〈episode37〉後悔と崩壊
――[王国の終焉]――
「離してっ!!私は〈ウェスト〉へ戻ります」
俺の手を何度も振り払い、城の廊下を進むセレン。
彼女が目を覚ましたのはクリア・セントラルに到着した翌日の事だった。
初め、何が起きたのか分からないといった様子であたりを見渡した。
状況が把握できないのは無理も無い。
トレバート曰く、牢獄にて処刑までの時を過ごしていたセレンを
強奪してきたらしい。
セレンの抵抗も激しく、気絶させるほかなかった。彼はそう言っていた。
やがて、ここが〈ウェスト〉ではないことを理解すると彼女は途端に泣き喚いた。
『どうして自分が生きているのか分からない』そんなことまで叫んだ。
一日中、泣いては叫んで喚いてを繰り返した。
彼女の脳裏には、〈ウェスト〉の民の事、クレアのこと、地下の子供たちのこと、炎が放たれたティルーシャのことなど、様々な想いがこみ上げたのかもしれない。
”全て、自分が処刑されれば上手くいった”
女王であり、実の母親に利用されているだけなのに、セレンは処刑されなかったことを悔やんだ。生きていることを恨んだ。
次の日の夜、嗚咽をもらし、焦点も定まらないままセレンは涙と声を枯らして言う。
『国に帰ります』と。
「待て!今はまだ待つんだっセレン!」
俺はまた彼女の右腕を掴む。今度こそ振り払われないよう強く。
腕をつかまれたセレンは腕をめちゃくちゃに振り回し、何とか振り払おうと暴れるがそれも無駄だと悟って深く溜息をついた。
「・・・どうして、こんなことを・・・」
長い沈黙の後、呟いた一言だった。セレンの表情は焦燥に満ちていた。
「あんなの、間違っている。女王の為に死ぬなんておかしいだろう」
「それは違うわ、エフ。女王の為に死ぬんじゃない。国の為に死ぬのよ!」
「それこそ傲慢だ!お前は女王に利用されていただけなんだよ!」
「別にそうであってもいい!〈ウェスト〉が、この世界が変わるなら!」
キッと俺の眼を睨みつけるセレン。紺碧の双眸は出会ったあの頃から濁ることなくきれいなまま。純粋で、純朴で、真っ直ぐな眼だった。
彼女の言い分も分かる。
分かってしまうからこそ、尚更この手を離すことは出来ない。
俺は今、彼女の眼を真っ直ぐ見ているだろうか。
彼女と真っ直ぐ向き合えているだろうか。
考えを逡巡させていると、思わず手に力を加えてしまった。
「・・・いたい」
「・・・すまん」
いつしか雨が降り出していた。城の壁を壊そうと雨は強く強く壁に打ち付けられる。
一瞬、空が光ると数秒遅れて轟音が聞こえた。どこかに稲妻が落ちた。
「・・・今、〈ウェスト〉はどうなっているの・・・・」
雨音にもかき消されそうな声でセレンは言った。
「クリア・セントラルの魔導師が向かった。じきに混乱は収まる」
「・・・女王は・・・。お母様は・・・」
俺が殺した、と言えなかった。
何度もいいかけては、それを声に出すことなど出来なかった。
口篭る俺に事実を察したのかセレンは悲痛な表情を浮かべた後、
掴まれていない方の手で両眼を覆った。
「どうして・・・そんなことを・・・」
自分の想いを伝えていいのなら、伝えたい。お前に生きていてほしかったんだと。
目の前で悲しみにくれるセレンを抱きしめ、彼女の不安や嘆き、悲しみを拭ってやりたい。そう思う反面、今の俺に彼女を抱きしめる権利などないことも分かっている。
俺はただの騎士だ。命令されれば戦地に向かい剣を振るう。
誰よりも敵を葬り、生き残り、帰ってくる。そしてまた、命令を受け戦いに行く。
一方でセレンは〈ウェスト〉の皇女。彼女が背負っているのは俺が背負えるような重さのものではない。民の命、国の未来。
女王の偏向もあって彼女にはとてつもない責任感が生まれていた。
だからこそ、生きていることを悔やむ。
騎士と皇女。近いようで遠い存在。真逆の生き方しか出来ない両者。
同じ生き物なのに、ただ血統が違うだけで”生きる”意味が変わってしまう。
両者に根付いたお互いの”生き方”はもうどうにもならない。
その事実が、俺の中にただ空しく、雨のように打ち込まれてくる。
”俺にセレンは止められない” ”俺がセレンを止めなければいけない”
ふたつの想いが同時に介在し、たとえどちらかを選んだにしても後悔する事は間違いないと予感した。
セレンも俺も、この先、自由を手にすることはできない。
この世界そのものが憎く思えて仕方なかった。
そんな俺の想いを、この世界が、受け取りやがった―――。
「おいっ!エフ!セレンッ!」
肩を上下させ、息を荒くしたマーデイズがやってきた。暗がりだったが彼の顔がかなり蒼白しているのが見えた。セレンもそれに気づいたらしい。
「どうした、マーデイズ?そんなに慌てて・・・?」
「いいからこい。俺がここに呼ばれた理由が分かった」
マーデイズは無理やりに俺たちを連れて行こうとする。一体何が起きたというんだ・・・?
