〈episode24〉届く波動
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このせかいが狂っていると分かったときには、
もうすでにたくさんの長い時間が経過していた。
長い長い、いつまでも同じ刻。
ぼくはただただ、そこにいた。
声をあげることをやめたのはいつだったっけ。
歩くことをやめたのはいつだったっけ。
泣くことをやめたのはいつだったっけ。
途方も無い永遠はぼくに、願うことすらもあきらめさせた。
はたしてぼくが生まれてきた意味はどこにおいてきてしまっただろう。
「無」の世界は、いつまでも「無」のまま、ぼくを置く。
ぼくの存在は、「無」ではない。
ぼくはたしかにここにいる。
ぼくがかつて、「有」にいたことがある。そんな記憶をまだもっている。
「有」は温かかった。優しかった。ぼくのことを、認めてくれるぼくじゃない別の存在がいたはずなんだ。
ひと・・・。
たしか、それは、ひと、と呼ばれていたような気がする。
じゃあぼくは、ひと、なのかな。ひと、ひと、ひと・・・。
何もかもが、何も無い、狂ったせかいで、ぼくはぼくをひとだと思い出した。
ふいに、なにかに後ろから抱きしめられた気がした。
とても、つめたかった。
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・・・・・・・・。
・・・・・。
・・・。
風が窓を強く叩き、その音が俺を目覚めさせた。
「また・・・、眠っていたのか・・・」
俺は新しく設けた部屋の床に倒れていたらしい。いつ、眠ってしまったのかなんて覚えていない。
さすがにこう何度も睡魔に襲われてしまうと敵わないな、と溜息が出る。
・・・いったい、なんなんだ、あの世界は・・・。
そして、あいつは、誰だ・・・。
夢は俺に「無」の世界を見せ、ぼくはひとだ、とよく分からないことを口にしていた。
その声は俺に伝えてきたわけじゃなく、あいつは誰かに伝えようとしている風に見えた。それが誰に向けてなのかなんて知らない。
服に付着していた埃を払う。
俺に宛がわれた部屋は随分と使われていなかったらしい。部屋には何も無く、これではただの四角い箱だった。
俺が窓の外を眺めると、風が少し止んでいるようだった。
コンコンっとリズミカルにノックが聞こえた。俺の返事を待たずに扉が開いた。
「フューリ、お前に会って話がしたいという者が来ている」
オリオンは旅の疲れも感じさせない淡々とした口調で言った。
*****
「・・・随分と久しぶりのように思うよ」
「そうね、あなたはまるで変わらないわ」
円卓に待っていたのはウィンディ。
本当に久しぶりの再会だった。
俺とウィンディは円卓に向かい合うようにして座り、オリオンは円卓の大きな窓から外を眺めていた。話に参加する気は無いらしい。
「君がここを出てから随分と経つけど、今もティックとは仲良く暮らしているのかい?」
「仲良く、だなんて、若い世代が使う言葉よ。でもまあ、それなりね。ここは変わっていないわ、あの時から、ずっと・・・」
ウィンディはぐるりと円卓の周りを見渡した。そのあとで、大きく深呼吸する。
匂いもまた、懐かしんでいる。
「それで、ぼくに話があると聞いたけど」
俺は首を傾げて聞いた。まあ、だいたい予想はできている。
案の定、ウィンディは俺の予想通りの質問をしてきた。
「単刀直入に聞くわね。娘たち・・・、ウィズとウィードをあちら側に送ったのはフューリ、あなたね?」
やれやれ、その眼つきは穏やかじゃない。
「送った、というのは〈扉〉を開けたのかを知りたいのかい?それともぼくが2人を無理にあちら側へ送ったと思っているのかい?」
「どちらもかしら。別に、あの子達がどんな任務を背負い、戦うかは構わないわ。でも、どうしてあの子達なの?」
