロウスに痛みの解放をさせた。
体中が裂けるかと思うほどの筋肉痛が襲ってきた。『超回復』という作用を漫画で読んだことがある。筋肉をずたずたにして、一気に休ませると倍の筋肉量になるというものだったと記憶している。所詮漫画で得た知識で確かな方法は知らないが、それでもやるしかなかった。
俺が休んでいる間、鳴海は嵐禍との修行に励んでいた。例の如く、力を抑える修行らしい。鳴海はほぼフルパワーを出してしまう為、力のコントロールをしなくてはいけない。力を抑えるほうが鳴海としては疲労が激しいらしく、1時間ほどしてへたりこんでいた。
俺は、動けない体のまま空を仰いで、今までの戦いを思い返す。
イルヴァナとの戦いで足りなかったもの。
ウィズとウィード、そしてウィザードとの戦いで足りなかったもの。
足りないものがあったから、枝紡の体を失った。
初戦だったから仕方ない。そう考えるのはもう辞めた。
足りないものがあったから、街は崩壊した。
俺が弱かった、敵が強かった。そんな考え方も捨てた。
終わってしまったことを後悔するのは、遅いんだ。
もう立ち止まってなんか居られない。まだ、立ち上がることができる足があるなら、壁を撃ち砕く腕があるなら、前に進む意思があるなら、守りたいものがまだあるなら、この世界にも未来が残っているなら、やらなくちゃいけない。
俺が、変わらなくちゃいけない。
日付が変わると共に、体を動かした。超回復がされているのかさっぱり分からないが、充分すぎるほど休んだ気がする。走ろう。走りたくてしょうがない。
月が照らす道を黙々と走った。自分でも驚くほど体が動いた。リロウスや枝紡の魔力のおかげで回復が早いのかもしれない。
膝に手をつくぐらい息切れを起こすまで走る。そこまでしなければ意味は無いと思った。俺が得た知識なんてテレビや漫画からのものしかない。その程度の知識だが、今の俺にとっては何もかもが役に立っている。
効率のいい方法なんか知らないけど、全部が糧になっていると信じてやるだけなんだ。
いつのまにか夜が明けて、五日目の朝陽が一日の始まりを告げる。
まだまだまだまだ。まだだ。
もっともっともっと。もっと、力が欲しい。
限界を超えなければ、絶対に嵐禍を捉えることはできない。
振り返って山がある方角を向く。
随分遠くまで走ってきた。山が小高い丘に見えるほどの距離まで。
また、山に向かって走る。スピードを上げた。
――強くなりたい
その一心だけが俺の心を支配していってくれた。
*****
――桜見市中央病院 505号室
今日も、眠れなかった。
ただ、ぼんやりと思い浮かんだ景色があったけど眠っていないから夢だったとは言えない。ずっと考えていたのは、リクとの思い出。
あの夏の日。ヒグラシが鳴いていた、夕暮れのこと・・・。
流れる水の音、聞こえる声。弾け散った自分。
横になりながら、自分の右手を見た。
また細くなって骨が皮膚に張り付いてきたけど、それ以外は何も変わって無いように思う。
握り拳を作った。やっぱり何も変化は無い。力はあまり入らない。
また、目を閉じた。目の前の変わらない景色を見ているより、瞼を閉じて真っ暗を見ているほうが安心する。
リクがお見舞いに来なくなった。
あたしが暴れたらしい。そして、リクの首を絞めて殺そうとしたらしい。
止めようとしたまるちゃんを投げ飛ばして、病室もめちゃくちゃにした。
・・・らしい。
何もおぼえていないんだ。集中治療室に居たことも覚えていない。
最後の記憶は椎菜と昔の話をしようとしていたとき。そこで目の前がブラックアウトして、目が覚めたら同じ505号室に居た。
日付もかなり進んでいて、その間のあたしは結構危なかったと先生が言っていた。
リクが来なくなったのはあたしのせいなのかお母さんに聞くと、違うと答えてくれた。そのあとで病院側が接近禁止令とかいう指示を出したって聞いた。
あたしの頭の中には、リクが言っていた言葉が巡っている。
――『俺は来たいから来てるんだ。毎日、来たいって思ってる。