「マーデイズ!なんなの?それよりも、私を・・・」
セレンが言いかけた所でマーデイズが振り返ってきた。
いつになく真剣な表情から、ただ事でないことが分かる。
彼からの一言は、最初、意味が分からなかった。
「死体が見つかった。見たことのない死体だ」
*****
雷鳴轟く中、山の山頂に死体が見つかった。
男の魔導師で名前はヌエリ。城下の街に住む民で、家族は妻と息子がいる。
優しく、家族思いだった彼は争いに縁は無く、誰かに殺されるような因縁もない。今日の朝まで普通の日常を送っていた彼が突然、死亡した。
妻の話によればヌエリは朝、出かけたきり帰ってこなかったのだという。
不安に思った妻は嵐の中、街に出てヌエリを捜索。すると路面に破片のようなものを見つけた。最初、妻にはそれがなんなのか分からなかったが、すぐに街の医者が彼女の元へと駆けつけた。彼は争いなどによる肉体の欠損部位を治癒することを専門とする医者だった。しかし、彼を尋ねてきたヌエリは体中に亀裂が入っていてその姿はまるで割れる寸前の陶器のようだったらしい。
彼からヌエリが向かったのは山だと聞いた妻は一心不乱に山頂を目指した。
そして、焼け焦げた彼の死体を発見する。ヌエリは、5肢すべてが分断し粉々に砕けていた。顔はかろうじて半分だけ確認が出来る程度。妻は雨に打ち付けられながら夫の破片を拾い集めた。
医者からの一方を受けたトレバートがすぐに向かい、破片を回収した。
今、俺たちの目の前には昨日までヌエリだった破片が広げられている。
円卓の上に広げられたそれは、魔導師であったとは思えないほど粉々だ。
しかも、雷に打たれているにも拘らず肉が焦げた臭いが無い。
破片を手にとってみたが、肉感もない。まさに陶器そのものだった。
円卓に集まったのはトレバート、変な口調の魔導師・クエイ、
蒼い髪を束ねたオリオン、双子の魔導師・ウィズとウィード、加えて俺とセレンとマーデイズ。
〈主様〉と傍らに立っていた少年はいなかった。
最初に口を開いたのはトレバートだった。
「これはまた、不可思議な・・・」
顎に指をあて、考え込む彼の後にクエイが続く。
「こんな死に方、みたことねえぞ」
「ええー?クエイ、みたことないのー?」
あの2人は仲が良いのか、双子の小さい方が能天気に話しかけていた。が、すぐにトレバートに睨まれて静かになった。
「体、破片にする、魔力、見たこと、ない」
大きい方が破片を一枚手にしながら喋る。じっくり観察した後、そっと破片を置いた。
「トレバート、あなたこのことを予感して・・・」
オリオンが聞くとトレバートは眉間に皺を寄せた。
「何かが起きるのは予感があった。しかし、まさかこのような事態だとは思っていなかった。これは、我々魔導師の存亡に関わる問題かもしれない」
「存亡って・・・」
「この世界にある文献はほとんど読んだ。だが、肉体が破片になるなんて記述は見たことがない。こんなにも不可思議な死に方があれば必ず何かに記述があるはずだろう。過去に存在しない現象だ。何をどう調べれば良いのか見当がつかない」
俺たちの逃亡を手助けし、完全無欠だと思っていたトレバートだったが彼が感じた”予感”というのはどうやら”悪い予感”だったらしい。彼が閉口すると、重たい空気が場に流れた。俺は隣で俯いたままのセレンの手を握る。
逃がさないようにではない。離れてしまわないように。
破片を見つめたまま、数分がたった。数分が何時間にも感じた。
口を開いたのはマーデイズだ。
「仮定の話をしよう」
一同が彼に視線を送る。
「仮定の話?」トレバートが聞いた。
「ああ、仮定だ。もし、この現象がヌエリだけに起きるものじゃないとしたら」
「我々にも起きるかもしれないということを言いたいのか」
静かに頷く。「しかも、いつこうなるのか予測が出来ない」
「そんなのって」
双子の小さい方の言葉にマーデイズは被せていった。
「そんなのってありえないってことが、ここにありえてるだろ。現実をみろ」
彼が指差す先は、粉々の魔導師の体。またどこかに雷が落ちたのか、雷鳴が響く。
