第30話〈流々禍ノ章〉「覚悟を彼女が持ったなら」
明けて8月。
俺は今日も冷え切った体に鞭を打ち、栞菜がいる病院へと向かう。
頭の中では絶え間なく文句を言われているが、気にしないスキルを発動。
俺が出来る抵抗は、ただひたすら『気にしない気にしない気にしない・・・』とお経のように頭の中で唱えることだった。
これで大抵、気にしないで済む・・・気がしている。
時刻は午後17時。
面会時間は18時までだから俺は少しだけ早歩きで3階にある栞菜の病室へと向かい、2度ノックする。
「はいよー」
のんきな声が病室から聞こえてくると俺は扉を開けて入る。
「あっ」
「・・・あっ」
ジョキッ
まず真っ先に俺の目に留まったのは鳴海。その手には鋏を持っている。
次に俺の目に入ってきたのは、前髪がかつて無いほどに切り揃えられた、いや、切られた栞菜だった。
今の切断音は、鳴海が振り向きざまに栞菜の前髪を切った音だったのだろう。
6歳くらい幼な顔になった幼馴染はしきりに前髪を触っている。
鳴海の顔面は蒼白だった。
「ああ・・・アノ・・・カンナセンパイ・・・」
カタカタ震えながら片言で栞菜に目線を戻す鳴海は一層小柄に見える。
「ななな、ナニカナ・・・?マ、マルチャン・・・?」
「コ、コレハソノ・・・、デスネ・・・」
「ウ、ウウン・・・。ダダダダイジョウブ。マルチャンワルクナイ」
そして、俺へと向けられる栞菜からの熱い視線。
はい。絶対に笑わないんで、殺気出すのやめて貰えません?
*****
「ほんとにほんとに、ごめんなさいです!!!」
謝罪会見ばりに何度も頭を下げる鳴海。しまいには自分の前髪に鋏を当てて切ろうとするものだから、栞菜が必死に制止した。
「いいのいいの!まるちゃんは可愛いから許してあげる!でもリク、笑ったらぶっ飛ばす」
文脈、破綻しすぎでは・・・?
あと、可愛いから許すって・・・。俺も可愛くなればいいのか?
『ふっ。きもいよ♪式瀬くん』
「でもでも、栞菜先輩にせっかく頼ってもらえたのにわたし・・・」
「いや、それこそあたしがまるちゃんに頼んだんだからまるちゃんのせいじゃないんだって。全体的にきれいにまとまってるしさ!リク、笑ったらぶっ飛ばすから」
笑顔のまま、鋏を突きつけないでくれ・・・。
鳴海の話によると、栞菜から散髪を頼まれたという。
栞菜はずっとショートヘアで過ごしてきていたが、このところ髪を切る時間が無かったらしく背中くらいまで伸びていた。栞菜としても最長だったから髪を洗うとき煩わしく思ったため、鳴海に依頼した。鳴海は兄弟たちの髪もよく切ると言うので感心した。
「ま、すぐに生えるし!髪を切る手間も少しは省けるし!切ってくれてありがと、まるちゃん!リク、笑うなよ」
そういいながら鳴海の頭を撫でる栞菜。次第に表情が綻んでいく鳴海。
「次は、絶対きれいに切るです!だからまたチャンスくださいです!」
「うん、わかった。いつも本もありがと」
「えへへ、面白いです?」
まるで俺がいないかのように二人の世界へと向かっていく二人。
ガールズトークという言葉を聞いたことがあるが、これがそうなのか・・・。
「あ、リク、笑ったらぶっ飛ばすけど、今日も来たんだね」
突然、栞菜が二人の世界から戻ってくる。
・・・いっそ笑い飛ばしたいぞ、俺は。
「ああ。時間ギリギリだけど」
「なんか、顔青褪めてない?」
鳴海と共に俺の顔をじっと見つめてくる。
確かにまだ、体は冷えていてしかも病院内の冷房が俺を冷やす。
夏なのに結構寒さを感じていた。
「夏風邪・・・です?」