俺の事は気にすんな』
――『栞菜に会いたいから来てるんだ』
・・・あたしだって、今、ものすごく、あいたいよ。
・・・来てくれないなら、あいにいきたいよ。
また、目を開けた。
両手両足に取り付けられた黒いバンドはあたしが暴れたときにベッドから動けなくするためのもの。
頭に取り付けられた脳波計の電極はさらに増えた。お腹は全然空かなくて、栄養補給の為に食べてもすぐに戻しちゃうから、点滴で栄養素を打っている。
まるで、実験動物だ。
先生は毎日、脳波計をみてカルテにチェックを入れる。
「異常なし」の項目に。
なんとなく、退院することを諦めている。
多分、一生このままなんだろうなぁって。
一生、あたしはベッドの上で寝たきりで、お母さんの美味しい手料理も食べられず、外を自分の足で歩くこともできず、いつか椎菜が今のあたしと同じ年齢になって、恋をして、結婚もして、子供も産むだろう。それだけの時間が経ってもあたしはここに寝たまんま、時間が止まる。もっとがりがりになって椎菜の子供には怖がられるかもしれない。
リクやまるちゃんも、クラスの友達も、みんな、大人になっていってあたしの事をたまにしか思い出さなくなって、いつか完全に忘れてしまう。
・・・こんなとき、ふたばが居てくれたら・・・・・。
どう足掻いても、ふたばには二度と会えない。ふたばはあたしに会いに来てくれたことがあった。事件があって、リクが大怪我をして不安で仕方がなかった夜。
ふたばはあたしを抱きしめてくれた。あの温かさをいまだに覚えてる。
死んだら、ふたばに会えるかな。
あたしがひとりぼっちになって、生きることを諦めたらふたばはなんて言うのかな。
多分、怒るだろうなぁ・・・。
また、じんわりと涙が溢れてくる。
いつも零さないように我慢して、でも堪えきれなくなって、流れていく。
自分の力では拭うこともできない。バンドで固定された腕では届かないから。
その時、病室の扉が開いた。この時間は椎菜だ。
「お姉ちゃん、起きてるかな」
やっぱり椎菜だった。あたしは枕に顔をこすり付けて涙と鼻水を拭く。
ベッドを囲むカーテンがゆっくり開けられて椎菜が「おはよう」って言った。
「あっ、ちょっとまってね」
椎菜はティッシュを手に取り、あたしの顔を拭いてくれた。そのあと、頭を右手で持ち上げて枕を抜き取り、新しいカバーに付け替えた。
いつもこうやって、椎菜に泣いていることがばれて情けなくなる。
椎菜は涙も、鼻水も、嫌な顔ひとつせず、拭ってくれる。
――こんな姉でごめん。
――よくできた妹でしょっ。
――だからね、謝んなくていいんだよ?お姉ちゃん。
また、抑えきれなくて、また、拭いてもらう。
椎菜が取り替えてくれた枕カバーからはおうちの匂いがした。
「お姉ちゃん、また髪伸びたね」
ベッドをリクライニングして、体を起こす。
椎菜に鏡を見せてもらって、久しぶりに自分の顔を見た。
思わず顔を背けた。誰だよ、これ。
まるちゃんに切ってもらった前髪は元通りになっていて、というより鼻先くらいまで伸びていて後ろ髪も肩甲骨まで伸びていた。病院に来てから髪が伸びるスピードだけ異常に速い。こんなに伸びたのは、いつ以来だったっけ。
何度鏡をみても、自分じゃない人が映っているみたいで気持ち悪かった。
「髪・・・切る?」
椎菜からの提案に首を振った。どうせまた伸びるだろうから。
「そっか。でも長いのも似合うよ、お姉ちゃん」
自分ではよく分からない。見慣れていないからかもしれない。
椎菜は窓際の向日葵に水を与える。ここに持ってきたときから少しだけ成長しているように見えた。
「そういえばね、もうすぐなんだよ、花火大会」
あたしはカレンダーをみる。
花火大会が行われる八月十一日には花丸が書かれていた。
「3日後・・・」
空気ばかり抜けて、ほとんど声は出なかった。
「うん。多分ね、屋上からなら見れると思うんだ!」
花火か・・・。
たしか、椎菜と行く約束をしてた。
「お医者さんに、その日だけは外に出ていいか聞いてみるね!