「俺たちは、明日同じように死ぬかもしれない。死なないかもしれない。これは・・・」
――病やまいだ。
トレバートの口角が少しだけ上がったように見えたのは気のせいかもしれない。
そのとき、地響きと共に巨大な鉄の扉が開かれた。
全員が今度は鉄の扉に意識を向けた。
サンドロとルシアだ。かなり疲弊しているように見える。
「帰ったか。丁度よかっ――」
「トレバート、まずいぞ。〈ウェスト〉で大量に魔導師が死んでいる!」
「みんな、花瓶が割れるみたいに砕けていくの!!!」
ヌエリの破片のどれかが、また割れた。
*****
――[後悔]――
あの夜から1ヶ月。
〈朽体病〉と名づけられた”病”は猛威を振るった。
魔力の弱い者、強い者関係なく突然発症し、体は破片と化す。
治癒も効果なし。むしろ、死を早めるだけだった。
俺たちに、為す術などなかった。
世界各国で発症者が多発し、その全てが死に至った。
トレバートたちは調査班を結成し、様々な世代の魔導師の死体を集め、原因究明に明け暮れた。研究を始めてすぐに、ルシアという魔導師が〈朽体病〉により死亡した。
世界は混沌に包まれ、確実に終わりへと向かっていった。
そして、俺とセレンは別れる道を選んだ。
俺はクリア・セントラルに残り、セレンは〈ウェスト〉へ帰国する。
毎日を話し合いに使った。互いを説得しあったり、怒号が飛び交ったり、俺たちには譲れないものの方が多すぎた。
俺もいっしょに行く。その言葉にセレンは首を振った。
――もう、エフは〈ウェスト〉の民ではない。と。
だからもう、私のことに首を突っ込まないで。と。
彼女が寝ている間にどこかへ行ってしまわないように、俺はこの1ヶ月間不眠を貫いた。だけど、そんな日々ももう終わる。
セレンは振り返ることなく〈ウェスト〉へと歩いていった。
マーデイズも彼女を引き留めることはしなかった。
それからしばらく俺は眠ることは出来なかった。セレンはもういない。もう会うこともできない。幸せだった日々は遠い記憶。あっという間に過ぎていった日常と、今が同じ感覚で進んでいるとは思えない。
同時に襲ってくるのは、死への恐怖だった。一秒後には体に亀裂が入っているかもしれない。眠って夜が明けたときには体が砕け朝陽を拝めないかもしれない。そう考えることが多くなった。
生きたいと思っている以上に、死が迫る恐怖の方が強くなっていく。
死に追われるくらいなら、いっそ死んでしまおうかと思った。
その方が気が楽じゃないか。
どの選択を間違ったのか。
どう生きることが正解だったのか。
何のために生まれてきたのか。
「・・・グリフ、こんなとき、あなたなら何て言ってくれるのかな」
あの日の選択に間違いがあったなら、俺はそれを後悔する。
女王を救ったことが間違いなら、俺はそれを後悔する。
女王の誘いをまともに受けたのが間違いなら、俺はそれを後悔する。
なぜ、セレンの手を離してしまったのか。
俺はそれも後悔する。後悔ばかりの生き方だった。
窓の外から見える青空は、この世界では珍しいほど雲が少ない。
あの青空の下で、今日も多くの魔導師が砕け死んでいる。
悲しいくらい、綺麗な青空だと思った。
俺は壁に立てかけてあった剣を取り、鞘から抜いた。
”守るための剣”にしよう。そう誓った日々はもう戻ってこない。
もう守る者などいないのだから。
どこを貫けば即死できるだろうか。太刀筋に映る自分の顔は見るに耐えない。
この太刀筋に浴びた血は数知れず、多くの敵を斬った。今、思えば彼らにも守るべき者がいたのだ。俺は彼らの屍の上に立つことで生きることを許された。
これはせめてもの、償いと手向け。そう思ってもらえたら。
地獄に落ちても構わない。この世界より狂った世界はないだろう。
俺は、剣先を首に当てた。
―――ッッ!!!
剣が、するりと俺の手から落ちた。
自ら死ぬことすらもままならない。これで衛兵騎士団副団長などという肩書きを背負ったのだから滑稽だ。
衛兵騎士・・・クレア、君は今どうしている?
あの子供たちはどうなった?
〈ウェスト〉は・・・、みんなはどうなった・・・?