「多分、違うはず・・・」
「夏風邪だよ、入院しろ」
ここ!ここ!と俺が使っていたベッドを指差す栞菜。
「それにあんた、最近疲れてるっぽいし、時間も遅くなってるし、何か始めたの?」
一瞬、ドキッとしたがここは上手くごまかさないと。
「ちょっとな。いろいろと忙しいんだ」
「青褪めるほど忙しいってあんた、本当に入院しとく?」
再び、ベッドに指を差す。どんだけ俺を入院させたいんだ・・・。
「でも、あまりきついようなら毎日まで来なくていいから。まるちゃんもお家のことあるだろうし、来れるときでいいよ」
栞菜が笑顔で言うと、鳴海も頷いて答えた。
俺は栞菜に自分が思っていることを伝える。
「俺は来たいから来てるんだ。毎日、来たいって思ってる。俺の事は気にすんな」
「・・・気にするよ、リクの事は」
「えっ?」
「無理はしないで欲しいって言ってんの!・・・・・ここまで言わないとわかんないかなぁ」
鳴海の頭から手を離し、呆れたように溜息をつく。
笑顔から一転、その表情は曇っていく。
「来ることを義務に感じているのならそれは間違いだからね。来てくれるのは有難いけど、今は自分のこと、お母さんのことを大事にしてほしいの」
「それは分かってるよ。別に義務だとは思ってないし、栞菜に会いたいから来てるんだ」
「会いたいから、かぁ。嬉しい事言ってくれるね、リク。でもさあ、リク、なんにもわかってないよ」
いつものように枕に頭を乗せて、窓を見る栞菜。
もう、目を合わそうともしない。
「あたし、もう、治らないかもしれないんだって。このままずっと入院かもしれないんだって。理由がさ面白いの。原因が分からないから、だってさ。原因が分かるまで入院って。そんなこともあるんだね」
俺も鳴海も、何も言えなくなった。
さっきまでの和やかな雰囲気は、もうこの場所にはない。
「リクは会いたいから来るって言ったけど、それをいつまでも続けるの?あたしの病気が治るまでずっとお見舞いに来てくれるの?」
「・・・うん」
「そっかぁ。リクは、本当に・・・」
――嘘つきだ
声は小さかったけど俺にはそう聞こえた。
そのとき、病室の扉が開き看護師がやってくる。
「矢薙沢さーん、検査の時間なんで行きましょうか」
「あっ、はい」
看護師の言葉に振り向いた栞菜の目は充血していて、鼻の頭も真っ赤だった。
鳴海と看護師の手を借りて車椅子に乗る。
俺は栞菜を見送ることしか出来ずに立ち尽くしたまま。
栞菜が病室から出る間際に、一言だけ言った。
「リクはあたしに隠し事ばっかりだもん」
静寂が病室を包む中、車椅子の車輪の音が遠ざかっていく。
俺は天井を仰いで溜息を一回だけついた。
*****
帰り道。
俺は鳴海と並んで歩く。
昼間の暑さが残るアスファルトからはまだ熱気が上がってきて俺もようやく暑さを思い出す。篭った空気のせいでなんとなく呼吸がしづらかったけど、単に理由はそれだけじゃない。
栞菜の一言が、ずっと気になっていた。
――リクはあたしに隠し事ばっかりだもん
俺は栞菜に枝紡のことを隠している。
言い出せないだけなのかもしれない。栞菜だけが覚えている炎禍の姿は枝紡ふたばその者で、隠しているというよりもごまかしているといったほうが正しい。
それに鳴海のことも、魔導師のことも、何が起きているのかも。
思いつくだけでも、俺は栞菜にたくさんの隠し事をしていてその度に嘘をついて。
自分ではそうするしかないと思っていても、それがかえって栞菜を苦しめている。
だとしたら、俺はもうあの病室に行かないほうがいいのか?