外って言っても屋上だし!」
あたしは返答に困った。
正直、今はそんな気分じゃなかった。
花火を見てしまったら、また空しい気持ちに襲われるかもしれない。
外に出てしまったら、病室に戻ることを恐れるかもしれない。
自由に生きている人々を見て、妬ましく思ってしまうかもしれない。
そう考えると、怖くて仕方がない。
なかなか意思を示さないあたしに、椎菜もやや困惑している。
「やっぱり、いや?」
分からない。
行きたくない気持ちの方が大きいことは確かだ。
「一応、お医者さんには聞いておくね」
椎菜は寂しそうな声で言った。あたしも声にならないほど小さくごめんと言った。
お昼になって、お母さんが来た。
体を拭いてくれた。洗い流さなくてもいいシャンプーがあるらしく、それを使って髪を洗ってくれた。お母さんも椎菜と同じように「髪が伸びたね」と言う。
リクの事を聞こうか迷った。
今、何をしているのか。
元気なのか。
あたしが締めた首は大丈夫なのか。
聞きたいことがいっぱいあったけど、全部を飲み込んだ。
リクの名前を口にすることも怖くなったから。
また我を忘れちゃうんじゃないかって。
夕方になると、お父さんも仕事終わりで来てくれた。
毎日、この時間だけ家族が揃う。
この時間が来ると、一日が終わってしまうと感じて、面会時間が終わるとまたひとりになる。
夜が来る。
とてつもなく、大嫌いな時間。
水の音が聞こえる時間。
水の音に混じって、花火の音が聞こえる。
毎年、リクや家族と行った藤咲の花火大会。
確か、去年だけ、あたしはリクと2人だけで行ったんだ。
ふたばに騙されて。覚えてる。ちゃんと、覚えてる。
*** ***
家出をしていたふたばに、あたしがリクの話ばっかりするからふたばが花火大会を2人で見させるように内緒で計画してたんだよね。
あたしがふたばとお揃いで買った浴衣を着て、山の麓の川にかかる橋で待っていたらなぜかリクが来て、2人して目を疑った。
リクがあたしとお揃いの浴衣着てたんだもん。
そのとき、ふたばとは何の接点も無いはずのリクがどうしてふたばの浴衣を着ていたのかは後からふたばに聞いた。『枝紡のセールスマンを舐めないでね』って。
こんなの周りから見たらバカップルじゃんって思った。
リクも『わけわからんセールスマンにこれ着てここに来いって言われた』とか言ってるし。無料だからもらっといた・・・って・・・。ほんと、ばか。
顔が熱くなって、リクのことを見れなくて、リクはリクで状況が理解できていなくてしばらく橋の上から動けなかった。
そしたら、花火が打ち上がった。橋の上からでもはっきりと見えた。
毎年、同じように見えていた花火が、いつもと違って見えたのは不思議な感覚だった。2人とも、何も言わずにただ何となく気まずくて、黙って花火を見てた。
同じように見えていた花火がいつもと違って見えたのは、
綺麗に見えたからかもしれない。
いつまでも見ていたいと、このまま終わらないでと思った。
・・・でも、花火は終わった。
人がごった返す中の帰り道、やっぱりあたしたちは気まずくて何も言葉を交わさなかった。前を歩くリクの背中が大きくて・・・・・かっこよかった。
「あっ!そうだ、栞菜――」
突然、リクが立ち止まりあたしに振り向いた。本当に突然の事すぎてあたしはつんのめる。
「おわっ、大丈夫か?」
だいじょうぶ・・・なわけない。
だって・・・抱きついちゃってんだもん。
リクの心臓の音が間近に聞こえる。あたしの鼓動が伝わっていないか心配だ。
自然とリクを掴む手に力が入ってしまう。
離れたくないよって言いたくなる。
・・・そっか・・・。・・・あたし、この人の事を・・・。
「栞菜・・・?」
ずっと、ずっと遠回りしてきた。多分、この気持ちは違うって。
それ自体が、自分への嘘だったことにやっと気づいた。
「ねえ・・・リク・・・」
――どこにも行かないよね?