・・・俺には関係ないことか・・・。
もう1度、剣を握ろうとしたとき。
部屋の扉が、開いた。
金髪の少女と眼が合った。
「・・・」「・・・」
ぱちぱちと大きな眼を瞬きさせてじいっとこっちをみる少女。
誰かの子供だろうか・・・。
やがて、少女から声を掛けてきた。
「・・・だれだ?おっさん」
*****
――[金色と青色]――
金髪の少女はイルヴァナと名乗った。イルヴァナはサンドロの娘、レイティアによって連れてこられた孤児だったという。
〈ウェスト〉よりも比較的に平和なクリア・セントラルにも孤児がいたことに驚きだった。俺は、イルヴァナに自分の境遇を重ねてしまう。
単に、誰かに縋りたい気持ちがあったからかもしれないが。
イルヴァナは口も悪く、性格もやんちゃだが一緒に過ごす時間が増えるといつしかイルヴァナは剣を教えろと命令してきた。
「あんた、つよいんだろ」
「さあな。それより、『あんた』は辞めてくれ」
「じゃあ、おっさん」「それはもっと辞めてくれ」
イルヴァナは強くなりたいと言った。理由はなかなか教えてくれないが、彼女の視線の先にレイティアがいて、それを守りたいんだなと察した。
毎日2時間、イルヴァナに付き合う。腕っ節は強く、彼女は『公園のばけもん』と呼ばれていたことをなぜか誇らしげに語った。
こうしていると、〈ウェスト〉でのクレアとの訓練、クオーネへの指導を思い出す。
でも、あまり考えに耽らないように気をつけた。
意識を違うものに向けようと、俺も必死になって体を動かした。
1年が過ぎ、〈朽体病〉の犠牲者は留まるところを知らない。
トレバートたち調査隊は日々、頭を抱えて研究に没頭していた。
――可能性がある限り、諦めない。
と、マーデイズはその天才ぶりを遺憾なく発揮している。
イルヴァナはこの1年で身長も伸び、剣も上達した。
でもまだ足りない。もっと強くなりたい。
純粋な想いは俺に伝わり、ウィズとウィードにも伝播した。
修行時間は2時間から1日中に変わっていった。
また、1年が過ぎた。
新たな仲間が増える。アーフェンとリロウス。
彼女らは主に、国外調査に出掛けた。
これは〈朽体病〉による世界危機にも拘らず、衝突を繰り返す公国が後を絶たないからだった。
イルヴァナとの鍛錬はさらに激しいものとなる。
真剣を使った鍛錬だ。彼女の太刀筋には迷いがなく、本気で俺に斬りかかって来る。初めて1本とられた時は、俺の首の真横に彼女の剣が突き刺さっていた。
「やったねっ!また強くなった!」
にかっと笑ってみせるイルヴァナ。
彼女が強くなりたいのは親友を守りたいという想いだけ。
たったそれだけの理由で彼女はこの先、戦う道を選んだのだ。
きっと、それが間違いの選択とも思っていない。目の前にある病による死さえも恐れていない。無垢な眩しさを彼女の笑顔から受けた。
「ほい、おっさん・・・じゃなかった。エッフェンバルト!」
イルヴァナは仰向けで倒れている俺に手を差し伸べる。
まだ血に穢れていない真っ白な手。
一瞬、俺はその手を取ることを躊躇った。
俺の手は穢れているから。
自分の手のひらを眺める。戦い、殺し合いを忘れた手のひらだった。
「なにじろじろ、自分の手みてんだよ!きもちわりいっ!ほらっ!」
がしっと掴まれた手のひら。白くて細い、
今にも折れてしまいそうな手のひらは温かかった。
「もっかいやろうぜっ!エッフェン!」
「・・・その略し方、やめろ」
「じゃあ、バルト」「それはもっとやめろ」
そよ風が吹いた。彼女の金髪が揺れる。
駆け足の音とともに、世界に希望が訪れた。
「できたっ!!できたぞっ!!エフ!!!」
「うおおっっ!!」
マーデイズは俺に飛びついてきた。勢いあまってまた転んだ。
彼は泣きながら、それでもしっかりとした口調で言った。
「治るっ。これで〈朽体病〉が治る!!!できたんだ!新たな体がっ!!!」
俺には彼が言っている意味がいまいち理解できなかったが、
空の青さが二年前に窓から見上げたあの空よりも
綺麗に見えたことは間違いなかった。
*****
――[崩壊]――
トレバートら調査隊が製作に成功した精神転移魔導体は〈傀儡〉と名づけられ、
世界中の〈朽体病〉患者を救った。
世界にとっての絶望の時間が過ぎ去り、希望に満ちた3年が幕を閉じた後。
〈大戦〉の火蓋が切って落とされた。
俺は再び〈ウェスト〉へ向かう。
セレンと別れてから、もう5年が経過していた。