ウィンディの語気が強くなった。彼女がそうなるのは俺と彼女だけがある秘密を抱えて生きてきたからである。
そう、歴史は変えられているんだ。変えたのはまさに歴史を変えざるを得ない事実を作った張本人だ。
「簡単な話さ。手が足りなかった。オリオンも将軍も任務に着き、ご存知かと思うけどイルヴァナという魔導師が死に、その原因は裏切った魔導師による策略のものだ。ぼくは〈主様〉を守らねばならない。そこで、ウィズとウィードに頼んだんだ」
まあ、こんな理由では納得もしないだろうとは思っていた。
ウィンディの怪訝な表情を見ればね。
「・・・あなたは、全てを知っていながらその選択をしたのね」
オリオンがこちらをちらりと見た。だが何も言わずにまた視線を外界へと送る。
「全て、とはなんだろう、ウィンディ?」
俺はまた首を傾げてみる。とっくに彼女は俺のしたことに気づいているはず。
ウィンディが何か言いづらそうにしているのを見て俺は続ける。
「安心してくれ。彼女たちは強いし、今回の任務はさほど難しいものじゃない。まして彼女たちは双子だ。もし戦闘になったとしても負けるなんて事は無いさ。君はそれを信じて帰りを待っていればいいじゃないか」
わざと、少し砕けたように笑ってみせた。普段こういう表情はしないから頬の筋肉が緊張していた。小刻みに震えているのが分かる。
「・・・本当にあの子達のまま帰ってくる・・・かしら」
ウィンディが拳を握り締めて目を伏せた。
「何か、心配事でも?」
「強いて言うなら、あなたが仕向けたことに対してね」
カッと眼を開き、俺を睨みつけてくる。「やっぱりあなたのことは苦手だわ」
俺はおどけたように肩をすくめる。ひどい言われようだ。俺はただ自分の目的に忠実なだけなのに。その成就にアイツは最悪であり、災厄の存在なのだ。
だから、消すんだよ。
それは、アイツにとって、救済にもなるはずだから。
――尤も、彼らがアイツに勝てたらの話だが。
倒せなければ、その時はその時。こちら側もあちら側も全部、焼き尽くしてくれるだろう。
それならそれでいい。
だから俺は敢えて彼女にこう言った。
「ぼくはきみに感謝しているくらいだよ」
――――その時だった。
城がぐわんと捻じ曲がったような感覚。視界が揺れて、頭上から途轍もない重力を押し付けられる。実際、城は大きく縦揺れしオリオンでさえ支えなしに立っていられないほど。ウィンディは一瞬、悲鳴を上げて円卓にしがみついた。
俺は意に返さず座ったまま。
「・・・これは、なんだ・・・ッ!この重たい魔力は・・・!?」
オリオンがついに床に手を着く。息も苦しそうに。
この色の魔力、この重たい魔力、この尋常じゃない力を知っている、いや覚えているのは俺とウィンディだけだ。
それ以外の者は、アイツが最期の最期に使った〈次元操作〉で全てを上書きされた次元に存在している。
ほんのわずかに異なる次元に。
「やはり・・・こうなることも全て分かった上で・・・ッ」
「さあね、どうだろう。ぼくは久しぶりに彼女に会えると思ってわくわくしているよ」
また、砕けて笑って見せた。頬に緊張はなくなっていた。
やがて振動は落ち着き、静かを取り戻した。
オリオンはどうにか立ち上がり、ウィンディは彼女に駆け寄った。
「頼みがあるの、オリオン、ちょっといいかしら」
未だ状況が飲み込めていないオリオンを引き連れてウィンディは円卓を出て行く。
その際に、また俺を強く睨みつけた。
そしてオリオンに聞こえないように口をぱくぱくさせて俺に伝えてきた。
”何てことを・・・”
鉄の大扉がものすごい音をたてて閉じた。
俺は深く大きく、息を吸うと長く吐き出した。
「さあて、ここからが大変だよ。なんせ君が勝たねば意味が無い。果たして君はどんな戦いを見せてくれるんだろうね。〈かみさま〉が選んだ方の、君は」
独り言はだだっ広い円卓に響いた。
「おかえり、ウィザード」
呼応するかのようにまたしても大きく、世界そのものが揺れた。