どうしてそんな言葉が出たのか、分からない。もっと伝えたい言葉があったのに。
何も知らないリクは、あたしの頭に手を置いて言ってくれた。
――まあ、どっかに行く予定も無いしな。行かねえよ。・・・じゃあ、約束な。
――・・・うん。
時間が止まってくれたみたいに、
とても長い間、人の目も気にせず、あたしはリクの心音を聞いた。
*** ***
・・・・・真っ暗だった病室にかすかに光が入ってくる。
また、夜が明けた。終わらない夜なんてないんだ。
大嫌いな水の音も、花火大会の記憶が消してくれた。
記憶でしかないのに、ほんのりとリクの胸の温かさを感じる。
あの人の匂いも、優しさも、かっこよさも、馬鹿なところも、一生懸命なところも。
全部、全部・・・・・。
「お姉ちゃーん、起きてるかな」
リク・・・。あたしは・・・、あたしは・・・・・・。
「お姉ちゃん、おは――」
多分、いつも以上にぐしゃぐしゃなあたしだ。
でも、もういいや。おさえきれない。
おさえたって、あふれるよ。
この気持ちは。
「お姉ちゃん?どうしたの?」
これは、わがまま。
叶いっこない、あたしの願いごと。
「しいな・・・。リクに・・・っ、リクに会いたいの・・・。リクに・・・っ」
「お姉ちゃん・・・」
――今までも、これからもずっと大好きな人に、会いたい。
「・・・ッ!!」
椎菜が病室を飛び出していった。
また、お医者さんが駆けつけるのかなと思ったけど、
しばらくして椎菜もお医者さんも来なかった。
*****
――旧藤咲市 山中
「うおおおおおっ!!!」
見える。嵐禍の動きは、確実に俺の目に入っている。
「炎禍ッ!!」〈分かっている!〉
さらに羽根を広げ、風の姿を追う。
木々の間を通り抜け、追いつきそうになっては見失い、また補足して追いかける。
先回りなんて通用しない相手だからこそ、姿を捉えて全速力の上限を突破していく。
この修行を始めたころは、追う事すらままならなかったのに、もうすぐ手が届きそうな距離まで詰めることができている。
自分でも、なんとなく炎禍の力が体に馴染んでいるように思う。
ちぐはぐだったお互いの力が上手く噛み合っている感覚だ。
〈ふふ、短期間で風の速さに到達しようとしてる・・・さすがね〉
「嵐禍、わたしたちももっとです!」
嵐禍は羽根を4枚から、6枚に増やし、さらに速度を上げた。鳴海も持ち前の集中力で嵐禍の力を自在にコントロールできるようになってきている。
一進一退だった。
夕暮れが近づいてきている。視界も影が多くなり狭くなっていく。
あと少し、もっと速く。力を振り絞って、からっきしになるまで搾り取る。
そこからが限界突破への勝負だ。嵐禍の動きは直線だったり、全速から突然止まったかと思うと、いつのまにか後ろにいたり、左右上下、連続運動からは想定できない多彩な動きをする。その癖さえも見えてきた。あとは、いつ逆手に取るか。
ただ闇雲に追うだけじゃ絶対に到達できない風の速さ。実際に戦う上で動きを読むことは重要だ。嵐禍は山の中を駆け巡る間、一度も同じコースは飛んでいない。これまで何万周したかなんて覚えてないが、間違いない。だから、追いかけながら次の動きとコースを読む。頭で動きを見て、体はさらに熱くして、常に最高速度を更新していく。
息切れは無い。今はどこも疲れていない。目の前の目標を捉えたい一心だけ。
余計なもの、余計な思考はいらない。
――詰めるッ!!
〈あら、追いつかれそうね〉「どうするです?」〈・・・こうするわ〉
嵐禍が最大の加速を見せた。捉えていた姿は消失する。その瞬間、木々が根元から傾いていくほどの突風が起こる。
「いや、そこだっ!!!」
分かっている。俺の視界から消えたことぐらい。
嵐禍ばりの急制動のあと、体を翻し、空くうを蹴る。
爆発するように地面が抉れて、嵐禍が右の手に竜巻を作っているのを完全に捕捉した!
「そっちもその気か!嵐禍!」
〈言ったじゃない。まるこに当てたら何十倍にして返すって〉
俺は拳にありったけの炎を込める。
嵐禍は木の葉を巻き込むほどの風を右手に宿して――
「当ててねえだろおおおおおがあああああっ!!!」
〈ふふっ。まるこ、男の趣味悪いわよ?〉
黒炎の拳が、乱気流を巻き起こす小さな竜巻とぶつかって、
爆散した――――!!!!!!!!!!!!!