なんてことまで考えてしまう。それがいい結果を生むわけも無いのに。
俺の目線は前方から徐々に足元ばかりへ。
何度目かの溜息をついたとき、鳴海が声を掛けてきてくれた。
「先輩、栞菜先輩には何も言ってないんですね」
「・・・ああ。何も言えないんだ」
歩くスピードが遅くなる。
「先輩がそれでいいんだって思うなら、いいと思うです。ってえらそうにすみません」
「いや、鳴海が謝ることは・・・」
足音がひとつ止まる。俺はついてきていない鳴海のほうへと振り向いた。
「鳴海?」
「わたしは、お二人に出会ったばかりでまだお二人のことをよく知っているわけではないです。お二人がどのようにして出会ってどのような関係で育ってきて今があるのか分からないです。でも、ひとつだけはっきりしてる気持ちがあって」
「気持ち・・・?」
「はいです。お二人には、仲良くしててほしいです。人間ですから喧嘩をすることもあるかもしれないです。お互いの意見が合わないことだって。誰にでもそういうときはあるです。栞菜先輩は多分、陸斗先輩のこと何でも分かっちゃうんだと思うです。だから、ちょっとだけ強がりになっちゃうのかもしれないです」
鳴海は、自分もたまにそうなっちゃうときがあると続けた。
ウィザードとの戦いで死にかけていた俺を救ったのは鳴海だった。
あのとき、鳴海は黒炎に押し負けそうになっても俺の側から離れず抵抗した。
「いやです!」と強く、言っていたんだ。それがもし鳴海の強がりだったとしたなら鳴海は俺が思っている以上に強い気持ちを持った女の子だ。
「わたしにとって陸斗先輩も栞菜先輩もとても大切な人です。いつまでも仲良しでいてほしいと思うのはわたしのわがままでもありますが、やっぱり陸斗先輩には栞菜先輩の側にいてあげてほしいと思うです」
鳴海は終始俺の目を見ずに言う。
この子は、自分が俺に向けて告白したことを置いて栞菜の側にいてあげてほしいと言ったんだ。
一番悔しいのは、鳴海なんだ。
「・・・悪いな鳴海。そこまで考えてくれてたなんて思ってなかった。俺もまだまだ栞菜のことは知らないことばかりだったみたいだ」
一歩ずつ鳴海のもとへと歩む。
辿り着いてから、栞菜がしたように俺も鳴海の頭にぽんっと手を置いた。
「正直に言うと俺、今修行してるんだ。藤咲にあった山の中で。強くなるために。枝紡に助けられて、リロウスに助けられて、この前は鳴海に助けられてさ。俺、弱いんだ。守る力を持っているのに、弱いままなんだ。結果として藤咲市をあんな風にしちまった。これからもっと強い奴らと戦わなくちゃいけなくなる。そうなったとき、また誰かを巻き込むことになるのは嫌なんだ。誰かが傷つくのも」
「・・・はい・・・です」
「それでいつも遅かったり疲労が出てたりするけど、俺は栞菜のところに毎日行くよ。俺にできることは何でもやるって決めたんだ。・・・まあ、修行は泣かず飛ばずって感じなんだけどな」
俺が笑いながら手を離すと、鳴海が顔を上げる。
「わたし、陸斗先輩の力になりたいです。栞菜先輩の力にも」
「充分、力になってるよ。鳴海は今のままの鳴海で居てくれればいいんだ」
俺たちの横を通り過ぎる人たちは皆「何かあったのかなこの二人」という目で見てから歩き去っていく。夕焼けの路上で見つめ合っていたらそう思われるか。
鳴海はじっと俺を見つめたあと、首を大きく横に振った。
「じゃあ、先輩を守るのは誰ですか!」
時が止まったみたいに、通り過ぎていく人々が立ち止まって俺たちを見た。
俺もまた、息を飲むしかできない。
「今まで、先輩は1人で戦ってきたです。わたしたちの知らない所でたくさん傷ついたです。先輩が皆を守るためにその力を使うなら、わたしは先輩を守るためにこの力を使いたいです」
その言葉は、前に枝紡が俺に言ってくれた言葉に似ていた。
――『私は、私が持っている力で式瀬くんを守りたい。怪我だってさせないように、戦いたい。それが私のするべきことだってこの2日間、ずっと考えて出した答え』
『懐かしいね。私、あの時決断したこと、後悔してないんだよ。きっとこの子だって後悔はしないと思う。式瀬くんでも、その眼を見たら分かるんじゃない?』
鳴海の眼。それはもう魔導師の眼で、輝くことは無い。
いつも見ないようにとしてきた意識を捨てて、俺は鳴海の眼をしっかりと見つめてみた。
自分でも目を丸くしていくのが分かる。
『ね、見えたでしょ。まるちゃんの覚悟』
鳴海の眼にはしっかりと輝きが戻っていた。
その眼も吸い込まれそうなくらいきらきらしている。
「わたしだって、弱いですよ」
だから一緒に、強くなりたいです。