「ぐあっ!」
俺は山からも吹っ飛ばされ、藤咲市の瓦礫へと突っ込んでいく。
爆発の勢いは凄まじく、俺が吹っ飛んだ後は整地したみたいに1本の道ができた。
ようやく止まって、一息ついた後、立ち上がる。
どこも痛くない。体を見て、ひとつも怪我をしていないことを確認した。
歩きながら山をみると、衝突地点が渦巻いてハゲ山になっていた。
・・・・・鳴海は・・・っ!?
当ててはいないはずだが、この爆発で鳴海も吹っ飛んだかもしれない。
少し、加減をしなさすぎた。急いで戻らないと!!
〈やあね、無事よ〉
俺が駆け出すと、すぐ後ろから声を掛けられた。
「先輩こそ、無事ですか?ここまで飛んだんですよね?」
鳴海はあっけらかんとしていて、どうやら無事らしい。
安心すると共に、俺は嵐禍に聞いた。
「もしかして、最後のって・・・」
〈ふふっ。ざ・ん・ぞ・うっ〉
嵐禍は一文字ずつ、丁寧に区切って言いやがった。
嵐禍が最後にギアを上げた瞬間、彼女は突風を起こして、自分の残像に風を纏わせ残像そのものを爆弾にしたのか・・・。
まるで直撃の感触が無かったのはそういうことか。
いや、でも鳴海に直撃させてなくて良かったと思うべきか。
どっちにしても・・・
「ああ~、悔しいっ」
本体を捉えられなかったことに変わりは無い。俺の負けだった。
〈まあ、よくやったわよ。追い詰められたことに変わりないわ・・・それに〉
「ん?なんだ?それにって・・・」
〈私とまるこの専売特許に、あなたが敵うわけないのよ〉
「・・・へ?」
俺も鳴海も、きょとん、だ。
〈流石にまるこの体では限界速度って言うのもあるけれど、炎禍の速さでは追いつくことはできても捉えることは無理よ〉
「そ、そうなのか!?」
〈そっ。あなたに知ってもらいたかったのは今言った、限界速度と敵を見る目を養うこと。最初に言ったわよね?どんな攻撃も当たらなければ意味無いって〉
確かに言っていたな・・・。
〈炎禍の限界速度もあるの。ただ、あなたとしてはまだ速くなれる感覚もあったはず。要は、追い求めれば追い求めるだけ、力は増幅されるのよ。炎禍は〉
俺は本当にそうなのか炎禍に聞く。
〈お前次第だがな〉ぶっきらぼうな返答が来た。
俺の気持ち次第で、いくらでも強くなれるって解釈でいいんだよ・・・な?
〈ま、あとは何度も繰り返すことね。まるこも、分かったわね?〉
「わ、分かってるです。あと!まるこって呼ぶなって言ってるですよ!」
〈はいはい、まるこ♪〉
まるで漫才を見ているみたいだ。夕焼けを浴びながら、鳴海と嵐禍のやりとりが可笑しくって久しぶりに沢山笑った。
「もう、先輩、笑いすぎです!怒るですよ!」
「あははっ、もう、怒ってんじゃねえかっ。はは、ははははっ!」
やっと掴んだ手応え。俺の中にいる枝紡もリロウスも、同じ気持ちなのか安堵して笑った。その日は、栓が抜けたみたいに、げらげらと笑って、夕陽が落ちていった・・・。
*****
「それでは、また明日・・・です」
「おう、気をつけてな。ゆっくり休めよ?」
バス停で鳴海を見送ると、俺はまた山に戻る。
俺の意思次第で強くなれるのなら、まだ足りない。
やれることは全部やる。そう決めた。
俺は山に向けて、また、走り出した。
*****
わたしは先輩に見送られて、バスに揺られる。
自分でもすごく不思議な気分だ。
わたしの中にある、人間じゃない力。
そして、その力を操る自分。
嵐禍に〈もうあなたは人間じゃない〉って言われたときはすごく戸惑ったけど、
それを上回るくらい、先輩の力になれるのが、嬉しい。
そして、何より、先輩の傍に居られることが、嬉しい。
どきどきする。先輩のことを考えただけで、深呼吸しないと苦しくなるくらい。
生まれて初めて男の人を好きになって、告白をして、わたしはまだ答えを聞けずにいる。
先輩は、もう答えを決めているのかな・・・。
聞きたいけど、聞けない・・・。
これが、恋・・・なんだ・・・。
今は、まだ聞かなくても、いいかな・・・?
〈まーた、まるこは、びびりまるこちゃんなのね〉
突然、割って入ってくる嵐禍。ちょっとびっくりして体が跳ねた。
心の会話をする。
『うるさいですよ、嵐禍!』〈もお、ちゅーしてくださいって言えばいいのにっ〉
ちゅーという単語に硬直する。ちゅ、ちゅ、ちゅうって・・・!
『なにお馬鹿なこと、言ってるですか!』〈何って。あなたたちいい年頃でしょ?〉
た、確かにそうですけど!でもでもでもでも・・・。
『まだ、お付き合いもしてないですし・・・』〈寝てる間に奪っちゃいなさい〉
かああっと顔が熱くなる。
バスに乗っている人に気づかれないように慌てて顔を隠した。
〈初心なのね〉『初心で悪かったですね!!』
嵐禍とお話していると心臓に悪い・・・。
わたしは熱くなった顔を冷やしたくて、窓を少しだけ開けた。
〈そういえば、まるこ。陸斗のこと誘わないの?昨日も「明日こそは!」っていってたじゃない〉
『誘いたいですけど、タイミングが・・・明日こそ、花火大会に誘うです。まるこって言うなと言ってるです』
〈本当かしら~?〉
花火大会は明後日。明日こそ、言わなきゃ・・・。
顔の火照りも無くなってきた時だった。
「・・・のっ!・・・て・・・くだ・・・さい!!」
風の音に混じって声が聞こえてくる。なんだろうと思い、もう少しだけ窓を開けて、バスの後方をみた。調度、バスが赤信号で止まった。
バスに追いついて、小さな女の子が大きく肩で息をしている。
わたしにはこの女の子が誰だかわからない。けど、この子は呼吸を激しくしながらわたしをみて、言った。
「あの・・・っ、お願いが・・・っ、あるんですっ・・・っ!」
バスが動き出す。
わたしは、次の停留所でバスを降りて、駆け足で女の子の元へと向かった。
*****
翌日、雨が降った。
山篭りしている俺には天気予報は見れないからこの天気が予報どおりなのか分からないが、今日は何時になっても鳴海が来なかった。
空腹だったが仕方がない。空腹は、筋トレでごまかそう。
せっかくの雨だ。滝行ではないが、炎禍になり状態キープしながら敵を想定しての戦闘訓練。終わったら、すかさず筋トレ、ランニング。
いつの間にか、腕立て伏せは100回なんて楽々だった。腹筋も同じく。
さらに負荷をかけようと、鉄アレイを使ってのシャドーボクシングをやってみた。
腕が重さに持っていかれないように足腰をどっしり据えて、雨粒に対してパンチを繰り出していく。
雨は、いつまでも降り続いた。
俺はいつまでも、拳を打ち込んだ。
*****
その翌日、雨が上がって朝から虹が架かっていた。
濡れた服は、炎禍が一瞬で乾かしてくれた。そして今日も朝から走る。
いつものランニングコースに向かうため、山を下ると、鳴海がいた。
肩の部分にフリルのついた真っ白なワンピースに麦わら帽子を被っていて、とても今から修行をする格好とは思えない。着替えを入れるリュックも持っていないが恐らくご飯が入っているであろうバスケットは持っていた。
「おはようございます。先輩。昨日は行けずにすみません。これ、朝食と昼食です」
「・・・鳴海・・・?おはよう、今日は修行、休むのか?」
鳴海の顔は麦藁帽子のつばに隠れていて見えないが、こくりと頷いた後、俺にバスケットを渡した。
「あの・・・、先輩・・・」
「ん?」
鳴海は何かを言おうとして、なかなか言い出せないのか口元をごもごもと動かしている。俺が顔を見ようとしてもさらに深く顔を伏せて、なんだか逃げているように見える。
「おい、鳴海。どうした?」
「あっ・・・あのっ・・・!」
ふわりと、風に乗って麦藁帽子が飛びそうになる。鳴海は帽子が飛ばないように押さえた。ようやく見えた顔は、どうしてか、泣き腫らした後の顔に見えた。
「鳴海・・・?」
「先輩、今日の夕方、あの橋で、待ってるです・・・っ」
鳴海が指をさした方向に見えたのは、山の沢へと流れていく川に架かる橋だった。
「そ、それではっ!」
ぺこりと一礼して、駆けて行く。追いかけようとしたけど、俺の脚は動かなかった。
鳴海の表情が気になった。昨日、何があったんだ・・・?