強くなって、陸斗先輩を守るです。
小さな体の女の子の大きな覚悟。
どこまでも強くなっていく鳴海の想い。
その想いにさえ負けている俺の想い。
今、俺に「それは必要ないんだ」、と言える強さがあったなら・・・とばかり考えてしまう。
鳴海や枝紡に気づかされた自分の覚悟の無さ。
だから俺は鳴海の覚悟に頷いてしまう。
結局守られているのは自分なんだ。
・・・強く、なりたい。
俺の力で守れるようになりたい。
「あっ、バスが来てるみたいなのでわたし行きますね!」
鳴海は駆け出す。バス停を見るとバスが停留していた。鳴海は百合野町に住んでいる。俺が住む桜見町からはバスで10分ほどだった。
「あ、ああ。気をつけて帰れよ!」
俺の気持ちは複雑なままだ。
「はいです!あとで電話してもいいですか?」
聞かれるのは多分、修行の事だろう。
俺は、ああ、と返事をした。
「それでは先輩、また明日です!」
鳴海はバスに乗り込み、俺はバスを見つめたまま立ち尽くす。
「・・・本当にこれでよかったのかな。修行の事話すべきじゃなかった」
『ううん。あの子の・・・嵐禍の力は必要になると思う。私たちには仲間が必要なんだよ。それにね・・・』
「それに?」
『前にリロが言っていた〈想いが強いほど力も強くなる〉っていうのは本当の事だと思う。一緒に戦って分かったけどまるちゃん、式瀬くんのこと大好きなんだよ』
いつかちゃんと答えを出してあげないとダメだからね、と枝紡は付け加えた。
「・・・俺も覚悟を決めるよ。次の戦いまでにやれることをやる」
『ふふっ、そうこなくっちゃ。男の子なんだからしゃきっとしないとね!』
『陸斗、やはり君は器たる男だ。しっかり強くなれ。修行は厳しいがな』
「おうっ」
行きかう人たちの真ん中で、俺は恥ずかしげもなく拳を固めて夕焼けの空に突き上げる。遠くなっていくバスに向けて見えるように。
まだまだ弱くて小さい俺なりの覚悟を伝えたくて。
俺を守ってくれるといった鳴海や枝紡を守るために強くなろう。
強くなって、この世界を守ろう。
栞菜を安心させられるくらいの男になろう。
そうすればきっと、あいつの病気も治るかもしれないから。
淡い期待でもいい。俺はそうなってほしいと願う。
鳴海の覚悟に負けない覚悟を心に宿すために。
俺の本当の意味での修行がこれから始まる。
掲げた拳の先には、きらきらに輝く一番星が見えた。
*****
――深夜2時、栞菜の病室――
「・・・うう、はあ、はあ・・・」
誰?あたしのことを呼ぶのは・・・。
何これ、金縛りってやつなのかな。
体が痺れて、目も開かない。声も上手く出せない。苦しい・・・。
―――。
今、なんていったの?
ねえ、そこに誰かいるの?
何を伝えてこようとしているの?
―――。――――。
聞こえない。でも、何かを言っているのは分かる。
こわい、怖くて苦しくて、どうしたらいいの?
あたし、もうわかんないよ。
ねえ、助けて。
助けてよ、リク・・・ッ。
―――栞菜よ
頭の奥から電撃が走る感覚。その声は確かにあたしの名前を呼んだ。
けど、その声はリクの声じゃない。でも、あたしは誰の声かすぐに分かった。
声は、あたしと同じ声だったから。
「っはあ・・・、はあ・・・」
目が覚めると汗を滴るほどかいていて気持ちが悪い。
喉も渇いていた。けど、あたしはそのまま膝を抱いて丸くなる。
「もう、やだ。やだやだやだやだやだやだやだやだ・・・・」
目を閉じれば聞こえてくるのは水が流れる音。
時にそれは激流だったり、清流だったり。
その音に紛れて誰かがあたしを呼んでくる。
あたしはもう、入院してから3週間近く眠れていない。
みんなの前ではどうにか元気に振舞えるけど、リクにだけはきつく当たってしまうことが多い。
それはあたしがリクに対して一番心を開いているからだっていうのも自分では分かっているのに。
そうしたくないってのも分かってるのに。
本当は、毎日来てほしいのに。
リクは優しい。
その優しさに甘えたいのに、素直な心とそうじゃない心が喧嘩する。
本当のあたしって、どっちだったっけ・・・。
毎日そんなことを考えていると、夜が明けるんだ。
太陽は眠っていない目には強すぎる。
何もかもが、怖い。怖いんだ。
でも、一番怖いのは何かを隠しているリク。
リクが、あたしの前からいなくなってしまうこと。
「リク・・・」
今、ここにあなたがいてくれるなら
あたしは安心して眠れるのに。
そしてまた、水の流れる音が聞こえる。
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