それに、今日の夕方、あの橋で・・・って。何かあったっけ・・・?
行けば分かるのかもしれないと思い、俺はバスケットを持って山を登る。
鳴海が作ってきてくれたお弁当は、全部俺が好きな食べ物だった。
*****
――午後18時 旧藤咲市 山の麓の橋
「んんーーーっ」
体を伸ばして、まだ来ない鳴海を待っていた。
そういえば去年までの花火大会はここから見えていたことを思い出す。
たくさんの人で賑わっていた面影は微塵も無い。
あっ・・・。
というか、今日ってもしかして・・・・・。
「花火・・・大会だった・・・」
藤咲で行うはずの花火大会は、今年は桜見市で行われるのだ。
修行に明け暮れていてすっかり忘れていた。
ここからだと・・・ぎり見えるかどうかだ。
見えたとしても小さいだろうなぁ。
そうか、鳴海は花火大会に俺を誘ってくれたのか。
あの表情は照れていただけなのか・・・?
花火の開始時間も分からないし、時計も携帯もない。
しばらく鳴海を待つことにした。
『おおー?式瀬君、なんか緊張してない?』
してねえよ!
『ほほう、陸斗もなかなか、可愛らしいところがある』
なくていいわいっ!!
流石に風呂には入ったほうが良かったかな。一応、沢の水で体は洗っているんだが・・・。『やっぱ緊張してんじゃん!』
「してねえっての!」
それから時間が経っても鳴海は来ない。
夕陽が半分だけ地平線からでて、もうすぐ完全に沈みそうだった。
また時間が経つ。青がかる空に一番星が見えた。
今、何時なんだろう。さっぱり分からん。去年、花火って何時からだったっけ。
・・・そういや、去年の花火大会は・・・。
去年は・・・・・・。
『・・・去年は、確か・・・私が・・・』
枝紡の声に重なるように、扉が開けられた音が聞こえた。
藤咲市全体に立てられた壁に、俺が勝手に作った壁扉が開く音。
「鳴海か?」
やや薄暗くてよく見えない。何か話し声が聞こえる。複数いるらしい。
これは、まずいことになったんじゃないか?
もしかして、役人系の人が来ちゃったりとかか・・・?
俺は隠れようと、慌てて辺りを見渡す。
だが、その足音は近づいてきていた。からんころんといい音が聞こえる。
・・・下駄の・・・音・・・?
突然、ライトを当てられた。
「うおっまぶしっ!すんません、怪しいものではないっす!」
「・・・・・リク・・・?」
・・・えっ?
今の声・・・。今の声は・・・・・。
「リク・・・なの?」
「栞菜・・・か?」
ライトの向こうに見覚えのある浴衣姿が見えた。
去年、栞菜が着ていた浴衣。
ライトが消える。
まだ目がちかちかするが、でも確かに俺の目の前には栞菜がいる。
どうして?
驚きと困惑で、そのあとの言葉が出てこない。
栞菜も同じらしく、そわそわしていた。
お互いに何も言えないし、言わない。
鳴海が来る様子もない。一体全体何が起きているんだ?
「・・・ねえ」
「うおうっ!なな、なんだ?」
声が裏返った。情けない。
それくらい、今の状況が飲み込めない。
「髪、伸ばしたんだけど、どう・・・かな」
栞菜は胸まで伸びた髪をひとつに束ねて左側に下ろしていて両手で触っている。
表情はまだはっきり見えないが、大人っぽい印象を受けた。
「い、いいんじゃ、ねえかな」
中々落ち着くことができない。一気に喉が渇いた。しかも今は2人きりだ。瓦礫だらけの藤咲市に2人きりなんだ。
「なに、その適当な感じ」
・・・いつもの、栞菜だ。
入院する前となんら変わりない栞菜が今、ここにいる。
「いや、驚いてて・・・」
ここは素直に事情を聞こう。
「そうだよね。あたしも驚いてる」
「病院は・・・。俺、お前に近づいちゃダメって・・・」
「今日は体調がいいから外出許可が出たの。本当は病院の屋上なんだけど、お母さん達が連れ出してくれた。接触禁止令・・・だっけ。どーでもいいよ」
やっぱりいつも通りの、栞菜に戻っている。
「リク、おどろきすぎ」
「そりゃ・・・驚くだろ・・・」
内心、すげー嬉しかった。
「椎菜がね、リクを探してくれたの。あんた、自宅にも円堂くんのとこにもいなかったらしいじゃない」
「いやあ、それは・・・」
「椎菜も諦めてたとき、偶然まるちゃんのこと見かけて、リクの居場所を聞いたんだって。ほら、文化祭で顔だけは知ってたから」
それで鳴海は、俺と栞菜を会わせる為に一役買ったって言うのか・・・。
だから鳴海は・・・。
「まるちゃんには、悪いって本当に思ってる・・・」
栞菜は沈んだ声で言う。
ようやく目が慣れてきて栞菜の表情がはっきりわかるようになってきた。
やせ細っていて、髪も見たこと無いくらい伸びていて、明らかに元気とは程遠いけど、間違いなく、栞菜の顔だった。
俺たちは少しだけ、見つめあった。
「リク、なんか、ごつくなった?」
痛いとこをついてくる。鋭いところも、やはり栞菜の性格だ。
「筋トレにはまっててな」
適当にごまかしておく。
「筋トレねぇ。まっ追求しても何も教えてくれないだろうし」
「何もって・・・。まあ、そうだな・・・」
また、沈黙が流れた。蝉がすべて泣き止んで、風が木を揺らし葉が擦れあう音と一緒に鈴虫が鳴いていた。
「・・・ねえ、リク。あたしね」
「ああ」
「思い出したの。昔の事」
「あの日の・・・ことか?」
欠け落ちていたピースを栞菜は持っている。そんな気がした。
「多分ね、あの日・・・リクが事故にあった日からあたしは病気なんだ。一生治らない病気。自分が自分じゃなくなっていく病気」
「・・・俺を助けてくれたのは――」
「あたしの中に居るもうひとりのあたしだと思う」
「・・・・・」
「その子が、ずっと弱いあたしを守ってくれてたの。失うことの怖さや、逃げることの弱さから。最近はね、その子の方が強い意思を持ち始めていてね。あたしを飲み込もうとするの」
俺は何となくそれが、あの力だと悟った。
栞菜には俺が事故をした日から、魔導師の力が目覚めていた。
成長するにつれてどんどん力が強くなっていき、栞菜の許容を超えそうになってきている。だから栞菜は自我を失ったり、暴れたりしてしまう。
栞菜の体と心はもう、限界にきている・・・・・。
いつか完全に、力に体を奪われてしまう・・・・・。
「俺を、助けた・・・せいで・・・」
「ううん。全部、あたしが決めたことだから。リクを失いたくないって・・・願いが通じたの。だから、後悔してない」
――今、あたしの前にリクがいてくれるから。
「栞菜・・・、俺は・・・」
「あのね、リク。・・・・・伝えたいことがあるの」
それを聞いたら、俺と栞菜はどうなってしまうんだろう。
「これからどれくらい生きられるか分かんないけど、伝えられるチャンスは今しかないって思うから」
そんな風に、言わないでくれ。
これから先も伝えられるチャンスはあるに決まってんだろ。
「リク」
栞菜が去年と同じように、俺の胸に飛び込んできた。
背中に回された手は、力強く感じた。
「だいすき。あたしは、式瀬陸斗のことがだいすき」
――大好き。
遠くで、ドンドンドンドンと花火が上がった。
やっぱりここから見える花火は小さくて、音も遅れて聞こえてくる。
俺と栞菜を包むように様々な色が夜空に浮かんで、消えていった。
花火がさらにたくさん打ち上がっていく。
でも俺も栞菜も花火なんて見ないで、
ただじっとお互いの鼓動を感じた。
花火の音が、鳴っている。
心臓の音みたいに。
「・・・栞菜、俺は―――」




